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共犯者になった冬

作者: 明渡雅夢

 そこは、冬の国ではない。

 そこは、春の恵みがあり、夏の日差しがあり、秋の実りがあり、冬の恐ろしさがある国だった。

 そこは、決して冬の国ではない。



 かつてその国には四季が無かった。ただ気まぐれに自然は猛威を振るい、人のみならず生きるものすべてに試練を与えていた。

 王はそれを憂いた。そして民が幸せになれるよう、己を贄とした。神はその勇気を称え、王に太陽の力を与えた。太陽の力を得た王はその後、季節の力を持つ四人の娘を民から見出し、全員を妻とした。

 王は妻を住まわせる塔を国の中心に建てた。女王は太陽の王の妻となる間、その塔で過ごし、国に季節をもたらした。正しく季節が来るようになった国は瞬く間に繁栄していった。

 それから遥かな時が過ぎた今も力は血と共に受け継がれ、正しく季節は巡っていた。



 ◆


 冬が始まって、何か月たっただろうか。

 本来この国の冬は四ヶ月だ。四ヶ月が過ぎると女王が入れ替わり春が始まる。

 入れ替わってから一か月もすれば春の訪れに寒さが緩くなるのが常なのだが、そんな気配は微塵もない。冬が終わらないのだ。


 最初は女王が体調を崩されたのだと噂された。国民が女王の無事を祈りながらさらに一月。冬は深くなるばかりだった。

 空はどんよりと暗く、水は身を切り裂くかのように冷たい。恵みと呼べるものは何一つなく、まるで国の全てが死の神に魅入られてしまったかのようだった。


 幼子たちは指折り数えながら親に駄々をこねる。「あと何回寝れば外で遊べるの?」

 親たちは駄々をこねる我が子の頭を撫でながらきっとすぐよと嘘をついた。子供たちは無邪気に頷きながら、それが嘘だと知っていた。

 青年達は日差しが戻らない暗い日々に精神に異常をきたし、酒に溺れた。国を支えていた若々しい声はすっかり消えた。

 親たちは日々減ってゆく糧に身を震わせ、老人たちは若者たちの未来のために国を出ていくことを考え始めていた。

 そして気が付けば冬以外の季節を知らない赤子すら生まれ始めていたのだ。


 誰も彼もが希望をなくし、そして女王を疑い始めていた。

 冬の女王は我々を殺したいのだ、と。



 とうとう一人死んだ。

 空腹に耐えきれず狩りに行こうとして、若い青年が雪の中亡くなった。いや、死んだと断定するのは間違った表現だったのかもしれない。だが彼はいつまでも帰らなかったのだ。

 彼の死は静かに国中に伝わった。

 それがきっかけだったのだろうか。限界を迎えた人から消え始めた。老夫婦が、青年が、子供が、消えていく。国は最早終わりに向かっていた。


 太陽の血を受け継いでいた王は重い腰を上げた。



『冬の女王を塔から連れ出し冬を終わらせた者に褒美をだそう』



 おふれは、兵によって各家庭に周知された。

 しかし誰もが疲れ果てていて、民は細く長く白い息を吐くばかり。

「王すら助けを求めるほどならば、私たちにはもはや希望などない」

 人がまた、減り始めていった。心の炎を失った者から死んでいった。


 ◆



 青年がいた。

 住んでいたのは国の端、ちょうど塔にある窓とまっすぐにつながっている場所だった。


 彼がおふれを知ったのは、王がそれを出してから数か月経ってからのこと。ある日家の前に手紙を括りつけられた犬が倒れていた。

 屈強な兵士ですらこの冬の中では国を渡りきれなかったのだ。倒れていたその犬は兵士たちにとって王の言葉を伝える最後の手段だったに違いない。

 やせ細ったその犬の体を温めながら、青年は考えた。


 ――そして、自分が勇者になろうと決めたのだった。


 ◆


 褒美が欲しいわけでは無いのだった。

 ただ単に、今国の中で一番元気なのは自分だろうと思っただけだった。

 彼は人里を離れ、森のすぐそばに住んでいた。国の端だからか冬の女王の影響も弱く、ここには食料が他の場所よりあったのだ。そのために彼には体力が残っていた。ただそれだけだった。


 しかしそれももう時間の問題だと彼にはわかっていた。森の恵みも消え始めている。ここに残っていても先は無い。

 青年はまっすぐ前にある女王の塔に、女王の部屋にある唯一の窓を見つめた。森で育った彼は目がよかった。

 遥か彼方晴天でも二週間はかかる距離。彼は静かに歩きだす。


 青年は僅かな食料と狩りの道具、そして兵士の犬を連れて旅立ったのだった。


 ◆




「女王様!女王様!どうか、どうか出てきてくださいませ!」

「もう民も国も限界でございます!」


 塔の前には、いつものように女王に仕える者達が集まっていた。

 その顔のどれもが死の恐怖に塗れていた。冬の前の穏やかな顔とは比べることすら不可能な程に滅びが色濃くあった。

 塔は静かだ。誰もいないように沈黙を続けている。


 女王の住む塔は不思議な力に守られている。中に女王以外の人間が入れるのは季節の始まりと終わりだけ。女王が望めばその戸は開かれるが、今は太陽を遮る厚い雲のように固く閉ざされていた。

 昨日と同じように絶望に染まる従者たちの傍で、怒りを燃やす国民たちが食事を差し入れるための小窓から侵入を試みていた。

 その足音には殺意があった。女王を倒さなければ、自分たちが殺されてしまう。

 例外なく彼らは兵士によって塔から排除されたのだが、民を止める兵士の顔には失望だけがあった。


 何故、何故この国には春が訪れない。

 何故冬の女王は心を開かない。

 我々がいったい何をしたというのだ――



「こんにちは」


 そこにあらわれたのは今この国にはない若々しさを持っていた青年だった。

 近くにいた兵士があっと叫ぶ。青年のそばにいるあの犬は、数週間前におふれを託して放った己の犬ではないか。己に駆け寄ってくる確かなぬくもりに兵士は確信した。

 彼はおふれを聞いて駆けつけてきた勇者なのだと。


 ◆


 扉が、開いていた。

 あれほどに閉ざされていた扉が、当然のように開かれていた。


 驚きの沈黙の後に、歓声が湧きあがった。それは何か月ぶりの希望だっただろうか。


『入りなさい、最も遠き場所から来た旅人よ。女王としてあなたに会いましょう』


 扉から聞こえたのはそんな声。

 誰もその声を聞いたことがなかったから反応ができなかった。固まる民衆の中、青年だけがただ一人その中に入ることを許されたのだった。


 ◆


「遠路はるばるご苦労様ね」


 高い塔を登り終えた青年を迎えたのは冬の女王だった。

 冷たさを感じさせる態度だが、それは外の冬ほどではない。むしろ思いやりすら感じさせた。


「冬の女王。この塔から出てください」

「いやよ」

「何故です」

「春が嫌いだからよ」


 微笑みながら女王は言った。

 青年はもう一度「何故です」と繰り返した。

 女王は微笑みながらも嫌悪を青年――いや、塔の外へと向けていた。


「私はあなたを見ていました。あなたは塔から見える最も遠い場所に住む人。歩くことすら困難なこの国を縦断してくる姿を、ずっと見ていました。人々を救いたいというその勇気を称えて一つ提案をして差し上げましょう」


 青年は女王を見据えた。女王は可憐な唇を動かして音も無く言った。

『ここに冬を持ってこい』


 ◆


 ――季節の塔に、冬を?

 塔を降りた青年は待っていた民衆にそれを話した。

 従者の中では最も格が高いらしい男性が言った「それは不可能です」。

 何故ならば季節の塔は守られている。外と中は別の世界。例えば雪などきっと瞬く間に解けてしまう。

 女王は持ち込むことを不可能と分かったうえでそのような条件を出したのだ。男は嘆いた。


 期待がしぼんでいく。希望が、失せていく。

 しかし青年は違った。


「なるほど」


 あっけなくそう言い放ち、そしてすぐに彼は帰ってきた。

 青年が持っていたのは人ほどはありそうな大きな入れ物に詰められた雪。


 溶けるならば残るほど持っていけば良い。あまりに単純な行動に民衆は呆れた。激怒する者、失望する者、嗤う者。しかし誰も咎めはしない。どうせやったって無理ならやらせればいい。

 青年は人ほどもある雪をもって再び塔を登った。


 ◆


「馬鹿ね。ここでは雪が解けるって教えてもらえなかったのかしら」


 女王はくすくす笑った。

 その通り、やはり雪は瞬く間に溶けていく。溶けた雪は濁った水となり箱から漏れていく。女王はそれを見てさらに笑った。


「――あら?」


 箱の中に残っていたのは土だった。なるほど、雪は土ごともってきていたのか。


 その中に、小さな植物があった。雪に埋もれたこの国ではすでに忘れ去られようとしていた鮮やかな緑。芽吹く命。女王は静かに驚いた。この冬の中、なんという生命力だ。


「これは、本来ならば春に芽吹く花。冬が長引いたことでこの寒さの中芽を出してしまったのです。この芽はあなたが冬を伸ばしたことを証明する、この国唯一の春。その目に収められましたか」


 春と冬の二つの季節を持つそれならば、冬にも春にも該当しない。故にこの塔に負けないのだ。女王は素直に感心した。


「確かに見たわ。あなたは確かにこの塔に冬を持ち込んだ。しかしこの大吹雪の中、こんな小さな芽を見つけるなんて、大した観察力ね」

「たいしたことはありません。ここに来るまで、いくつも見ていただけなのです」


 青年は女王に土を入れた箱を差し出した。

 女王はぼそりと呟いた。


「これならこの塔で育てられる……」


 女王はその芽を土ごと掬おうとした。この花はそれは綺麗な春色で咲くのだと笑いながら、掬おうとした。

 青年は黙ってみていた。


 女王の白い手が土に差し込まれる。そして掬おうと指を折り曲げて――かつん。

 指先の固い感触に女王は凍り付いた。あわてて土を掘り起こす。

 芽の先に、鮮やかな緑の先の根の先に、土気色の血の気を失くして命を落としたそれは、それは――固く冷たくなった顔。


「これこそまさに、あなたの冬でございます」



 道中いくつも見たのです。

 青年の声は大層冷たい。



 ◆



 女王が外に出た。

 冬を体現したような冷たい面持ちにその面を拝んでやろうとやってきていた野次馬が静かになった。女王はそんな民衆を一瞥して塔を去った。

 すれ違うように、春の女王が駆けてゆく。冬の女王とはまるで正反対の慈愛あふれる表情に民衆は喜びの声を上げた。

 一瞬、対極にある視線が交差する。二人の目に別々の感情が宿っていたことに気がついたのは青年ただ一人だった。


 ◆



「一人の春はいかがですか冬の女王」

「今は女王ではなくただの忘れられた冬よ」


 冬の女王の家は驚くほど質素だった。外を兵士に守られてはいたものの、それはどちらかと言えば監視されているようだった。


「女王の力は偉大ですね。あっという間に春が来た」

「あなたの勝利よ。きっとすぐに冬なんて忘れ去られてしまうわ」

「忘れたりなんてしませんよ。……いえ、忘れることなどできないのです」


 青年は山の男らしい乱暴な振る舞いで冬の女王の前に立った。

 青年は褒美に冬の女王との対話を願ったのだ。故に、こうも自由な態度を許されている。


「王の許可があるとはいえ、態度が大きいわよ」

「冬の女王よ……いえ、冬の人。あなたは次の冬、また長引かせるおつもりなのでは?」


 女王はにたりと笑った。

 この事件はまだ、終わってなどいないのだ。

 青年は厳しい顔で女王を見つめた。



「よく気がついたわね」

「気がつくも何も国民皆が恐れています。能天気に春を謳っているように見えるなら、それはあなたの目が腐っているだけですよ」


 こんどこそ冬の人は不機嫌になった。しかし今の彼女は無力な女性。外に居る兵士たちも一応守りはするだろうが、心は果たしてどうだか。冬の人は青年を睨みつける。


「大切な者を失ったあの冬を忘れられる者などいるものですか。春の温もりを知らぬ幼子を失った親が春を喜べるものですか。あの冬はきっと永遠になりました。ええ、そういう意味ならあなたの永遠の勝利ですよ。忘れられた冬の女王様。ご満足ですか?」

「……まだ足りないわ。まだ足りない」

「いったい何が足りないというのです?もう十分殺したでしょう」

「足りないわ!あと三十年分はね!」


 女王らしからぬ振る舞いをする冬の人に、青年は外に手をやる。

 人でなしの女王にほんの少し興味が沸いたのだ、と前置きをして一言。


「ここまで来たら最後までお付き合いしますよ」


 冬の人は、真っ暗な目をいつまで怯えない青年に向けていた。


 ◆


 足元はびちゃびちゃのどろどろだ。青年の薄い靴はすっかり濡れていた。しかし、それを覆い隠すかのように美しい花がそこには咲き誇っていた。青年が冬の女王に差し出した花と、それは同じだった。


「美しい景色ですね」

「春を愛する人の心を吸って咲いている花ですから、そりゃあ美しいでしょうね」

「あなたの籠城はやはり春の女王のためですか」

「――ただの自己満足よ。あの子の感情には配慮しないわ」


 吐き捨てるように言った。そして花を踏もうとして、ゆっくりと降ろす。足は花を避けた。


「誰よりも春を愛していた人を、王は選んだ」

「……」

「春は恵みの季節だから――ですって。選ばれたときのあの子と来たら、すごいはしゃぎ方だったのよ。『私がみんなに春を持ってくるのね!』って」


 青年は「あなたは?」と聞いた。

 冬の人は首を横に振る。冬の人はそれほど冬が好きではなかったらしい。そもそも、冬は死を司っていてこの国では最も嫌われている季節である。冬の女王ではなかったころの彼女も、きっと冬を忌み嫌っていたのだろう。


「残酷よね。あの塔の中では季節を感じられないというのに、国で最も春を愛している人を春の女王に選ぶのよ」


 冬の人はしゃがみ込んで一輪の花を摘んだ。ドレスの裾が汚れることなど気にかけていなかった。


「二度と春を感じられないと気が付いてから、あの子は何度この国に恵みをもたらしたのでしょうね。一輪の花も持ち込めないあの塔で、あの子は独りぼっちなの」

「あなたも、冬の間は独りでしょう」

「私寒いのは嫌いだもの。塔の中はあたたかいわ。……でもね、春の間、あの塔にぬくもりはないの。塔に季節の力は持ち込めない。ずっと同じ温度なの。だから春の間、あの塔の中は外より寒くなる。たった一人、あの子は冷たい塔に居る」


 その花を握りつぶそうとして、冬の人は思いとどまった。憎しみと愛しさが彼女の手の中でまざりまざってそれこそ泥のようになっていた。


「去年の冬の終わり、あの子が言ったの。『冬は綺麗ね。でも春は綺麗な雪を溶かして醜くするから嫌いなの』って」


 冬の人は、その一言を言って崩れた。堪えていた叫びが花畑に響く。


「あんなに春が好きだった子が!花を愛していた子が!そんな言葉を言うなんて!その悲しさが分かる?それほどまでにあの子を変えたこの国がどれほどに残酷かわかる?あの塔は一人の少女から永遠に春を奪ったのよ!」


 冬の人は泥まみれになっていた。

 青年は静かに服を着替えるように言った。

 ここには、たくさんの花が咲いている。去年の倍はあるだろう。春の喜びというにはいささか量が多い。

 きっとここには、たくさんの栄養があったのだ。


 ◆


「ここには私の罪が溶けているのですね」

「ええ」


 落ち着きを取り戻した女王は泥にまみれたドレスを着替えずにいた。

 まるでそれは、罪を着ることを受け入れた姿のようで、見るに耐えなかった。

 女王は誰にも裁けない。たとえどんな罪を重ねたとしても季節を守るために裁くことはできない。王よりも高い場所に、人では辿りつけない場所に彼女たちは生きている。

 それでもなお、彼女は泥を着るのだ。たとえ誰が裁かずとも彼女は自身でそのドレスを着るのだ。それは次の冬、再び大虐殺を行うという宣言でもあった。

 彼女は、誰にも止められない。


「次は夏だわ。花が散り切ったあとね。そしたらあの子を迎えに行くのよ」

「……その泥だらけのドレスで?」

「ええ。この泥だらけのドレスで」


 満面の笑みに青年は冬に向けての蓄えを明日から行うことを決めた。


「それまでどうするのです?」

「待つわ。……そうね、ここに塔でも建てて住もうかしら」


 冬の人は泥の上で笑っていた。

 きっと夏までそうしているのだろう。

 それを止められる者はいないだろう。その狂気は冬の度に濃くなっていく。一人で過ごす冬の度、そして一人で過ごす春の度。


 春の女王はこの冬の人の狂気に気が付けるだろうか。止められるだろうか。

 青年は首を横に振った。きっと――


 冬の人とは長い付き合いになるのかもしれない。

 そんな絶望をただ彼は冷たく眺めていた。彼もまた、冬のように冷たい人間だった。

 自分が生きているのならそれでいい。それ以外は二の次だ。


 ◆



 春の女王は春に賑わいを取り戻す国と――大量の雪が溶けたせいでその水に襲われる集落を見ていた。彼女はそこにいることしかできない。悲しい光景から目を逸らし、もっと素敵なものを見ようと反対側を見る。

 景色の中で一際目立つ大きな花畑は去年はなかったものだ。それを見つめながら、思い出すのは懐かしい花の香り。甘く、むせるような懐かしい春の匂い。


「――あら?」


 てっきり記憶の中の物だと思っていたそれが、部屋の隅から漂っているものなのだと春の女王は気がついた。匂いを追う。荷物で隠すようにされたそこに、可憐な一輪の花があった。


「まあ!」


 女王は慌ててそれを器にいれた。ゆっくりゆっくり丁寧に移して窓際に置く。その花は堂々と咲いていた。


「この塔の中では季節の物は居られませんのに。何故かしら」


 それでも忘れかけていた春の匂いに、女王はうっとりと微笑む。

 もう二度と、感じられないと諦めていたのに奇跡は起こるものだ。


「……きっとあの子が置いていってくれたのね。長い冬も、きっとこのためだったの」


 一輪の花を咲かせるために、冬の女王は居座ったのだと罪を知らない恵みの女王は無邪気に笑う。


 愛していたものを思い出させてくれたあの子に、お礼を言わなければ。夏の女王の恵みが降り注ぐ日の下で、彼女にこの花の種を渡そう。美しい白の季節を、そしてこの奇跡の一輪を与えてくれる彼女にありがとうと伝えなければ。


「今、どこにいるのかしら」


 きっとこの日の光の下ね。きっと笑っているわ。そうならうれしいわ。

 長き冬への感謝が込められた恵みが、平等に国に降り注いだ。



 ◆


 その国は冬の国だ。

 とにかく冬が長い。とにかくとにかく冬が長い。

 一年のほとんどが冬のその国は、保存技術がとても発達している。とくに肉を使った保存食が美味しいと評判だ。

 他の国の商人たちは危険だと知りつつも雪の中その保存食を求めてやってくる。一度口にしたら病みつき、それ無しでは生きていけないと言われるほどの絶品は高く売れるのだ。

 しかし、帰る者は極僅かだ。それも、国の中枢まで行けた者は一人もいないという。


 それでもその肉が流通しているのは、毎年冬になるとそれを売りに来る商人がいるからだ。

 今日もとある店にその商人は肉を卸しに来ていた。


「そう言えばどうしてあの国だけあんなに寒いんだ?」

「昔気候変動があった。それでたくさんの死人が出たんだ。それから、保存技術が急速に発展した。この肉がなければあの国はとっくに滅んでいたな。今でも辛うじて、だが」

「よく知ってるねえ。ここ数十年で国民が入れ替わったほどの死亡率だったって聞いてはいたけど……そんなことがあったのか。そういえば爺さん、この肉どうやって調達してんだい?特に厳しい冬の間しか手に入らないんだろ?」

「不思議な縁があっただけだ。……いや、自分でもぎ取ったというべきか」

「年の功ってやつかい?無茶はすんなよ」



 長い年月をかけて果たされた復讐劇を知るものは少ない。

 己の怒りを晴らす為に伝説も伝統も消し去った女王の執念を知るただ一人の青年は――冬の女王の加護を唯一受けている元青年は――そんな世間話を呑気にしながら曖昧に笑った。




 ああもう復讐もうんざりよ。こんな塔も国も雪で埋めてしまいましょう。

 それがその人の最後の一言だったという。



 その国は、今日も吹雪いている。


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