第五十六.五話 子犬とペットフード
アスペン様より、第五十五話時点での勢力図を書いていただきました。
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ありがとうございます。
そして、五十六話の時点でもう領地替えが多数。
なぜって?
それは、織田信長がワンマン社長だからw
九州攻めが終われば、また領地替えが……。
「ポチ、お手」
「ワン!」
「お代わり」
「ワン!」
「伏せ!」
「ワン!」
「もう覚えたのね、お利口さん」
江戸城内の中庭において、今日子が一匹の子犬に芸を仕込んでいる。
茶色い柴犬に似た子犬で、彼女が江戸の町で遊んでいる時に拾ってきた犬であった。
光輝は、確かこういう犬を赤犬と呼ぶんだよなと思っていた。
輸送の仕事をしている時に韓国系の同業者に教えてもらったのだが、赤犬は食べると美味しいらしい。
未来では動物愛護団体が政治家を選挙に当選させて大きな影響力を持っていたので、鯨や犬、カンガルーなどを食べると大いに非難されてしまうのだが、密かに食べさせてくれる店があるそうだ。
光輝も鯨は食べた事があるが、犬やカンガルーを食べた事はなかった。
食べたいかと聞かれるとどちらとも言えないが、食べたい人が食べるのに文句など言わない。
そんなものは自由にしてくれと思っているからだ。
惑星を改造し、それらを食用に飼育していても、過激な動物愛護団体は養殖の妨害に積極的であった。
一部過激な者達は、飼育している人を殺すなどして事件になった事がある。
勿論、この時代にそんな人はいない。
食料が不足しているので、動物愛護などという言葉すら出てこなかった。
宗教の戒律で禁止しているくらいであろう。
そんなわけで日本全国に、食用なのか、ペットなのかよくわからない犬は沢山いた。
野山に行けば野犬などもいる。
津田家としては、飼い犬の登録、繋いで飼う事の義務化、狂犬病予防注射の義務化などに取り組んでいるが、まだ状況は芳しくなかった。
狂犬病予防で、野犬を狩る政策の方を重視せざるを得ないのだ。
今、今日子が芸を仕込んでいる犬は、処分される前に今日子が救った犬であった。
ちゃんと予防接種をしてから江戸城の中庭で飼い、津田家の面々で餌をあげたり、散歩をさせたり、芸を仕込んでいる。
「あれ? 意外と覚えがいいな。バカ犬だと思ったけど」
ポチというベタで古典的な名前をつけられた子犬は、今日子の命令をよく聞いた。
それを見た清輝が、意外だという表情をする。
彼は、その子犬がバカ犬だと思っていたからだ。
なお、なぜ子犬にポチという名前をつけたのかといえば……。
『洋風の名前をつけても、この時代の人はポカンじゃない。古い名前の方が絶対にいいって』
という大した理由でもなく、子犬の名前はポチになっていた。
「キヨちゃん、ポチは賢いのよ」
「そうかな? だって、僕の命令なんて何も聞かないぜ。ポチ、お手」
「……」
子犬は清輝の命令を無視して、そっぽを向いた。
「ほら、バカ犬じゃないか」
「あははっ! 愚かな弟め! それは違うぞ!」
「何だよ! 兄貴は急に!」
兄の光輝にバカにされ、清輝は怒りながら文句を言った。
「違う違う、犬は群れを認識する生き物なんだよ」
実は光輝は、子供の頃から犬を飼いたかった。
結局それは叶わなかったが、もし飼えた時の事を考えてちゃんと勉強はしてある。
犬は飼い主も含めた団体の中で自分の順位を確認し、それを忠実に守る生き物であった。
だから、群れのボスや上位者の命令には忠実である。
「兄貴、それはつまりどういう事?」
「その子犬は、今日子よりも自分が下だと思っているから素直に命令を聞くんだ。清輝は、その子犬から下に見られているから、命令しても無視されるわけだな」
「子犬の癖に生意気な……」
清輝は、子犬に対して怒りの表情を向ける。
だが、子犬の方は完全に清輝を無視していた。
下っ端の清輝よりも、ボスである今日子の命令を聞き逃さないようにするのが忙しいからだ。
「残念だったな。その子犬が賢いのは本当のようだな。清輝よりも今日子の方が序列が上だって見抜いているのだから」
つまりだ。
子犬は自分が三番目だと思っているのだ。
津田家の家長たる光輝が一位、今日子が二位、そして子犬が三位だと。
「清輝は下に見られているわけだ」
「なるほど、別に僕の犬じゃないからいいけど」
「負け惜しみだな。犬は賢いから、人間の集団を見て的確に判断するよな。ポチ、お手」
「……」
光輝が自説を証明しようと、子犬にお手をするように命じた。
だが、子犬は欠伸をしながら光輝の命令を無視してしまう。
「お手!」
「……」
「兄貴、お手をしないじゃないか」
「おかしいな? お手だ!」
何度子犬にお手を命じても、子犬は光輝を無視をしたままであった。
「兄貴、ぷぷっ……」
光輝は自慢気に自説を披露したのにそれが間違っている事がわかり、気恥ずかしさで穴があったら入りたい気分であった。
清輝は、そんな光輝を見て懸命に笑いを堪えている。
「このクソ犬……」
「兄貴も、犬よりも序列が下じゃないか」
「そんなはずは! お手! お手! お手!」
それから暫く、光輝は犬にお手をするように命じ続けるが、結局子犬は今日子の命令しか聞かなかった。
「その犬を連れて行くのか?」
「いいじゃない、可愛いんだから」
「俺は面倒見ないけどな……」
所用で石山へと船で向かう津田夫妻であったが、船内では子犬が元気に走り回っていた。
今日子が子犬を気に入ったので、連れてきてしまったのだ。
「世話は私がするし、大殿には見せないから大丈夫よ」
「まあいいけど……」
ところが、どこで聞いてきたのか、信長の方が子犬を見たいと言い始めてしまい、今日子は彼に子犬を見せる約束をしてしまう。
「大殿、たかが捨て犬ですよ」
「ミツは犬が嫌いか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
全然光輝の言う事を聞かないから、可愛くないだけであった。
それを言うと信長にバカにされてしまうかもしれないと、光輝は真相は一切話さなかったのだ。
「可愛い子犬ではないか」
信長は、今日子が連れてきた子犬を見て目を細めていた。
元ヤンキーの信長は、犬が好きらしい。
「サルは猫を飼っておるそうだし、猿を飼っている者もいたな」
織田家家臣でも、ペットを飼っている者が多いのだと信長が言う。
信長は、仕事さえしてくれればあまり家臣のプライベートに口を挟まない主君であった。
「大殿、動物を飼う事により、私は心の癒しを得ているのです。疲れた時や鬱憤が溜まった時に犬を見ると心が落ち着くではないですか」
今日子は、ペットを飼う事により自分の精神を安定させているのだと説明した。
いわゆる、初期的なペットセラピーの理論を説明したのだ。
「なるほどな」
今日子の説明に、信長は大きく頷いた。
彼は、この時代の人間にしては新しい知識や理論の理解が早い。
南蛮人が持参した地球儀を見て、地球が丸いという話を瞬時に理解したくらいなのだから。
だが、その地球儀の精度については文句を言った。
津田家が大分前に献上した世界地図の方が、圧倒的に正確で詳細に書かれていたからだ。
「それにしても、犬の序列の話は笑ったな」
結局先日の光輝の失態は、今日子の口から信長に漏れてしまった。
信長は、その話を聞いて大笑いしている。
「ミツ、犬は飼い主やその周囲の団体の中で自分の順位を確定するであったか? そんな事を言っていたのに、ミツが犬に無視されるとは、悪いが笑ってしまったぞ」
相当にツボに嵌ったようで、信長は笑い続けていた。
「となるとだ、その子犬は今日子の主君である我の命令なら聞くというわけだ」
光輝は少し嫌な予感がしたが、止める間もなく信長が子犬に命令を出してしまう。
「ポチ、お手だ」
「……」
空気など読めない子犬は、信長の命令を無視して後ろ足で耳の後ろをかき始めた。
この事態に、信長の傍にいた森蘭丸や堀直政の表情が凍る。
「ポチ、お手だ!」
信長が何度お手を命じても、子犬はそれを無視してしまう。
挙句に、子犬は欠伸をしてから丸くなって寝てしまった。
「……まあ、所詮は畜生よ……」
信長の機嫌が最悪になり、周囲の空気が完全に凍ったと思われたその時、信長の妻お濃が姿を見せて子犬にお手を命じた。
「お手、あら可愛いですね。でも、雄なので女性の命令しか聞かないのでしょう」
「なるほど、そういう事か。子犬の頃から女好きとは面白いな」
信長は今日子とお濃にしかお手をしない子犬が、実は女性にしかお手をしないのだと思い、急に機嫌が直って大笑いをする。
その様子に、蘭丸と直政はほっと胸を撫で下ろしていた。
「(本当に、女性にしかお手をしないのか?)」
光輝は、ある仮説を立てていた。
それは、やはり子犬はその集団の力関係を確実に見抜き、だからこそ織田家で一番偉いお濃にだけ子犬はお手をしたのではないかと。
ただ、それを言ったところで何の利益もないので、光輝は無言のまま信長との謁見を終えるのであった。
「あっ! 忘れ物だ!」
石山での用事を終えて江戸に戻ってきた光輝と今日子であったが、忘れ物をしてきた事に気がついてしまった。
「ポチのご飯とおやつ」
「ああ、あれか……」
その忘れ物とは、犬用の餌であった。
養鶏や養豚で得た肉に、内臓や骨なども混ぜてペースト状にして缶詰に入れ、『犬缶』に加工したものだ。
缶詰工場の面々は、今日子に頼まれたので素早く試作品の製造を終えた。
他にも、犬用のビスケットなども試作して、長期保存のために缶詰にしている。
これらの餌は子犬が喜んで食べていたが、やはりペットフードはまだ採算ベースには合わないというのが結論であった。
いくら金持ちでも、ペットの餌に高価な缶詰を使う人は少ないと予想されたからだ。
今日子は出かけた先の石山で子犬に餌をやるのに便利だからと、試作品である犬缶とビスケットを持参した。
だが使い切れず、余った分を忘れてきてしまったという。
「どこに忘れたんだ?」
「えへへ、それが石山城に」
まだ津田家の石山屋敷が完成していなかったので、光輝と今日子は石山城の客間に宿泊していた。
その部屋に犬の餌を忘れたのだという。
「別にいらないだろう。ここなら普通に餌をやればいいんだし」
「それはそうなんだけど……」
「何が心配なんだ?」
「大殿が間違って食べないかな?」
「まさか、犬の餌だぞ……」
と言いかけて、光輝はもしかしてと思い始めてしまう。
なぜなら、犬缶もビスケットも試作品なので、缶詰に刻印等のラベルが一切ついていなかったからだ。
事情を知らない人は、犬の餌だとは思わないかもしれない。
「別に、人間でも食べられないわけじゃないよな?」
「それは全然大丈夫、でも犬用だから味が物凄く薄いよ」
「最悪、一口食えば気がつくだろう」
通信機が配備されているわけでもないので石山に知らせるのも難しく、光輝と今日子は犬の餌の事は忘れる事にした。
別に食べても死ぬわけではない、むしろ薄味だし栄養のバランスにも優れているので健康にはいいかもしれない。
あくまでも、感情的な問題だけであったからだ。
「三右衛門、ミツと今日子が忘れ物をしたようだな」
「はい、預かっております」
光輝と今日子が犬の餌の事を記憶の隅に追いやった頃、信長は側近衆の堀直政に二人が忘れた物について問い質していた。
「忘れ物とは何なのだ?」
「缶詰ですね。刻印がないので何が入っているのかわかりませんが」
直政も津田家から缶詰を贈られた事があり、それには何が入っているか刻印がしてあったのを覚えていた。
ところが、忘れ物の缶詰には何も書いてないと信長に報告する。
「そうか、開けてみよう」
「大殿、さすがにそれは……」
優秀ではあるが常識人でもある直政は、人の缶詰を勝手に開けようという信長に苦言を呈した。
「三右衛門、我はこう思うのだ」
信長は、直政に雄弁に自説を語り始める。
「ミツと今日子が、缶詰ほどの貴重な品を忘れると思うか? これはきっと、味などに自信がない新製品を我に堂々と献上するのは恥かしく、忘れ物に見せかけて食べてもらおうというあの夫婦の作戦なのだ」
「はあ……」
信長の唯我独尊な考え方に、直政はある意味感心してしまう。
きっと、こういう人でないと天下は取れないのだなと。
「というわけで、早速開けるのだ」
「ははっ」
命令された以上は仕方がない。
直政が缶詰を開けると、当然中身は肉を主体とした犬の餌と犬用のビスケットであった。
「美味そうではないか。肉を使った『ぺーすと』と、これはビスケットか」
犬の餌なのを知らない信長は、両方を食べ始める。
だが、すぐに食べるのを止めてしまった。
「うーーーむ、味が薄いな」
犬の餌なので当たり前であったが、さすがの信長にもそれが犬の餌だとはわからなかった。
逆にその味の薄さから、ある可能性を直政に指摘する。
「今日子が関わっているという事は、塩分を制限した方がいい者に対する缶詰なのではないのかな?」
「なるほど、それならば納得がいきます」
直政は、信長の指摘を聞いてさすがだと思った。
確かに、今日子は過度な塩分の取りすぎは卒中などに繋がるから控えるようにと、信長にもよく言っていたのを思い出したからだ。
「だが、これはさすがに味が薄すぎだな。三右衛門、今日子にそう伝えておけ」
「かしこまりました」
「もう少し味を足して食べるか」
信長は、犬の餌に味噌で味をつけ、ビスケットはジャムを塗ってすべて食べてしまった。
「味を足せば美味いが、もう一息な試作品だな」
信長の命を受けた直政は、津田家に対し塩分を制限したペーストとビスケットの評価を文に書いて江戸に送った。
この意見を新製品に生かすようにという、あくまでも信長からの親切心であった。
「おい……今日子……」
「大殿、食べちゃったんだ! えっ? 塩分を控えたメニュー扱い? 何でそんな話になるの?」
「大殿、味が濃いのが好きだからな」
「あちゃあ、犬用だから味が薄いのに……」
「これはもう、そういうメニューを開発して誤魔化すしかないな」
「だよねぇ……」
今日子は犬の餌だと信長にバレなくて安堵したが、安全のために暫くはペットフードの開発を禁止し、アリバイとして成人病患者への制限食の開発を始める羽目になってしまう。
金持ちや権力者でその手の病を抱える者は意外と多く、皮肉にも怪我の功名で開発されたメニューを入れた缶詰が、後に一定規模の市場へと成長するのであった。
他にも、糖尿病、痛風、高血圧、肥満などに対応する食事のメニューを記載した本を出し、この本は織田信長、上杉謙信他実践者が多かったので、以後数百年もベストセラーとして世界中に販売されるのであった。




