10話
洞窟までの一本道から外れ、足場の悪い森の中を迷うことなく突き進む女の後ろをついて歩く。女は歩く度にガチャガチャと鎧が鳴り、ぼくは歩く度にグチュグチュと濡れた靴が地面に血の足跡を残している。
どうして、こんな目に遭うんだ。自分の手に視線をやると、地面に擦りつけても取れなかった血の色が浅黒い肌を更に黒く染めている。こんな手じゃあ、垂れ続ける鼻水一つ拭えないじゃないか。無性に腹立たしくて、目の前の冗談みたいな鎧兜を恨めしげに睨んでいると、それを感じ取ったのか女がふいに振り返った。
「この先だ。溺れるほどの深さはないが、足下が滑るので注意しろ」
言われて水音が聞こえてくるのに気が付いた。一刻も早く体を正常に戻したいぼくは、女を押しのけて川に向かって走り出す。背後から「気を付けろよ」と呆れた声が投げかけられたが、それが聞こえた時には空中を漂っていた。遅れてドボンと水の中に叩きつけられる。腹や顔を打ちつけて痛みに軽くパニックになり、両手を振り回して水を掻いていると、首を吊った状態になるのもお構いなしに、襟ぐりを容赦なく摘まみ上げられた。
「こんな膝ほどしかない場所で溺れそうになるな。全く器用な奴だ」
苦笑しながら、ぼくが落ち着いたのを確認すると、女は何も言わず突然手を離した。ぼくは再び水面で胸を打ちつけ、思わず呻く。情けなさを上回る腹立たしさで、自分の顔が真っ赤になっているのが分かり、文句の一つも言いたかったが、何に対して言うべきか検討もつかず、悪態を吐きながら川の水で顔を洗う。先に手を洗うべきだったと気付き、手に染みついた血をしっかり洗い流して、もう一度顔を洗い直す。すっかり水浸しになってしまったが、吹き出した血を正面から被ったので、ちょうどよかった。上着を脱いで揉み洗い、靴を脱いで何度も中を濯ぎ、下もズボンも脱ごうとして、たとえ不格好な鎧姿だろうと、一応女が一緒にいることを思い出して手を止める。
岸でしゃがみ込んでいる鎧に目を向けると、ドラム缶が指先をパチャパチャと洗っているのが見えた。ぼくより盛大に血を被った奴が、そんな上品な洗い方で足りると思っているのか! ぼくは岸に上がると女の背後に立った。
「サッパリしたか?」
振り返りもせず、聞いてきた女にぼくは「まだ足らない」と答えた。そして、思いっきり鎧の背中を川へ蹴り飛ばすと、ぼくが落ちた時と同じくらいの水飛沫が上がる。鎧の中に水が入り込んでいるのだろう、暫くぶくぶくと気泡が見えていたが、それが終わるとぷかっと浮かんでいた鎧が静かに水中に沈んだ。
「こんな浅い場所で溺れるなんて、全く器用な奴だな」
仕返しとばかりに言われた言葉をお返しすると、少し胸がスッとしたので、沈んだ鎧を引き上げてやった。鎧は水の入ったドラム缶そのもので、バカみたいに重かったが、日頃の重労働のおかげか、なんとか引き上げることが出来た。
鎧の継ぎ目からピューと水が出て来て、ちょっと面白い。ぼくが笑いを堪えていると、女はおもむろに顔へ手を伸ばし、真上へ引き抜くように兜を外した。兜に溜まっていた水が勢いよく地面に落ち、女の素顔が露わになる。ムスッとした不機嫌そうな顔と対面して、ぼくの笑いは一瞬で引っ込んだ。
「あやうく溺れ死ぬ所だったぞ。せっかく買った鎧も水浸しだ。どういうつもりなんだ、貴様」
濡れた栗色の髪を掻き上げながら、ドラム缶から顔を出した女にぼくは見覚えがあった。
そいつは『セイルーンクロス』のラスボスであり、アリーシャの命をつけ狙う非道の姉、ハルシェシアの王政に反旗を翻すレジスタンスの指導者。
「カタリナ……カタリナ・ハルシェシア?」