第四十七話 石山陥落
「もう少しだ……もう少しで石山は落ちる」
信長は、織田軍の本陣から一人石山を見つめていた。
毛利水軍の大敗により、石山への補給は絶望的となった。
夜陰に小舟で輸送を試みているが、織田水軍も無策のわけがない。
夜間も警戒を強めて発見した小舟を順次沈め、その荷を焼き、奪う事でほとんど届かなくしてしまう。
信長は石山の付け城を落とし、そこを自分達で再利用して包囲網を縮めた。
水軍は敗退したが、毛利家は何とか石山へと補給を行えないか思案している。
彼らが熱心な一向宗だからではなく、織田家が石山に集中している間は織田家の侵攻を鈍らせる事ができるからだ。
播磨からは羽柴秀吉、丹波からは明智光秀、丹後からは浅井長政と、三軍による侵攻で毛利家は危機感を募らせていた。
信長、信忠、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、徳川信康他、残り大半の将は石山を完全包囲し、大筒や鉄砲を一日中撃ち込み続けている。
石山の疲労は激しいが、尋常ではない抵抗のせいで織田方にも犠牲が多い。
信長の庶兄の織田信広、弟の信治、信興、秀成、叔父の信次、家臣の小瀬清長、佐治信方、平手久秀、山田勝盛、和田定利、万見重元、塙直政など多くの犠牲が出ていた。
光輝は、石山包囲には参加していない。
抑えたばかりの関東と奥州の統治に専念するのが優先だと信長から言われていたからだが、もし参加して勲功を挙げると功績が大き過ぎて他の将達から不満が出ると思われたのが最大の理由であった。
「徐々に、種子島の発射頻度が落ちておりますな」
「補給を絶ったからな」
一益の発言に、本陣で構える信長は笑みを浮かべた。
石山で防衛戦に参加している雑賀孫一以下雑賀衆には糞尿から硝石を作る技術があったが、毎日行われる射撃戦で必要な分をすべて補えるはずがない。
硫黄や木炭の不足もあり、徐々に鉄砲の発射頻度が落ちて織田軍よりも犠牲者を出し始めていた。
「兵糧も消耗が激しいはずです」
石山には、長島や織田領内で蜂起したが鎮圧されて逃げて来た一向一揆衆に、貧しい貧民なども多数参加している。
彼らは戦闘力に見合わない兵糧を消費する存在であり、丹羽長秀は石山が飢えるのは時間の問題だと信長に伝える。
「ミツもそう言っておったな」
「統計ですか……元商人らしいですな」
光輝は、石山に籠城する人員に、最初からあった備蓄物資の量と補給に成功した分を合わせ、どのくらいで兵糧が尽きるか推計を出して信長に提出していた。
その予想がほぼ当たっているので、光輝にその方法を教えろと信長は命令している。
他にも、津田家が領地支配に利用している綿密な会計や、徴税、戸籍の作成などのノウハウも得ていた。
織田家は支配領域が広がり過ぎて、これまでの方法では統治が難しくなった。
効率的な統治方法と、それを実践する官僚団の育成が急務であったのだ。
「既に、食料はほぼ尽きているとミツは言っておったな」
「石山へ大量に集まりすぎたのですよ」
人が大勢いれば、大量の食料を消費する。
加賀、長島などの拠点が落ちてしまったので、自然と逃げ出した敗残兵が石山に集まって来てしまったのだ。
「多すぎて、皆殺しというわけにもいくまい」
「退去勧告を出すべきでしょうな」
「再び蜂起されても面倒だが仕方がない」
信長は、一向宗に対して石山からの退去を命じる。
食料がないのは事実だったようで、まずは信仰心が薄い流民などが大量に石山から出てきた。
石山本願寺側も、食料を消費するのみの貧民を外に出して飢え死にを防ごうとしたらしく、彼らの退去を妨害しなかった。
「食料の消費を抑えるためか」
「各地に逃がして、再び蜂起を狙っている可能性もあります。ですが、無駄でしょう」
長秀は本願寺側の策を見抜き、その策は無駄だと断じる。
そして、彼の予言は当たった。
「お粥と着替えをどうぞ」
「怪我人と病人はこちらに!」
「関東で開発中の農地が欲しい者はこちらに。収穫が安定するまで二年間の年貢はなし。農機具を無料支給、農耕用の馬も二年間は無料で借りられるよ」
「商人、職人は、有利な働き口がありますよ」
石山から退去してきた流民達は、織田軍の近くで粥と着替えを配り、関東への移民を呼びかける武藤喜兵衛と三淵藤英によって大半が関東へと旅立っていった。
『貧しくて食えないから、死ねば極楽なんていう妙な教義に傾倒するんだ。食えれば、死ぬかもしれないのに一揆になんて参加するか』
光輝の言うとおりで、関東に移住した彼らは衣食住が保証されたために大半が二度と一揆には参加せず、農民、職人、商人などになって静穏な生活を送った。
石山本願寺は、彼らが畿内に散ってまた蜂起する事を望んでいたのだが、関東には一向宗の声も届かない。
結果的に、多くの信者を失ってしまう事になる、
「暫くは退去を呼びかけろ」
信長の命令で退去宣告は継続し、石山から段々と人が減っていく。
既に食料は尽き、残っているのは今さら退去や降伏など出来ないと考えている強硬派ばかりであった。
信長が得た情報によると、石山の主である本願寺顕如は次第に弱気になりつつあり、嫡男の教如が強硬派の坊官を取り纏め、数少ない穏健派の坊官達と対立状態にあった。
「大殿、いかがなされますか?」
「ここで下手に妥協すると、また犠牲が増えるやもしれぬ。狂信者ではない連中はミツが上手く連れ出した。残りの連中は教義に則って殉教させてやれ!」
信長の命令により、石山を包囲する織田全軍に総攻めの命令が下される。
これまで以上に砲撃が行われて石山本願寺の設備と寺院は破壊され、銃撃戦となって互いに多くの犠牲者が出た。
だが、弾薬が不足している本願寺側の被害が著しく増えていき、遂には自害をしたり、攻め入る織田軍を突破して逃走を試みる者も出始めた。
「これでは駄目だ! 俺は逃げるぞ!」
雑賀孫一は、生き残った家臣や仲間達百名ほどで石山からの離脱に成功する。
彼らの逃走先は西、毛利領であった。
「なぜ毛利なのですか?」
「今さら、織田やあの津田に降れるか! 必ずやあ奴らの額に銃弾で穴をあけてやる!」
雑賀孫一が悔しそうに吠える。
他にも少人数が脱出に成功したが、本願寺第十一世顕如やその家族は脱出できなかった。
「おのれ信長! 仏罰を受けるがいい!」
顕如は家族と共に石山本願寺の本堂にて自刃し、ここに独立勢力として栄華を誇った一向宗は一時消滅する事となる。
彼らが無事に再建を果たすのは、それから実に半世紀後の事であった。




