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第四十八話 伊達家御曹司の初陣

 天正六年、石山を陥落させた織田家は領内の統治や開発、新たな侵攻作戦のための軍の再編成、家臣達の再配置などを行っていた。


 播磨をほぼ制し、備前、美作への侵攻を目論む羽柴秀吉。

 丹後を制し、毛利方に組した山名氏が治める但馬へと侵攻を目論む浅井長政。


 丹波を制し、南近江坂本と共にこれを与えられた明智光秀は、信長の命令で四国侵攻作戦の準備を行っていた。

 摂津衆を率いる信長の次男信雄を総大将として、それを補佐する副将格、実質的には総大将格として、淡路経由での侵攻作戦の準備を行っている。


 和泉、河内を領する丹羽長秀は、石山跡地に安土に続く本拠地となる巨大な城の建設を任され、大和を領有し畿内の安定化という職責を与えられた滝川一益と共にこれにまい進している。


 信長の嫡男信忠はこの度正式に織田家の家督を譲られ、美濃と尾張を所領として岐阜に本拠地を置いた。

 越前の柴田勝家、加賀の佐々成政、前田利家、飛騨の金森長近と共に信長がもっとも恐れる上杉謙信の監視と、状況に応じて四国と中国地方への援軍を担当する事になる。


 北信濃の森可成、南信濃の河尻秀隆、毛利秀頼にも同じ役割が与えられており、いかに謙信が恐れられているかの証拠となっていた。


 光輝は、定期的に船で堺や京に行って信長に頼まれた用事をこなし、あとは獲得した広大な領地の統治に腐心していた。


「最近、伊達家は大人しいな」


「まあ、敗北に続く敗北で支配領域が大幅に縮まりましたからね」


 光輝は江戸城の執務室で、本多正信の報告を受けながらのん気にお茶を飲んで、羊羹を食べていた。

 正信も、美味しそうに玄米茶を飲んでいる。

 健康にもいいと光輝から聞き、正信は好んで玄米茶を飲んでいた。


「名門伊達家のご威光かぁ」


「最初は効果があったのですがね……」


 津田家に敗北して米沢城を囲まれた伊達家は屈辱的な講和を受け入れざるを得ず、出羽国置賜郡のみが領地の小大名へと転落した。

 伊達輝宗は、旧伊達領の地侍勢力を扇動して一揆を起こさせたのだが、蜂起しても容赦なく鎮圧され、津田家の統治が領民達に素晴らしいと思われると、じきに誰も一揆を起こさなくなった。


 地侍達は諦めて津田家に仕官、銭侍になってしまったが実入りは良くなったので、今では旧伊達領どころか、大崎領、葛西領、相馬領などの領地も安定している。


 みんな、一揆など起こす暇があったら開発に参加して豊かになるか、津田家で出世した方が建設的だと気がついてしまったのだ。


 伊達領の北には最上領があるが、そこの当主義光も津田家のせいで割りを食った格好だ。

 正確にいうと、織田家と争うのを辞めた上杉謙信のせいである。

 彼は、越中、能登、越後、南出羽の開発を進め、余裕があると出羽に侵攻して領地を広げている。

 同じく出羽で領地を広げようとしていた最上義光は、謙信に散々に打ち破られて伊達家と同じく小大名のままであった。


 義光は優れた人物であったが、戦で謙信と戦って勝てるかといえば難しかった。

 


「それよりも、最近流民が多いですね」


「南部領からだろう?」


「はい」


 南部家は当主晴政の統治体制の下、『三日月の 丸くなるまで 南部領』と詠われるほどの最盛期を迎えていたが、津軽地方では大浦為信が石川高信を始めとする南部系豪族を攻め滅ぼし始め、必ずしも安定した状態ではなかった。

 浅利、安東、戸沢、小野寺、由利などの豪族達による小競り合いは常に行われ、それを嫌って津田領に逃げてくる者は多かった。


「まるで蟲毒だな。逃げて来た者達は保護してあげるように」


 津田家は今も開発中である。

 そこに移住させてあげれば恩を売れるし、長い目で見れば国力も税収も上がる。

 銭ならいくらでもあるのだから。


 中には流民に見せかけた間諜もいるのであろうが、そういう連中は風魔小太郎配下の者達によって密かに始末されていた。


 こうして津田家の人口と国力が上がり、残りの東北大名家は力を落としていく。

 伊達家や最上家をあえて残しているのは、東北各地にいるいまだ反抗的な連中を吸い寄せる存在だからだ。

 もう少し情勢が落ち着けば、彼らの役割も終わりになる予定だ。


 名門の威信よりも、豊かな津田家による支配を望むようにする。

 経済で戦争を仕掛けているようなものなので、正信は光輝をえげつないなと思っていた。

 勿論、歓迎すべきえげつなさであったが。


 津田家の家臣で、東北大名側の立場になりたい者など一人もいなかった。


「名門の出というのは武器になるけど、必ず勝てるわけではないからな」


「必ず勝てるのなら、滅ぶ名門はありませぬか」


「有利な武器ではあるから、上手く立ち回れば生き残れる。そういう賢い名門は俺は好きだよ」


 佐竹家のように、津田家に忠実に仕えて重用されている家もある。

 それを見習えと光輝は思っていたのだ。


 光輝の出自の不明さを嫌がって滅んだり、没落したり、抵抗を続ける名門大名家も多かったが、逆らえば逆らうほど困窮するという笑えない構図になっていた。


「義重は、仙台城代として上手くやっているかな?」


「工事は順調だそうです」


 取ってしまった以上は仕方がないと、光輝は旧大崎、葛西領に佐竹義重を置いて開発を進めさせていた。

 カナガワのデータベースを活用し、宮城郡千代城周辺を仙台と改名して大規模な港を作り、北上川の治水工事と周辺の新田開発を一気に進めている。


 津田家は大量の銭をばら撒き、農民達と農作業の合間に作業に動員、兵達もこれに参加させて開発の速度を上げていた。


「このまま平穏だといいんだけど……」


「それは難しいのでは? 伊達輝宗の嫡男梵天丸殿が、元服して藤次郎政宗を名乗りました。伊達家は家運が衰退しているのですから、初陣で戦果を挙げて家中の士気を高める必要があります」


「戦は北でやってほしいなぁ……」


 光輝の願いも空しく、伊達家の嫡男政宗の標的は津田領であった。

 三千人の兵を集めた伊達軍は、元は伊達領であった津田領内に侵入し、家を焼き、刈り田や略奪をしてその士気を上げる。


「あいつら、元は自分の領地だったのに頭がおかしいのか?」


「収穫前に三千人の兵を、今の伊達家が普通の方法で集められるはずもありませんから」


 領外での迎撃が間に合わなかった光輝は、伊達軍の行動に憤慨して佐竹義重に彼らの意図を聞いた。

 義重は、伊達軍は略奪や刈り田が褒賞だからこそ士気が高いのだと説明する。


「一郡でも残してやったのが逆に仇となるとはな。守綱、貞次、わかっているな?」


「「ははっ!」」


 光輝の指揮する本軍から離脱した渡辺守綱と蜂屋貞次の率いる軍勢が、挟み撃ちで伊達軍に攻撃を開始した。

 軍勢の数も、質も、鉄砲の数も劣る伊達軍は敗北して津田領内から叩き出され、再び米沢城が津田軍に包囲される羽目になる。


「このまま落城させてもよろしいか?」


 光輝からの使者に多くの将と兵を失ってしまった伊達家は屈し、最上家を頼って落ち延びる事を条件に米沢城と出羽国置賜郡を放棄、名門伊達家は一時雌伏の時を迎える事となる。

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