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そのろく


 死に絶えた祈りを思い出した。神に縋る人間の愚かさを思い出した。

 ――伸ばした手が届かなかったことを、思い出した。


「僕は、あなた……いや、あなたではありませんね。ドクターが死ぬところを見ていました」


 追い詰められた真犯人のような開き直り方で、ソラは語る。そこで気がついたのだけれど、彼の声はその喉から発せられているわけではないようだった。いやそれはどうでもいいな。駄目だ。多分、記憶が戻ったことで思考が混乱している。


「生きていてくださればそれだけでよかったんです。なので、……ドクターが僕を見ていなくても平気でした。人工的な人間の創造はしんどかったんでしょう? プロトタイプ……じゃない。あなたの妹によく似た命を失敗作だと捨て続けるのは、辛かったんでしょう?」


 あの子に、よく似ていると思った。

 だけど、決定的に違うとも思う。あの子はもっと、太陽の下で咲き誇る花のように笑う子だった。あの子はもっと、春の風のような声をしていた。あの子は、あの子は。

 わたしのかみさまは。


「――だから、死んだんですよね? ドクター」


 あの子は、もういない。


「だから、自ら命を捨てたんですよね。ドクターは」


 私も、もういない。


「……そうだよ」


 ソラの横に立って、画面を覗き込みながら呟く。ああ、なるほど。彼の口から出ている声ではなくて、こっちの機械からか。合成音声……? ああ、あの子の声か。ことあるごとに録音していたのが功を奏して、あの子の声を作るのには苦労しなかったっけ。

 少女にしては低めの声は、少年の声にしても一切の違和を生じさせない。それが苦しくて、いっそ彼の手元にある機械を壊してやろうかとも思った。なのに、できない。


 こんなことになっても、あの子のことを捨てることができない。

 忘れてしまって、そのまま生きていけばきっとまだ幸福だったろうに。それでも、捨てられない。捨てたくない。


「ごめんね、ソラ」


 未完成のシェルターは、どの道、人間が生きていける場所ではなかった。食料も満足にはない、水も残り少ない、部屋だって最低限にしか整えられていない。死ぬのを待つだけの時間で、私はそれでも、研究を続けていた。

 時間は流れていく。記憶は薄れていく。あの子の他に何も持っていない私は、すべてを捨ててでも研究に打ち込んで……でも無駄で。だからせめて、あの子のことを忘れる前に死にたかった。間違いでしかない研究の結果なんてどうでもよかった。

 だから、忘れている。思い出さない。

 ソラは、きっと、私の罪そのものだ。


「こちらこそ、ごめんなさい」

「――でも」


 彼が謝罪する意味が分からず、首を横に振った。ソラは、私を真っ直ぐに見て、ひどく柔らかく微笑む。


「死体が欠損しない状態だったので、何回やっても……記憶をうまく消し切れなくて」


 ……そして。続けられた言葉の意味がうまく理解できなくて、私はただ息を呑んだ。


「最初は、ドクターを取り戻すことができただけでよかったんですけれど。あなた、すぐに死ぬじゃないですか。僕の目を盗んですぐに死んでしまうじゃないですか。死んで欲しくないのに。だから、記憶を消してしまおうと思ったんですけど……中々うまくいかなくて」


 ここまで来るのに、随分と時間が掛かってしまいました。そう言って、彼は笑う。その顔が、全く知らない誰かのものに見えて、距離を取る。いや、取ろうとして――腕を掴まれた。


「分かりますよ。僕じゃ駄目なんですよね。知ってます。僕は最後に作られたというのに……失敗作も失敗作、記憶と見た目以外に共通点なんてありませんし、そもそも性別の自認が違うんですから。でも機械に性別なんてありませんよね。だったら僕でも――いや、僕じゃ駄目なんですよね」

「そ、……ソラ?」

「あなたが作ったんです。いや、厳密にはあなたじゃないか。だって、頑張って壊したんですよ。僕が知っているあなたはもういない。だから、はじめましてから、初めて」


 鏡でも見ているような気分だ。いや私はここまでだったかって聞かれると少々言葉に困るけれど。多分、ソラの立場に私がいたら同じことをしたと思う。あの子が死体をちゃんと残していた上で、生き返らせて。……その先で彼女が、何度も自殺を繰り返していたら。

 ……きっと同じことをする。


 私にとってのあの子が、彼にとっての私なら。私にできることは一つだけだ。息を深く吸って、彼の手を無理やり掴む。


「初めて、生きて、僕の手を」

「私は」


 ひどく、頭が痛い。

 思い出したのだから、死ぬべきだと声がする。頭の奥底から、心臓の裏側から、声がする。あの子がいない世界に価値などないと、あの子が死んだ今を生きる意味などないと、叫んでいる。


「私は、君の言っている、ドクターじゃない」


 それを、捻じ伏せて。


「……っ」

「まあ、記憶はあるよ。っていうか取り戻したよ。でも、違うんだ。何でだろうね。どうして、こんなに。あの子のことは覚えているんだ。私に背を向けたことも、あの子の犠牲に意味がなかったことも、覚えているんだ。なのに、どうして」


 目の前で、泣きそうな顔をする子供を抱き締めた。冷たい身体だ。固い身体だ。否が応でも思い知らされる事実に、それでも私は涙の一つさえ流さない。

 冷たい女だと思ってくれ。ひどい人間だと憤ってくれ。ほら、やっぱり。私はどうしようもなく利己的な人間だ。無力なくせに口ばかりは達者で、臆病なくせに人に多くを求める。人並み以上に冷たくて、人並み以下の倫理観しかないような……駄目な人間だ。


「今の私は、死ぬ気になれないんだろうね」


 失敗作だ。そう言った。そう思った。それで、正しい。

 あの子がいない今に、価値なんてない。そう思っている。


 ソラは、その身体を動揺に震わせた。抱き締めているから分かったのだけれど、彼はどうしようもなく人間によく似ている。悲しいくらいに優しくて、ひどいくらいに美しくて。ああ。ねえ、美空。


 『私』は君に殉じて死んだ。だけれども、今のここにいる私は。君と本当に一緒にいたわけではない私は。

 君を。


 君じゃなくて。君のためじゃなくて。世界なんかのために死んでしまった、薄情な君のためじゃなくて。


 私は。

 君だけを愛していたはずの、私は。君を。それでも、今は。


 ……ああ、頭が、痛い。



(それは、こちらを見ていた。ただ見ていた。嘆くように憂うように、ただ焼き付けるように。私のことを見ていた。あの子とよく似た顔で、あの子が決してしない顔で。それを見て、私は何だか笑えてしまった。遺されるのだ。これは、私がいなくなって、その先にも、ずっとずっと残るのだ。七十億の棺の上に立つのは、命でも何でもないこれ一だ。ああ、愉快愉快。これで私はこの世界を呪い切った。ほら、神様なんて唾でも吐きかけたい気分だって……言っただろ。なあ)



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