5話
「やっぱりここは『セイルーンクロス』の世界なんだ! ここにはアリーシャがいるんだ! 本物のアリーシャが、ぼくを待っているんだ!」
ツンと鼻の奥が痛くなった。ロクに水分を補給していない干からびた体では、この幸運に対する感動を乗せて、涙を流すこと叶わなかったけれど、ぼくは両の手を握りしめ、腹から込み上げてくる喜びを最小限で抑える。目の前で、いきなりじたばたし始めたぼくを見て、老人が哀れむような表情を浮かべているのに気付き、取り繕うように椅子に座り直す。
「君もハルシェシアへ行くのかね。アリーシャ姫の聖誕祭に」
老人の言葉にぼくはハッとした。ゲームはアリーシャの聖誕祭の前日から始まる。
「あの……あの! 聖誕祭っていつですか?」
「明後日じゃ……森を突っ切り、街道に出れば、追いつけるじゃろう」
追いつけるという妙な言い方に、少し引っかかりを感じたが、何度となくプレイしたゲームの世界なのだ。最善最良のルートは既に頭の中に入っている。目と鼻の先にアリーシャがいるのだ。行かない理由はない。
「待ちなさい。これを持ってお行き」
善は急げと立ち上がったぼくに、老人は先ほど粉々にした草を包んだ布巾と小さな巾着を手のひらに乗せ差し出して来た。
「この村ではワシが必要な道具を調達することになっとる。まあ、すでに在庫は底を尽きておるがのう」
ゲームの通り、薬草を手渡してくる老人を前に、ぼくは思わず吹き出す所だった。必死で堪えて、それらを受け取ると、何故か老人に手をそのまま握られてしまう。
「どうか、この若者に我らが祖の加護、与えられますよう」
慈悲深いとでも言えばいいのかな、ぼくを見上げた老人の目が、どうしてか有頂天だったぼくの気持ちを静かに落ち着かせた。
ハルシェシアの神は、精霊界の一柱である大精霊なはずだ。それを祖先だと言えるのは、エルフと交わった王族だけだろう。なら、この老人が言う祖とは誰を指すのか。すぐに答えが出て来ず、ぼくは貰った薬草を懐にしまい、その家を後にした。
家を出て、なんとなく木の陰に隠れ、巾着の中身を確認すると、中は二重袋になっており、赤い木の実(多分チコリの実というHPが少し回復するアイテム)のたくさん入った袋の下に数枚の金貨を見つけた。
アリーシャへの花を摘む最初のイベント以外、この村には立ち寄ることはない。要するにここは物語の外にある場所なのだ。ぼくは自分にそう言い聞かせ、最初のクエストであるセセラの洞窟へと向かうべく村を出た。
……本当なら、村に薬草を持てるだけ貰いに戻るのだが、懐にしまった薬草は思った以上に重く、これ以上はどう持ったらいいのか分からなかったので、足早に村から離れた。