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第五十四.五話 出羽織田家事情と即席麺

「腹が減ったな、信輝」


「そうだな、でも物凄くお腹が減っているわけではないな」


「いわゆる、小腹が空いたというやつだな」


「そうそう、それだ、信房」


 織田信房は明日にも出羽入りする予定であったが、今日もいつもと変わりなく信輝達と訓練に励んでいた。

 時間は午後三時、津田領内では一時間おきに時刻を知らせる鐘を鳴らしている場所が多く、江戸城近くにあるこの練兵場でも鐘が鳴ったばかりであった。

 夕食まであと三時間ほど、津田家の家臣はこの時間におやつを食べている者も多い。


 光輝や今日子、お市、葉子、多くの娘達もお菓子などを食べているはず。

 だが、信輝達からすると、毎日甘い物がおやつというのもどうかと思ってしまうのだ。

 

「甘い物でもいいではないですか、若殿」


「お前は甘い物が好きだよな、嘉明」


「はい、大好きですが」


 岸嘉明は信輝の御付きの中でも一番甘い物が好きなので、この時間を楽しみにしていた。


「若殿は嫌いでしたっけ?」


「いや、俺も嫌いではないけどな……」


 別に信輝も、甘い物が嫌いなわけではない。

 好きな方だと思うが、この時間に屋敷におやつを食べに行くと、間違いなく母や妻や妹達に囲まれてしまう。

 信輝も微妙なお年頃というわけで、多くの女性に囲まれると妙な気恥しさを覚えてしまうのだ。


 女性は、夜に妻の冬姫と一緒にいられればいいやと考えている信輝であった。

 信房も同じ気持ちで、あの完全な女性優位の津田家の奥というのは織田家では経験できないものだと感じていた。


「それでしたら、ここで新しい携帯食でも食べますか?」


 信輝達がそんな話をしていると、そこに警備隊の補給などを担当する堀尾方泰が姿を見せ、試食してほしい物があると信輝達に言う。

 

「試食か? どんな物なんだ?」


「殿が考案した物です。このように、容器に入れてお湯を注ぎ、蓋をすると……」


 光輝の考案した食品とは、いわゆる即席麺であった。

 カップラーメンだと容器の問題が出るので、兵士が飲み物を飲むのに使うカップや、飯を食べる茶碗でも作れる、いわゆるマグヌードルを光輝は試作させていた。

 試作した物は、醤油、味噌、トンコツの三つの味で、一個の塊が一人前の半分ほど。

 軽食として一個を食べるか、二個入れて一食分にするか、自由に選べるようになっている。


義父上ちちうえは、本当に色々と考えるな」


「実の息子ながら感心するけどね……」


 本当は、既に知っている物の開発をさせているだけなのだが、それを信房に話すわけにもいかないので、上手く話を合せる信輝であった。

 

 だが、実は信輝も即席麺の類は食べた事がない。

 あくまでも、知識で得た情報のみであった。


『信輝、僕達がここに転移してくる前に購入したカップ麺を食べる? 賞味期限が十八年ほどすぎているけど。多分食べられる……お腹を壊しても死なないとは思うけど』


 などど清輝から言われて古いカップ麺を渡されたのだが、信輝は食べなかった。

 明らかに危険な香りがしたからだ。

 十八年も放置していた食べ物が食べられるはずがない。

 信輝はそう常識的に考えた。


『おっ! 新発売のドカ盛り三郎風味じゃん! 清輝は買っていたのか。これ、どこの店で探してもなくてさ』


『コンビニに行ったら、たまたま一個だけ置いてあったんだよ。でも、転移のドサクサで忘れててさ』


『じゃあ、俺が食うわ』


 信輝が食べるのを拒否したカップ麺を、光輝は自分で食べると言う。


『みっちゃん、他に食べる物がないわけじゃないんだから、そんな古いのは止めなさいよ』


『いいや、俺はドカ盛り三郎風味トンコツ醤油麺が食いたかったんだ!』


 今日子の忠告も無視して光輝は古いカップラーメンを食べ、やはりというべきか、三日間ほど下痢で悩まされる事になる。


『だから言ったじゃないの』


『大丈夫だと思ったのに……』


『賞味期限十八年超えはまずいわよ』


 いくら保存食でも、そんなに古い物を食べれば腹を壊して当たり前だと、光輝は今日子から叱られていた。

 信輝は自分の父親が、とても四十すぎには見えなかった。


『でも、俺はわかったよ。やっぱり、即席麺は必要だよな……』


 それでも光輝はめげず、以上のような経緯で光輝は即席麺の開発を始めた。

 最初は量産可能なカップの素材を懸命に探して挫折し、結局はマグヌードルとなったわけだが。


「さすがは殿というべきですな」


 新しい発明なので方泰は光輝を褒めているが、裏の事情を知っている信輝からすると、光輝が意地汚いだけなのではないかと思ってしまう。

 勿論、それを口に出す信輝ではなかった。

 なぜなら信輝は優秀で、その辺の空気もちゃんと読むからだ。


「ちなみに、これの食べ方ですが……」


 方泰は、それぞれのカップにマグヌードルの塊を入れてからお湯を注して蓋をし、同時に持参した砂時計を逆さに置いて時間を計り始めた。

 その砂時計は三分ですべての砂が落ちるので、できあがりは三分後という寸法だ。


「いい匂いがしてきたな」


「しかし、本当に三分で柔らかくなるものなのですか?」


 一緒にマグヌードルができあがるのを待っている井伊直政は、正直なところ半信半疑であった。

 戦場ではよく干し飯をお湯で戻して食べるが、さすがに三分では完全に柔らかくはならないからだ。


「若殿、時間です」


「試しに食べてみればいいさ」


 早速信輝達は、できあがったマグヌードルを食べ始める。

 

「美味いな」


「普通に美味い」


「戦場で温かい物を食べられるのはいい点ですね」


 嘉明、正純、直政他、試食した全員が美味しいと言い、マグヌードルは高評価を得る事に成功した。


「味が三つあるのもいいな。飽きないから」


「これで、すべての年齢層に高評価ですか」


「方泰、そんな調査をしているのか?」


「はい、兵も将も色々な年齢の方がいますからね。年配の方から試してもらい、最後に若殿達というわけです」


 本日の方泰の仕事は、その半分以上が試作したマグヌードルの試食評価の収集に当てられていた。

 即席麺なら米を運ぶよりも補給物資の軽量化を図れるし、美味しく温かい食事は警備隊の士気にも影響する。

 これも、方泰からすれば重要な仕事というわけだ。


「缶詰と同じく量産化の準備に時間がかかるので、正式に補給品目となるには時間がかかります」


「そうなる日を楽しみにしているよ」


 試食が終わって、信輝達のお腹も無事に落ち着いてきた。

 これなら夕食まで訓練は続けられそうだ。


「それにしても、あのような便利な食品を考えつくとは、さすがは殿」


 井伊直政は光輝から引き立てられて信輝の御付きになっているので、光輝に対し崇拝に近い忠誠心を持っていた。

 信輝からすると、別に光輝を尊敬していないわけではないが、まるで神や仏を崇めるように光輝を崇拝する直政に若干引いてしまう事があるのだ。


 自分にも忠実で、とてもいい奴なのはわかっているのだが。


「さあ、訓練を続けよう!」


 信輝の掛け声で全員がおやつ休憩を終え、その日も夕暮れまで訓練は続いた。

 

「直政、また明日な」


「はい、信輝様」


 普段はみんなで夕食を取ってからそれぞれの屋敷に戻るのだが、今日は珍しく直政は早めに家に戻る事にした。

 たまには、義母である直虎と食事を食べようと思ったからだ。


 直政の義母直虎は、名前は勇ましいがれっきとした女性である。

 女性の身で井伊家を一時継ぐ事になり、このような名前になってしまったのだ。

 その後は、領地であった井伊谷から追われ、逃走の途中で次々と家臣や兵達が井伊家を見限って離脱してしまった。


 遂には直虎と直政二人だけになってしまったが、彼女は江戸の洋裁工房で働きながら懸命に直政を育ててくれた。

 直政も忙しい身となったので一緒にいられる時間が少なくなったが、たまには義母と二人で食事でもと直政は早く家に戻ったのだ。


「義母上、ただいま戻りました」


 直政が家に戻ると、既に直虎も帰宅していて夕食の準備をしていた。


「今日は早いですね」


「そういう事もありますよ、義母上」


「夕食の準備をしていたのよ。直政はもう済ませてきたのかしら?」


「いいえ、まだです」


「じゃあ、ちょうどいいわね」


 と言いながら直虎が夕食に出したのは、何と直政が先ほど食べた即席麺であった。

 しかもご丁寧に、醤油、味噌、トンコツと全種類揃っている。

 ラーメンの入った大きな丼三つが、ドスンと直政の前にも置かれた。


「今日子様から試食品だからっていただいたのよ。女性からの評価を得たいからって」


 洋裁工房で働く直虎であったが、直政の抜擢によって彼女も今日子と仲良くなっていた。

 女だてらに繋ぎとはいえ一家の主となり、その後は苦労して義息子を育ててきた芯の強い彼女を今日子が気に入ったからだ。


 今日子は直虎を『直ちゃん』と呼んで、定期的に一緒にお茶を飲んだり、洋裁工房で新しい服などのデザイン、企画なども一緒におこなっている。

 実は直虎は、洋裁工房でも偉い方の人であった。


「お湯を注ぐだけで食べられるなんて、缶詰も凄いけど、この即席麺も凄いわね」


「そうですね……」


 直政は、まさか三時間ほど前に試食した物が再び夕食に出るとは思わなかったので、少し動揺してしまう。

 それに、直虎は義息子である自分に珍しくて美味しい物を優先して出してくれているのだという事実にも気がついていた。


 飽きたと言えるまで食べた物でもないが、二食連続は辛い。

 だが、それを直虎に言うわけにもいかず、直政はどうしたものかと悩んでしまう。


「あら? 直政はこういう物は苦手かしら?」


「いえ、美味しそうですね。義母上」

 

 先ほど食べたからいりませんとは言えなかった直政は、夕食も即席麺三種類を食べる羽目に陥ってしまう。

 救いがあるとすれば、家での調理なので野菜と卵が入っていた事であろう。

 津田領でも徐々に養鶏が盛んになり、直虎の稼ぎなら定期的に卵くらいは食べられるようになっていた。


「これ、本当に美味しいわね。調理に手間がかからないのもいいわ」


 直虎は、この即席麺は働く女性の味方になるかもしれないと直政の前で嬉しそうに語る。

 それを聞いた直政は、家に戻ると母親や奥さんが毎日食事にこれを出してくるという場面を想像し、恐怖に背筋が凍っていた。


「でも、毎日これだと飽きてしまうかもしれないわね」


「たまに食べるくらいでいいと思いますが……元々、警備隊の携帯食として開発されたそうなので」


「それもそうね、でも便利だから普通に販売しても売れそうね」


 直政は、毎日のように即席麺を食べる生活にならないで済んでよかったと安堵した。

 だが、直政はもう何年かで光輝の娘お江と結婚をする予定になっている。

 そこで即席麺ばかりが出てくる可能性も……直政は嫌な事を考えないように即席麺をかき込む事に集中するのであった。


「あら、いい食べっぷり。お代りはいるかしら?」


「いえ、もうお腹一杯です」


 直政は、暫く即席麺はいいやと思うのであった。






「ほほう、これは便利なものですな」


 信房の出羽拝領に、彼の家臣団の編成と移動と、出羽織田家と呼ばれるようになるこれら一家の立ち上げに際し、光輝も色々と忙しく動く事が多くなった。

 石山にも顔を出し、信長とも念入りに打ち合わせをおこなう。


 そんな中で、光輝は丹羽長秀と会って一緒にお茶を飲んでいた。

 場所は、石山に建築中の丹羽家屋敷である。

 光輝も屋敷をもらう事になっていたが、必要性が薄いので後回しになっていて、まだ空地のままであった。

 

 その席で、お茶請けには合わないが、即席麺を作って長秀に出してみたのだ。


「乾燥している分、米よりは軽いですな。輸送に便利かもしれません。ですが、水はどうしますか?」


 水がないというわけでもないが、そこにある水が必ずしも飲むのに適しているわけではない。

 おかしな水に当たって病気をしたり、最悪死ぬ兵士というのも、この時代にはバカにできない数、戦場で発生していた。


「水は大丈夫ですよ」


 津田軍には、泥水でも濾過できる装置が警備隊に装備されている。

 これに加えて水は必ず煮沸してから飲むようにと指導しているので、津田軍における戦病者の数は大幅に減っていた。


「なるほど、それは凄いですな。これも携帯食なのに美味しいですし」


 長秀は、光輝が調理した即席麺を美味しそうに食べていた。


「まだ完成ではないですけどね」


「そうなのですか? こんなに美味しいのに」


 長秀は、即席麺がこれで完成品ではないと光輝から聞いて驚いてしまう。

 これ以上、何を改良するのかと思ったのだ。


「上に載せる具材が弱点なのですよ」


 フリーズドライの具材を量産するのが困難で、即席麺は麺とスープだけしかなかった。

 調理時に別途で野菜や肉を載せるしかなく、メンマは瓶詰の生産が始まっているのでこれは別に準備をすればよかったが、光輝の理想はやはりお湯を注ぐだけのカップ麺であった。


「なるほど、そうなのですか……」


 と答えつつも、長秀は津田軍の軍用食の進化に驚くばかりであった。

 たかが食べ物というが、兵士は食べ物がないと動けない。

 兵士の食い扶持を確保する事こそがもっとも重要であり、それが豊富だからこそ津田軍は常に大軍で自由に動ける。

 火力にも目を見張るものがあるが、兵士は食べられなければ銃を撃つ事ができないのだから。


「津田殿は、これから大変ですな」


「信房様ですか? 秀政殿が筆頭家老ならば、そう問題でもないかと思います」


「名人久太郎ですか。私は久太郎がこの話を受けるとは思わなかったのですが、確かに楽にはなりましたな」


 それから一時間ほど、光輝は長秀と話してから石山を辞した。

 長秀も石山建設で忙しい身であり、そう長居はできなかったのだ。


「それにしても、いいものをもらったな」


 光輝を送り出してから、長秀はお土産にもらった即席麺を見てニンマリとした。

 容器に決まった量のお湯を注いで蓋をし、三分待つだけで食べられる。


 日が落ちるまでは工事現場の監督、日が落ちてからは各種書状の整理などがあるので、夜食にちょうどいいと思ったからだ。

 早速その日の夜から、長秀は仕事の合間に即席麺を作って食べ始めた。


「暫くは、夜食で食べられる量をもらったな。味が三種類あるのもいい」


 などと思いながら即席麺を食べていると、突然長秀の執務室に信長が姿を見せる。


「五郎左、様子はどうだ?」


「大殿、作業は順調に進んでおります」


「そうか……」


 同じ話を朝にしたはずなのに、なぜか信長はこんな夜遅くに姿を見せた。

 なぜなのか長秀が不思議に思っていると、信長が今度は別の話題をふってくる。


「美味しそうな物を食べているな」


「津田殿が試作させた即席麺です。大殿もいただいたのでは?」


 長秀は、光輝が信長にも即席麺を献上したという話を聞いていた。

 自分にくれたのに、主君信長には忘れるなどないのだから当然とも言えたが。


「大殿も、召し上がられたのですよね?」


「ああ、美味かったな。だが……」


「何か不都合でもありましたか?」


 ならば光輝に教えてあげないといけないので、長秀はそれを信長から聞き出そうとした。


「いや、即席麺自体に不都合はないのだ。だが、ちょっとお腹が空いた時間に食べようとすると、お濃が食べすぎないようにと五月蝿いのでな。長秀、一つ作ってくれぬか?」


「はあ……急ぎ作ります」


 信長がこんな夜中に顔を出したのは、長秀が持つ即席麺が目当てであった。

 夜中に食べると、あのお濃の方から健康に悪いと注意されてしまうらしい。


「湯を注ぐだけで食べられる。美味しいし便利ではないか。なあ、五郎左」


「そうですな」


 それからも、信長は夜中に長秀の下にちょくちょく顔を出し、彼から即席麺をご馳走になる機会が増えるのであった。






「大殿にはああ言いましたが、こういうものを夜中に食べるというのもワクワクしていいですね。今日子からは、野菜も上に載せて食べろと言われていますが」


 信長がお濃の目を盗んで長秀の下に即席麺をご馳走になりにいっていた時、お濃も他の愛妾や女中達と一緒に夜食に即席麺を作って楽しむのであった。

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