第五十三.五話 蝦夷情勢と本マグロと林檎と異動と
伊達政宗一行の蝦夷追放と、伊達小次郎を旗頭とする反乱も鎮圧され、東北地方は無事に津田家によって平定された。
出羽は織田信房によって統治される事になるが、かの地も津田家方式で運用される事になっている。
最初は、かなり津田家が手を貸さなければならないだろう。
そんな状況の中、光輝は津軽を視察していた。
島清興と武藤喜兵衛が同行と護衛を兼ね、この日の夜は三人で津軽の海の幸を堪能していた。
イカソウメン、ホタテ、ヒラメに、一番のメインは大間から取り寄せた本マグロであった。
この時代に飛ばされる前、光輝は惑星ネオアオモリの新大間産本マグロがなぜここまで高額なのかと真剣に悩んだ事がある。
デパートで売られていた本マグロの切り身の値段を見て、もっと安ければ一杯食べられるのにと思っていたのだ。
だが、今はそれが大量に手に入るようになり、光輝は大喜びで本マグロを食べまくっていた。
ここぞとばかりに、昔の貧乏性が出てしまったのだ。
「中トロと、大トロが食べ放題という幸せ。中落ちをご飯に載せると最高!」
光輝は喜んで食べていたが、他の者達は評価が分かれた。
脂っこすぎると苦手にする者、これは武藤喜兵衛などがそうだった。
彼は、まだ大トロというものに慣れていなかったのだ。
その代わりに、赤身、イカソウメン、ホタテは美味しそうに食べている。
信濃生まれの喜兵衛からすれば、海の幸は大御馳走であった。
「家族にお土産で持ち帰りたいですな」
逆に、津田家に仕官してから長い島清興などは、武官で運動量が多いという事もあって大トロの刺身を美味しそうに食べている。
同時に、大分お酒も進んでいたが。
「伊達の小僧は蝦夷ですが、大丈夫なのですか?」
「清興、大丈夫とは?」
「津田家は、現地の連中と取引をしているではないですか。邪魔されると大変なのではないかと」
「ああ、そういう心配か。それは大丈夫、政宗君もそこまでバカじゃないだろうから」
政宗に滅ぼされた蠣崎家と、津田家は元々敵対関係にあった。
津田家側が蝦夷の産物の仕入れ値を抑えようとアイヌと直接取引を開始したので、それを何度か邪魔してきたからだ。
蠣崎家はアイヌを騙して安い金額で産品を仕入れ、それをとんでもない高額で販売して暴利を貪っていた。
津田家はアイヌには正当な報酬を支払うが、中抜きを排除して蠣崎家よりも安く蝦夷の産品を販売している。
相反する商売方法なので、両家が敵対しない方がおかしいという話だ。
その対立の過程で、蠣崎家の当主季広は光輝を下賤の出だと常々周囲に公言してバカにしていた。
これでは彼らを降す事は不可能だと思った光輝は、蠣崎家の処分を政宗に任せたわけだ。
政宗も拠点を得ないと凍死してしまうので、光輝の思惑どおりに蠣崎家を滅ぼしている。
「では、蠣崎家の滅亡は好都合ですか」
「そうだな、津田家には必要ないな」
「あいぬとかいう部族の連中はどうなのですか?」
「部族によるな」
津田家は、蝦夷において友好的なアイヌ部族とは積極的に取引を行い、その勢力圏内に取引所、鮭や海産物の加工工場、商店などを置いていた。
だが、実はその数は意外と多くない。
アイヌ部族の中には、津田家との友好的な取引を拒否するところも多かったからだ。
「我らの認識では一括りに蝦夷の異民族扱いだけど、連中は連中で色々とあるのさ」
日本の、特に畿内にいるような権力者でも、アイヌ部族を文明と技術が遅れた、原始的な生活を営む蛮族だと勘違いしている者が多い。
だが、実際には独自の言語と文化を持ち、日本の武士と同じく部族ごとに別れて頻繁に戦争なども起こしていた。
部族には支配者階級もいるし、奴隷階級も存在している。
貧富の格差もあり、その辺は日本の人間と違いはなかった。
「政宗君は、いきなりうちと仲がいい部族に手を出して津田家の介入を招くほどバカじゃないだろうからね」
津田家に敵対的な部族、及び中立的な部族を従えるか攻めて蝦夷での支配権を確立するはずだ。
そして、彼らを集めて津田家との決戦に臨むはず。
そこで伊達軍を倒せば、津田家の蝦夷における支配権を確立するのはそう難しくない。
なぜなら、津田家に反抗的であった部族は既に伊達家によって牙を折られた後だからだ。
自分達は伊達家に勝てず、その伊達家は津田家に勝てなかった。
それさえ認めてくれれば、後の統治が楽になるという寸法であった。
「というわけなので、暫くは政宗君は放置だな。うちと取引をしている友好的な部族にちょっかいかけてくる可能性もまったくないわけではないから、その救援に兵を出せるようにしておいてくれ」
「畏まりました」
喜兵衛は、光輝からの命令を素直に承った。
内心では、そこまで考えて政宗を蝦夷に追放した光輝に驚愕しながらであったが。
喜兵衛は津田家に仕官するまで、蝦夷の住民について考えた事など一度もなかった。
それなのに、光輝は自分よりも圧倒的に蝦夷の部族について詳しい。
その視点の違いに、喜兵衛がかつて仕えたあの偉大な武田信玄でも、ここまで広く物を考えられたであろうかと考え込んでしまったのだ。
「蝦夷はそれでいいとして、問題は東北の統治だな。出羽は婿殿に任せるにしても、最初は大分助けてやらないと駄目だ」
今、信長が懸命に人を集めて出羽に送っているが、彼らも最初は教育をしないと使えない。
暫くは、津田家家臣団に大きな負担がかかるのは確実であった。
「まあ、やらねばなりますまい」
津田家の所領が大きくなりすぎた以上は、今まで以上に織田家に対しては慎重に対応しないといけない。
出羽で信房を助けるくらいは仕方がないというのが、喜兵衛の考え方だ。
今はここにいない本多正信も、喜兵衛と同意見であった。
「暫くは、そういう方針で頼む。ところで、津軽と言えば……」
「津軽といえば何なのですか? 殿」
「リンゴがないな」
「林檎とは、あの林檎ですか?」
「そうだよ」
喜兵衛の知る林檎とは、中国から輸入された酸っぱい小さな果物と、津田家が独自に栽培している真っ赤な大きな林檎の二つの事であった。
小さい方は食べた事がなかったが、津田家産の林檎は喜兵衛ももらって食べた事がある。
とても美味しく、常温でも一か月ほど保存できるので、現在栽培する場所を増やそうと計画されているはずだ。
そのために、木の栽培が行われているはずである。
「ここで林檎を作るのですか?」
「気候的に合っているような気もするから」
光輝にとって有名な林檎の産地といえば、惑星ネオアオモリの新津軽林檎の事であった。
他にもいくつか産地はあったが、やはり林檎といえばネオアオモリであろうと思っている。
「この地で林檎を特産品として、領民達の支持を得るのですな」
喜兵衛には、なぜ林檎イコール津軽なのかがわからなかったが、光輝が突発的に意味不明な事を言う事はよくあった。
その発言が間違っていた事も少ないし、喜兵衛は気にしない事にする。
殖産で領民達の収入を増やし、彼らの支持を得る。
いつもの手法であろうと思ったからだ。
「暫くは、東北の開発を重点的におこなわないといけないな」
「そうですな。清興殿もそれで……」
清興が妙に静かだなと思って喜兵衛が視線を送ると、既に清興は夢の世界に旅立っていた。
「というわけで、リンゴは旧南部領になかったな」
旧南部領から帰還した光輝は、今日子にお土産の海産物を渡しながら現地の様子を話していた。
「つまり、リンゴがあの地方の特産品になったのは大分あとなんだね」
「カナガワのデータベースで調べたらそう書いてあった」
データベースには、青森が林檎の産地になったのは十九世紀の後半と書かれていた。
「苗木も増やしているし、まずは津田家直営のリンゴ農園から始めて、領民達への苗木の販売はあとだね」
「現実問題として、苗木が不足しているからな」
果樹の栽培を行うには、その木が実をつけられるまで育てないといけない。
勿論その間の収穫はなしなので、最初は津田家直営の果樹園で栽培を始め、現地の領民を従業員として働かせながら栽培技術を習得させる事にした。
それと並行しながら苗木の増殖と栽培を続け、従業員が独立した時にそれを格安で販売するシステムだ。
「その辺は、桃やサクランボと同じだものね」
「果樹の栽培には時間がかかるからな。品種改良の手間が省けている分だけよしとしよう」
苗木の種はカナガワにある自家農園からの採取なので、未来の品種改良品でいきなり栽培できる。
その分、品種改良にかかる時間は大分短縮されていると、光輝も今日子も思っていた。
「リンゴの話をしていたら、リンゴが食べたくなったな」
「じゃあ、おやつにはアップルパイを焼こうか?」
「いいねぇ、あと……」
「みっちゃんは、アップルパイにホイップした生クリームをつけて食べるのが好きだものね。準備するね」
今日のおやつはアップルパイという事になり、今日子は台所で調理を始めていた。
「旦那様、ぱいって作るのが難しいですね」
「焼き林檎はそこまで難しくないですね。旦那様、久秀様が林檎紅茶にしたいから材料を売ってくれと」
「さすがは久秀殿、もうアップルティーに目をつけたか」
「あっぷるてぃーですか?」
「林檎紅茶を南蛮の言葉にすると、アップルティーなんだ」
「なるほど、そうなのですか」
今日子と一緒にお市と葉子も調理を行っていたが、初めて作るアップルパイに少し苦戦しているようだ。
葉子は、アップルパイと一緒に焼き林檎も作っている。
紅茶に夢中の松永久秀がアップルティーなるものの存在を嗅ぎつけたようで、林檎を、それも紅玉を売ってほしいと言ってきたと教えてくれた。
津田家の自動農園には、保存が利きそのまま食べるのに適している『ふじ』の後継種と、製菓材料に適してる『紅玉』の後継種が栽培されており、それらの苗木を現在増やしている最中であった。
他にも、試作でジュース、シードルやカルヴァドスなどのリンゴ酒、ジャム、りんご酢なども作られていたが、これらの量産は林檎の生産量を増やさなければいけない。
まだ大分先であろう。
「みっちゃん、焼けたよーーー」
「楽しみだなぁ、アップルパイにホイップした生クリームを載せて食べる……アイスクリームでも美味いんだ」
光輝は冷蔵庫からアイスクリームを取り出して、アイスクリーム載せバージョンの方も楽しんだ。
津田家の人間にしか使えない江戸城奥の台所には大きめの冷蔵庫が置かれていて、家の人間は自由にジュースやアイスクリームを取り出して食べられるようになっていた。
「生クリームの方も美味いな」
肉を取る和牛の生産はまだ試験的なもののみであったが、乳牛から乳を取る酪農の方はかなり進んでいた。
おかげで、チーズ、バター、生クリームの量産も始まっており、洋菓子が津田家でもよく作られるようになっている。
「羽柴家に嫁ぐと、こういう物は食べられなくなっちゃうのは残念」
光輝と一緒におやつを食べていた茶々姫は、冷蔵庫がないのは不便だなと言いながらアップルパイを食べていた。
「持っていけばいいじゃん。冷蔵庫」
「父上、いいのですか?」
茶々はお市の若い頃に似た美少女になっていたが、信長の姪でもある。
いくら仲がいい羽柴家にでも、津田家が技術を独占している冷蔵庫を持って行って大丈夫なのかと心配してしまった。
「むしろ、複製できたら凄いけど」
「そうですね……」
茶々から見ても、自分の父光輝は不思議な存在であった。
優しいがそんなに凄そうには見えないのに、冷蔵庫の他にも沢山の独自技術を持っている。
お日様の光をキラキラ輝く鏡のような物に当てて、そこから冷蔵庫の動力を取るという説明を聞いても、茶々には意味不明であった。
羽柴家の人間に説明しても、わかってもらえないかもしれない。
「小さいのを嫁入り道具に持っていけばいい。そこに入れる物はあまり送ってあげられないかもしれないけど」
「ありがとうございます、父上」
「旦那様、あまり茶々を甘やかさない方が……」
「小さな冷蔵庫くらいいいじゃないか」
茶々の母親であるお市が娘を甘やかすなと光輝に注意するが、彼が娘に甘いのはいつもの事であった。
「ただ、中身の仕送りはそんなにできないから、冷やす物は自分でも作るんだよ」
「はい」
津田家の娘達は、みんな料理を覚えさせられている。
今日子が『奥さんが料理が上手だと、旦那さんと上手くいく確率が上がるから』と、半ば強制的に指導していたからだ。
「ううっ……茶々が嫁に行ってしまうなぁ……」
羽柴家は、光輝が織田家家臣の中で一番仲がいい家であったが、やはり父親としては色々と心配になってしまうのだ。
「他の娘達は、領内に嫁ぐからいいけど……」
今日子の産んだ絵里姫は岸嘉明に、お市の産んだお江は井伊直政に、初は本多正純に、雪は武藤信幸に、弓は山内一豊の嫡男辰之助に、葉子の産んだ優は日根野弘就の嫡孫吉明に、岬は堀尾吉晴の嫡男金助にと。
大半はまだ婚約のみであったが、その多くを家臣の子息達に嫁がせる事が決まっていた。
「愛も出羽に行ってしまうし……寂しくなるなぁ……でも、葉子の三人目が娘だったらいいなぁ」
現在、葉子は三人目の子供を妊娠中であった。
光輝は、娘ならいいのにと思ってしまう。
「旦那様、お腹の子供は元気なので男の子かもしれませんよ」
「そうだとしたら、俺が釣りを教える」
「みっちゃん、本当に釣りが好きねぇ……下手だけど……」
もうとっくに二人の息子達に腕前は抜かれていたので、光輝は生まれてくるのが男の子なら釣りを教えられると思ったのだ。
「男の子でも女の子でも、元気に生まれてくれればいいのさ」
「そうですね、旦那様」
それから数か月後、葉子は無事に女の子を出産した。
後にその娘は、不破光治の嫡孫光昌に嫁ぐ事となる。
「久太郎、この林檎の汁は美味いな。林檎ぱいとやらもサクサクして素晴らしい。じゃむは、焼いた餅に塗って食べるときな粉とは違った味わいになる」
石山で精力的に執務をこなす信長は、光輝から贈られた林檎や林檎製品をおやつの時間に堪能していた。
時間と距離の関係で、アップルパイは実は秀政が調理したものである。
最初は『お菓子は難しいのでは?』と思った秀政であったが、思ったよりも上手く調理できたようで、彼の名人伝説に新しい一ページが加わった。
「(始めは男が料理などとはと思ったが、意外と面白いな。料理は……)」
最初は仕方なく作っていたが、最近では料理が趣味になりつつある秀政であった。
「ところで、一つ久太郎に相談がある」
アップルパイを食べながらであったが、急に信長が真剣な目つきになる。
それを察した久太郎は、すぐに表情を仕事モードに戻した。
「信房が出羽を統治する。村井清次、小倉松寿、菅屋勝次郎、猪子一時を付けるが、久太郎に筆頭家老を任せたいのだ」
秀政は、なぜ信長が相談などと言ったのかを理解した。
側近衆である自分が、いかに大領とはいえ信房の陪臣に転落してしまう人事であったからだ。
禄は少ないが織田家の中枢で権限を持つ側近衆としてこのまま活躍するか、信房の筆頭家臣として出羽で采配を振るうか、ここが人生の分かれ道というわけだ。
「……出羽に参りましょう」
秀政は、信房の筆頭家老になる道を選んだ。
「すまぬな」
「いえ、出羽は楽しそうではないですか(今日子殿に新しい料理を教えてもらおう……津田領産の産物も手に入るか……)」
そう考えると、悪い話ではないと思う秀政であった。
「久太郎の後任の側近衆には、三右衛門を当てる」
「ありがたき幸せ」
三右衛門とは秀政の従兄である堀直政の事で、秀政と同じく有能な人物として有名であった。
「出羽に赴く前に、三右衛門と引継ぎをしておいてくれ」
「ははっ!」
こうして、秀政は織田信房の筆頭家老として出羽に赴く事になった。
「(長いようで短い、側近衆としての日々であったな……)」
などと秀政は、過去の事を思い出しながらしみじみとしていたが、続けて信長から命令が下る。
「今までに久太郎が調理した料理の方法やコツなどを、うちの料理人にも伝えておいてくれ」
秀政は、得意になりつつある料理でも仕事の引継ぎをする羽目になり、出羽入りが遅れてしまう。
「久太郎、やはり側近衆ともなると引継ぎが大変なのだな」
予定よりも出羽入りが遅れてしまった秀政に、信房が労いの言葉をかける。
だが、実は実務の引継ぎよりも料理の引き継ぎの方に時間をかけていましたなどとは、信房には絶対に言えない秀政であった。




