第六十一話 膠着、朝鮮半島戦線
「明め! 我を舐めておるのか!」
いよいよ明との講和交渉が始まり、信長は明からの書簡を受け取った。
ところがその内容の無礼さに、信長は受け取った書簡を破り捨ててしまう。
「予想どおりであったか……」
病気のために隠居し、今は信長の傍で相談役をしている丹羽長秀が溜息をつく。
長秀にはわかっていた。
代々の中国王朝は、周辺国家を未開国扱いし、属国程度にしか見ていないのを。
朝鮮での停戦なのに明と交渉するのは、李氏朝鮮が明の属国だからだ。
東アジアの大国明からすれば、日の本などその李氏朝鮮よりも未開で蛮族の国としか思っていないのだから。
光輝から情報を得て長秀はそれを知っていたが、実際にこういう対応を受けると溜息が出てしまう。
「津田殿」
「予想はしていましたが……」
息子と甥達に領地を任せる事が多くなった光輝は、石山城にいる時間が増えていた。
長秀と同じく、信長の相談役のような仕事をしていたのだ。
光輝に言わせると、信長の怒りには彼の複雑な心境も混じっている。
信長は常に経済を意識し、織田家の旗に永楽通宝を用いるほどであった。
永楽通宝とは、明の貨幣である。
東アジアではドルと同じような国際通貨として使われ、その信用度は高い。
津田家は本物そっくりの永楽通宝の私鋳で成り上がったが、もし独自に通貨をデザインしてもこれほどの成功はなかったはずだ。
最近では衰えも目立つが、いまだ明はれっきとした大国である。
信長もそれは理解しているが、実際に自分がここまで下に見られたら腹が立って当然とも言えた。
信長は日の本を統一し、それなりの自負があるのだから。
家臣達の手前もあったので、ここで譲歩するわけにはいかないのであろう。
「速やかに朝鮮の占領を解いて撤退せよか……」
光輝が信長が破いた手紙をつないで読むと、日本国王たる信長に無条件で朝鮮から兵を退けと書いてあった。
明の皇帝から配下の王に命じる。
中国の王朝では当たり前の考え方であった。
「ええいっ! 何様なのだ! 明は!」
年を取り気が短くなった信長は、明の態度に激怒している。
織田軍が現状で朝鮮の大半を占領しているのは事実で、兵を退いてほしければ明が何かしらの譲歩をするのが当たり前だと思っているからだ。
「ミツ! 明に制裁を加えるのだ!」
「大殿、朝鮮はそのままでしょうか?」
「確かに支配には苦戦しておるが、援軍が幾度も破れている癖に生意気な!」
現在、李氏朝鮮の王族や貴族は朝鮮領外の朝鮮族支配領域に臨時の王宮を移し、明の援軍と一緒に朝鮮奪還を目論んでいる。
明の派遣軍も織田軍に数度破れて多大な犠牲を出しているが、明は遼東一帯を統括する李成梁、如松親子に命じて女真族から援軍を募って兵を増やそうとしていた。
彼らの大軍が朝鮮に雪崩れ込めば、織田軍は朝鮮から駆逐されかねない。
この状況で、明に制裁を加えるというのは難しかった。
「ミツ、何とかせい」
「ははっ」
今の激怒している信長に下手に反対意見を言うと、不興を買いかねない。
そこで光輝は、以前から計画だけはしていた明に圧力を加える作戦を実行した。
「先代様、出兵ですか?」
「計画は以前から立てていたものだ。大殿のご命令でもある」
「承知しました」
津田水軍を率いる九鬼澄隆は軍勢を船に乗せ、光輝の命令どおりに島津氏が領有をしていない奄美諸島、琉球王国、台湾諸島、海南島の占領に成功した。
これならば、直接明の領地は攻めていないが打撃は与えたはず。
蝦夷と同じく領有化して殖民をすれば、長い目で見て日本の利益になるはずであった。
あとは、大規模な倭寇の取り締まりも行っている。
倭寇とはいっても日本人は少なくて大半が中国人であり、彼らを討ち、船と積み荷を強奪して利益をあげた。
「戦力が桁違いだな」
「火力、防御力、速度とすべて上回っておりますれば」
澄隆の目の前で、数隻の倭寇船が津田水軍の船から砲撃を受けて足を止められ、訓練された水兵に斬り込まれて制圧されていた。
生き残った倭寇が捕虜として連行され、積み荷も奪われ、沈没を免れた修理可能な船が曳航の準備を始めている。
「船に斬り込んで接収する水兵の育成も順調だな」
「危険な任務ですが、奪った船や積み荷の利益から特別手当てが出るので人気ですね。希望者が殺到しているので、厳しい選考をしてから訓練しております」
作戦を指示している若手指揮官である脇坂安治が、澄隆に作戦成功の報告を行っていた。
既に就役していた蒸気機関搭載の軍艦は多数の大砲を積んでいて、倭寇の船だろうが、奴隷を積んでいる南蛮人の海賊船だろうが、容易く戦闘不能にしている。
この時代の船乗りは国家や法の縛りがゆるく、自由に行動して莫大な利益を得る者も多かったが、逆にいうと弱肉強食の世界に常に曝されている。
津田家の利益にならないような胡散臭い船は容赦なく攻撃され、船と積み荷を奪われた。
逆に、津田家と関係が深い日本人商人の船などは保護を受けられるので、彼らからは守護神のように思われている。
こうして津田水軍は急速に規模を拡大し、戦闘経験を積んでいた。
占領作戦においても、目標に上陸した津田家警備隊が抵抗する敵勢力を駆逐し、速やかに全土を占領して政庁を置いた。
あとは津田領から移民を送り、現地の住民を時間をかけて同化していく。
やっている事は、蝦夷と樺太と特に変化はない。
「ミツ、これで明に圧力を加えられる。ようやった」
信長は喜んでいたが、光輝も予想外だったのは明の反応が鈍かった事だ。
「確かに外地だが、琉球は朝貢国じゃないのか?」
危機感を抱くとかすればいいのに、明は特に反応を見せなかった。
明の宮廷が外地の情勢など気にもしていないのを、光輝が読み間違えたのだ。
「うちで完璧に統治可能になれば焦るかもしれない」
幸いにして、朝鮮ほど現地民達の反抗が酷いわけでもない。
南方の暖かい地にありマラリアなどの風土病が多いので、それを治せる薬を所持している津田家は、次第にその地の支配者として認められるようになった。
『やれやれ、今度は医薬品を大量生産か……』
カナガワにある自動工場では、清輝がロボット達を用いてマラリアの特効薬などを大量生産していた。
「明め、いつ沿岸部が攻められるか心配もせぬのか……朝鮮派遣軍に大筒をもっと送れ!」
これ以上の兵員増員は無謀だと考えた信長は、明からの攻勢を防ぐために朝鮮派遣軍に対し鉄砲と大筒の補給を行った。
一時防御体制に入っても、火力で明、朝鮮軍に打撃を与えられれば攻勢に出られると考えたからだ。
天正十六年になると、明がいよいよ朝鮮半島に本格攻勢をかけてきた。
日の本との交渉が進まず、李成梁、如松親子が満州族の援軍を集め終わったので、明、朝鮮連合軍五十万人が日本軍の構築した防衛陣地に襲い掛かったのだ。
「公称五十万人という事は、あの国ですと半分くらいだと思っていただいて結構です」
攻められた日本軍の本陣において、秀吉の参謀でもある竹中半兵衛が攻め寄せる敵軍の説明を諸将に行う。
ただ、軍勢の数を盛る行為はどこの国でも行われる。
秀吉は、公称四万人と言って尾張に攻め込んできた今川義元の軍勢を思い出していた。
あれも確か、実働戦力は半数ほどであったはずだ。
それでも、当時の織田家には十分に脅威であったのだが。
「つまり半分の二十五万人ですか。それでも多い」
「倍の敵程度で怖気づく者はいらぬわ! 我が柴田軍は、必勝の信念で敵を打ち砕くのみ!」
「別に怖気づいたわけではありませぬが、防戦の結果味方に大損害が出て、そのあとに補充兵力が豊富な明、朝鮮連合軍がすぐに攻勢をかけてきたらどうするのかと言っているのです」
老いてなお盛んな柴田勝家に対し、徳川信康が彼をバカにしたような顔をしながら反論する。
武田軍との戦いで偉大な父を失い、それからの信康は自分が猪武者では家臣が可哀想だと努力を重ねてきた。
津田光輝、今日子夫妻の影響が大きかったのだが、それを知っている勝家はわざと信康を臆病者扱いしたのだ。
「また戦えばいいであろう。ワシは大殿のためにそうしてきた」
「(この老人は……)」
今の勝家は老いて過去の戦功を誇るあまりに、昔自慢の耄碌ジジイという印象しか信康は持てない。
今も戦は上手いが、融通が利かないし協調性にも欠ける部分があるので、秀吉でも扱いに苦慮している有様だ。
朝鮮派遣軍においては秀吉の方が身分が上であったが、やはり筆頭宿老なので配慮しなければいけない点も多く、この時代の軍はそこまで厳密に軍指揮官の序列が徹底されているわけではない。
勿論津田軍は別で、信長も徐々に直そうとしているが、今まだその途上であった。
「(もういい加減にしてほしいな……)」
信康は、信長の朝鮮出兵は失敗だったと思っている。
だが、それを下手に口に出すと即座に改易という危険性もあった。
朝鮮の件は信長唯一の失策とでもいうもので、下手に批判すると自分に火の粉が降りかかる可能性がある。
三河、遠江を領する信康であったが、長期戦によって戦費が嵩み財政は厳しい状態だ。
留守をしている石川数正に、木綿栽培、木綿布の生産などの殖産計画を任せて成果を出しているが、その利益は全て戦費で消し飛んでしまう。
それでも、他の諸将みたいに借金をしていないだけマシかもしれない。
今の時点で朝鮮が取れても、投資分を取り戻すのに相当な時間がかかるであろう。
信康からすると、朝鮮とは勝ち目のないギャンブルのようなものであった。
いくら種銭を注ぎ込んでも、回収する目途すらついていないのだから。
「防衛策を取る事に反対はありません。追加で送られてきた種子島と大筒を配置し、徹底的に撃てばいい」
「それしか策がないのも事実ですな。配置は、半兵衛と官兵衛がこちらに記載したとおりに……」
「まあよかろう」
勝家の言い方に秀吉は少しイラっとしたが、その代わりに一番の激戦になるであろう位置にあえて官兵衛に頼んで配置させている。
常に武功を誇る勝家に相応しく、こういう配置にしてもむしろ喜ぶからだ。
犠牲も多いはずだが、かかれ柴田はそんな事は気にしない。
秀吉は、彼の家臣達は本音ではどう思っているのか、疑問に感じてしまう。
「ここを抜かれると、朝鮮は一気に敵に落ちる可能性があります。油断なきように」
「ふんっ! 藤吉郎如きに心配されるまでもないわ!」
勝家は、九州探題にして派遣軍の実質トップになった秀吉に小バカにした口調で答える。
「藤吉郎の言うとおりにせい」
ここで、名目上の総大将である信雄が初めて発言するが、誰も気にしていない。
信勝の急死により、仕方なしに信雄に朝鮮派遣軍総大将の地位が回ってきたが、誰も彼に期待などしていないのだ。
信長の息子の中でも一番の愚物、得意な舞の世界で生きていけばいいのにと、家臣達から内心では思われているのだから。
「各々方、防戦の準備に」
秀吉の指示で、諸将の軍勢は大筒を増設した野戦陣地に配置される。
鉄砲を撃ちやすいように塹壕も掘られ、これは今日子の知恵であった。
「あのいつまでも豪傑気取りの勝家よりも、今日子殿に総大将を任せたい気分だ」
「殿の考えに全面的に賛成ですな」
「私もです」
羽柴軍の本陣において、秀吉の意見に半兵衛と官兵衛が賛同する。
津田軍の戦い方は、常に大軍で、大火力で、接近戦を行う精鋭も育てているが慎重に投入して犠牲を減らす戦い方をしている。
あまり複雑な戦法は採らず、軍師として名高い半兵衛も官兵衛も最初は侮っていた。
高度な軍勢の指揮ができないから、そういう戦法を取っているのだと思っていたからだ。
だが、今は何よりも凄い戦法だと思っている。
時間と金をかけて育てた精鋭になるべく犠牲を出さないように戦っているので、津田軍の戦力は落ちるどころか上がる一方だからだ。
城を総攻めにしたり、野戦で大決戦を行って味方に多くの犠牲が出ると、戦力の立て直しで大きな手間と時間を食う事が多い。
新しく雇った人間は、信用できるようになるまで時間がかかる。
だから、あまり人が死なずに軍組織を順調に拡大させている津田家は正しいのだ。
もっとも勝家は、『卑怯者の戦術』だと常に批判しているが。
「三倍近い戦力ですな」
「まあ、篭城みたいなものだな」
織田家重臣である秀吉は肝が座っていた。
もしここで自分が討ち死にしても、嫡男長吉は筑前で後方支援を担当している。
羽柴家の断絶はないとわかっているからなのだが。
「朝鮮の統治は成功するのかな?」
「難しいところでしょう」
前線の戦力が十万人にも満たないのは、朝鮮で占領統治に関わっている兵員が多いからだ。
一揆勢や反抗的な両班の私兵による反抗が続いているので、彼らを抑えるためにある程度の兵数が必要であった。
だが半兵衛に言わせると、ただの対処療法で根本的な解決にはなっていない。
民衆の反抗を兵力で押さえているだけなので、それがなくても一揆や反乱が起こらないようにしなければ、朝鮮は永遠に赤字を垂れ流す存在でしかない。
支配する意味がないというわけだ。
「大軍だな。統率はお世辞にもいいとは言えぬが」
「いくら犠牲が出てもいいのでしょう」
官兵衛の調べによると、明、朝鮮軍には異民族の兵が多い。
明は満州族の各部族が、もっとも中国東北部の安定した統治のために明は各部族の対立を煽ったり、宥めたりと、その時々の都合で好き勝手にやっている。
彼らの連携を期待するだけ無駄であった。
しかもすべての部族を集められず、出兵した部族は留守を敵対する部族に襲われないか常に気にしながら戦う羽目になっている。
これでは、ちゃんとした戦力になるはずがなかった。
朝鮮側も、かの地に住む朝鮮族を無理矢理徴集して軍を編成している。
朝鮮族側からすればなぜ李氏朝鮮に従わなければいけないのかわからず、これでは士気が上がるはずもない。
「数が多いのは強みですな」
「犠牲の多さも気にしないだろうからな」
まるで雲霞の群れのような明、朝鮮連合軍が、日本軍野戦防衛陣地に殺到する。
「規定の線に達したら射撃を開始!」
射撃距離がわかりやすいように、野戦陣地に前方には浅い溝が掘られていた。
その線を超えた明、朝鮮連合軍に対し砲撃と射撃が行われる。
「遠慮なく撃て!」
「殿、玉薬の代金が痛いですな」
朝鮮派遣軍の帳簿を見ている官兵衛が、莫大な額になるであろう火薬代を考えて溜息をついた。
「官兵衛、それをケチって討ち死にしても意味があるまいて」
「すみません、言ってみただけです」
「私も同じ気持ちだがな……」
撃たねば数の暴力に押し流されるので、日本軍全軍が狂ったように砲、射撃を開始する。
大筒の数は大小六百門、鉄砲の数は四万丁、投石器や一度に大量に弓を飛ばせる連弩も多数運用され、これらの集中射撃で次々と敵兵が倒れていく。
「が、勢いは止まらぬな……」
どうやら後方に督戦部隊がいるようで、敵軍の勢いは止まらなかった。
「次の補給の当てはあるから撃ち尽くせ!」
こういう大軍の兵站を整えるという点で、羽柴秀吉は織田軍最高の将帥であった。
秀吉の命令どおりに容赦なく砲射撃が続くが、遂に一部敵部隊が日本軍野戦陣地に到達する。
こうなると、双方が近接戦闘に入らざるを得ない。
槍、刀の日本軍と、剣、矛の明、朝鮮軍との死闘が開始される。
「ここが踏ん張りどころぞ! これぞ戦である!」
柴田勝家は陣頭に立ち、自ら槍を振るって敵兵を倒して奮戦した。
とても七十に近い老人とは思えない身のこなしだ。
家臣達も、主君に負けじと奮戦する。
『日の本の軍勢は化け物か!』
柴田軍の強さに明、朝鮮連合軍の将兵が慄くが、柴田軍が配置された場所は必ず抜かねばならない重要な箇所、督戦隊の働きもあって常に敵軍が侵攻しようとしてくる。
「倒せ! 倒せ!」
柴田軍が劇的に戦果をあげていくが、その分犠牲も増えていった。
「まだ落ちぬのか! 続けて後続を投入せよ!」
その日のみならず、日没を挟んで両軍は三日間に及ぶ死闘を演じた。
日本軍は、討ち死に手負いが合計一万五千人にも及び、羽柴家でも四天王と呼ばれた神子田正治、尾藤知宣、一族の木下家定、杉原長房などが討ち死にしている。
柴田家も、養子の柴田勝政、一門の佐久間安政、将では山路正国、徳永寿昌、拝郷家嘉、毛受茂左衛門、佐久間十蔵と多くの犠牲を出し、兵の損失も大きかった。
その他の諸将にも犠牲が多い。
明、朝鮮連合軍を撤退させる事には成功していたが、大量の火薬と弾薬を使い、犠牲も大きいのに何ら戦況に変化はないのだ。
追撃を行った事もあって推定八万人近い敵を討ったが、成果は彼らの補給物資や遺棄死体から剥いだ武具くらいしかない。
大勝ではあったが、兵達の士気は向上しなかった。
「我ら柴田軍の強さを見たか!」
秀吉は、一人盛り上がって家臣達を鼓舞している勝家に眩暈を感じていた。
勝家は家臣の死に冷徹な人間ではない。
家臣や一族の討ち死に報告を受ければ涙を流し、遺族に報いようと考える人間性はある。
家臣達を鼓舞しているのも、仲間を失った悲しみを大戦果で誤魔化そうとしているのは秀吉にもわかった。
わかっているからこそ、もう一歩考えてほしかった。
八万人の敵兵を討ったところで、朝鮮の戦況に何の変化もないのだと。
敵軍は、また同程度の兵数を集めて攻撃してくる可能性が高い。
秀吉は、一向に改善しない戦況に誰か代わってほしいと心から願ってしまうのであった。
それともう一つ、討ち死にした明、朝鮮連合軍の中に、女真族のヌルハチという人物がいた。
彼の死が、中国大陸の情勢にどのような変化をもたらすのか。
それはまだ、誰にもわからなかった。
 




