第四十九話 伊達政宗の奮闘と津田家仕官事情
「叔父御、我らへの援助、相すみませぬ」
「いや、構わぬさ」
最上義光は、目の前の甥伊達政宗の存在を心の底から迷惑だと感じていた。
それでも、昔は妹義姫の子だから可愛いと思っていたのだ。
それが変わったのは、元服したての十二歳とは思えないふてぶてしさと、初陣にまつわる出来事で最上家までもが迷惑を蒙ったからであろう。
父親の輝宗も同罪だが、なぜあそこまで戦力差がある津田家に初陣で挑んだのか理解に苦しむ。
北部にある最上領を攻めるわけにはいかないのはわかるが、せめて相談してくれれば天童、寒河江、白鳥、鮭延などいくらでも戦の相手はいたのだ。
初陣なのだから、誰も過剰な期待などしない。
適度に勝って名を挙げる事こそが重要なのだから。
それを無謀にも津田家に挑んで、今度は領地をすべて奪われた。
伊達一族、家臣とその家族など、数千人への援助で最上家の身代が今にも倒れそうであった。
加えて政宗が、『伊達家の正統として、その力を回復させる!』と大々的に周囲に宣伝した。
名門伊達家の知名度は奥州中に行き渡っている。
津田家に領地を追われて他領に逃げ込んでいた連中が集まってきて、彼らへの援助で最上家の財政が更に傾いた。
義光は怒りを隠すのに精一杯であったが、どうやらダラダラと居候をするつもりはないらしい。
それだけは救いであり、政宗の狙いは小野寺氏、戸沢氏、安東氏などの領地であった。
「しかし、本当に落とせるのか?」
ある程度は兵糧などを援助したが、これも量に限界がある。
津田家のように、最上家は富裕ではないからだ。
「あとは、自力で何とかします」
「そうか、無理をするなよ」
とは言いつつも、義光は政宗に頑張ってほしかった。
もし失敗して戻ってこられたら、今度こそ本当に最上家の財政が倒れてしまうからだ。
「今無理をしなければ、伸長する津田家には対抗できませぬ。必ずや北奥州を平らげ、津田家と決着をつけてみせます」
義光は、政宗の根拠がない自信が少しだけ羨ましくなってしまう。
これが若さなのかと、自分が政宗と同じくらいの頃にここまで野心的だったかと、義光は考えてしまうのだ。
自分ではまず言えない無謀な夢、それでもその無謀に立ち向かえる政宗の若さが義光には羨ましかった。
今現在の、倒れる寸前の最上家の財政を考えると、それ以上に甥に対する文句がいくらでも出てくるのだが。
「それでは、吉報をお待ちください」
「心から成功を祈るよ」
政宗は一族、家臣と共に北上して、小野寺家の所領に襲い掛かった。
まさかの襲撃と、もう後がない伊達軍の猛攻に、小野寺家の当主義道は呆気なく討たれて横手城も奪われている。
小野寺義道は短慮な部分もあるが、猛将として知られている。
それを一戦で屠るのだから、政宗は尋常ではない力量を有していると義光は気がついた。
政宗は小野寺家に続いて、戸沢家の領地へと北上を開始した。
戸沢家も、若干十三歳の当主盛安が家督を継いだばかりであり、両者は激しい戦を行う。
智勇に優れた盛安は陣頭に立って奮戦し、局地的な戦では何度も伊達家側を圧倒した。
だが、そこを政宗に付け入られてしまう。
密かに伏せておいた伊達家鉄砲隊による狙撃によって盛安は負傷し、この傷が元で盛安は命を落としてしまった。
急遽、病弱なために当主候補から外され出家していた盛安の兄盛重が当主を継いだが、戸沢家は纏まりに欠け混乱するばかりであった。
あっという間に角館城を落とされ、戸沢家も滅亡してしまう。
これに慌てた浅利家が由利十二党と共同で兵を出すが、これも徹底的に政宗に討ち破られ、伊達家に降ってしまった。
この間、わずか二か月あまり。
世間は伊達家の嫡男政宗の実力に驚嘆した。
この功績を見届けた伊達家の当主輝宗が政宗に家督を譲る事を決め、安東氏などの北奥州諸侯は伊達家の脅威に晒される事となる。
「頑張れよ、政宗君」
「殿もお人が悪いですな」
「いやいや、正信ほどじゃないって」
光輝が、政宗以下の伊達家の面々を無罪放免にした理由。
それは北奥州で暴れてもらい、後の津田家による北奥州併合でかかる手間を減らすためであった。
「某は、名門伊達家のご落胤なのです。この脇差と家系図が証拠の品です」
「……そうですか」
堀尾方泰は、津田家の内政を取り仕切る堀尾泰晴の弟である。
地味ながらも津田家の拡張に貢献し、今は兄泰晴の補佐と合わせて新規の人材登用の責任者でもある。
主君光輝やその妻今日子、弟の清輝とも相談して今の人事制度の基本を構築した。
津田家は、家臣の家柄にはあまり拘らない。
能力があれば仕事を任せる方針だが、能力があっても獅子身中の虫となる者も多いので、そういう者の排除は風魔小太郎の仕事となっていた。
名門の出、貴種であるという点も、光輝は否定はしない。
能力の一つだと割り切って津田家に居場所を見つける柔軟な者なら、構わずに採用した。
これには、南常陸で佐竹家と争っていた小田氏なども入る。
関東を制しようとする津田家に脅威を感じ、北条家の誘いに乗って兵を出した当主氏治は敗走し、佐竹家と共に領地を奪われて没落した。
家臣で討ち死にした者も多く、小田家の再起は難しいと判断したのであろう。
素直に津田家の家臣となり、江戸に屋敷を構え、氏治の子供達も警備隊の指揮官として活躍している。
勿論旧領の奪還を目指して蜂起を繰り返し、既に滅んでしまった名家も多かったが。
そして、あとは大量に訪れる、このようなご落胤を自称する者達であろうか。
怪しげな証拠にしか見えない家紋入りの脇差に、ねつ造が大いに疑われる家系図。
少しでも有利な条件で雇ってもらいたいと願っての行動なのであろうが、方泰の返答は冷淡であった。
「よほど特別な事情がなければ、試験採用から始めていただきます」
感状があれば参考にはするが、なくても津田家では特に気にもされない。
基本的な筆記試験にさえ合格できれば、農民だろうが商人だろうが最下級の家臣にはなれる。
そこから一年ほどで色々な仕事を経験し、適性のある部署に配置される仕組みだ。
「能力を示してもらえれば、すぐに奉行や家老にもなれるのが津田家ですので」
他の大名家ではあり得ない人事システムであったが、津田家は勢力の伸長が早すぎて常に人材不足であった。
有能な幹部クラスの人材も必須だが、通常の業務を行う下級官吏や下級将校の大量補充が急務であった。
別に武士でなくても構わず、領内の寺などに委託して作った学校で優秀な成績をあげた生徒を推薦する仕組みまであった。
「仕官希望者が多いし、変なのも多くて難儀するが、たまに優秀な者も来るからなぁ……」
最近では特に、畿内からの仕官希望者が多かった。
急に勢力を伸張したのは織田家も同じであり、そちらに仕官する者も多かったのだが、逆に織田家を嫌がって津田家に仕官する者もいたのだ。
「何か、最近近江出身の仕官希望者が多くないか?」
「現在、北近江において騒動が起きておりますれば」
「いたのか! 小太郎!」
声を出すまでその存在に気がつけなかった小太郎に、光輝は驚いてしまう。
二メートルを超す巨体を持つのに、気配の消し方が尋常ではなかったからだ。
「長政殿がか? あれほどの人が家内で騒乱?」
一度は隠居したはずの父久政にクーデターで政権を奪われて幽閉、信長に帰順したが北近江の領地は没収された。
だがすぐに活躍して、北近江のみならず、若狭、丹後も攻め落として与えられている、信長お気に入りの義弟であったはず。
「大殿のお気に入りだからこそ、揉めているのですよ」
長政には二人の男子がいる。
離縁した最初の正妻平井定武の娘が産んだ嫡男幼名万福丸、今は曽祖父亮政の名を継いで名乗っていた。
次男は今の正妻乃夫が産んだ万寿丸で、もうすぐ元服する予定であった。
「長政様は亮政様を嫡男として扱っていますが、万寿丸様は大殿と血を分けた甥御です。心情としては、万寿丸様に浅井家を継いでもらいたいのは当然です」
小太郎によると、信長本人はそれを決して口にせず長政に気を使っている。
ところが、家臣達の方が信長の心情を酌んで勝手に争いを始めてしまった。
「浅井家の家臣は、一度所領を奪われたり、織田家の直臣にされたりしましたからな。また同じ事にならないように、万寿丸様を後継者として大殿の機嫌をとろうとしているのでしょう」
それに反発して、亮政こそが浅井家の後継ぎだという者は古参が多いそうだ。
「例え織田家にでも、ハッキリと自分達の意志を通す事が重要だそうです」
亮政を推す家臣達も、今さら織田家に逆らおうという気持ちはない。
ただ、いくら服属していても譲れない線があると主張しているわけだ。
「亮政様は初陣の丹後攻めで、大活躍をされたそうで」
いきなり兜首を取り、小勢ではあるが軍勢の指揮も上手く行い、信長はその戦いぶりを褒めて後に太刀を贈っている。
信長も亮政が疎ましいわけではなく、むしろその若武者ぶりを気に入っていた。
「万寿丸様は少し病弱だとかで、それがよくないのかもしれませぬ」
武家の棟梁である以上は、武勇に優れた亮政の方が跡継ぎに相応しいと考える家臣も多く、これが浅井家中を分裂させていた。
「難しい問題だな」
「その余波で、逃げ出してきた者が多いのです」
小者や、元は浅井家と対立していた国人衆の一族の者も多いらしい。
石田正継、正澄、佐吉親子、長束正家、直吉兄弟、富田知信、片桐且元、貞隆兄弟、脇坂安治、石川一光、頼明兄弟、藤堂高虎、田中吉政、木村重茲、速水守久、大谷吉継など。
他にも沢山いて、光輝は念のため長政に手紙を書いている。
長政は内紛の処理で忙しく、しかも仕官希望者がみんな小者だったので特に咎め立てはなかった。
もう一つ大きな原因があった。
長政は、父久政と彼に組する家臣達に押し込めをされ、そのせいで一度領地を失っている。
二度とそのような事態にならないよう、家臣団の統率を強化する一環で反抗的な地侍や国人衆の領地を奪っていたのだ。
自分に忠実な家臣に領地を与えても、その地に彼らに従順でない地侍達がいれば統治や軍の徴発などで支障を来してしまう。
一向宗に組している者達も多かったので、かなり強硬な手段で彼らを排除している。
彼らはその被害者でもあった。
そんな彼らも、津田領では銭をもらって働くしかない。
有能な者も多く、おかげで光輝は不足している人材を上手く補充する事ができた。
彼らは教育の後に各部署に配置され、後には津田家を支える人材も多く現れる。
「父上、故郷を追われた我らですが、このような新天地があったとは」
「しかも、ほとんど譜代の家臣がおりませぬ。筆頭家老の堀尾様でも、まだ二十年も仕官しておらぬとか。我ら石田家も、頑張り次第では重臣の席に座る事も可能ですぞ」
石田佐吉と正澄は、父正継と共に将来の夢に希望を馳せた。
「らい病ですか? 私が……」
津田家では、雇い入れ時と年に一回の健康診断がある。
石田家の人々と同じく近江から仕官した大谷吉継は、ある女医の前でらい病に感染していると告げられた。
「そんな……」
吉継は、大きなショックを受けていた。
もしこのまま発病してしまえば、自分はどこにも仕官できなくなってしまうと。
武士としての将来を閉ざされたのに等しかったからだ。
「このお薬をちゃんと飲んでね。量と一日に飲む回数を間違えないように。水かぬるま湯で飲んでね。お茶で飲んじゃ駄目だよ」
「はあ……」
女医の正体は、光輝の妻今日子であった。
いつもは教育を受けた弟子達に任せているのだが、今日はたまたま時間が空いていたので雇い入れ検診に参加し、吉継の担当となっていたのだ。
「あの……私は追放でしょうか?」
「えっ? 何で?」
「いや、私はらい病持ちですから……」
らい病患者は、どこでもいい顔をされない。
伝染するのを恐れられて、隔離されても文句は言えない存在であった。
「まだ発病していないから滅多に人には染らないし、薬をちゃんと飲めば治るから問題ないわよ。ただ、治るまでは江戸のみで仕事をしてもらうし、来月にまた診察に来てね。所属先の上役にも連絡しておくから」
「はい……」
「じゃあ、お大事に」
薬を渡されて診察室を出た吉継は、わけがわからなかった。
らい病が治るなんて聞いた事がなかったからだ。
「新入り、何か病気か?」
診察室の外で立っていると、先に仕官したと思われる中年の武士に声をかけられれる。
「はい……私はらい病だと……」
「薬を飲めばすぐに治るじゃないか。俺なんて労咳でさ」
「大丈夫ですか?」
労咳も完治はしない死の病だ。
吉継は、自分の病気の事も忘れてその中年武士を心配してしまう。
「薬を飲む期間が長いから面倒だけどな。薬を飲まなかったり、自分の判断で飲むのを止めると重症化するから気をつけないといけないらしい」
「労咳が治るのですか?」
「ああ、津田家中では治るな。羽柴様のところの、竹中様も完治したみたいだし」
吉継は、自分が物凄い大名家に仕官できたのだという事に気がついた。
「らい病、疱瘡、労咳はいいんだよ。今日は、奥方様が診断しているだろう?」
「あの方は、奥方様なのですか?」
吉継は驚きを隠せなかった。
まさか、あの女医が津田光輝の正妻今日子だとは思わなかったからだ。
「奥方様は、有名な医者でもあるからな。話を戻すが、あの方が診察している時にあの病だととんでもない事になる」
「とんでもない事ですか?」
「ああ」
そんな話をしたからなのか?
診察室から、今日子の怒鳴り声が聞こえてくる。
「奥さんに染るだろうが! 変な女と遊ぶなって通達を出しているでしょう!」
「あれは?」
「だから言ったのに……変なところで遊んで古血をもらったな。奥方様の診察で知られると物凄く怒られるのに……」
古血とは梅毒の事であり、これも吉継が知る限りでは不治の病であった。
「古血も治るけど、奥さんや子供に感染するから、殺されるんじゃないかという勢いで怒られるのさ。あいつは運が悪かったな」
弟子の男性医者だとここまでは怒られない。
だから不運なのだと中年武士は言う。
「奥さんと子供を連れて来い! あんたのせいで感染していたら命に係わるでしょうが!」
「怖い方ですね」
「普段は優しい方なんだが、絶対に怒らせるなよ。腕自慢の大男でも簡単に倒されてしまうからな」
津田家においては、当主の光輝よりもその妻である今日子の方が恐れられていた。
医者としての名声以上に、武人としての強さが有名であったからだ。
今日子は、梅毒に感染した者に容赦がなかった。
女子供に優しい彼女からすれば、梅毒が妻や子供に感染する事が許せなかったのだ。
「羽柴様とか、その下にいる加藤様とか、前田様のご子息も、奥方様にこってり絞られたらしい」
羽柴秀吉は、現在甲斐の統治をねねに任せて自分は播磨にいる。
その時に遊女と遊んで梅毒をもらったらしく、同じく感染した小姓の加藤清正と共に激怒した今日子に怒られて畳に額を擦りつけて謝ったと噂になっていた。
『ねねさんに染ったらどうするんだ! 殴るぞ! このサル!』
『すみません!』
『女遊びなんて十年早い! わかったかこのクソガキ!』
『はいっ!』
二人はこれ以降、今日子に頭が上がらなくなってしまった。
なお、この顛末を聞いた信長は大笑いしたそうだ。
『武士ならば、抱く女の用心も必要であろう。サルとその小姓が悪いわ』
と言いつつも、実は信長も自分も気をつけようと思っていたらしいが。
「凄いところなのですね。津田家は」
「頑張れば家柄に関係なく出世できるらしい。俺には大した才能もないが、お前は頑張れよ」
「はい」
無事に病気が完治した吉継は仕事に励み、後に津田軍全軍を統率する大将として活躍する事となる。




