第五十九.五話 茶道の真髄とお子様ランチ
「今日子、五郎左の命を救ってくれて感謝する」
最近、津田夫妻は別々に行動する事がたまにある。
今回の今日子は、信長から石山城に招待された。
その理由は、丹羽長秀の胃癌の手術を無事に成功させたからだ。
丹羽長秀への信長の信頼は篤い。
譜代中の譜代であり、いついかなる時も長秀は信長に忠実に従い、その功績も大きかった。
彼の妻は信長の養女であり、嫡男長重の妻は信長の娘である。
丹羽家の領地が讃岐と阿波なのは、長秀が石山に駆けつけやすいようにしたからだという噂話まであった。
その前の領地は河内、和泉だったので、その噂は間違いないと思われる。
それだけ長秀が、信長から信頼されている証拠であった。
「癌が転移していなかったので助かったのですよ」
「そうなのか」
信長は、今日子から長秀の病気や手術の方法などを興味深そうに聞いていた。
この時代にも癌という病気は知られていたが、その治療に胃を取るなどという話は信長は初めて聞いた。
「しかし、胃を取ってしまったのか。長秀も食事に制限が出るな」
「そうですね、少量ずつ一日に何回か食事を取れば大丈夫ですけど」
今日子は、信長にも長秀にした説明と同じ内容を話す。
他の消化器でも胃の代用は可能だが、一度に取る食事の量などで制限が出てしまうのだと。
「それにしてもだ。我も気をつけないと駄目だな」
「過剰な塩辛い物も胃癌の原因となりますので、大殿もご注意を」
「これは一本取られたな」
歓談の時間が終わり、信長は今日子と食事を共にする事になった。
お濃の方や、信長のまだ幼い子供達も一緒に食事を取っている。
六男大洞、七男小洞、八男酌、九男人、十男良好、十一男縁、娘達も同席していたが、今日子は信長の子供の多さに驚いた。
もう一つ、信長の子供達の幼名が変わっているのは、これも半ば伝統であろうと。
「今日は子供が多いですね。では、特別な料理を作りましょう」
今日子が腕を振るう事になり、彼女は子供の多さからいわゆる『お子様ランチ』を信長の子供達に作った。
目玉焼き載せハンバーグ、エビフライ、ナポリタン、タコさんソーセージ、チキンライス、デザートにはプリンアラモードと、子供が好きそうなメニューばかりにしてある。
大人用には、ハンバーグを載せたカレーライスとサラダを出した。
「うわぁ、美味しそう」
「こんなの初めて見た」
信長の子供達は、大喜びでお子様ランチを食べ始める。
「わざわざすみませんね、今日子」
織田家の奥を束ねるお濃の方は、お子様ランチを美味しそうに食べる子供達を見て目を細めていた。
「ご飯に何か刺さっている」
普通、お子様ランチだと旗が挿してあるが、この世界の人に他国の国旗を見せてもピンとこないはず。
そこで、おみくじに似たクジを楊枝に結んで挿してあった。
「紙に何か書いてあるよ」
「本当だ」
「何が書いてあるのかな?」
子供達が楊枝に結んである紙を開くと、そこには番号が書いてあった。
「はい、番号と同じオモチャをどうぞ」
凧、独楽、竹とんぼ、お手玉、絵本などが当たるクジになっていて、子供達はそれぞれにオモチャをもらって大喜びであった。
「うわぁ、凄い飛ぶね」
「回る回る」
食事が終わると、今日子は子供達にオモチャの遊び方を教えてあげた。
普段は勉学や武芸の鍛錬などで忙しい子供達は、竹とんぼや独楽を回して大喜びで遊んでいる。
「今日子、こちらが招待したのにすまぬな」
「いえ、子供は可愛いですね」
自分の子供達は大きくなってしまったので、時には小さな子供達と遊ぶのも悪くないと思う今日子であった。
ただ、一つだけ気になる事があった。
「大殿、何か?」
「いや……何も……」
信長が、時おり今日子に視線を送るのだ。
まるで、何かを言いたそうに。
「今日子、今日は泊まっていくのでしょう?」
「そうですね。みっちゃんが何日かすれば石山に戻ってきますし」
「交易路を開く交渉でしたね。最近は全国を飛び回っているとか?」
「そうなんですよ」
「男性は、戦に統治にと忙しいですからね」
夜はお濃の方と大分話し込み、それから用意された床に入った。
今日子がうとうととし始めると、そこに一人の侍女が姿を見せる。
「今日子様、大殿が極秘裏に用事があるそうです」
「大殿が?」
今日子は、昼間の何か言いたそうな信長の態度に合点がいった。
彼は、今日子に言いたい事があるのだと。
それも、極秘裏にだ。
「わかりました(でも、こんな夜中に何の用事なんだろう?)」
色々と理由を考えてみるが、今日子には想像がつかなかった。
いや、一つだけ考えているものがある。
それは、信長が女性としての今日子を求めているという可能性についてだ。
「(でも、私なんて四十すぎのオバさんだし……)」
見た目はまだ二十代後半くらいにしか見えないので、今日子はお濃の方から年を取らないで羨ましいと言われたばかりであった。
だが、この時代で二十代後半は完全に年増扱いである。
小さな子供達を見るに、若い側室や妾などいくらでもいるんだから、信長がわざわざ自分など相手にしないであろうと今日子は考え直した。
「(それに、私にはみっちゃんがいるし……)」
万が一にもそうだとしたら、自分はどう断ればいいのか?
いや、断ってもし信長と光輝との間に亀裂が生じたら?
それは、織田家と津田家による争いの原因になってしまう。
そんな事を考えながら、今日子は信長の元へと向かった。
「よく来たな、今日子」
「極秘の用事だとかで?」
「そうだな、お濃にも秘密だ」
実際に部屋の外では、彼の側近衆である森蘭丸が他に人がこないか見張っていた。
他の人には聞かれたくない用事というわけだ。
「ええと……どのような用事でしょうか?」
もし信長から迫られたら、どうかわそう。
今日子は、ドキドキしながら信長からの返答を待つ。
すると、彼は意外な事を口にし始める。
「今日、子供達に出した子供だけの料理、あれが食べたい」
「はい?」
「いやだからな。昼に子供達が食べていた料理だ。はんばーぐの載ったかれーも美味かったが、色々と美味しそうな料理に、ぷりんまでついているあの料理。美味そうではないか」
「はあ……」
色々と悩み、考えたのがバカらしくなるような結末であった。
信長は、昼間に今日子が子供達に出した『お子様ランチ』が食べたくて仕方がなかったのだ。
「今日子は、あれは子供用の料理だと言っておった。我も天下を統べる立場の人間だし、もう五十を超えておる。人前でほしいなどとは言えぬ立場だ。そこを考慮してくれると嬉しいのだが……」
信長は、縋るような目つきで今日子をみつめていた。
「今は夜中なので、この時間にあの料理は体に悪いかと思います。明日のお昼でしたら……」
「おおっ! 明日のお昼が楽しみだな!」
今日子から了承の返事をもらった信長は大喜びで、明日に備えてすぐに寝てしまった。
よほど明日が楽しみなようだ。
「(大殿に迫られたらどうかわそうかとか、懸命に考えていた私って何?)」
再び侍女の案内で寝室に戻った今日子は、あまりの恥しさに暫く眠れなかった。
そして翌日……。
「大殿、ここは茶室なのでは?」
「機密を保つのにちょうどいいからな」
翌日の昼、今日子は信長のためにお子様ランチを作って指定された場所まで持っていく。
そこは、石山城内にある田中与四郎が設計した庵風の茶室であった。
茶室の狭い入口の前には、昨晩と同じく森蘭丸が立って周囲を監視している。
「(そこまでして、お子様ランチが食べたいなんて……)」
今日子は、権力者って時に無駄な労力を使うよなと思いながら、茶室の中に入って料理を運ぶ。
すると、そこにはもう一人田中与四郎が正座をして待っていた。
彼は、現在織田家の茶道頭に任じられている。
「大殿、あまりお行儀がよろしくありませぬな」
「勘弁せい、与四郎。お前の分も準備させた」
「おや、買収ですか。それは楽しみですな。今日子殿、あとで茶を点ててしんぜましょう」
「はあ……」
今日子は与四郎の分もお子様ランチを準備し……蘭丸の分だと今日子は思っていたが……二人は狭い茶室の中でお子様ランチを食べていた。
「色々な料理が少しずつというのが、贅沢な気分になれるな。与四郎」
「そうですな。このタコの形にしてあるそーせーじなど、子供は喜ぶでしょう」
織田家の茶道頭が作らせた詫び寂を追及する茶室の中で、お子様ランチを食べる五十すぎと六十すぎのオジサン二人。
今日子は、永遠に忘れられそうにないシュールな光景を目撃していた。
「ですが、今日子殿。この料理、手間がかかりませぬか?」
「そうですね」
お子様ランチは、作らなければいけない料理の種類が多い。
なぜ料理の種類が多いのかといえば、子供は沢山食べられず、同じ料理ばかりだとすぐに飽きてしまうからだ。
子供が最後まで食事を楽しめるように、お子様ランチがあるのだと今日子は説明する。
「なるほど。たかが子供と侮らず、精一杯のおもてなしをする。一期一会、茶道の真理にも通ずる話ですな」
「(えっ? そんなに凄い事?)」
今日子は、子供が嬉しそうに食べてくれればいいなと思っただけなのに、与四郎は勝手に深読みをしてしまった。
ただ、相手は織田家の茶道頭である。
真実を言って気分を害するのもどうかと思ったので、今日子は笑って誤魔化す事にする。
「有意義なお食事でした。では、お礼に茶を点てましょう」
今日子も、茶道を習っている身である。
与四郎の所作の素晴らしさはすぐにわかった。
さすが、織田家の茶道頭に任じられるだけの事はあるなと感心する。
「ほほう、今日子殿の所作もなかなか。滝川殿、羽柴殿などに茶道を教えただけの事はありますな。今度、私の庵にいらしてください」
与四郎は、今日子の所作を見て一目で気に入ったようだ。
直接与四郎の庵に招待される名誉にあずかった。
そして更に後日には、今日子は与四郎の高弟として認められる事となる。
「ところで今日子殿」
秘密の茶会が終わって三人が庵から外に出ようとした時、与四郎は今日子を呼び止めた。
「はい、何でしょうか?」
「この楊枝に結んである紙には五番と書いてあるのですが、これには何の意味が」
「これはですね……」
今日子は、昨日信長の子供達に渡したオモチャの余りの中から、竹とんぼを利休に渡した。
「なるほど、食事の他にもこのようなおもてなしがあるのですか。これは感心いたしました」
与四郎は、大喜びで竹とんぼを自宅へと持ち帰った。
孫にあげるのだと言う。
「うーーーむ、我は恥ずかしくて玩具まではほしいと言えなんだが、さすがは与四郎よな」
信長は、与四郎の堂々たる振る舞いに大いに感心するのであった。
「勝三郎、今日は庵へ行くぞ」
「ははっ」
「今日は、いいもの食わせてやる」
「えっ? 茶室でですか?」
そしてなぜか、それ以降も信長は石山城にある庵の中でお子様ランチを食べる癖が抜けず、池田恒興や前田利家など、秘密を守れる家臣と一緒にお子様ランチを食べるのを止めなかった。
「普通に食べればいいのに、これが男性という生き物なのでしょうか?」
これを知ったお濃の方は、あまりのバカバカしさに何も言わずに知らんぷりをするのであった。
「今日子の作る、お子様ランチ美味い!」
「みっちゃんは気にしないよね」
「美味しければ正義なのだ」
今日子と合流した光輝は、誰に憚る事なく堂々とお子様ランチを堪能していた。