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そのはち


「ねえ、お姉ちゃん」


 1面の花畑の真ん中で、真っ白なワンピースが翻る。長い金の髪が煌めいて、空色の瞳が優しく綻んだ。

 きっとこれが世界で一番綺麗なものなんだろう。この世界でたった一つ、価値のあるもの。そう定義する私の傲慢さなど知らないままで、彼女はただ私の手を引く。血の繋がっていないという事実を伏せる、この私の臆病を吹き飛ばすような快活さで。


「大好きだよ」


 彼女の笑顔が好きだった。

 彼女の声が愛しかった。

 彼女を、彼女たらしめるすべてに、……恋い焦がれていた。


 たおやかな手を、万が一にでも傷つけないように握り締める。お姉ちゃんは私を硝子細工か何かだとでも思ってるの、と。彼女はまた柔らかく笑った。こんなにも鮮やかに、こんなにも美しく、人は笑えるのかと。私は驚いて、同じ温度で微笑む。

 永遠にこんな時が続けばいい。ずっと変わらず、こんな日々が続けばいい。


 ――君と手を繋いでどこまでも行こう。この旅に意味がなくたって構わない。君と私がいたら、それだけでもう世界になるんだから。


 ああそうだ。あの『楽園』のことを伝えよう。二人だけで暮らすための家を作るんだと、彼女に教えよう。きっと驚いて、でも、すぐに喜んでくれるはずだから。長かったこの旅を終わらせよう。やっぱり私は……君以外の何も、いらない。

 自分の手を見下ろした。傷だらけの手を、睨んだ。それでも、彼女はこの世界で一番大切なものみたいに、丁寧に私の手を引くのだ。


「――ずっと一緒にいようね」


 うん。そうだね。ずっと一緒にいよう。約束だよ。



 場面が切り替わる。そこでようやく、これがただの夢だと思い出した。目の前にあるのは、ああ、……思い出したくない。見たくない。知りたくない。

 白いドレスを身に纏って。長かった髪を丁寧に編み込んで。まるでお姫様みたいだ、と呟いた私に、磔にされる聖人の顔で微笑んで。そして。


「――生きて」


 君は扉を、開けた。


 風が吹く。それに倣うように、空を見上げた。ああ。君が遠くなる。そして。何も。手は届かずに。未来の希望は消え去って。それなのに、私以外のすべてが君の死をまるで尊いことかのように口にするから。

 決めた。

 世界のために君が死ぬなら、君のために世界を壊してやろう、と。


 私は。


 かつてそこにあった幸福な未来を殺してでも。君が望んだ優しい明日を捨て去ってでも。この憎悪と、一欠片残った『  』を抱えて。そして、ただ。


 ――夢が終わる。




 結局、私は最初から最後まで一貫して独りよがりだった。……きっと、それだけのことだろう。


「まあ、そりゃあね。死んだ人間が生き返るはずない、ってことだよ」


 この世の終わりみたいな顔をするソラに向けて、私は笑った。また、君を一人にしてしまうのか。それは寂しいな、と。どこか他人事のように考えて、少年の手を握り締める。無機物めいて冷たい手は、それでも彼の優しさを表しているかのように震えていた。

 その顔に浮かんだ感情が何なのか、私はよく知っている。鏡の向こう側にいたあの狂人と、同じ感情だ。


「嫌です」

「私も嫌なんだけれどもね」


 これはもうどうしようもないやつですね。

 気がついたら、少年の膝枕で横になっていた事実とその犯罪臭からそっと目を逸らし、ついでに現実の絶望感からも目を逸らし、私は軽く笑う。ソラは怒っているのか悲しんでいるのかよく分からない表情で、私の手を一際強く握り締めた。


「……一人は、もう嫌なんです」


 彼の自我が、己を『一人』と定義している事実が妙に愉快に思えて、私はまた笑みを深める。一人。人。ああ馬鹿みたい。金属の冷たい身体で、死に絶えることのないその心で、何を今更。


「嫌です。嫌。もしも、僕を、置いて行くなら、いっそ」

「……んー」


 違う。ソラは、ソラにはきっと、私が作った人格が埋め込まれていて。だから、これはきっと本当に彼の心からの言葉で。だから、えっと。……駄目だ。

 意識……いや、これは思考か。思考が妙にふわついている。彼を人として扱いたい自分と、彼をただの失敗作として考える誰かが頭の中で争いを繰り広げているみたいだ。


「壊してください」


 切実な声だ。人間のような声だ。なのに、喉が引きつって声が出ない。


「壊して。殺して。永遠を終わらせて――この世界から何もかもがなくなったならば、あなたもようやく眠れるのでしょう?」


 ああ。君が好きだった。君に恋い焦がれていた。でも、君っていうのは、ソラじゃない。でも、今ここにいる私は、目の前にいる君のことを大切に思っている。嘘じゃない。嘘じゃないよ。本当に、そう。


「こんな世界、滅んでしまえばいい、と。あなたが言ったんですから」

「……言ったのは、私じゃない」

「はい、そうですね。でもあなただ」

「それにさ。もう、滅んでるよ」


 ――見ていた。ここに逃げ込む時に、一瞬だけ、振り返ったのだ。私の手を引く男は、振り向いてるんじゃない足を動かせ止まるな馬鹿、と言っていたが。私は見た。私は、振り返って、見た。

 空が落ちてきた。と、人は言う。

 いつか地上に人は住めなくなるから、宇宙船を打ち上げたのだ。不具合のあったそれ。いつか、人間の希望になるはずだったそれは、地に落ちた。そう。たまたま。たまたま、落ちた場所が悪くて――。


「いいや、滅ぼしたんだよ」

「……っ、ドクター!」


 汚染されていなかった最後の場所は、落ちてきた宇宙船によって破壊された。それでおしまい。人間は宇宙へと旅立つこともできずに、ただ滅んだ。そんな結末だけが広がっている。ああ愉快。あの子を殺した世界は死んだ。だから。


「ねえ、外に行こう」


 起き上がった時、頭がふらついた。それでも、感覚の鈍い足をどうにかこうにか奮い立たせて、立ち上がる。ソラの手を引いた。彼は、俯いていた。


「そしたら、壊してあげる」


 花畑で。夜空の下で。きっと、君がどこかにいる、あの星空の下で。終わりにしよう。


「君が、あの子じゃなくても。……もういいよ」


 二人でいれば、そこが世界だ、と。笑う顔を思い出す。死んだ人は星になるんだと言った時の、安心したような顔を思い出す。じゃあ、きっと大丈夫と、あの子は私の震える身体を抱き締めた。

 私は本当は、あの時に、死にたかったんだと。ようやく理解する。理解して、ただ。


「あの子が見下ろす世界が綺麗なら、それだけでいい」




(目の前にある顔は、あの子に似ているのにどうしようもなく違っていた。あの子はこんなにも陰惨な目では私を見なかった。だから、安心して置いていける。名前もない君。私が残した最後の罪。この世界にはもうあの子がいないと、ようやく理解できて――死ぬ間際にようやく、自分の心臓の鼓動を聞いた)


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