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第肆話 カナシミの似顔絵

 道端に生えるシロツメクサが鮮やかな白い花を咲かせている。まるで絨毯のように敷き詰められている…という程ではないが、道人の気持ちを穏やかにさせてくれる風景であった。波旬たちと別れてからどのくらいの時間が経ったのか分からないが、空には太陽が昇っていて、雀たちは忙しそうにその中を飛び回っていた。今日は良い天気だ。

 しばらく進むと、やがて家が見えた。時代劇に出てきそうな、茅葺きの質素な一軒家だった。

 外装は何も塗装されていない板壁が打ち付けられただけの簡単な作り。窓はあるが硝子(がらす)は嵌められておらず、玄関扉も窓も木の薄い一枚板が使われている。どちらも半開きだったので、道人は窓から家の中をおそるおそる覗いたが、そこには誰もいなかった。


「臭い」


 そんな言葉が思わず漏れる。腐敗臭がした。生ごみのような嫌な臭いが鼻の奥を突く。板壁の隙間から光が射し、おぼろげながら屋内の様子が見えた。薄暗い家の中は荒れていた。家具が倒れ、食器や衣服があちらこちらに散らばっている。


「誰かいますか。入りますよー」道人は玄関に向かい扉を開け、土間へ静かに足を踏み入れた。


 家の中は辛気臭さが漂っている。土間に竈と台所、片隅に木箱や大きな壺があった。しかし焜炉(こんろ)や蛇口は見当たらない。また、天井に照明器具がない事から、ガスや水道、電気といったインフラはないように思えた。そういえば、未だに電信柱も見てない。

 道人は靴を履いたまま床が板張りの部屋に上がった。部屋の中央に囲炉裏がある。その周りで木製の食器は、子供がママゴトの玩具を散らかしたままにするように乱雑に置かれていた。また、一口サイズにカットされた野菜は水分の抜けたカラカラの状態で散乱している。そして部屋の奥に置かれた箪笥(たんす)は背面を見せたまま倒れ、その付近には茶や灰色の地味な色合いの服が床一面に広がっていた。

 ここがどこなのか、いつなのかを確認する為にカレンダーや新聞を探したがどこにもない。

 倒れた箪笥を引っくり返した道人は、引き出しを一つずつ開けて中の確認を始めた。一つまた一つと開けていくが目ぼしいものは入っていない。そして最後の引き出しを開けると、そこに一冊の本を見つけた。

 ページをめくってみる。年月日とメモのような記述があった。


申年(さるどし)三月四日…」道人は書かれている事を呟きながらページをどんどんめくっていく。最後のページを読むと、本をパタンと閉じた。「これは稲作に関する業務日誌みたいなものか…」


 たい肥や種籾(たねもみ)をまいた日付、稲の生長記録や害獣被害、収穫量等が載っている日誌だった。漢字と片仮名、平仮名を使用して書かれており、道人でも問題なく内容を読み解く事が出来た。


「申年は元号じゃないだろうなあ。今は何年なんだろう。たい肥や種籾をまく時の数量の計算式や農業に関する知識から判断すると、どうなんだろう。ん~…、やっぱり分からないなあ…」手に持っていた本を箪笥の引き出しの中に戻した。「取り敢えず、言葉は通じたし、漢字以外の文字も理解出来る範囲の日本語だった。まあ、何とかなるか…」


 荒れた状況だったが家という居住空間にいるせいか、妙な安心感とともに不意に空腹を感じた。思えば昨晩から何も食べずに歩き続けている。周りを何度見回しても冷蔵庫の類はどこにもない。そこで土間に置かれていた木箱や壺の中を覗いたが、そこには食料品は一切入ってなかった。壺に水が溜められていたがボウフラが泳いでいて飲む気にはなれない。道人は落胆したがここが家である以上、どこかに食料の備蓄はあるはずと思考を張り巡らせる。


「そういえば、家の裏に小屋があったな」


 道人は玄関から外へ出て、家の裏側に回った。青やピンクの紫陽花(あじさい)が手毬のような花を咲かせている。その脇を通り抜けて少し離れた小屋へ向かっていると、紫陽花の葉や地面に茶色の染みが広がっている光景が目に入った。何かの液体が撒かれたように見える。何だろうと思いつつも、そのまま小屋の扉の前まで向かった。小屋は家屋よりだいぶ小さいものの、しっかりと作られていた。外から見る限り、板壁に隙間はない。(ねずみ)等の害獣対策だろうか。

 小屋の入口付近の外壁に茶色の大きな染みと何かの引っ掻き傷が残っていた。「これは…」嫌な予感はしたが、道人は閉ざされていた扉を開けた。


「うわ…」


 窓がない為か小屋の内部は暗い。そんなところに開放された入口から光が差し込み、異様な光景を映し出した。小屋の内壁は一面血飛沫(ちしぶき)だらけだった。天井も壁も床も赤黒く染まっていた。正確には、それが人間の血なのか道人に分からなかった。映画やドラマのようにそこに遺体があったら確証を得られたかもしれないが、それでもおぞましい光景だった事に間違いない。

 狼狽した道人は尻もちをついてしまった。突然の出来事に腰が引けた。

 しばらく呆けていた道人だったが徐々に冷静さを取り戻し、ゆっくりと立ち上がって小屋の中をもう一度見渡す。その時、扉のすぐ裏、小屋の入口に紙が一枚落ちている事に気付き、その紙を手に取った。そこには5人家族の似顔絵が描かれていた。夫婦と子供3人。水彩画だろうか。皆、満面の笑みを浮かべていた。


 ただ、その幸せそうな似顔絵も大部分が赤黒く血まみれだった。


 それを見た道人の心拍数が跳ね上がる。「うわー」と叫び声を上げ、思わず似顔絵を放り投げた。


「何だ、何があった。落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け」道人は目を閉じて何度も深く呼吸をした。心臓の鼓動を強く感じる。ジャージの胸部分を抑えて無理やり冷静さを取り戻そうとしたが、動悸(どうき)も手の震えも止まらなかった。その時、威嚇するような獣の遠吠えがどこからともなく聞こえてきた。1匹ではない、少なくても2、3匹。群れのようだ。「落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 不意に近くの茂みからガサガサという音が聞こえた。驚いた道人が音の方を向くと、そこから鳥が勢いよく飛び出し空へ向かって羽ばたいていくのが見えた。突然の出来事に道人はビクッと驚き一瞬呼吸が止まる。そのまま、まるで幽霊や化物を見たかのような表情で空を舞う二羽のキジバトを見つめた。そして再び息を吸い込んだ時、先程より落ち着いている自分に気付いた。少しではあるが、冷静さを取り戻していた。


「血が乾いているから、昨日今日の話じゃない。数日は経っているはず」小屋の様子や落ちている似顔絵、紫陽花を見ながら道人は呟いた。「ここで何があったか分からないけど、取り敢えずここから離れて、人のいる集落を目指した方が良いか。ここにいたら僕も襲われるかもしれないし…」


 道人は周囲を警戒しながら血塗られた小屋を後にした。


 数分ほど歩くと、右手に鬱蒼(うっそう)とした林があり、田舎道はその林に沿うように緩やかなカーブになっている。そのまま歩いているとやがて茅葺屋根の家が建つ集落が目に入った。数軒の家から白い煙が立ち昇っている。その畦道の向こう側、道人の進行方向から一人の男性が歩いてきた。遠目なので木槌なのか鉄槌なのか分からないが、ハンマーの打撃部分である頭部長は、少なくとも100cm以上はある巨大サイズで、それを左肩に担いでいる。また、右手に40cmくらいの麻袋を持っていた。

 そして、チャラチャラと響く雪駄の音が近付くにつれ、顔や服装がはっきり見え始める。一言で表現すると、ザ・ヤンキー。身長は170cmほどで年齢は十代後半だろうか。頭の両サイドを刈り上げて前髪から後頭部にかけて残した髪はモヒカンでオールバック。襟足をやや残し気味でイカツイオーラ。眼光鋭く瞳は血走っており、黒の縞模様の入った赤い甚平から覗く両腕には、青の流線形の刺青のような紋様が顔を出している。何かされたわけではないが、何とも言えない気まずさを感じたまま、2人の距離は少しずつ縮まっていった。


「ヤバい、ヤバい、ヤバい。これは絶対に目を合わせちゃ駄目なやつだー」囁くような小声で呟きながら道人は斜め下45度の地面を見つめて歩き続ける。「うわー、怖い、怖い、怖い…」


 やがて、狭い田舎道を2人がすれ違った瞬間、男性が放つ威圧感のようなピリピリとした雰囲気に場は包まれた。えも言われぬ空気が道人の肌に伝わってくる。その男性はピタリと歩みを止めて道人の方に顔を向けて「あっ…」と何かを言いかけたが、道人は足を止める事なく、むしろ歩調を速めてその場を通り過ぎた。それを見た男性はそれ以上何かを言う事もなく、再び歩き始め、道人から離れていく。

 そろそろ大丈夫かと思う程度まで距離を置いた道人が後ろを振り返ると、男性の姿は既に見当たらなかった。林の向こう側へ続く田舎道のカーブを進んでいったのだろうか。


「秘技フラグ潰し! 道人は危険フラグ回避した」溜息交じりの深呼吸をする。「この先の集落も同じような人だらけだったらどうしよう…。まあ、行くしかないか」


「よし!」と気持ちを入れ直した道人は一番近くに建っている茅葺屋根の家を目指し駆け出した。「いざ、犬塚村!」






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