第五十九話 織田信長の失敗
天正十二年、織田信孝を総大将とする朝鮮派遣軍は思わぬ苦戦を強いられていた。
最初は破竹の勢いで首都漢城、平壌と落としたものの、取り残された住民達に食料を要求されてしまい、補給が続かなくなってそれ以上の進軍ができなくなってしまう。
平壌以南の地域も一見日本軍に従順であったが、補給路を朝鮮軍の残存部隊や一揆勢に襲われて補給が滞るようになった。
平壌以北には志願した民兵も合わせて朝鮮軍の大軍の姿も確認でき、明への救援要請も出されたはずで、戦況は予断を許さない状況にあった。
一部軍勢は朝鮮南部を占領して統治を始めようとするが、やはり言葉の壁がネックとなって上手くいかない。
退却する朝鮮軍によって家に火をつけられたり食料を奪われたりする民衆も多く、彼らの食べ物を確保しないと、いつ一揆勢になってしまうかという不安もあった。
戦えば織田軍の勝利であったが、現地調達もできない朝鮮に十八万人もの軍勢を差し向けたせいで、後方九州は補給任務でてんやわんやとなってしまう。
織田軍は、朝鮮という底無しの泥沼に嵌りつつあった。
「この状況で一揆とはどういうつもりか!」
朝鮮派遣軍への補給で四苦八苦していた頃、援軍を率いた島津軍の中から梅北国兼、田尻但馬、東郷甚右衛門などの家臣が突如離脱して佐々成政が治める肥後佐敷城を占拠した。
この突然の一揆に、朝鮮に出兵していた成政は意表を突かれたが、残存していた家臣達がどうにか鎮圧した。
この事件に信長は激怒、調査の結果島津歳久の関与が浮上、当主義弘は泣く泣く歳久に詰め腹を切らせる事になる。
一揆のために援軍が遅れた島津家であったが、ちょうどその時期に明が大軍を発して朝鮮に援軍として入った。
平壌北方で行われた合戦において島津軍は五千近い首を獲って大活躍するものの、織田軍の決定的な勝利とまではいかなかった。
戦闘は持久戦となり、朝鮮での戦は予想以上に長引く事となる。
朝鮮での戦況は、織田軍が平壌以南の地域の統治を試みながら九州から補給を受け、明、朝鮮連合軍と小競り合いが続いている状態であった。
占領地の住民は一見従順なものの、少し油断すると補給路を襲う存在となる。
いくら討ち果たしてもキリがなく、逆に一揆勢は徐々に増えているのではないかと言われるほどだ。
季節は冬になり、今度は予想以上の寒さで凍死する兵が増えてきた。
朝鮮の地は恐ろしく荒廃しており、占領統治を行っている武将達の間に『こんな領地を貰っても……』という気持ちが芽生え始めてくる。
織田家は功績のある家臣に加増する代わりに、今までの領地を没収する事がよくある。
国内の領地を奪われて、広いからと朝鮮の土地を渡されても困ってしまう事にみな気がついたのだ。
自然と功績を挙げないように諸将が慎重になり、戦況の膠着状態は続いた。
そんな中で、重大な事件が起こっていた。
「五郎左が病だと!」
朝鮮に軍を出していた丹羽長秀が体調を崩し、急遽帰国する事になったのだ。
「五郎左、今日子に診てもらえ」
所領のある讃岐に戻った長秀を信長が直々に訪ね、心配そうに見舞ってから今日子に診察をお願いした。
「胃癌、それも大分進行していますね」
長秀の病は胃癌であった。
それもかなり進行していると、今日子は長秀に説明した。
「私は死にますか?」
「手術で胃を取ります。それで半々だと思ってください」
「ふっ、桶狭間に比べれば勝算は高いですな」
歴戦の武将である長秀は、手術にまったく動じなかった。
領内の統治を嫡男長重と家臣達に任せ、船で江戸へと移動する。
「起きれば手術は終わっていますから」
「それは楽でいいですな。生きたままお腹を切り裂くと聞いたので、どれほど痛いのかと思っていました」
「麻酔で痛みはないですよ」
「それはありがたい」
今日子も普段は忙しいので津田家と特別なコネがないと手術はしないのだが、長秀ほどの重臣なので信長が懇願している。
今日子は、気合を入れて長秀の手術に臨んだ。
育てた弟子達と共に長秀に麻酔をかけ、無菌状態の手術室内で癌に犯された胃の切除を行う。
幸い転移はしていなかったが、暫くは経過を観察しないと駄目であろう。
「胃は全部切除しましたよ」
「疑問に思うのは、それで飯を食えるのかな?」
さすがは豪胆というか、長秀は目を覚ましてから手術の内容を聞くと、胃がないのに飯を食べられるのかと今日子に聞いてくる。
「それは他の消化器で補えますけど、色々と制限は出ます。一回の食事量を減らして回数を増やしたりとかですね。その辺はあとでお教えしますので」
「なるほど、人間の体とはよくできておりますな」
手術後、食事は抜きで点滴のみで栄養を取っている長秀に今日子が色々と説明した。
「今までに見た事もない医術だな。曲直瀬玄朔殿辺りが興味深々であろう」
長秀の手術は成功したが、暫くは静養となった。
領地の統治は長重が、朝鮮派遣軍は家臣に任せる事にしたが、長秀の長期離脱で朝鮮派遣軍の士気は落ち込んだままになってしまう。
そして、それを劇的に改善する策を信長は見いだせないでいた。
「浅井長政様も体調を崩されたとかで、命に係わるような病ではないのですが」
他にも、朝鮮の慣れない気候や風土で病に倒れる将兵は多かった。
浅井長政も、嫡男亮政に軍勢の指揮を任せて一時帰国、療養する羽目になってしまう。
木下雅楽助、山岡景隆、島津義虎、蜂須賀正勝、児玉就方などが体調を崩して病死した。
戦えば勝てるし進軍も可能だが、いくら戦っても朝鮮が手に入らない現実に諸将は嫌気が差し始めていた。
「大殿、ここは一度退いて仕切り直しをした方が」
「今は我慢の時ぞ」
長秀の体調がよくなり、彼は石山で静養しながら信長の話し相手になっていた。
そこで撤退を進言してみたのだが、信長はそれを受け入れなかった。
派遣軍は朝鮮において冬を越す事となり、多くの凍死者を出して士気が余計に落ちてしまう事となる。
信長の試練の時は始まったばかりであった。
「兄上、蝦夷は寒いですなぁ。そういえば、津田家の家督を継がれたとかでおめでとうございます」
「信秀、代わってやろうか?」
「いえいえ、俺は蝦夷、樺太太守の仕事が忙しいので」
「代わってやるよ」
「お断りします。俺が継いでも家臣達は納得しないし。長男さん乙ですな」
「……」
天正十四年、朝鮮半島はいまだに織田家の手に落ちていなかった。
大半の地が占領され統治は始まっているのだが、いまだに潜伏している残存正規軍、民兵、一揆勢の反抗が止まらない。
その鎮圧が骨で、朝鮮側も王が明領内に王都を臨時移転して徹底抗戦を行っている。
これまで明の援軍と合わせて六度も中~大規模な会戦で勝利を得たが、それでも朝鮮側の抵抗は治まらなかった。
信長は長期戦を覚悟し、それに対応可能な体制作りを派遣軍司令部に命じる。
最初は信孝が総大将であったが、今は四男の信勝に交代をしていた。
さすがに、一年以上も国を空けるのはと信孝に言われてしまったからだ。
その他の将兵も交代制になっていた。
柴田勝家や佐々成政が一旦帰国し、代わりに多くの浪人衆が参加をしている。
彼らは、織田家の天下統一の過程で領地を失った者達ばかりであった。
活躍すれば朝鮮の地を与えるという条件を信長が出し、彼らはそれに応じて帰農していたような旧臣達まで集めて出陣している。
彼らは例え外国の地でも、領主に返り咲こうと必死であった。
そしてそれを、津田信輝、信秀兄弟は冷ややかな目で見ている。
二人には、信長の意図がわかっていたからだ。
「不穏分子の国外への追放と、合法的な処分だよなぁ。これ」
「既に、土地を分け与えられた者もいるとか?」
「正確には代官として赴任しているだけだな。上手く統治できれば与えるという約束で」
ほぼ朝鮮半島を制圧はしたが、それは点の支配にもなっていない。
そこで、彼らを治安維持任務込みの代官として送り込み、日の本に併合する試みが行われていた。
信長は朝鮮で起こる事は明でも起こると、思いついて急ぎ始めたわけだ、
今の内に、異民族支配の手法を獲得しておこうという意図があった。
「上手くいっているのか? 兄上」
「いっているところもあるってさ」
兄弟二人きりなので砕けた口調にはなっているが、共に顔は笑っていない。
朝鮮の状況が甘いものではないとの共通認識があるからだ。
「元々李氏朝鮮という国は、領民に苛性を強いてきたからな。それから解放されると喜んでいる者達もいる」
李氏朝鮮では両班という貴族が、偉い人間は何をしても構わないと下の人間に過酷な扱いをする事も多く、代官が赴任するとその地を治めていた両班の身柄や首を差し出す領民も多いらしい。
「ただ、全員がそうというわけでもない」
侵略者に対抗すべく、民兵や一揆勢となって代官に対抗する者も多くいた。
「既に殺された代官もいるし、民兵や一揆勢を手当たり次第に殺していたら、何の罪もない領民も間違えて殺してしまって、余計に情勢が混沌としてしまった地域もある」
二人の共通認識は、『信長の朝鮮侵略は失敗』で一致していた。
勿論、二人もその父である光輝も何も言わない。
ここは封建主義の国で、それを材料に信長を政権から下ろすという事が出来ないからだ。
光輝は、日の本の領土を増やすためという名目で蝦夷と樺太を制圧、時間をかけて同化政策を行うという方法で朝鮮よりは上手く統治している。
アイヌ達に極寒の地で暮らすのに便利な衣食住の技術を与えて商売で利益を取り、こちらに興味を持たせたところで言語の教育を行う。
日の本の言葉や文字を覚えた者で希望者は、函館、室蘭、小樽、札幌、千歳、夕張、日高、襟裳、帯広、十勝、釧路、根室、網走、知床、紋別、旭川、稚内、礼文、奥尻、本斗、真岡、大泊、豊原、落合、泊居などの政庁に仕官でき、優秀な希望者は江戸務めも可能になっていた。
他にも、アイヌに鮭やマスの養殖技術、昆布や海産物の加工方法を教えて生産物を購入、これを本土に売り捌いて津田家は利益をあげた。
農業では寒冷地に対応したテンサイ、ジャガイモ、小麦、大豆、小豆、蕎麦、タマネギ、人参、キャベツ、大根、カボチャ、アスパラガスなどの栽培を指導し、現在懸命に耕作地の増大に務めている。
更に牧草地の拡大と、馬、牛、羊などの牧畜業の準備も進めていた。
これらの代価に銭が大量に支払われ、彼らはそれで自由に本土の産物を買えるようになり、アイヌにも貨幣文化が根付いていく。
鉱山の経営も行い、室蘭では大規模な製鉄所の建設も始まっている。
道の整備を行い誰でも自由に移動できるようにし、港の整備も行われた。
彼らは自然と、豊かな暮らしを与えてくれる津田家に従うようになっていく。
時おりトラブルも発生するが、それは時間が解決するものだと光輝は結論づけていた。
他にも、現在オーストラリア、ニュージーランド、タスマニア、ニューギニア島、フィリピンなどの調査も水軍を使って行われている。
旧伊賀の国人衆が現地に草として入り込み、情報収集や宣撫工作もおこなっていた。
おかげで、津田水軍を率いる九鬼澄隆の忙しさは尋常ではなかった。
小浜景隆、伊丹康直、梶原景宗などの幹部に、新入りの藤堂高虎、脇坂安治なども忙しい日々を送る事になる。
支配領域が増えたので陸軍の増員も進めていたが、各地との交易、交易路の警備、相次ぐ新造船の戦力化、未開地の測量、実戦経験を積むために倭寇や海賊狩りも定期的に行われ、江戸と函館には水軍兵の訓練施設が建設された。
蝦夷にも作られたのは、海に憧れを抱くアイヌの若者を船員にするためである。
『津田水軍のこの忙しさは何だ? 叔父上に譲りたくなったぞ』
『残念ながら、嘉隆様も殿に劣らぬ忙しさです』
『村上水軍、減らし過ぎたよなぁ……』
一門衆の家臣から事実を指摘され、澄隆は頭を抱える。
織田水軍を率いる嘉隆は、対石山、毛利戦で村上水軍に暫く立ち直れないほどの打撃を与えてしまった。
そのため、瀬戸内海水運の建て直しに、朝鮮討伐軍への補給と朝鮮水軍への対応で忙殺されていたのだ。
朝鮮水軍を率いる元均は、緒戦で主力を率いて交戦したが自分も討ち死にして水軍も壊滅的な打撃を受けた。
これを継いだ李舜臣が、少数の船で補給路を絶とうとしたため護衛に戦力を割く必要があったからだ。
『新しい船員や、船長の教育も順調なので今が一番忙しい時かと』
『大殿や殿が人は増やしているのだ。もう少しすれば落ち着くはず……』
ところが、水軍の需要増大に船はともかく人員の供給が追い付かず、澄隆の願いが叶えられるのは彼が隠居してからであった。
「共に費用がかかるが、津田家の領地開発の方は見返りがある。伊豆大島、小笠原諸島の開発も進めているが、あそこはいい水軍の中継地となるだろうよ」
いまだに半分院政を敷いているような状態にはあるが、既に信輝は正式な津田家当主となっている。
信長にも許可をもらっているが、光輝はまだ現役で色々と動いている。
なのでこれは、家臣達に信輝の津田家当主継承を知らしめるためであった。
弟の信秀は蝦夷、樺太太守という役職をもらい、普段は蝦夷と樺太を行き来していた。
たまに江戸に顔を出さないといけないので、津田家の造船所で新造されたプロトタイプ新造蒸気船『蝦夷丸』を光輝から貸与され、移動のスピードを上げている。
この新型蒸気船は既に六隻が就役しており、信輝と光輝にも一隻ずつ、あとは水軍で戦力化が行われていた。
津田家が蝦夷を抑えたのは、蒸気船の燃料になる石炭を得るためでもあった。
領内や北九州からも購入しているのだが、供給先は多い方がいいし、余った石炭は製鉄で使おうと光輝は考えていたのだ。
「そういえば、我が従弟達は元気なのかな?」
「元気は元気だな」
津田家奥の院を預かる清輝の息子二人は、信輝、信秀と同じくカナガワにも入れる資格を有する。
普段は父清輝と同じく、江戸城の奥に引き籠って色々な研究や新技術の実用化に向けて働いていた。
「あいつら、叔父さんと同じく引き籠るつもりか?」
「役割分担だそうだ。自分達は父親の血を引いたんだと……」
信清、信行の兄弟は、婚姻も日根野家と堀尾家から嫁をもらって済ませ、内向きの仕事しか行わなかった。
「引き籠るのも血筋なのか?」
「前に会ったんだけど、外向きの仕事は俺と兄貴の担当らしいよ」
「何という似た者親子なんだ……」
信輝は従弟達の引き籠り癖に呆れるが、その血の宿命はそれからずっと続いていく事となる。