表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。(本編完結)(コミカライズ開始)  作者: Y.A


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/157

第六十.七五話 曲直瀬流VS津田流?

「なぜ、曲直瀬玄朔が畿内におらぬのだ?」


 結局、手紙を全国の大名に送るだけで何もできなかった足利義昭は、再出家して寺で写経と読経をしてすごす生活になる。

 彼についていく家臣は少なく、それは細川藤孝も同じであった。


 彼は織田家に正式に仕官したが、それは少し遅かったかもしれない。

 大名になる機会を逸し、今は文官として石山城にいた。

 義昭の動向を伝えた功で元足利幕府の荘園の代官職は賜っていたが、領地は与えられていない。

 その理由は、彼には武功がないからであった。


 藤孝が軍を率いていれば活躍できたであろうが、実際には義昭の監視でその傍を離れられなかった。

 信長も武功がない彼に領地を与えるわけにもいかず、藤孝は石山城と荘園を往復する日々を送っている。


 そんな日々の中、藤孝の嫡男である与一郎が体調を崩したので、顔の広い藤孝は知り合いである医者曲直瀬玄朔に診察を頼もうとした。

 ところが彼は、現在畿内にいないらしい。


「どういう事なのだ?」


「それが、江戸に赴いておりまして……」


 代わりに呼んだ玄朔の弟子である医者が、言いたくなさそうな表情をしながら藤孝に説明する。


「江戸に? 何をしにだ?」


「留学だそうです」


「はあ? 曲直瀬玄朔ともあろう男が、再び教えを乞いに行ったというのか?」


「はい、優れている者に教わるのは恥でも何でもないと仰いまして……道三様は激怒しておられます」


 玄朔は幼少の頃に両親を失い、それ以降は母方の伯父である曲直瀬道三に養育された。

 成人後に道三の孫娘婿となり、曲直瀬家を継いでいる。

 

「道三殿は怒ったであろうに」


「はい」


 曲直瀬道三は『医聖』と呼ばれるほどの人物であり、多くの患者と弟子を抱えている。

 いわゆる曲直瀬流のトップという地位にあり、そんな彼からしたら後継者である玄朔が他の医者から技術を教わるなど、曲直瀬家の恥さらしだと思っていた。


 その昔、若い道三は関東へ下って足利学校に学び、そこで同じく医聖と称される田代三喜から明からもたらされた最新の医療を学んでいる。

 その頃とは違い、彼には多くの名声と弟子達がいた。


 彼らの手前、他の医者に教えを請うなどプライドが許さないというわけだ。

 残念な事に、道三は既に七十を超えている。

 年をとりすぎて、新しい医療を学んでも頭に入らないという理由もあった。


「江戸といえば、津田光輝の妻か?」


「はい、女如きが道三様を上回る医者などと……地元ならともかく畿内にまで噂を流すなど悪質です!」


 道三の弟子である若い医者は憤慨していたが、それは大きな誤解であった。

 今日子は、元から曲直瀬家など相手にしていなかった。

 ただ患者を診察して治療し、健康指導に、防疫にも大きく貢献している。

 今の日の本で一番医療が進んでいる地域は、間違いなく関東であった。

 

 今日子のみならず、彼女に指導を受けた多くの医者や助産婦、看護師が津田領内中で活躍していたし、他の大名家に請われて仕官した者も多い。

 江戸には医療を教える学校もあるし、武士、商人、僧侶は勿論、農民や町民からも、医者になろうとこぞってその門を叩いていた。


「あの女は、織田太政大臣様の診察まで……」


 若い医者は、怒りに震えていた。

 道三は、かなり前に一度だけ信長を診察した事がある。

 名医であると自覚していた道三は、自分が織田家の主治医に命じられると思っていた。

 ところが実際には、今日子が江戸で指導した若い成績優秀な医者が命じられてしまった。

 今日子も臨時職ではあるが、信長の主治医に任じられている。


 最近では正親町天皇にも診察と健康指導を行い、彼から従四位上の階位と『万癒局』の称号を賜っていた。


 これらの事実に、プライドの高い道三は悔しくて堪らなかったのだ。

 同じ負けるにしても、女如きに負けているというのも余計に道三のプライドを刺激した。

 師匠の恥は弟子の恥というわけで、その医者は与一郎を診察してからも今日子への不満をぶちまけていた。


「このような状況で、玄朔様は何を考えているのか」


 若い医者は、道三の跡を継ぐ玄朔が今日子に医療を教わりに行ってしまった事自体が信じられないようだ。

 声を荒らげて玄朔と今日子を批判する。

 いくら相手の方が優れているとはいえ曲直瀬家は医者の大家であり、ぱっと出の女医者に頭を下げるなどあり得ない。

 向こうが『教えさせてください』と言って曲直瀬家に来るべきだと。


「そうだな……」


 藤孝個人としては、この若い医者も曲直瀬家の権威に毒されて駄目になった者、ある意味被害者だと思っていた。

 道三の態度も老害というべき種類のもので、それに毒されていない玄朔の方が正しいと思っている。


 だが、藤孝も津田家の人間には隔意があるので、表面上は彼の考えに賛同していた。


 第一、この若い医者は感情で我を忘れている。

 最初は自分達の方が優れていると言った癖に、すぐに向こうが教えさせてくださいと言うのが筋などと、矛盾した事を言っているのだから。


 藤孝は、この若い医者に息子を診察させて大丈夫かと心配になってしまうが、これでも曲直瀬流の医者としては最優秀の部類に入る。

 任せるしかないと思い、彼の話を聞いてあげる事で治療に集中させようとした。

 とんだ手間であり、藤孝はあまり面識もない今日子に隔意を抱いた。

 あの女さえいなければと思ったのだ。


「伊丹師親の件もあります」


 師親は道三の弟子であったが、途中で曲直瀬家を出て行ってしまった。

 今日子の方に教わりたいと、江戸に向かってしまったのだ。

 この件でも道三は激怒し、道三の今日子嫌いが本格的に始まっている。

 そして、それは曲直瀬流全体に広がった。


 曲直瀬流と、今日子は流派など立てていないが津田流と世間で称される二つの医学の流派は、人間の世の摂理によって対立状態にあるというわけだ。


「医者の世界も色々と大変なのだな」


 若い医者に理解を示すフリをしつつ、やはり藤孝も面白くなかった。

 与一郎が玄朔に診てもらえなかったのと、今日子が藤孝の嫌いな光輝の妻であったからだ。

 藤孝は気がついた。

 自分はやはり津田家の人間が嫌いだから、彼の話を聞いてあげているのだという事に。


「確かに、女如きが医者とは笑わせるな」


「藤孝様もそう思いますよね?」


「ああ」


 藤孝は、今回の件で改めて自覚した。

 自分は津田光輝どころか、その妻も嫌いなのだという事に。

 理性ではおかしいと思うが、感情ではどうしても好きになれない。

 そして、それが人間という生き物なのだという事にも藤孝は気がついた。


「与一郎様の治療はお任せください」


 幸いにして、与一郎の体調はすぐによくなったが、藤孝はこの件でも津田家へのわだかまりを深めていく事になる。







「今日は、簡単な手術を行ないます」


 江戸には、医者、看護師、助産婦を育成する学校がある。

 最近は忙しくてなかなか顔を出せないが、今日子はこの学校の校長でもあった。

 今日はたまたまスケジュールが空いたので、若い医者の卵達の前で簡単な開腹手術を見せる事になる。

 

 患者は子供であり、病状は虫垂炎であった。

 この時代ではほぼ不治の病だが、津田領では徐々に手術方法が普及しつつある。

 ただし、手術に必要な麻酔、薬剤、医療器具などは津田家の独占であり、いまだ津田領内にも無医村は多数ある。

 医者の教育には時間がかかるので、今は一定の質を持つ医者の養成が急務であった。


 急ぎすぎて、江戸で学んできたと自称するニセ医者が出ないよう、試験、免状制度なども整備していたからだ。


「質問は、あとで受け付けます」


 今日子は、慣れた手つきで患者の開腹から、止血、盲腸の切除、縫合までを短時間で行う。

 その素早さに、見学をしていた医者の卵達は驚きを隠せなかった。


「今日の術式はですね……」


 手術終了後、今日子は黒板に人体図を張り、それを用いて術式を一から解説した。

 他にも、手術に必要な道具、麻酔のかけ方、消毒の仕方、手術でもちいる携帯式の滅菌式閉鎖型透明テントの使用方法と、なぜそれを使用しなければいけないのかを説明する。


「目には見えませんが、この空気中には小さな生物が無数に彷徨っています。ここでは細菌と呼びますが、それらを除去してから開腹しないと、その細菌のせいで患者の病状が悪化して死ぬ確率が高いので、それなら手術をしない方がマシという事になってしまうのです。細菌は人間の手にも常に付着しています。手術前に必ず手を消毒し、このように清潔な手袋を用いてください。次に……」


 今日子の説明が終わって質問の時間になると、次々に手が上がる。

 医者の卵達は、無事に手術を終わらせた今日子から話を聞きたくてたまらなかったのだ。


「体の一部を切除して大丈夫なのですか?」


「はい、盲腸はなくなっても大きな影響はありません。むしろ、炎症を放置すると膿などが腹部に流れ出して腹膜炎を起こします。これが死因となるケースの大半ですね。盲腸はこの部位に極小さな生物を飼い、これらに植物の成分を分解させて栄養を得るためのものです。ですから、草を主食とする馬や牛は盲腸が大きいのです。人間は草や野菜以外にも色々と食べますし、他の臓器で役割を補完できますから」


「目に見えない、小さな生き物ですか? 本当に存在するのですか?」


「百聞は一見に如かずです。実際に見てみましょう」


 今日子は助手に顕微鏡とサンプルを準備させ、順番に聴講生達に細菌を見させた。

 

「人間の大腸に大量に存在する細菌です。この種は無害ですが、血液や泌尿器などに侵入すると重篤な症状を引き起こす種類もあります。次に……」


 今日子による手術の実演と、その後の解説は好評の内に幕を降ろした。





「いつ見ても、先生の手術は凄いですね」


「我らもまだ精進せねばな」


「そうじゃな、医聖への道はまだ遠い」


「ワシもまだまだ死ねぬな。まだ学ぶ事がいくらでもあるわ」


 今日子は他にも色々と忙しいので、現在自分の代わりに医療部門に責任者を置いていた。

 その人物は伊丹道甫であり、彼は曲直瀬道三の弟子を辞めて今日子に弟子入りしたという過去があった。

 そのせいで今日子は、曲直瀬一家やその弟子達に目の仇にされていたが、今日子はあまり気にしていない。


 曲直瀬一派を、性質の悪い権威主義者、白い巨塔の住民くらいにしか見ていなかったからだ。

 今日子は伊丹道甫を無条件で受け入れ、元々才能があった彼は今では津田家の医者ではナンバー2の地位にあった。

 

 他にも、尾張出身の小瀬甫庵、主家である毛利家が大幅減封されたために暇を出されて江戸に流れてきた玉木吉保、津田家の関東領有時に既に六十すぎであったにも関わらず、一から医術を学び直した永田徳本と。


 彼らは、今日子の弟子で四天王と呼ばれるほど高名な医者となっている。

 筆頭である道甫は官僚的な仕事も多いので、便宜上四天王の筆頭という扱いだ。

 筆頭の道甫を、元毛利家家臣で内政能力にも秀でている吉保が補佐している形になっている。


「久しぶりだから緊張しちゃったよ」


「とてもそうは見えませぬが……先生、実は紹介をしたい方がおりまして……」


「へえ、誰なのかな?」


 道甫が今日子に紹介したのは、何と彼が以前弟子をしていた曲直瀬道三の跡取りである曲直瀬玄朔であった。


「これは意外な人が来たわね」


「津田家では、来る者は拒まず、去る者は追わずと聞いております。私も伯父道三より道三流医学を皆伝された者ですが、どうも他にも学びたくなりまして」


「自由にすればいいと思うよ。うちはちゃんと入学できた人には惜しみなく教えるから」


 希望者を誰でも医者にしてしまうと、名ばかり医者になって詐欺を働く者が出るかもしれない。

 なので、津田領の学校ではかなり厳しい試験を課していた。

 入学試験は狭き門であったが、受かればどんな身分の者でも医者になれる可能性が上がる。

 卒業時には実技もある試験があるので、それに受からなければ免状はもらえなかったが。


 医者が駄目でも看護師や助産婦という道もあり、こちらはもう少し難易度が低かった。


「試験ですか」


「医者は人の命を預かるからね。誰でも簡単になれちゃうと困るもの」


「確かにそうですな。わかりました、試験に受かるように努力しましょう」


 三十半ばであった玄朔は妻子と共に江戸に移住し、そこで働きながら無事に試験に合格した。

 入学後も優秀な成績を保ち、卒業試験にも無事に合格し、玄朔は後に四天王と並び称される存在となるのであった。





「義姉さん、四天王が五人になったけど」


「五天王だと変だよね?」


「五天王だと語呂が悪い。四天王なのに五人だと、細かい事を気にする人から苦情がくるかもしれない……さて、どうしたものか……」


 医療器具の生産や管理を担当している清輝は、医者達とも交流があった。

 この世界で役に立つかは不明だが、実は彼は医療事務の資格も持っている。

 なぜなら、昔に女医さんと結婚して引き籠るという、穴の多い人生計画を立案していたからだ。


 後に、兄である光輝から医者でもある今日子を紹介されたが、清輝は『リアルなんて所詮はクソゲー、萌える女医さんなんてやっぱりいないんだ!』と叫んで今日子から締め落とされた。


 彼が今日子に頭が上がらなくなった、最初の要因となる事件の顛末である。


「もう滅んで鍋島さんになってしまったけど、九州の竜造寺家には四天王なのに五人いたって聞いた事があるけど」


「やはり、五天王だと語呂が悪いと思ったんだな。そうだ、『ふん、○○など四天王の中では一番の小者、次はこの○○が……』というケースに備えて四天王のままにしよう」


「キヨちゃん、五人とも同じくらい凄腕だし、医者が失敗したら患者さんが下手したら死ぬんですけど……」


「何と! そのパターンはあり得ないのか!」


 後の世で、津田家の医療技術は間違いなく世界一であったと多くの歴史家が認め、津田今日子は女性として初めて『医聖』と呼ばれる存在になる。

 だが、その技術がどこから来たのかは、後世多くの歴史家が研究してもその解答は出なかったのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ