ようこそ黎明堂へ
音がする。呼んでいる、と思う。それでもなんとなくそれに応えてはいけないような気がしていた。真夏の昼のこと。蜃気楼が漂っている。信号は全部赤。立ち止まったら持っていた棒アイスが溶けて、手を汚していった。ああ勿体ない、そんなことも思うことが出来ないくらい間髪入れず、真上から音がして。
―――あ。
歌みたいだな、と思った。大分前に流行った歌。確か母が良く聞いていた。元々なんだか丸い媒体に記録されていたらしいそれは機械に強い母の努力で音楽プレーヤーに入っていた。祖母はそれを見ながらこういういところはお祖父さんに似たのね、と笑っていた気がする。母は祖母のものだと言っていた。祖母は結構いろいろなものに手を出していたらしい。それこそ、なんでも。今じゃあ発禁になってるものまでこのプレーヤーには入っているのだから、大切にしなくてはいけないな、なんて思っていた。
好きなものを好きなように聞けるというのは素晴らしい、と思う。
この世界のことを好きだと思ったことはなかったけれど、だからと言って嫌いという訳でもなかったけれど。
祖父が家にいない理由を祖母は話さなかった。母も話さなかった。父がいなくなった理由は祖父に関係しているらしかったけれど、それでもきっと、これは幸せなんだと思おうとしていた。思いたかった。
だから。
―――これで、おわれる。
記憶の中の祖父はいつも頭を撫でてくれていた。そしていつも、ごめんな、と言うのだ。なんで謝るの、と思ったことは何度もあるし、何度か聞いたことだってあった。そういう時いつも祖父は笑うだけだった。悲しそうに、本当に申し訳なさそうに、笑うだけだった。走馬灯のようにそんな光景が浮かんできて、歌は最後の部分に差し掛かっていた。
蝉の声はしなかった。
真夏なのに、ひどく静かな日だった。
ジジッと音がする。音割れした先で誰かが笑った気がした。少年の声。覚えのないそれを最後に、目を閉じた。
「大好きだったよ」