第五十一話 織田信房の江戸入り
「義父上、よろしくお願いします」
「ほら、みっちゃん」
「よろぴく」
「よろぴくじゃないよ! いい年して子供みたいに捻くれないの!」
光輝は、もう少しで四十になる。
数え年齢でいえば、もうとっくに四十だ。
長女愛姫が十七歳、数えで十八歳になったので、信長から婿を紹介された。
信長の五男にして十四歳になる織田信房で、年齢は愛姫の方が年上であった。
娘を嫁にやりたくない光輝は、その点を信長に言って無駄な抵抗をしたのだが……。
『ミツ、今日子もお前よりも年上ではないか』
と信長から言われてしまい、渋々ながら受け入れざるを得なかった。
光輝は娘が畿内に行ってしまうと嘆き悲しんだのだが、何と信長は信房を江戸に婿入りさせた。
江戸城内で信房が挨拶をしているのだが、これには理由がある。
現在、東北北部で暴れている伊達政宗を駆逐後に、信房を出羽に移封するためであった。
なぜ五男でしかない彼なのかというと、出羽は織田家が完全な津田家方式で領地を運営してみるというテストケースの場となっていたからだ。
領主は信長の五男という微妙な身分にあり、彼の家臣達も似たような立場の者が多い。
信房の領地がお隣である出羽なのと、信房と愛姫が結婚したので、光輝は信房の義父として彼を助ける事になる。
そのせいで光輝は度々出羽に赴かないといけないので、定期的に娘に会えて好都合というわけだ。
「婿殿、我が娘愛をよろしく……ちっ!」
「舌打ちしないの! いいお婿さんでしょう!」
少し年下であったが、信房は織田家の子息の中でも背が高かった。
言い方は悪いが、信長が『ミツと今日子みたいに子供を大きくできないか?』と、今日子から食生活や生活習慣を聞いて、それを実践させて成果が出た子供であったからだ。
五男なので実験的に育ててみたともいうが、実に信長らしい子育ての方法であった。
「よろしく」
結局光輝は、これしか言えなかった。
実は去年、嫡男の太郎が元服して信輝と名乗っており、信長が烏帽子親を務め、それと合わせて婚約者である信長の娘冬姫も嫁いできた。
お市もそうだが、織田家の女性には美人が多い。
信輝は大喜びだし、光輝も嫁が来るのは悪くないと思っている。
だが、娘に婿がくるとなると、父親としては気に入らないというか心配になってしまうのだ。
「みっちゃん、お嫁さんに何かないの?」
「特にないかな。俺は今日子みたいに嫁いびりとかしないし、我が家だと思って気楽に過ごしてね」
「そんな事は、私だってしてないでしょうが! どさくさに紛れて何を言っているのよ!」
愛姫の件でどこか腹の虫が治まらなかった光輝が余計な事を言い、今日子から怒鳴られてしまう。
「噂どおりに、津田家の影の実力者は義母上なのか……」
無事に婿入りした信房は、絶対に今日子には逆らわないようにしようと心に誓うのであった。
とにかくも、出羽領主となるべく織田信房の努力の日々が始まった。
まだ出羽は他の大名家の物であったので信房主従は暇だったが、津田家は基本的に人手不足なので、信房ですらお客さん扱いされない。
付けられた家臣達は、みんなあちこちに回されて仕事を覚えさせられた。
自分達は信房の護衛だと文句を言うと、『お前、信房様が出羽を拝領したら信房様の護衛だけして生きるつもりか? 統治や軍の整備とか色々とあるんだがな。外様に任せて、ずっと護衛だけしているのか?』と光輝から言われてしまい、顔を青ざめさせながら仕事をこなしている。
信房自身も、若手に混じって色々な仕事をやらされていた。
「少し変わっていますけど、要は慣れですから」
信房と一緒に仕事をこなしているのは、光輝の嫡男信輝であった。
冬姫と婚姻をした信輝であったが、今は若いので色々と仕事をやらされている。
津田家の嫡男なので家臣の子息達が御付きで付いていたが、彼らも自分の仕事が忙しいのでそう手助けなどしてくれるはずもない。
それでもまだ慣れない信房の補助をしてくれるのだから、信輝は相当に優秀な人物なのだと信房は気がついた。
「(考えてみれば当たり前か……あの津田光輝と今日子の子供なのだからな)津田家の嫡男なのに大変ですね」
「母がうるさいですからね。『てめぇ、血筋のよさだけで人生渡れると思うなよ!』と、普段からこんな感じです」
信房は、やはり津田家の影の支配者は今日子なのだと再確認した。
自分の母親なら絶対に言わない言葉だからだ。
「一か月もすれば慣れますよ」
信輝の傍には、岸孫六こと嘉明、井伊万千代こと直政、本多正信の嫡男正純、武藤喜兵衛の子信幸、田村光顕兄弟など。
多くの家臣の子供達が一緒に下働きをしている。
元服までは毎日屋敷に通って一緒に勉強や鍛錬をしたり遊んだりした仲なので、彼らが信輝の代で重用されていく仕組みになっているわけだ。
「今日は、河川で工事です」
信房は、信輝達と共にツルハシで地面を掘り、モッコで土を運んだり、コンクリートをこねて枠に流したりして一日を終える。
数名の人足に指示を出してみたり、調理の手伝いや配膳も手伝ったりと、織田家にいた時ではあり得ない事もさせられた。
『あくまでもさわりだけです。下に命令を出す時に、どんな作業があるか知っているだけでも役に立ちますから。知らない事を人に命令できないでしょう?』
信房達の指導をしている、日根野弘就の三男弘正が下働きまでさせる理由を説明する。
津田家での教育は、織田家での教育内容とまるで違った。
とにかく色々とやらされて、なぜそれをやらないといけないのかがすべて理論的に説明されるのだ。
「走れぇーーー!」
「「「「「はいっ!」」」」」
勿論、軍事訓練も組まれている。
基礎体力訓練に、行軍、鉄砲や銃剣を始めとする各種武器の訓練も実地形式で行われる。
担当教官である渡辺守綱は、津田家に仕官してから様々な事を学び、今は次期当主や幹部候補の訓練を任されるまでになっていた。
人は彼を『鬼教官』と呼んだ。
戦場では、数多の敵を討った前線部隊長でもある。
「遅い! もっと早く走れ!」
「「「「「はいっ!」」」」」
信房や信輝にも守綱からの罵声が容赦なく飛び、厳しい訓練が毎日続く。
「旦那様、おかえりなさいませ」
信房が家に戻ると、正式に婚儀をあげた愛姫が待っていた。
「旦那様、お風呂にどうぞ」
汗まみれ、泥まみれなので信房は風呂に入り、あがると食事が出て、それを食べると泥のように眠ってしまう。
翌日以降も、書類仕事の補助や、領民の陳情を聞いたり、開発のための測量に出かけたりと、忙しい日々を送った。
「違う意味で厳しいな」
信房は織田家の五男なので、子供の頃から厳しい教育を受けている。
だからそれなりに自信があったのだが、津田家の教育は効率を突き詰めて、更に厳しく密度があるような気がするのだ。
「収穫が終わると、従軍は出来るみたいだね」
「本当か? 信輝」
毎日一緒にいたので、信輝と信房はすっかり仲良くなっていた。
互いに気安い口を利くようになっている。
「父上達が、伊達家の情勢を掴んでいるようだよ」
「伊達政宗、伊達家希望の新当主か……」
「父上のせいで、色々と困難に直面しているようだけど」
「みたいだな」
光輝は、今年の収穫後に伊達軍が米沢奪還の兵をあげるべく、南部家や大浦家にまで外交を展開している事実を風魔小太郎から掴んでいた。
信輝は、光輝経由でその話を聞いていたのだ。
「初陣か……頑張らないとな」
「いよいよ、その時が来たというわけだね」
その後も、信輝と信房と家臣の子弟達は、秋の収穫の時期まで厳しい下働きや訓練を続ける事となる。




