03 地下からの脱出
ニナは、子供の頃の出来事を思い出し・・・
ああ、いつもの夢だ・・・と、ニナは思った。
山脈と平原の境目に住むドワーフ達は、森に入ることを禁忌としていた。
なぜならそこは、エルフの領域。
隣り合って住処を構える二つの種族であったが、久しく交流は絶え、無用に敵視しあう関係が続いていた。
それ故、ニナがエルフの少女と密かに育てていた友情の芽も、いずれは村のしきたりの前に無残に散らされる定めであった。
その日は、唐突に訪れた。
森の外れでの逢瀬に現れた、乱入者たち。
偏屈な者も多いが、火と鋼と酒さえあれば、おおむね陽気でいられるはずの男たちが垣間見せた、酷く冷たい眼差し。
泣き崩れるエルフの少女を残し、無理やり村に引き戻された。
それきり、あの少女と会うことは許されなかった。
次の日には平気な顔をしていたニナだったが、その心の奥底には、澱の如く沈む暗い思念があった。
それは成人の儀式が行われた日に爆発し、ニナは晴れ着姿のまま、村を後にした。
その足でリンゴールに入り、冒険者登録を済ませ、現在に至っている。
もう、何年も前の出来事なのに、あの日の少女の声の切なさを、今でも忘れることができない。
いや、忘れてはいけないと思っている。
だからこそ、あの日に連なる一連の光景を、繰り返し夢に見るのだろう。
そして、イヤな汗にまみれて、ニナは目を覚ます・・・はずだったのだが。
(温かい?)
背中を包み込む温もりに気がついたのは、少しく時間が経過した後のことだ。
エルフの青年のまとう森の香りは、わずかに鼻に突いたけれども、決してイヤなものではなかった。
同族と比較すれば華奢に過ぎる腕が、脇の下から流れ落ち、ニナの手の甲を包み込む。
軽く組まれた指先が、こそばゆい。
(これが、エルフの指なんだ。)
ヒト族の女性のように繊細で色白な手の甲には、産毛一つ見当たらない。
それに対してニナの逞しい指の背は、剛毛で覆われている。
そう言えば、あのエルフの子も、こんな指をしていたのだったろうか?
記憶の中の彼女の姿は、眩しすぎて、細かいところまでは判別できなかった。
「う、ん・・・」
エンゲの鼻息が、首筋を撫でてゆく。
ゾクゾクっと、首の後ろの毛が、逆立つ感触。
それは両腕に伝播して、鳥肌を立てる。
(どうしよう・・・
居心地が悪くないのが、問題だ。)
いっそこのまま、静かに土に還るのも悪くないか・・・とまで思ってしまったのも一瞬で、ニナはするりとエンゲの腕から抜け出し、周囲の気配を素早く探る。
(せっかくの男前を堪能するなら、まずは安全なところまで脱出してからだ。)
魔物の気配が感知できないことを確認できたので、ペチペチとエンゲの頬を叩く。
「なんだい?
もう、朝なのかな?」
「残念ながら、あたしたちはまだ、土の下さ。」
ニナの言葉に、すぐにエンゲの眠気も去ったようだ。
エンゲの腕が伸び、ニナの背中をそっとなぞる。
「うひょッ?」
存外にかわいらしい声が口から漏れ、キッと、エンゲを睨みつけるニナに、
「あぁ、すまない。
傷の加減はどうかと思ってね。
そんな顔ができるようなら、もう、大丈夫なようだ。」
エンゲの浮かべた微笑みは、あくまでも優しい。
「時間は短かったけど、休息は充分。
問題は、どうやって地上に出るかなんだけど・・・」
その言葉を遮るように、ズンと周囲が揺れた。
「まさか、こちらを感知した?」
頭上から、ボロボロと土の塊が落ちてくる。
「あるいは、他の生き物の魔力に反応しているのかも。
硬質化しているとはいえ、急造だし、所詮は土だ。
ゴーレムが本気を出せば・・・」
残りの言葉は、地鳴りに飲み込まれて宙に消える。
見上げれば、青い空と、ゴーレムの腕が目に入った。
「ここにいてもジリ貧だ。
イチかバチか、地上に出るよッ!」
「分かった!」
二人は同時に、土の斜面を這い上がる。
残念エルフのエンゲ「存外に、女子力の高いニナです。」
男前ドワーフのニナ「ば、バカ言ってるんじゃないよ!」