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そのさん


 無言のまま歩き出して、また成果のない探索が再開された。やっぱ何もないやここ。せめて窓とか、出口とか。そこまでのサービスはなくても、何らかの変化が欲しいよ。


 そんな願望が天に通じたのだろうか。

 しばらく歩いた先。私とソラの前には、明らかに今までとは違う様子の扉が鎮座していた。鉄製の、中に何かを閉じ込めているような、はたまた侵入を防いでいるかのような。すごく頑丈そうな扉だ。これは中にある情報にも期待できるぞ。

 意気揚々と扉に近づいた私は、一瞬で失望を顔に浮かべた。


「パスワード式、かぁ。しかも二重ロック」


 はい。この扉だけセキュリティが万全ですね。記憶喪失な私にはちょっと荷が重いかな。っていうか無理。こういうところは解除に失敗したら罠が作動して死ぬんでしょ知ってる知ってる。

 待って、それどこで仕入れた知識だよ。我ながら知識の偏りが謎。


 嘆息し、振り返る。休憩時の気まずい雰囲気を引き摺ったままではあるが、一人で考え込んでも解決しないからね。しょうがないね。


「ソラは、ここのパスワードって分かる?」


 ……聞いてみたはいいけど、私はソラのことを万能だとでも思っているのだろうか。分かる訳ないよね。やっぱいいや。そう伝えようと、口を開いた瞬間。

 ――ソラは、躊躇いながらも首肯した。


「本当!?」


 勢いよく顔を近付けたせいで、ちょっと後ろに下がられてしまった。ごめんよ。でも、すごく驚いたから許して。どうして君が知ってるんだ、とか。どうしてそんなにも苦しそうな顔をしてるのか、とか。今は気にしないでおく。


「じゃあ、ここのロックを解除してもらっても、いい……かな?」


 ソラの唇が、小さく震えた。きっと、何かを言おうとしたのだと思う。何か、伝えたいことがあったんだと思う。それでも、彼の口は何の音も発さないまま、再び固く閉ざされる。

 近い距離にいるのに、不自然なほどに視線は合わなかった。拒絶の意志を感じて、私は彼から二歩ほど距離を取る。


「嫌?」


 肯定。


「ここには、見られたくないものがある?」


 肯定。


「それは、私の記憶に関するもの?」


 躊躇い、からの……肯定。


「そう」


 私は何だか悲しくなって、扉に背をつけたまま上を向いた。まったく、馬鹿な子だ。そんなに苦しそうな顔をするくらいなら、嘘の一つでも吐けばよかったのに。

 嘘だって、吐いてよかったのに。

 それでも、信じていられたのに。


 もう一度、ロック解除用の打ち込み板を見る。必要なパスワードは……数字4桁と、英数字両方使用可能で、さらに言えば文字数無制限のやつ。前者はともかく後者は流石に無理だな。

 うん、絶対に、無理。


 なのになんだか、記憶に引っかかるものがある気がしてならない。おいおい、記憶喪失のくせに何を考えてるんだ私は。だけど、……ああそうだ。そういえば、そうだった。

 私は、彼に起こされるまでずっと、夢を見ていたんだ。既視感に似た感覚に、目を閉じる。記憶の底をさらう。

 目を覚ます前。夢の中。星空。流れ星。悪夢。ざらつく心の向こう側で、それでも、忘れたくなかったと『私』が叫んでいる。


「きみ、の……」


 だから、忘れないようにって。何もなくさないように、落とさないように、捨ててしまわないように。ちゃんと抱えて歩くために、決めたんだ。

 だから、ここのパスワードは、


「君が、いなくなった、日」


 君って、誰だっけ。思い出せない。分からない。思い出したい。思い出したく、ない。思い出さなきゃいけない。忘れたまま生きるなんて、そんなの、嫌だ。

 でも、悲しい記憶だったんでしょう? 苦しくて苦しくて、死にたいくらいに。この世界を壊してしまいたくなるくらい、悲しい記憶だったんでしょう。でも、思い出したいの。忘れたくなかった。

 太陽をそのまま紡いだ糸みたいに、淡い金色の髪。空を飲み干したみたいな色の瞳。そのどれよりも、この世界の何よりも鮮やかに、満開に笑う顔。もうどこにもいない、君の。


「四月」


 ああそうだ。春の、花が咲いていた。白い花弁の花束を、彼女に捧げたことを思い出す。忘れないよって。忘れないでねって。何度も何度も繰り返した。彼女はただ微笑んで、白い花弁に唇を寄せる。

 世界のためだ、と。誰かの声がした。未来のためだ、と誰かが自分を正当化するためだけの言葉を吐き続ける。脳裏で、刃を振り下ろした。何度も何度も、世界とか未来とか人類とかそんなもののためだなんて詭弁を、殺すように。だって、そんなものに興味なんてない。世界が明日滅ぶとしても、どうでもいい。


「四月、の」


 君が隣にいてくれたなら、それだけでもう、他の何もかもがどうでもいいくらいに幸せだったんだ。なんて言ったら、君はきっと、笑うんだろうけど。


「……十二日」


 ピコン。と、場違いに脳天気な音がして、扉の一つ目のロックが解除されたのを知った。無意識に入力していたらしい。って、何それ……怖……。

 恐れ慄いている私の手を、白い手が強く掴む。


「――っ」


 ソラ、は。

 どうしようもなく悲しそうな、それでいて怒っているような、何もかもを諦めたようにも見える。そんな、ひどい顔をしていた。

 何か言いたいことがあるみたいなのに、彼の声は出ない。忌々しげに喉を押さえてから、ソラは私の手を強く引く。扉から引き剥がすように、一歩、一歩。彼の顔が、見えなくなった。


「待って、ソラ」

 

 ソラの後ろ姿に、記憶がちらつく。

 長い、金の髪が。誰かと重なって、揺らぐ。なのに、決定的な記憶には手が届かない。


「ここ、に。入らないと」


 否定。……いや、拒絶か。ソラは首を横に振った。

 でも、私はここに入らないといけない。そうしないと、いけない。曖昧な記憶の奥底で、『私』がそう叫んでいる。忘れないで。思い出して。忘れたくなんかなかった、と。


「私、思い出さないと、いけないの」


 ソラは、また首を横に振った。私のことを知ってるか聞いたときに、否定したくせに。変なの、とちょっとだけ苦笑する。


「ねえ、ソラ。お願い」


 彼が振り返る。

 その顔を見て、私は喉を押し潰されたような心地になる。


「駄目?」


 暗がりでひとりぼっちの子供みたいな、頼りなさげな顔。ソラの手から、力が抜けていく。だから、私は逆に彼の手をぎゅっと握り締めた。なんでそんなに驚くの。私達、ずっと手を握って歩いてきたでしょう?


「……っ、――、――!」


 声が出ないのに、ソラは必死に叫んでいる。私に何かを訴えかけている。

 彼の声が聞きたいな、と思った。


 叶わない願いだ。


「ソラ、ごめんね」


 君はきっと、優しい人だ。

 君はきっと、私のためにここから私を遠ざけようとしているんだろう。


「少しだけ、昔のことを思い出したよ」


 ソラは首を横に振る。嫌々をする子供みたいな仕草だった。でも、手は振り解かれない。それが嬉しいような悲しいような、不思議な気分で。私はそっと彼の手を額に寄せた。


「……私は、この世界を憎んでいた」


 それだけは確かだと、小さく呟く。

 記憶の深く、深くのどこか。白い花を抱えた誰かが、泣きそうに笑っていた。



(狂ってる、と。懐かしい顔の誰かが私を罵倒した。死んだ人間は戻らない。死は不可逆で、過去は変えられない。分かりきったことを口にする男は、どこか誠実にも見えた。一山いくらで売られているような文句でさえも、説得力がある気がした。だけど、もう手遅れだ。狂っていると言うならば、それは誰のせいだ。何のせいだ。努めて冷静に、ただ穏やかに。私は彼に微笑みかけた。何よりも雄弁な拒絶に、彼は一言だけ罵倒を零す。……たった一つの願いが、叶うなら。私は)



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