387.『たった一人の運命の人』
私は世界を大好きな本として捉えていたけれど、陽滝姉は別のものに捉えている気がしていた。その名が『水の理を盗むもの』となったように、彼女は時間の流れを川のように見ていたのかもしれない。
だから、〝相川渦波が幾度も心を壊して、その『代償』に強大な力を得て、相川陽滝と再会する〟という道筋は、陽滝姉が用意した最も大きな流れ――魔法的な水流と私は判断していた。
その道筋に一度沿い始めた物語は、川の激流のように決して止まることはない。
強引に止めようとすれば、巻き込まれて呑みこまれて溺れて死ぬだけ。だから、私は少しずつ、その巨大な川の周辺から手を出していったのだ。
堰を築いたり、川幅を削ったり、別の小さな川を作って『分流』を行なったり――『レヴァン教』を作って、『世界奉還陣』の改竄をして、『迷宮』を作成した。
その私の努力は実を結び、ちゃんと物語の水流は弱まっているだろうか……?
いつかは『分流』した小さな川こそが本流となる日は来るのだろうか……?
『答え』は、千年後に出る。
そして、その次の『答え合わせ』のためにも、私は慎重に千年前の『世界奉還陣』編の終わりを読み進めていく。
使徒レガシィが師匠を裏切ったのは、『魔力浄化』のために師匠の魔石を陽滝姉の身体に移し替えようとする瞬間。いかに師匠といえども、レガシィの背後からの短剣を避けることは叶わなかった。
「――あはっ、はははは! はははっ! カナミの兄さん!!」
未来の楽しい時間を期待したレガシィが、とても嬉しそうに短剣を突き刺した。
『迷宮』製作が失敗する未来に定まった瞬間だ。
そして、その後、すぐにレガシィは迷宮に呑みこまれる。
彼に勝つつもりがなかったというのもあるが、単純に『迷宮の主』を相手に迷宮で戦うのは不利だった。
「――はぁっ……、はぁっ……。どうして……、レガシィ……」
こうして、師匠は致命傷を負った状態で、迷宮の中を一人で歩くことになる。さらに言えば、魔石を抜こうとしたところを妨害された為、非常に身体が不安定な状態だった。
師匠は背中の傷口を押さえながら、痛みで遠ざかる意識を必死で繋ぎ止める。
その身体は迷宮の一つの条件に当てはまり、魔力の粒子に変換されていっていた。
ここで倒れても、身体の移し替えと千年後への召喚は果たされるだろう。だが、未来のために少しでも迷宮に手を加えようと、師匠は迷宮一層の手頃な回廊まで移動して、そこに簡易的な祭壇を作る。
そこで師匠は迷宮の奥深くにある『理を盗むもの』たちに、『次』の条件を伝えていく。
同時に、召喚の『術式』にも、最後の条件を足す。
それは『相川渦波が召喚されるのは千年後のティアラ・フーズヤーズが迷宮に入ったときのみ』という条件。
本当ならば、レガシィが迷宮に入っても召喚される予定だったのだが、師匠は最後の力を振り絞って変更し切った。
巨大な物語の流れに、また一つ『分流』が生まれる。
それを確認してから、私は師匠の前に姿を現す。
迷宮の一層。森林の領域から少し外れた回廊で、私は声をかける。
「師匠……」
息も絶え絶えの師匠が顔を上げて、定まらない瞳で私を見た。
「……ティ、ティアラ? ぁあ、ああっ! よかった……!!」
私を見て、師匠は心から安堵していた。
自分の一番弟子である私が協力すれば、迷宮に呑まれるのを防げるかもしれない。
もし防げなかったとしても、迷宮作成の続きを頼んでもいい。何にせよ、これで危機的状況は脱したと、そう考えている様子だった。
けれど、その師匠の期待に私は応えない。
一切動かず、冷たい目で迷宮に呑みこまれていくのを見守り続ける。
「ティアラ……?」
疑問の声があがる。
ただ冷徹に見ているだけで何の手助けもしない弟子に、師匠は少しずつ表情を青ざめさせていく。
そして、私の現れたタイミングが良すぎると気づき、震えた声を吐き出した。
「そんな……、嘘だ……! 全部終わったら、一緒に……! 一緒にって、約束したじゃないか……!」
黙り続ける私を見て、この状況を作った犯人の一人がティアラ・フーズヤーズであると察してしまう。
師匠は絶望で震えていた。
私の喉奥も震える。表情が緩みそうになる。口が開きそうになる。
本当は「大丈夫、師匠」「心配しないで、師匠」「大好きだよ、師匠」と言いたいのを堪えて、まるで敵のように見下げ続けた。
千年後に出会う『彼女』のためにも、私は師匠との信頼を捨てる。
その捨てた師匠との信頼を、必ず『彼女』は拾ってくれると信じて――
「ティ、アラ……――」
その呼びかけを最後に、師匠は身体を全て魔力の粒子に変換し切って、呑みこまれた。
魔石は落ちない。
魔石が落ちるようになるのは、これからだ。
「……ひ、ひひっ。……これで、もうフーズヤーズには誰もいないね」
敵は一人もいなくなったと、私は無理に笑う。
いま、強敵のほとんどが大地の奥深くに収まり、千年後まで退場となっている。
場外にいる『火の理を盗むもの』アルティも、『忘却』の支払いで戦える状態ではない。彼女は迷宮に蓋をするように、最後の最後に脱落させる予定だ。
――という状況を、きっちりとスキル『読書』でも確認していく。
〝相川渦波はレガシィの手によって追い詰められ、全てが不完全なままで迷宮計画を実行してしまった。それはルールもスキルも記憶も守護者も、何もかもが足りないまま、『次』に飛ぶということだった。何もかも失った彼は、千年後に召喚される。そして、その先で『彼女』と出会う――〟
予定通りの未来だ。
レガシィが仕組んだ記憶継承の妨害は上手くいっているようで、調整の必要はなさそうだった。
私は安堵の一息をついてから、後方に目を向ける。
そこには、ずっとティアラ・フーズヤーズを殺そうと圧力をかけていた『切れ目』がいた。だが、いまの『相川渦波』の退場によって、『呪い』の支払いを諦める意志を見せかけていた。
私は「根性がない」と思いつつ、それを呼び止める。
「もう少し待って。……確かに、師匠の物語は『次』のページまで、一気に飛ぶよ? でも、この行間こそが大事なんだよ。これから私が、どうやって『代償』を払うのか……ちゃんと見てて」
そう言うと、『切れ目』は少し迷いつつも、素直に私の後方で留まってくれた。
相変わらず、取引を持ちかける人間には優しいと苦笑しながら、急いで私は迷宮から出ていく。
まずフーズヤーズの敷地内にある『魔石人間』の研究院跡まで入っていった。
もちろん、『世界奉還陣』の影響で、そこに研究員たちは一人も残っていない。しかし、私の指示通りに『私の血』を研究した成果は残っていた。
その研究成果と『私の血』を回収した私は、続いてフーズヤーズ城に向かう。
建設中のフーズヤーズ地下空間を目指す。
それは異世界の地下空間と比べるとお粗末な出来だった。
だが、これから私は時間をかけて拡張していくつもりだ。
白い『糸』の届かない奥底まで移動して、私は作りたての部屋に入っていく。
簡素で、まだ何もない部屋だ。
そこで私は、後ろを律儀についてきた『切れ目』のために、一つの物語を『執筆』し始める。
土の地面に手をついて、傷口から血を吐き出し、この地下の奥底に染みこませることで、この星そのものに文字を記していく。
「ひ、ひひっ、いひひひ――」
筆は軽かった。
なにせ、いま書き始めた物語は、大好きな師匠が『主人公』だからだ。
その私の一番好きな人の未来を、私好みの『英雄譚』の『冒険』で、好きなように書いていいのだから、楽しいに決まっていた。
しかも、その『主人公』の隣には、ちゃんと『私』もいる。
この『私』も、ちゃんとそこに――
「そうだね……。『新しい私』は……、『ラスティアラ』。『ラスティアラ・フーズヤーズ』にしようかな」
将来大活躍が予定される『理想』の『私』の名前が決まった。
『彼女』こそが、最後の『作りもの』であり、『魔石人間』の最高傑作となるだろう。
ゆえに『最後の私』という意味を込めて、『ラスティアラ・フーズヤーズ』とした。
「師匠……、私はわかってるから安心して。師匠が欲しいものは、私が一番わかってる。もちろん、私が欲しいものだって、私が一番わかってる……」
これこそが《グリム・リム・リーパー》を見て、私の出した『答え』の一つだった。
それは私の代わりに『呪い』で死ぬ『新しい私』を、『魔石人間』で用意すること。『やり直し』をする一番の目的は、この『ラスティアラ・フーズヤーズ』を私の代わりに殺すことだった。
もちろん、用意するのは『ラスティアラ・フーズヤーズ』だけではない。
それを補佐する存在も、たくさん作るつもりだ。
『執筆』による魂の複写――ときには、肥大化させた魂を千切っては分けて、限界まで増やしていく。魔石と血の両方の性質を理解した私ならば、それが可能だという自信がある。
だが、いまは『ラスティアラ・フーズヤーズ』だけに集中していく。
正直なところ、夢中になってしまっていた。
最初は『切れ目』に対する提案のはずだったが、余りに『理想』の『私』の姿を書くのが楽し過ぎた。いままでの辛い作業と比べると、本当に楽しくて、楽しくて楽しくて楽しくて――
「――もちろん、『ラスティアラ・フーズヤーズ』は、現実離れした美しさだよ! その美貌は、恐ろしいとさえ思えるほどに幻想的! 『たった一人の運命の人』なんだから、当然だよねっ!」
『英雄譚』なのだから、美少女であることは必須だ。
私のような現実的な老化とは、全くもって無縁。
若白髪の混じった長髪ではなく、金砂が流れているかのような綺麗な長髪。
顔の作りは、まるで人形のように整っている。
その二つの瞳は、幻想的な黄金色。
まさしく、彼女は一切の無駄がない完成された美の体現者。
「いひひっ! 私と違って、背が高くて、かっこよくて、髪はサラサラ……。心は純粋無垢で、優しくて、可愛いらしい……。やっぱり、可愛いのが重要だよね! で、その上、師匠とは気が合う素敵な女の子なんだよ!」
本当は私がなりたかった聖人ティアラ像を……いま、この地に、遠い未来に、書き記していく。
ラスティアラ・フーズヤーズで一番大事なのは、師匠と気が合うこと。
私の代わりに『呪い』で死んでもらうためには、ただ可愛いだけでは駄目だ。あらゆる面で私以上になってもらう必要がある。
かつての私は、師匠の命名センスを聞いて、首を傾げることが何度かあった。
しかし、この『新しい私』は違うだろう。十年以上も師匠のことばっかりを考えて考えて、ずっと研究してきた私だからこそ、彼女のセンスは完璧となる。
例えば、唐突に『神聖なる模範者』と言われても、彼女は『生きる伝説』のほうがいいと即答できる。
私の研究成果を全て託された『新しい私』は、最初から師匠のことを全てわかってくれる。
それは例えば、師匠の最初の『みんな一緒に』という淡い願いも含めて――『全て』だ。
彼女こそ、私の捨てる『全て』を拾う私。
まさしく、『主人公』の師匠にとって、ラスティアラ・フーズヤーズは最高のヒロインとなるだろう。でも、これは――
「……師匠と同じで、『作りもの』ってことだね。だって、彼女は『理想』の『私』だから……。でも、だからこそっ、陽滝姉の『理想』をやってる師匠とは、すっごいお似合いだと思うよ!」
『理想』の『作りもの』が二人。
『糸』に操られるがままに、劇を行なうということでもある。
見様によっては、少し物悲しい劇かもしれない。
だが、それが恋愛劇ならば、悲しいということは問題にはならないはずだ。
それどころか、王道の刺激となって、二人の運命的な劇を盛り上げてくれる可能性が高い。
ああ、何も問題はない。
大好きな王道の『英雄譚』だからこそ、その『執筆』には自信があった。
そして、いままでの『読書』の経験を活かすのは、本当に楽しかった
自分の考える最高の未来を書き足せることは、ずっと『理を盗むもの』たちのせいで窮屈だった私にとって、清々しい解放感がある。
千年後の物語は、王道の恋物語
運命的な出会いから、少しずつ距離を縮めていく二人。
すれ違うことは何度かあって、ときには喧嘩をすることもある二人。
でも、どんな困難な壁があったとしても、最終的には必ず結ばれると決められた二人。
それが『主人公』カナミと『ヒロイン』ラスティアラ。
果てに二人は、互いが互いを『たった一人の運命の人』として愛し合っていく……!
「――ねえ!? 優しい世界は、どう思う!?」
興奮を抑えきれず、私は執筆途中の感想が欲しくて、後ろの『切れ目』に向かって聞いた。
ただ、残念なことに、『切れ目』の向こう側にある意志は、酷く困惑している様子だった。
私の提案の意味を、理解し切れていないかもしれない。
私は跳ねる心臓の音を落ち着けて、優しく説明をしていく。
「つまり、これで私を見逃してくれるかってことだね。『陽滝姉』の代わりに死ぬはずだった『私』。その『私』の代わりに死ぬのが、この『ラスティアラ・フーズヤーズ』。師匠の『呪い』は、千年後に支払うから安心して。絶対に、必ず、何が何でも、そうなるように――陽滝姉と私が協力して、誘導するからさ」
いま私は『ラスティアラ・フーズヤーズ』の未来を書いては、読んでいっている。
それは元々陽滝姉が用意した頁に、「ラス」の二文字を加えただけのものが多い。だから、私は「協力して」という表現を口にした。
「ただ、一番の問題は、陽滝姉なら私がこうするって読んでることだよね……。あの白い『糸』で、陽滝姉は反則的な先読みをしてる。間違いなく、こうやって私が書き足すことも場合も予測して、千年後の準備をしてる」
私は『ラスティアラ・フーズヤーズ』が死んで、師匠の『呪い』が支払われたあとのことも考える必要があるだろう。
私の計画は、ここから先が本番と言っていい。
それは『未来視』にも似た――あらゆる可能性を見据えての予測作業となる。
「陽滝姉、私も同じ白い『糸』を使ってわかったよ……。絶対に私は、陽滝姉の思考能力には勝てない。でも、それは向き不向きの違い、生まれ持った違いの差でしかないってわかった……」
それは師匠の作った『表示』で言うところの『先天スキル』という欄。
私の目には、いま『読書』という文字が記されていた。
そして、その下には『執筆』『呪術』『血術』『魔法』といった陽滝姉に対抗するための『後天スキル』もたくさん揃っている。
「私の本好きっぷりだけは、陽滝姉にも負けないよ!! 私は私の方法で、陽滝姉のスキルに対抗する! もし、この無限に枝分かれする未来を陽滝姉が見えているなら、その全てを私は本に書き記す! 陽滝姉と違って、地道にコツコツとね!!」
陽滝姉は大量の白い『糸』の力で、私には想像できない思考速度を得ている。おそらく、未来の可能性を本に記さないといけない私と違って、瞬時に無限の未来が見えているはずだ。
だからと言って、陽滝姉に追いつけないとは思わない。
勝てないのならば、勝てる瞬間まで逃げ続ければいいだけだと教わった。
足りないのならば、私は増やせばいいだけだと『答え』は出した。
陽滝姉が一人でやってることを、私は私たちでやればいい。
例えば、大量生産した『魔石人間』に私の代わりに物語を考えさせれば、それで私は何百倍もの思考速度を手に入れたも同然となる。
他にも『血の力』を使っての工夫は、たくさん考えてある。
そして、それを最大限に活用する時間が、私には千年もある。
たとえ、千年後の『やり直し』に、陽滝姉の用意した頁が数え切れないほどあったとしても――その全てを私たちは読み切って、書き切って、陽滝姉をも超える最後の頁を足してやる。
「もう『対等』なんて言わない。たとえ、最期の一瞬だけだとしても、私は陽滝姉を超える……! 期待してて!」
そう宣言して、千年後にどう話が転んでも構わないように、あらゆる可能性を私は書いていく。
途中、何百ものラスティアラが師匠と愛し合い、結ばれ、死んでいく頁ができた。それは一つの巨大な川に、何百もの川の『分流』がされているのに似ていた。その木の根のような川を、頭に思い浮かべていると――ふと私は、いま自分の書いている物語の名前が気になった。
つまり、題名だ。
「あっ……。あー、えっと、どうしよっかな?」
この川全てを表せる言葉があると便利だなと思い、私は頭の中で言葉を探した。
題名決めで重要なのは、千年後には私だけじゃなくて、師匠も『主人公』になっていることだろう。あとは――
「これは、私と師匠の二人が、陽滝姉に向かって進み続ける物語……? 陽滝姉に会いたいと願って、『主人公』たちは一つの場所を目指す……、なら……――」
意味は大きく異なるが、どちらの『主人公』も迷宮という事象を通り抜けていくことも重要だ。
『ティアラ・フーズヤーズ』は千年後に、異世界の『最深部』を目指す。
『相川渦波』も千年後に、異世界の『最深部』を目指す。
ならば、題名は、そのままの意味で――
「…………」
一つ思いついた。
それは『いまの私』らしい題名だと思ったけれど、『新しい私』らしくはない。
これでは師匠が納得いかないなと思って、笑って首を振る。
「んー、まだ止めておこうかな。題名も、魔法の『代償』足りえるからね。最後の最後に、ばばーんと格好良くいこう!」
後の楽しみに取っておいた。
その瞬間に『全て』の『代償』を集めることが大事だと、よくわかっていたからだ。
なにより、異世界の迷宮を踏破して、『最深部』に辿りつくのは、私の知っている『主人公』じゃない可能性だって十分にある。
なので、私は題名のことは置いておいて、続きの『執筆』に集中していく。
その作業は疲れも痛みもあったけれど、とても楽だった。もう『切れ目』を気にしなくていいおかげか、ただ楽しいという理由からか、止まる気配がない。
「遅くなってごめんね、陽滝姉。ここからが、私の本気だから――」
やっと本気で『決闘』をしている実感があった。
『全て』を捨てると決めてから、レガシィの言っていた「生き抜く」という言葉の意味もわかる気がした。
レガシィが【自分が楽しいと思えるものだけを信じて、最後まで全力で生き抜く】ならば、私は〝私の信じる『魔法』だけを信じて、最後まで全力で生き抜く〟のが『答え』だ。
いまやっと私は、私の人生の――私の本当の『魔法』を見つけていっている。
「師匠、陽滝姉、私は押し付けるよ。魔法の『代償』も全部、他人に支払わせる――」
ただ、はっきり言って、いま私が書いている物語を、師匠だけは絶対に認めてくれないだろう。
私の〝誰もが幸せになれる『魔法』〟を見て、最後まで首を振り続けるだろう。
結局のところティアラ・フーズヤーズは、師匠たち『理を盗むもの』側ではなく、レガシィやロミスの『人』側だからだ。
「私たちは、喜んで押し付けられる人間だから――」
『全て』を捨てる私は、もう決して師匠と結ばれることはない。
けれど、その捨てた『全て』は、別の私がちゃんと拾ってくれる。師匠の『みんな一緒に』という願いは、必ず叶う。だから、許して欲しい。
「ねえ、師匠。千年後に私の最高傑作を読んで……。もし、それを少しでも好きになってくれるなら、そのときは……――」
フーズヤーズの地下空間で、私は書き続ける。
数年後には製作した『魔石人間』たちと一緒になって、十年後には大陸の国全てを利用して、この身体が限界を迎える〝新暦百十年〟まで書き続けた。
『人』として死んでからは、『魔法』として書き続ける。
人類の血脈に混じって、大陸の歴史に混じって、星の脈動に混じって、ただただ私は物語を書き続けた。
それは『本に記されない頁』の束となって、地の底に溜まっていく。
そして、その執念の末に完成する物語は、〝新暦千十年〟から始まった。
〝千年後、連合国フーズヤーズにて『ラスティアラ・フーズヤーズ』は誕生する。千年前の『聖人』ティアラを『再誕』させるための『魔石人間』として、大陸の歴史と技術の全てを使って製作された彼女は、フーズヤーズ大聖堂の地下深くで目を開ける――〟
そのときにはもう、私は『主人公』でも『ヒロイン』でもない。
ここから先は、渦波とラスティアラの二人が歩む物語。
だから、読めば読むほど、私の視点は遠ざかっていく。
〝籠の中の鳥として育てられた少女は、いつしか英雄譚の『冒険』を憧れるようになる。彼女の周囲に用意された状況が、甘んじて生贄となることを許さなかった。なによりも、その熱い想いを秘め続けるには、『迷宮』は近過ぎた。彼女にって『冒険』とは、人生そのものであり、夢だった――〟
この感覚は二度目だ。
以前、ファニア編という物語を終えたときも、同じだった。
朗読の間は『主人公』だけれど、読み終われば、その役目は相応しい人に返さないといけなくなる。
〝籠に堪えきれなくなった少女は、信頼できる騎士に頼み込み、とうとう迷宮に入ってしまう。それこそが『主人公』の召喚条件だと知らず、運命の赤い『糸』に導かれて、少女は少年と出会う。それこそ、ティアラ・フーズヤーズの書いた物語が始まる瞬間だった――〟
『主人公』は交代。
それを確認したとき、魔法《次元決戦演算『前日譚』》が解け始める。
『星空の物語』という本に栞が挟まれ、閉じられ、徐々に現実へと戻されていく。
〝その物語の果て、『糸』に操られているだけと知らずに、『作りもの』の二人は必要とし合う。『相川渦波』と『ラスティアラ・フーズヤーズ』は死に別れるために、互いを『たった一人の運命の人』として愛し合うことになる――〟
という頁を最後に、朗読は終わる。
その愛し合うというのは、あの日、あの十一番十字路で、二人が告白し合ったことを指しているのだろう。
かつては美しかったはずの頁が、途端に色褪せていくのがわかった。
悲劇を刺激と言った人物の『執筆』だとわかると、なんと薄っぺらで軽い頁だったことかと、乾いた笑いが出てくる。
ラグネ・カイクヲラが相川渦波を見て、胡散臭い茶番劇だと呆れた気持ちが、『僕』にもよくわかった。
いまとなっては、全くもって、あの馬鹿と同感だ。
「ははは」
『僕』の異世界での戦いの全てが、あの頁のためだけにあったと告げられたとき、完全に『過去視』は終わっていた。
遠ざかりきった視界は、千年前ではなく千年後の世界を写す。
場所は同じく、フーズヤーズの地下部屋。
しかし、千年前には何もなかった部屋には、蝋燭の光と台座が置かれている。
その台座の上には『ラスティアラ・フーズヤーズ』の死体が横たわり、その腕の中には――彼女の書き遺した手記があった。
『たった一人の運命の人』の前で、僕は手記に向かって手を伸ばして、硬直している。
その手記の隣では、赤子ほどの体積の血溜まりが、ボコボコと泡をたてながら蠢いていた。
その魔法は、僕の身体を赤い『糸』で繋ぎ止め続けつつ、喋る。
『ティアラ・フーズヤーズの本は、ここまで。ここからは、らすちーちゃんの本だね』
ラスティアラの身体に向かって、僕の手が強く引き寄せられていく。
余りに強い力だった。
『さあ、次を読んで。いまも、まだ彼女は『主人公』を待ってる』
赤い『糸』の力だけではない。
物語の流れという形而上の『糸』も絡み付いている気がした。
それに僕は抗おうと、力を込める。
僕の『未来視』の魔法が、『感応』というスキルが、今日までの戦いの経験が、ラスティアラを生き返らせたいのなら「絶対に読むな」と告げていた。




