11話
女の名前を口にした途端、喉元に衝撃が走った。濡れた革手袋が嫌な音を立て、ぼくの首を締め上げる。
「なぜ私の名を知っている」
身長では勝っているはずなのに、ぼくの踵は地面からどんどん離れていく。気も遠くなっていく中、つま先立ちで見下ろしたカタリナの顔は、声や態度とは裏腹に酷くつまらなそうだった。空気を求めてか、口が金魚みたいにパクパクと勝手に動き出した頃、ぼくは地面に投げ捨てられた。思い切り尻もちをつきながら、咳き込んでいると、カタリナは濡れた鎧をぼくと同じように地面に投げ捨て始めた。
「答えられないのか?」
黙ったままのぼくに視線すら寄越さず、独り言のような言葉を吐く女をぼくはジッと眺める。
エルフの血を色濃く宿すアリーシャとは似ても似つかぬカタリナは、腰ほどはある栗色の髪と鳶色の瞳の持ち主だ。エルフの象徴とも言える尖った耳も持たない。王位を継承するための魔力を受け継げなかった『出来損ない』の姫。
年の離れたアリーシャには存在を知らされてもいなかった、最初から居場所を与えられなかった不憫な身の上ではあるが、それを逆恨みし何も知らない妹の命を何度も狙い、最後は魔性のモノへと落ち、国を丸ごと消し去ろうとした張本人だ。
アリーシャの伴侶となるべく転生したぼくにとっても天敵である。
「どうした。なぜ、何も答えないんだ」
けれど、その面立ちはアリーシャに重なった。ぼくの中にあるアリーシャに。
「ぼく、は。ぼくは……全部、知っているから」
アリーシャの碧眼と重なる、鳶色の澄んだ瞳は、目の前の女がゲームの中の『カタリナ』とまるで別物だと錯覚させる。震えて格好がつかないぼくの言葉に「そうか」とカタリナは短く言うと、鎧から脱皮した目のやり場に困る軽装で、その場に胡座を掻いてドッカリと座り
「ならばその『全部』この私に聞かせてみろ」
屈託なく笑いながら、尋問の開始を宣言した。
「お前が全てを見通す『神の目』を持つと言うなら、一つ教えて欲しいのだ。お前には私がどう見えるのか」
ずぶ濡れの道具袋から、見覚えのある小さな巾着を取り出し、カタリナは手を突っ込んで小さな赤い実を取り出した。手のひらに転がり出たのは三個ばかり。巾着をひっくり返すも手のひらには三個だけ。カタリナは一つを自分の口に放り込むと、残りをぼくの手を取って握らせた。
「多少は腹の足しになるだろ」
チコリの実をカリカリと咀嚼しながら笑う姿に、ぼくも手の中にある未知の食べ物を口に入れる覚悟を決めた。酸っぱいのか苦いのか、それとも甘いのか……一つを口の中に入れ舌の上で転がしたが、それでは味は分からなかったので、思い切って奥歯でかみ砕いてみた。
「うわっ、なんだコレ。カリカリしてるくせに果汁がすごい」
口いっぱいに広がった甘酸っぱい汁に驚く。パチンコ玉くらいの大きさなのに、噛めば噛むほど汁が出て来る。
「初めて食べたのか?」
ぼくの反応に意外そうな顔をするカタリナ。素直に頷き、手持ちの巾着を懐から取り出し、五つくらいを掴み口に入れようとしたのだが、苦笑するカタリナに待ったをかけられた。
「あまり一度に食べ過ぎると腹を壊すぞ。三つくらいにしておけ。私の実体験からの理想的な数だ」
腹を壊した頃を思い出しているのか、渋い顔をしたカタリナの助言を素直に聞くことにした。ぼくは自分の巾着から、チコリの実を三つ取り出し、一つを自分の口へ、残りをカタリナに握らせる。