第四十三話 現状把握、佐竹義重
「殿、なぜ私が黒川城代なのでしょうか?」
「佐竹家は名族だからなのと、旧蘆名領の安定化には時間がかかるから、能力のある城代も必要で一石二鳥だから」
「予想はできる人選でしたが、これは苦労しそうですな」
伊達家を除く南陸奥の大名家は、蘆名家を筆頭にその領地を失った。
歴史ある名族なので生き残りも多いが、彼らは津田家に降伏して飼い殺しにされたり、伊達家や南部家などを頼って逃げ出したりした者も多い。
そこで援軍を募ってから地元に兵を出す算段なのであろうが、伊達家からして大敗して生き残るために屈辱的な講和案を結んだのだ。
その前に、津田軍の強さに恐れをなして兵を出す決断をした大名はいない。
逃げ込んだ蘆名家、田村家、岩城家、相馬家などの残党は、その地で不遇の日々を過ごす事になる。
ただ、津田家側も今回獲得した南陸奥の統治に苦労する事になる。
今は小規模のものしか発生していないが、地侍や寺社による一揆の平定ですぐに兵を出す事になった。
東北の諸大名家は、そのすべてが名族で先祖からの血筋もハッキリとしている。
そんな彼らや、彼らに従ってきた者達からすれば、出自が怪しい光輝の下などにつきたくないというわけだ。
これは時間をかけて何とかするしかないが、光輝は効き目の早い手段として、黒川城の城代に佐竹義重を任じていた。
名族佐竹家の当主が旧蘆名領の顔ならば、地侍などの反発も少なかろうというわけだ。
「南奥州の情勢はまだ不安定です。まあ、新参の征服者が来たばかりにしては落ち着いていますが……」
佐竹家も、先代義昭の時代から常陸統一を目指して勢力拡大に勤しんでいた。
その過程で、新しい領地を治めるのがどのくらい大変かを理解している。
なので、津田家がこの程度の混乱のみで南奥州を領有していること自体が不思議でならないのだ。
「(津田家には、資金と技術と効率のいい統治手法があるからか……)」
鉱山が多い常陸において、積極的に最新の冶金技術を導入して豊富な資金力を実現したが、それすら凌駕する技術で大量の金、銀、銅、その他鉱物を安価に獲得している。
特に、鉱山開発で一番問題となる鉱毒処理についてはこの国で勝てる者はいないだろう。
地元住民の反発を起こさせず、逆に雇用と利益を与えて津田家の味方をさせてしまう。
するつもりもないが、もう義重が常陸で反乱の兵を挙げようとも、ほとんど誰も付いてこないのは明白であった。
津田家は、一匁単位で全て同じ重さの金貨、銀貨、そして公言はしていないが永楽通宝の私鋳を行っている。
関東や東北では、永楽通宝の価値が高い。
銭不足で質の悪いビタ銭が大量に流通しているので、私鋳銭でも高い技術で鋳造されている津田家製永楽通宝が信用されて当然であった。
津田家が戦に強く、領地を広げてそこを上手く治めているという点も、永楽通宝の信用度を上げる要因にもなっていた。
人々は銅塊や質の悪いビタ銭を津田家に持参し、代価として永楽通宝を得る。
津田家は、集めた銅塊とビタ銭を材料に永楽通宝を製造する。
共に利益があるので、この流れを止められる者はいなかった。
津田家は、こうして得た大量の永楽通宝を領内中の工事でバラ撒いた。
津田家の支配領域において、賦役という負担は存在しない。
銭で工事を行う人夫を集めるだけだ。
参加するのは自由で別に来なくても何も言われないが、農民は任せられる農作業を家族に任せて出来る限り工事に参加した。
食事が出て日当も貰えるので、一家の収入を上げるのに貢献するからだ。
それに工事の内容は、自分達が住む土地の街道整備、治水工事、新規農地の開発などである。
本来、税の一部である賦役で働かされていたもので金が貰えるので文句など出るはずがない。
津田軍への参加は志願制度であり、戦で駆り出されないし、地元の領主が命じる賦役で無料働きをしないで済む。
下の者達は、すぐに津田家の支配を受け入れた。
自分の領地や権利を奪われた地侍の中で、津田家に反抗すべく兵を挙げた者もいる。
だが、予想以上に人が集まらないで簡単に鎮圧されてしまう事が増えた。
一揆勢や反乱兵となる末端の農民達からすれば、今のいい生活を捨てて反抗する意味がわからないのだから当然だ。
寺社の方はもう少し多く兵を集められた。
信仰の力というやつなのであろうが、そもそも生活が苦しいから宗教に縋るのだ。これから生活がよくなりそうなのに反乱に参加する者はそれほど多くない。
それでも信仰のためだと反乱に参加したが、津田家が出した鎮圧軍を見て降伏してしまう者も多かった。
残された僧兵達は全て討たれ、寺社は寺領を没収、武装の禁止などを条件に毎年決められた銭を受け取るようになってしまう。
寺社の独立性が津田家によって奪われて、その下に立場が置かれてしまったのだ。
ただ、津田家は通常の布教活動を行っている寺社にうるさい事は言わなかった。
僧侶の学を利用して、寺がある地域の住民に読み、書き、計算などを教える事業を行わせ、報酬を寺や僧侶に支払うというような事までしていた。
真面目に地味に布教活動をしている寺社などからすれば、津田家は大変に寛容で気前のいい領主というわけだ。
以上のような事情があり黒川城に義重が配置されたが、彼は家族を連れず単身で来ている。
旧蘆名領がまだ落ち着いていないという理由もあったが、家族が津田家の新しい本拠地となった江戸にいるのは、そこに屋敷を与えられたからだ。
下級の家臣は、無料で官舎という名目の家を貸してもらえるが、これは自分が退職したら返上しなければいけない。
屋敷を与えられ、跡継ぎさえいれば家禄を支給される中・上士になる。
これが、津田家家臣達のもっともリアルな目標であった。
「(ここが安全でも、妻達に付いてくるのを断られそうで怖いが……)」
津田家においては、家臣の家族を人質として預かる制度など存在しない。
だが、家臣の妻達は拡張が続く江戸での生活を楽しんでいる。
同僚や主君の妻達との食事やお茶やお喋り、趣味の集まりなどで楽しんでいたからだ。
子供達も、日が昇ると領主館に赴いて、光輝の嫡男太郎達と共に遊んだり、勉学や鍛錬を共にしている。
実質人質のような気もするが、主君の子供達と同等の教育を受けられるとあって、家臣達の中には、これに自分の子供達を参加させようと頑張っている者も多い。
「(どうせ忙しいから構ってやれぬ。これでいいのであろう)」
義重の仕事には、黒川城の改築と城下町の割り振りなどの仕事もあった。
ここを南陸奥の一大拠点にして、奥州勢の南下を防ごうというわけだ。
特に警戒しているのは、先に屈辱的な講和を結ぶ羽目になった伊達家である。
伊達実元を始めとする多くの家臣と兵を失い、伊具郡を巡って対立していた相馬盛胤、義胤親子は所領を失って没落したが、そこに入り込んできた津田家によって更に領地を失っている。
彼らがいつ再奪還に動くか、油断はできない状態だ。
「油断はできぬが、そう悲観的になる必要もないか」
まだそう日も経っていないが、今のところは津田家が押さえた領地の統治は順調である。
伊達家としては転んでほしかったのであろうが、津田家は領内把握のための検地と直轄地化を成し遂げた。
大規模な一揆が起こっても不思議はない状況であったし、実際に一部地域で一揆勢が蜂起した。
指揮をしていたのは蘆名、白川、二階堂、石川、岩城、相馬などの反抗を続ける一族と元家臣達であったが、鎮圧軍の鉄砲隊によって壊滅している。
それと、津田家は従う領民達には善政を施した。
今まで前領主が後回しにしていた開墾、治水、特産品の生産振興、街道整備を急ぎ行わせて地元住民に銭をばら撒いている。
彼らは、気前のいい新領主をすぐに受け入れた。
可哀想に、彼らに突き出された一揆勢の指揮官なども多い。
厄介な寺社の力も殺ぎ、貨幣や年貢を徴収する際の升まで統一して、在地商人や座の力も落とした。
その代わりに、自由な商売を保証して新規に商人の育成を図っている。
津田家の支配になって目に見えて生活がよくなっている以上、奥州の名家である伊達家の威光が通用するものなのか?
義重は、少しだけ興味があった。
「第一、財力も国力も敵うわけがない」
農業生産は鰻登りであり、商品作物の生産、その他の産業も積極的に推進している。
鉱山生産も、未発見のものを続々と見つけて採掘をしていた。
関東平野には農地が続々と生まれ、水害が多い河川の治水工事も急ピッチで進んでいる。
農業用水確保のために水を堰き止める施設の建設も進んでいるが、これには他の工事でも多用されている新しい漆喰が大量に使われていた。
埋め立て、城や建造物、港と街道の建設にも使われ、その便利さから工場が続々と建設されて織田家にも輸出されている。
「(今の時点で、津田家に逆らうなんて無謀もいいところだな)」
名家を滅ぼしたとはいえ、素直に降伏して銭で雇われる身分になれば津田家は寛容であった。
能力によって重要な仕事と地位を任される。
義重もその口で、光輝は関東勢で一番最初に臣従し、功績の大きい佐竹家を厚遇していた。
嫡男徳寿丸が、津田家の娘伊織と婚約をした件でも確かだ。
「(さて、伊達家はどう出るかな?)」
大分、津田家に領地を追われた大名と豪族の残党を匿っているようだが、彼らを旗頭にただ侵攻するのでは、伊達家は蘆名家の二の舞になってしまう。
「(殿の命令では、暫くは国力増進であったな)」
江戸に津田家の本城と城下町を、駿府、下田、小田原、高崎、宇都宮、水戸、銚子、木更津、館山、会津などにも強固な城と城下町の整備を進めている。
他の拠点や町も工事中で、これらを繋ぐ街道の建設も進んでいた。
関所はほぼ廃止され、津田領内は行軍や領民達の移動が素早くできるようになった。
間諜なども増えたようだが、そちらは津田家の諜報を一手に引き受ける風魔小太郎が対応している。
港の拡張工事も行われ、津田水軍の拠点も増えた。
伊豆諸島と小笠原諸島は遠洋漁業の拠点とするために津田領に組み込まれ、津田水軍の訓練や補給地としても利用されるようになった。
「(関東の覇者となったか)」
織田家とのこれからの関係は不明だが、そう簡単に織田家が滅ぼせるとは思えない。
逆に滅ぼされてしまうのではないかと思えるほどの強さだ。
その前に、光輝は信長のお気に入りである。
そう簡単に仲違いするとも、義重は思えなかった。
「(このままでいけば織田家の天下で、津田家は東国の重鎮となるか)」
他の可能性も考えないでもなかったが、今は津田家のために懸命に働いて佐竹家の地位を高めるべきであろう。
そう考えた義重は、再び己の仕事に没頭するのであった。
 




