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アリーシャ「アラヤ、わたしのお願いをきいてくれる?」
跪き見上げた先には、両手を胸の前で握りしめたアリーシャ。発育の良すぎる大きな胸を強調するようなポーズは、実にけしからん。この時代を感じさせるカクカクした姿ですら、エロさを振りまくとは、さすがぼくの嫁。側に待機させておいたリアルなアリーシャをテレビの画面に合わせるよう持ち上げ、その愛らしさを補正し堪能する。
アリーシャ「わたし、ずっと考えてたの。きっと、はじめて出会った時から、わたしにとってアラヤは特別だった」
肌色多めの純白のドレスは、エンディングのこのシーンでしか見られないが、アリーシャのコスの中で一番人気だ。そのくせ設定資料が少ないせいか、ぼくを満足させるクオリティーを満たしたのはこの一体だけ。キャストオフさせられないのは残念だが、このうっすらと胸の中心に浮かぶドレスの皺は、ぼくの脳内にアリーシャの裸体を思い浮かばせるに十分足る意匠。薄目にして画面を少しブレさせると、脳内同時再生中のアリーシャが、恥ずかしそうに頬をピンクに染め、スルリとドレスの肩紐を落とした。
アリーシャ「わたしね、アラヤが好き。わたしはそんなふうに跪くのではなく、隣で手を握っていてほしいの」
一国の姫として、ずっと健気に色々なものと戦ってきたアリーシャが初めて見せる、彼女の本心。テレビから流れる無機質な電子音に重なる切実な声音が頭の中に響いて、一面ピンクに染められそうになった脳内チャンネルを切り替える。
「ぼくも君が好きだ」
アリーシャ「アラヤ。嬉しい。わたし、今とても幸せよ」
「これからも、ずっと、ずっと、アリーシャを守る。君を愛してる」
胸元に飛び込む直前のアリーシャの表情は、毎度グッと込み上げてくるものがある。画面上では特に変化はないが、ぼくの脳内では大きな瞳に涙を浮かべてクシャッと顔を歪めるのだ。
抱き合う二人のシルエットが、聖都ハルシェシアをバックに浮かび上がり、画面は真っ黒に染まった。
スタッフロールが流れ始めたゲーム画面をぼんやり眺める。何十回、何百回、いや何千回目かのラスボスを倒し、聖都に束の間の平和をもたらしたぼくは、ご褒美のアリーシャ告白タイムを終え、放心状態で床にゴロンと転がった。手に持ったままの八分の一ドレスアリーシャを間違っても壊してしまわないよう、テーブルの上のゴミを腕で押しのけ床に落とし、その端にテーブルの端に丁寧に角度を調整しながら置くのは忘れていない。見上げた先の控えめな白地の三角形を視界に入れ、ムフンと自分の鼻がだらしなく膨らむのを感じながら、流れ続ける凡庸なBGMに身を任せた。
ゴミだらけの床に寝そべりながら、知らずため息が出る。アリーシャとの至福の時間を過ごしたというのに、時間が経つにつれて降り積もる空しさは大きくなるばかりだ。ぼくはグッと手を握りしめて、その空しさをやり過ごそうとするが、伸びっぱなしの爪が手のひらに刺さり、回避の試みすら虚しく失敗する。
「爪でも切るか」
アリーシャとの出会いは偶然だった。時間だけは唸るほどあるぼくは、暇つぶしに古いゲーム機と大量の中古ソフトがセットになった福袋を買ったのだが、その中で埋もれているのを見つけたのだ。『セイルーンクロス』という名作でも迷作でもない、傑作でも駄作でもない、もう文句なしに凡作のこのゲームを。
「お、あったあった。伝説の魔剣クレイジーハウル」
床を這うように手を滑らせ、目当てのカッターを見つけた。カチカチと先っちょだけ刃先を出して、爪を少しずつ削ぐ。床の敷物を引っ掻き、削ぎ後をならしていると、妙に外が騒がしいことに気付いた。キャーキャーと女の悲鳴のような声が耳障りで、ぼくはリモコンを操作してテレビの音量を上げる。
「アリーシャと結ばれた余韻をぶち壊すとは……これ以上ぼくらの邪魔をするようなら、この賞味期限の切れたあんパンをお見舞いしてやるぞ」
床から掴み上げた腐りかけのあんパンを構えると、苛立ちが空しさを少し隠してくれたが、エンディングが終わり流れていたBGMが途切れてしまうと、隠していたモノがブワッと大きく膨らんだ。
「アリーシャ……君のいない世界なんて、生きてる意味ないよ」
臭い台詞に自分でブッと吹いてしまったが、その後はまた重いため息が押し出された。そして、テーブルに置いたアリーシャへ手を伸ばそうとして、ぼくの意識はマンガみたいに吹っ飛んだ。
最後に見えたのは、一瞬で玩具みたいに壊れる壁や天井。ぼくをトマトみたいに押し潰した鉄の塊の姿だった。