第四十四.五話 仙台視察と、贈り物
「義重様、殿が気仙沼付近の港で漁師達に命令を出しているそうですが……」
「ああ、それならば聞いている。何でも、とても美味しい物ができるそうだ」
「いえ、そういう事ではなくてですね……」
「護衛なら十分につけてあるし、食べ物の件で殿をお諌めするだけ無駄というものだ」
建設中の仙台城傍にある執務屋敷で、佐竹義重は部下から気軽に出歩く光輝の行動に対して苦言を呈された。
もし何かがあれば困るという事なのだが、義重は、護衛もいるし、光輝の行動を止めるだけ無駄だと断言している。
何しろ、光輝は食べ物の件で動いているのだから。
光輝という主君に慣れた義重は、彼の行動原理を理解しつつあった。
人間とは、どんな事にもある程度は慣れてしまうのだ。
そう、人間とは環境の生き物なのだから。
そしてその光輝であったが、彼は一部部隊を連れて気仙沼近くの漁港にいた。
「フカヒレ、アワビ、ナマコは、干物にすれば高級品となる。サンマも糠漬けかサンマ節に……佃煮、かば焼きなどにすれば……でもそうなると保存が……そうか! ここに缶詰工場を作ればいいんだ! 港の整備と一緒に急がせよう」
光輝は、独り言を言いながら気仙沼から揚がった海の幸を堪能していた。
ウニ、マグロ、アワビ、マンボウを刺身にご飯を食べている。
所謂、刺身定食を堪能していた。
他のおかずは、サンマを七輪で焼いた物があった。
大根おろしと酢橘汁と醤油をかけてから、焼き立てのサンマを口に入れる。
「カキとワカメの養殖も必要だな。カキは、焼き干し、燻製、オイスターソースでいいか。ワカメは塩蔵すれば長距離の輸送にも耐えられる。調理して瓶詰でもいいか。ウニとアワビがあるから、いちご煮にして瓶詰か缶詰に加工も……」
続けて光輝の前に、サザエの壺焼き、ホヤの味噌焼きが出てくる。
「独特の癖はあるが、ホヤも美味いな。サザエはもう言うまでもない。この内臓の部分の独特の苦みがまたいいんだ。ホヤは養殖可能だったな。塩辛と干物にして販売するか……」
続けて調理人が、茹でたメカブを刻んだだけのものを出す。
光輝は、醤油を垂らしてからよく混ぜ、削り節を振ってから食べる。
「気仙沼はカツオも獲れたな。カツオブシ工場も……カツオでツナが作れたよな。うーーーん、東北には漁港や漁港に向いている場所が多い。工場は分散するか」
ヒジキの煮物も出てくる。
これは、光輝の大好物であった。
「乾燥ヒジキなら、全国に売れるな。とろろコンブに、煮干し、海苔、アオサなども同じか。加工技術を競わせて、競争させる事で品質を上げるか……」
最後に、魚のすり身で作ったカマボコも出てきた。
光輝はワサビ醤油をつけて口に入れる。
「通常のカマボコの他に、笹かま、焼きカマボコ、竹輪もあるか。カマボコは日持ちがするからいいな。これも採用……おっと、缶詰と瓶詰があるのならば、松前漬け、鮭の水煮……水煮は中骨が柔らかいのがいいな……サケフレークもいいな。これは、ここでやる必要はないけど」
そしてデザートには、ずんだ餅が出てきた。
「このずんだ餅の風味も素晴らしい。これは、どこでも作れるよな。枝豆というか大豆を栽培すればいいのだし」
色々と考えながらであったが、美味しい食事を堪能し、いいアイデアも纏まった。
そう思っている光輝に、茂助、一豊が話しかけてくる。
「殿、腹が空きました」
「私もです」
光輝の独り言を聞いていた二人は特にお腹が空いたようで、その後の食事では彼らはお替りを連発するのであった。
「というわけで、大きな成果があったな。仙台視察は」
「ええと……食べ物の話しか、今のところは聞いていないのですが……」
「開発計画は従来の方針とさほど変わらないが、食べ物は各地で色々と違うからな」
「ええ、殿ならそう仰ると思いました……」
江戸城に戻った光輝から話を聞いた正信は、若干呆れていた。
だがいつもの事だと、早速開発事業に関する手配を始める。
「しかし、サメのヒレを干した物ですか? そんな物が美味しいのでしょうか?」
「それは完成を待つように」
というわけで一年後、津田家技術指導の下で、気仙沼の漁師達はフカヒレ、干しアワビ、干しナマコを完成させた。
早速試作品が江戸に送られてきて、それを見た正信は『こんな物が本当に美味しいのか?』と首を傾げている。
「これは干し物だからな。水で戻してから調理するから時間がかかるんだ」
「なるほど。世の中には色々な食材があるのですな」
そして三日後、調理されたフカヒレの姿煮、干しアワビの煮込み、干しナマコの煮込みが光輝達の前に並ぶ。
「美味しそうな気はしますな」
「別に嫌なら食わないでもいいぞ」
「いえ、これが津田領の特選品になるかどうか判断しなければいけませんから」
そう言いながら、正信は三品の試食を開始した。
基本的に正信がこの手の試食を断った事はない。
「……どうだ?」
データどおりには作らせているが、実は光輝もこれら三品を食べた事がなかった。
宇宙船員時代には、高価すぎて手が出なかったからだ。
「おいっ! 正信」
正信がぼーーーっとしているので光輝が揺らすと、正信はようやく我に戻った。
「殿、世の中にこんなに美味しい物があったとは!」
「やっぱり美味いのか!」
続けて光輝も試食するが、その美味しさに思わず我を忘れてしまう。
「高いのが頷けるな」
干すと縮むので大きな物しか使えないし、加工にも調理にも物凄い手間がかかる。
高価で当たり前かと光輝は思った。
「殿、これを明に輸出するとか?」
「物凄く高く売れると思うんだよ」
「確かに、そんな気がしますな」
こうして気仙沼において干し物の加工が始まり、フカヒレ、アワビ、ナマコの三品は大陸において高額で取引されるようになる。
「缶詰と瓶詰が実用化され、便利になった事がある」
「食品が長期間保存可能になったよね。行軍には便利だね」
「それもあるけど、贈り物にも便利じゃないか。このように」
「昔のお歳暮っぽいね」
江戸城内において、光輝と今日子は木箱に入った缶詰と瓶詰のセットを見ていた。
これは、津田家が懇意にしている人に贈り物として発送しようと、光輝が考案したものである。
「蝦夷産のタラバガニとホタテの水煮、サケの水煮、イクラの醤油漬け、カニミソ、サバ味噌煮、ツナ缶(カツオ、キハダマグロ)、サンマの蒲焼き、クジラ肉の大和煮、ブドウとモモのシロップ漬け……これらをバランスよく配合すると『季節のご挨拶セット』となる」
「これなら、腐る心配がないね。季節は関係ないけど」
「そこは言葉の綾で、中元や歳暮の代わりという事で」
津田夫婦は木箱に収まった瓶詰めと缶詰セットのできと見栄えのよさに満足し、早速これを贈る人員の選定に入る。
「秀吉殿、一益殿、長秀殿、利家殿、貞勝殿、光秀殿にもお世話になっているから贈ろう……勝家は贈るだけ無駄だからパス! どうせ嫌われているし。他の譜代もなぁ……あまり接点ないし……」
「みっちゃん、あとは側近衆と武井夕庵殿も講和の件とかでお世話になったから」
「側近衆か……忘れてたな。さすがは、今日子」
織田政権は、領地も統治機構も膨大なものになった。
こうなった時に力を持つのは、その官僚機構内で権限を与えられた側近衆となる。
禄や領地は少ないが、彼らは大きな権限を持っているからだ。
未来でいうのなら大物官僚と同じで、彼らの機嫌を損ねると大損をするのは、零細企業の社長であった光輝にはわかりきった事であった。
「菅屋長頼、矢部家定、堀秀政、長谷川秀一、長谷川宗仁、下石頼重、祝重正、平古種吉、松井友閑……このくらいか?」
「商売の関係もあるよね」
「となると、津田宗及、今井宗久、田中与四郎もか……」
商売で世話になっているからなと、堺の豪商達にも贈っておく事にする。
「早速、贈るか」
「そうね」
こうして、津田家から多くの人達に『季節の挨拶』が贈られた。
「兄上、津田様から贈り物みたいだ」
「律儀な方よな」
播磨において戦闘中の羽柴秀吉は、その時小寺家の家臣小寺官兵衛と交渉をおこなっていた。
秀吉が得意な調略により、彼を引き抜こうと考えていたのだ。
そこに小一郎が現れ、津田家から贈り物が届いたと報告してくる。
「官兵衛殿、貴殿はこの不利な戦況下で主家のために奮闘した。ここで降ったとしても、十分に義理は果たしたと思うが……」
「そうですね……」
官兵衛の姓は、元々黒田である。
主君小寺政職から小寺の名乗りを許されるほどの信用を得ていたが、今は政職と対立していた。
彼は、今回の畿内の騒乱は織田家が勝利すると予想し、政職に何度も織田方につくようにと説得をしていたのだが、それを受け入れてもらえなかったからだ。
緒戦は官兵衛の献策で織田方の侵攻を防いでいたが、秀吉の参加で防衛体制が完全に崩れ去ってしまった。
つまり、反織田連合などその程度の力しかなかったわけだが、それが理解できない政職に対する官兵衛の落胆は大きい。
それがわかる秀吉は官兵衛の調略を行い、それに官兵衛は悩んでいたというわけだ。
「小一郎、津田殿からの贈り物とか?」
「瓶詰め……兄上! 何か凄いぞ! 金属の筒に食べ物が入っているらしい!」
「ほえぇーーー! さすがは津田殿よな!」
秀吉はつい官兵衛の存在を忘れて、缶詰に夢中になってしまった。
調略の最中なのでこの行動は失敗のはずだが、逆に官兵衛は缶詰なる物に興味を持ってしまう。
「なるほど、こうやって開けるのか……」
缶詰のセットには、缶切りと、丁寧にその開け方や調理方法が書かれた紙が内封してあった。
「本当に金属の蓋が開くぞ! 凄いな、小一郎」
「兄上、私にもやらせてください!」
羽柴兄弟は、競うように缶詰を開けて楽しんでいた。
完全に官兵衛は無視である。
ところが、官兵衛ほど頭がいい人物は、無視されると逆に何か裏があるのではないかと深読みしすぎてしまうようだ。
無視された事は気にならず、缶詰なる物がとても気になってしまう。
「これは、サンマの蒲焼きか」
「兄上、こっちはクジラの大和煮のようです」
「美味そうよな……」
「早速食べましょう……」
羽柴兄弟は、ここで官兵衛を無視していた事に気がついてしまう。
彼の存在を忘れて缶詰に夢中になってしまったので、ともに少しバツが悪い状況だ。
「官兵衛殿、一緒に食事でもいかがかな?」
「食べて損はないと思いますぞ」
羽柴兄弟は、官兵衛を食事に誘って誤魔化そうとする。
完全な悪手であったが、官兵衛は缶詰が気になってしょうがなかった。
「(この私をわざと無視して、缶詰なる物で釣る? このような幼稚な手を……しかし、本当に金属の筒の中に食べ物が入っていたな)羽柴殿」
「何かな? 官兵衛殿」
「私も一つ開けてみていいですか?」
その後は三人で食事となったが、メニューは缶詰の中身であった。
今までに食べた事がない美味しい料理に、官兵衛は衝撃を受けた。
「官兵衛殿、我らは貴殿の織田家への帰属を心待ちにしておりますからな」
「焦らずに、お考えくだされ」
官兵衛は、サケフレークとイクラの醤油漬けの瓶詰めを秀吉からお土産としてもらい、姫路城へと戻った。
「津田家は織田家の家臣でしかない。その津田家がこのような物を独自に生産可能な力を持つとは……やはり、早いうちに織田家につくべきだな」
その後、小寺官兵衛は、名乗りを黒田に戻して織田家に降伏した。
その陰に缶詰の力があったのは、決して表に出ない歴史の真実である。
「なぜだ!」
そして、津田家からの贈り物を諸将が楽しんでいた頃、安土城の主は石山近くの遠征先で一人吠えていた。
なぜなら、自分の元には缶詰が届いていなかったからだ。
「(移封の件でミツは怒っている? いや、ミツは納得していたはずだ。ならばなぜ? 貞勝、一益、五郎左、イヌ、サルなどにはちゃんと贈っている。権六は……ミツとは仲が悪いからな。キンカンにも贈られていた。つまり、これは同僚への挨拶というわけか? そうだな、きっとそうだ。だから、我は後回しなのだ。本命だからな! うん!)」
信長は、一人本陣で難しい顔をしながら考え事をしていた。
「大殿、石山への対処でお悩みか……おいたわしや……」
共に本陣にいた柴田勝家が、主君信長の苦悩を思って共に悲しんでいたが、それはまったくの見当違いであった。
「(権六様、それは違います!)」
自分はちゃっかりと季節の挨拶をもらっていた信長の側近堀秀政は、信長の悩みを察していたが、自分は贈り物をもらっている立場なので何も言えないでいた。
こういう時に頼りになる村井貞勝は京都所司代として忙しく、今は京に詰めている。
「(貞勝様、今頃は……)」
缶詰を楽しんでいるのであろうなと、秀政は思っていた。
「(早く私も屋敷に戻って、缶詰を楽しみたいな。何でも中身が長持ちするそうだから、この戦が終わっても十分に間に合うらしいが)」
秀政がそんな事を考えている間に、考えが煮詰まったのかもしれない。
信長の表情が更に険しくなり、諸将の間に緊張が走った。
「(まさか、津田殿。大殿への贈り物を忘れて?)」
秀政が最悪の事態を想定したその時、本陣に数名の兵が大きな木箱を持って現れた。
「大殿、津田様よりの陣中見舞いであります」
「そうか! 早速開けてみよう!」
信長は急に笑顔を浮かべてご機嫌になり、兵達に木箱を開けさせる。
勿論中身は、大量の缶詰であった。
「戦において食料の保存は非常に大切な事だ。食事の内容も偏りがちで、これは兵達の士気にも影響する。この缶詰なるものは士気の向上にも繋がるというわけか。これが量産できれば大きいか。しかし、技術的には難しそうだな……まずは瓶詰から研究させるか?」
などともっともな事を言いながら、信長は諸将に缶詰を振る舞い、自分もその味を楽しむのであった。