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そのきゅう


 記憶を辿る。決して歩き慣れてはいない廊下を、ふらつきながら進んでいく。引きずるようにして連れて行く彼は、ずっと黙りこくったままだ。


「外はどうなってるんだろうね。そもそも、あれからどれだけの時が流れたんだろうか。もしかしたら、また新しく文明が築かれてたりしてね」


 杖でもあったらいいのにな、と思う。そうしたら、こんなにも不格好に歩かなくてよかったのに、と。別に歩きづらいことに文句はないけれど、彼の前でこんな無様を晒したくはなかった。


「……どーでもいっか」


 呟いて、また足を動かす。視界が嫌に暗いな、と思った。あの時に似ている、とも。あの時。そう、あの子がいなくなった日。


「ねえ、ソラ。君……あの子の記憶があるんだよね」

「……はい」

「あの子が何を思っていたかも、分かる?」


 問い掛けながら、そんなことはまず有り得ないとちゃんも理解していた。だってそうだろう? 結局、私が知っていたのは、私から見たあの子だけだ。彼が知っているのは、私が知っているあの子だけだ。本当のことなんて、私には分からない。

 どうしてあの時に、あの子があんなにも鮮やかに笑ったのかも、分からない。


「どうしてだろう。あの子は、どうして、笑って船に乗ったんだろう。どうして……私のことを見捨てたんだろ、――っ?」


 唐突に、足から完全に力が抜けた。ああ、もう歩けないかもしれない。痙攣する足先を見ながら、無感情にそれだけを思い嘆息する。ならば、這って行くしかないか。

 投げやりに結論付け、腕に力を入れようとした私に……ソラは小さく呟く。


「見捨ててなんてない」


 見上げたはずの表情が、よく見えなかった。だけど、ああ。なんだか、ソラらしくない表情をしている気がする。


「見捨ててなんてないよ。見捨てたんじゃない。だって、本当は、あなたの手を掴んで引きずり込んでしまいたかった」

「……そら?」


 夢でも見ているような声色だった。夢、とはいっても、言ってしまえばとびきりの悪夢の奥深くに沈んでいくような声。二度三度瞬きをしていると、いつの間にか解けていた手を、彼らしからぬ強い力で掴まれた。


()()()は」


 埃さえ落ちていない殺風景な床に、冷たく押し倒される。影になっている表情は、間近で見ると残酷なまでに鮮明だ。雲ひとつない青空を溶かし込んだみたいな優しい青が、その身体構造上涙を零すことができずとも、涙よりも雄弁に溢れ出んばかりの『何か』を湛えて私を見ている。


 その瞳の色を、私はよく知っていた。

 忘れることを恐れるほどに、よく。


 喜べばいいのか悲しめばいいのか、はたまた……憤ればいいのか。何も分からない。分からないままでいると、彼はそっと私の首に手をかけた。そのまま絞めてしまえばいいのに、そんなことできやしないような優しい手付きだった。


「あなたのかみさまになりたかったんじゃ、ないの」


 ただあなたの疵になりたかった。そう笑う顔は、見たことのない感情に歪んでいた。優しさなんてない、世界のために自らを犠牲にする聖人とはかけ離れた、人間の顔だった。小さく安堵する。ああ、君がそう言えるような人間だったならば、私も笑って見送れたさ。

 でも、それは、私が彼女にそう言って欲しかっただけなんだろう。


「ソラ」

「……なんて、信じられませんよね。僕は彼女ではありませんから、あなたにとってはただの失敗作だ。そんな、ガラクタの言葉なんてきっと」


 自嘲の色が滲む表情に、とっさに首を横に振った。ソラはやっぱり、あの子がしたことのないような顔をしている。

 指先に力がはいらない。これは、這って動くことも難しいだろうな。身体からは感覚が遠のいているのに、口先だけは妙に滑らかに動いてくれる。まあ、これは僥倖だと言っても過言ではない。


「いいや、信じるよ。最初に信じるって言ったのは、私だ」


 嘘つき。


「でも、……きっと、それは私が本当だと思い込みたいだけなんだとも、思う」


 あの子だって人間だった、と。誰よりも叫んだのは私なのに、誰よりも理解していなかったのは私なのかもしれない。今更こんなことを考えても何も変わらないのに、ただ思考だけがから回る。愛しい子。可愛い子。私のたった一つの宝物。


「あの子を神様にしたのは私だなんてこと、もうとっくに理解しているよ。あの子に都合のいい偶像を押し付けたのは私。だけど、ね。本当は、あの子があの子ならそれだけでよかったの」

「知ってます」

「生きていてくれればよかった。隣で笑っていてくれればよかった。……あの子が大切だったのは、嘘じゃない」


 歪んだのは、いつからだろう。繋いでいた手のひらは、まるで緩やかな拘束じみていた。ずっと一緒にいようと言う約束は、あの子を縛り付けるためのものに変わり果てた。

 どんな形ででも、取り戻したかった。

 でも、それに意味がないと、本当は理解していた。


「……知って、います」


 ぺらぺらと薄っぺらい言葉を穿き続ける私に、犯した罪が笑いかける。それを見て、ふと浮かんだこと。


「でも、いや……だからさ」


 ソラが、あの子じゃなくてよかった。

 今、ふと、そう思う。あの子が死んでいる今、二度もあの子を殺さずに済んでよかった。この寂しい場所に、あの子を取り残さずに済んでよかった。ああ、それから。


「ここにいたのが、君でよかった」


 最後に。

 この世界の終わりに、君がいてよかった。


 そう思う。そう思えた。この短い時間しか一緒にいなかったけれど、彼がもう寂しくなければいい。私がここにいて、それが望まれたものだったなら、それだけでいい。


「君と会えて、よかったと。そう思うよ」


 眠気に耐えきれなくて、目を閉じる。意識がふわふわとしてきた。


「……僕も」


 音が遠くなっていく。ごめんね、すごく眠たいんだ。少し寝たら、また起きて、外に行くからさ。少しだけ待ってて。ソラ。……美空。


「僕も、あなたがあなたで、嬉しかった」


 外に出たら。

 花畑で、また、二人ではしゃいで、並んで寝っ転がって星を数えて。そして。


 君が私を殺してね。



(お前のせいだろ、と男が言った。なるほど道理だな。そう呟いて笑うと、男はひどく眉を吊り上げて私を睨めつける。真っ当で、優しくて、普通の男。私なんかの友達になるには、些か感性が普通すぎた男を――それでも。あの子は正しく慕っていたのに。あの時引き留めなかった君のせいでもあるよ、と私は伝えて扉を締める。永遠に、彼には理解できないだろう。世界よりもたった一人を望む気持ちなんて、彼にだけは)


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