第四十三.五話 缶詰と占領統治
「この乾パンという食べ物は栄養は取れるようだが、喉が渇くな」
南奥州を占領した津田軍であったが、いまだに動員体制を解いていなかった。
いつあるやもしれぬ、地侍や寺社の反抗に備えていたからだ。
故に、その指揮を執る堀尾吉晴は物凄く忙しいというわけでもないが、現地に野戦陣地を張って留まり続けている。
食事は暖かいものがちゃんと出ているが、たまに主君光輝が開発したと聞く乾パンなるものが出てきて、これだけは苦手であった。
味は悪くないと思うのだが、食べるととにかく喉が渇くのだ。
行軍において綺麗な水の確保は重要であり、飲み水の消費量を増やす乾パンはどうかと吉晴は思ってしまう。
「茂助殿、飯を炊くのにも水が必要ですし、そう違いはないのでは?」
一緒に食事をしていた山内一豊は、実は乾パンを気に入っていた。
口の中に入れてから水でふやかして食べるのが、密かにマイブームである。
「乾パンと一緒に入っている氷砂糖がいいんですよ」
津田軍による南奥州侵攻において、初めて缶詰が補給物資として採用された。
生産量が極端に少ないので、まだその数は少ない。
だが、関東の開発が進めば缶詰工場は拡大される予定であった。
「しかし不思議に思うのだが、缶詰は金属で、缶切りという缶詰を開ける道具も金属だ。同じ金属なのに、なぜ缶詰は開くのだろうな?」
「それは、缶切りに使われている金属の方が、缶詰に使われている金属よりも硬いからでは?」
吉晴の質問に、一豊は他に答えが出せなかった。
そういう質問は、自分よりももっと頭がいい本多正信や武藤喜兵衛に聞いてくれと思ってしまう。
「やっぱり、我々ではその答えで限界か……実は、喜兵衛殿に聞いてみたのだが、彼も一豊と同じ答えしか言わなくてな」
喜兵衛は軍事関連の軍師であり、缶詰の技術論など知らないのだから答えが一豊と同じでも仕方がなかった。
「食べ物を長期保存できて、瓶詰よりも持ち運びに便利だ。それでいいではないですか」
「それもそうだな。もっと普及すればいいのに」
あくまでも試験的な採用なので、まだ缶詰の量も種類も少なかった。
氷砂糖入りの乾パン、サバの味噌煮、アジの蒲焼、クジラの大和煮、桃缶、みかん缶だけだ。
「もっと工場が立ち上がれば、自然と生産量は増えるでしょう」
二人で食事をしながら話を続けるが、それは一人の来客によって中断された。
本陣を警備する兵士が、二人のその来訪を告げる。
「大将、地元の庄屋が訪ねて参りましたが」
「通してくれ」
「食料を売りに来たのですかね?」
「大方、そんなところだろうな」
最近、津田軍に食料を売りにくる商人、農民、庄屋などが多かった。
東北地方では銭が足りずにビタ銭も横行しているので、新地軍から永楽通宝を手に入れようと様々な食料を持参するようになったのだ。
光輝からの通達で、すべて断らず、相場よりも色をつけて購入するようにと言われている。
数が多い津田軍への補給負担軽減になるし、格好の宣撫工作になるからだ。
「堀尾様、本日は米を売りに参りました」
「それはすまんな。相場は担当の者に聞いてくれ。すべて買い取ろう」
「ありがたき幸せ」
普通はこれだけで終わるのだが、庄屋はある物に気がつく。
それは、缶切りで開けたあとの缶詰であった。
「堀尾様、それは何でしょうか?」
「ああ、我が軍で試験的に採用が始まった缶詰だな」
「缶詰ですか?」
「そうだ、缶詰とは……」
吉晴が庄屋に対して缶詰の説明をすると、彼は目を見開いて驚いた。
「そのような便利な物があるのですか!」
「まだ数は少ないが……」
「是非に売ってください!」
「いや、しかしな……」
吉晴は、缶詰は缶切りがないと開けられないし、まだ缶切りも数が少なかったのでこれは販売できない。
開ける手段がない缶詰など、買っても意味がないだろうと庄屋を説得した。
「いえ、開けるなんてもったいない! 家宝にします!」
「はあ?」
何でこんな物を家宝にとは思わなくもなかったが、光輝から占領地での領民からの陳情はできる限り受け入れるように言われている。
欲しいというのであれば、少しくらいは売っても構うまいと吉晴は庄屋に缶詰をいくつか販売した。
「缶が膨れると、中身が腐っていて食べられないそうだ。三年以内に食べた方がいいぞ。頑丈な刃物でなら開けられない事もないそうだ」
「それはいい事を聞きました」
庄屋はかなりの量の食料と交換で缶詰をいくつか手に入れ、それを自分の屋敷に持ち帰った。
「旦那様、銀色の筒ですね」
「悟作、これには食べ物が入っていて、開ければいつでも食べられるらしいぞ」
「上方には、そのような便利な物があるのですか」
「やはり、上方は凄いのだな」
庄屋は使用人に自慢げに缶詰の説明をしてから、それを床の間に飾った。
すると、その使用人から村中に噂が流れ、みんなが床の間に飾られている缶詰を見学にやってくる。
「こんな銀色の筒にね」
「でも、綺麗だよな」
「いくらで手に入れたのかは知らないが、庄屋様だから手に入ったんだろうな。何とか手に入れる方法はないものか……」
津田領産の缶詰は、生産の手間を省くために缶詰の中身を知らせる表示を刻印のみにしていた。
印刷した紙を撒いたり、缶に直接印刷するのはまだ大分先の話だ。
そのおかげで銀色の筒に見え、『これはお宝なのでは?』と思う人達が増えていった。
「堀尾様、この缶詰を売ってください!」
「金ならありますから!」
「お前ら……これは食べ物しか入っておらぬのだぞ」
「ですが堀尾様、とても綺麗じゃないですか」
「綺麗……そう言われるとそうだな……」
缶詰は銀ではできていないが、銀色の筒に見えなくもないかと吉晴は思った。
「缶が膨れるまでに中身は食べた方がいいぞ」
そう説明してから、吉晴は缶詰を希望者に販売した。
他の食料は現地調達と輸送で十分にあったので、こんな物で喜んでくれるのならと放出してしまったのだ。
「綺麗だべな。暫くは床の間に飾っておくか」
購入した缶詰は、なぜか床の間に飾られる事が多かった。
村の有力者などが購入すると、他の村民達が見学にくる有様だ。
「中身は……クジラの大和煮? 初めて聞く料理だべ」
早速中身が気になり、鉈などで器用に開けて中身を食べようとする者が増えた。
「あんた、これ物凄く美味しいよ!」
「本当だ! こんなご馳走、生まれて初めて食べただな!」
缶詰の中身を実際に食し、彼らはクジラの大和煮や桃缶の美味しさに感動する。
こんなに美味しい物が世の中にはあるのかと。
「蓋は開いてしまったが、この綺麗な筒、他にも使えるべ」
「そうだね、綺麗だものね」
開けてしまった缶詰は、花瓶として使ったり、切り口を加工して口が切れないようにしてからカップなどで使う人もいて、彼らはボッタクリに近い値で缶詰を購入していたのだが、それに気がつかずに楽しんでいる。
少なくとも、損をしたという感覚はないようだ。
「実際のところ、この缶詰って一個いくらくらいなんだ?」
「さあ? それは殿達のみが知るというわけでして……」
津田家が技術を独占している以上は、値段なんてあってないようなものなのであろうと二人は思った。
缶詰のせいかは知らないが、津田軍による南奥州統治は順調に進むのであった。




