第四十二.五話 老臣達の会話と江戸名物
「この深川丼は、アサリを煮た物をご飯に載せただけなのに美味しいですな」
「なぜ深川丼というのかは、命名者が殿なので気にしない事にして、気軽に食べられて忙しい我らにも最適だ」
「軍で調練している者達には、『天丼』などがいいのだろうが」
常に忙しい政務の合間を縫って、堀尾泰晴、不破光治、日根野弘就の三人は、珍しく一緒に昼食を取っていた。
メニューは、光輝が考案した事になっている深川丼であった。
簡単に食べられ、美味しく、脂っこくないので、初老の域に達しつつある三人にはちょうどいいメニューであった。
若い者達は、今日は天丼などを食べていた。
いつの世でも、若い者はガッツリとした物を食べ、中年以降になるとアッサリとした物を食べる人が多いというわけだ。
「殿は、関東各地に名産品を作り、地元の領民達の収入を増やそうとしているようです」
「まあ、現金収入はあった方がいいからな」
泰晴の語る『特産品開発計画』に、弘就は基本的に賛同だ。
彼から見れば、新地領改め津田領に編入されるという事は、嫌が応でも貨幣経済に巻き込まれてしまう事を意味していたからだ。
稼いだ金でみんなが買い物をすれば、その分津田領の経済力は上がる。
だが、領外から購入してばかりでは銭が流出してしまう。
上手く津田領内で銭を循環させ、関東を畿内のように一大経済圏にしてしまう。
弘就は、光輝の計画をそのように壮大なものだと理解していた。
「大殿は、気がついておられるのかな?」
「気がついているであろうな。だが、時間はかかると思っている」
弘就の問いに、光治が自分の考えを述べた。
尾張や美濃に住んでいた三人からすれば、関東以東など他の国のような感覚であった。
三人もそうだが、信長にとっても日本の中心とはあくまでも畿内や西日本であり、だから信長はそこを押さえるのに夢中で、僻地である関東や東北は家臣である光輝に任せてしまおうと考えている。
光輝が開発をすれば国力は増すであろうが、時間がかかるし、成果が出ても畿内と西日本を制した織田家には勝てまい。
国力的にも津田家の方が下という状態になり、もし逆らっても奥州藤原氏のように討伐してしまえばいい。
信長は、こんな風に考えているのではないかと三人は思っていた。
「第一、誰も関東と東北の国力や人口など把握しておらぬのだ」
弘就は実際に関東に来て、信長の認識が甘い事を知った。
自分もそうだったが、関東は開発すれば大きな可能性を秘めた土地だと理解したのだ。
最初は信長が津田家から新地と伊勢を取り上げた件に怒っていたが、今は幾分か怒りも和らいでいる。
関東、東北……蝦夷やその先まで津田家なら行くかもしれない。
そしてそれが達成されれば、そうやすやすと織田家に滅ぼされはすまいと気がついたからだ。
「我らが殿は、限られた土地で戦をするよりも、開発で国力を増やす方を優先するのであろうな」
ならば、自分達はそれに手を貸すのみだ。
いや、上手くいけば将来的には織田家を逆に家臣にする事も可能か?
関東を拠点とし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の例もある。
そう思うと、弘就はわくわくしてきた。
「(おっと危ない……。信長、我らを東に追いやった事を後で後悔しないといいがな)」
元々反骨精神が高い弘就は、思わず予想してしまった事を口に出さないようにしなくてはと自分を戒めた。
自分の主君は、柴田勝家以下織田家の大半の譜代家臣達に嫉妬されているのを知っていたからだ。
譜代でも、大名級の所領など持っている者は数少ない。
大半が数百石から数千石くらいなので、彼らの嫉妬は自然と光輝達外様に向かう。
同じ譜代の勝家や長秀に、そういう感情を向けるわけにはいかないからだ。
そんな状況なので、思わぬ失言が津田家排斥に繋がりかねないと、弘就は自分を戒めねばと思う。
「もう戦など十年以上も出ておらぬが、私は槍の使い方を覚えているのかな?」
「泰晴殿は、別の意味で毎日戦のようなものであろう」
急速に膨張した津田家の筆頭家老である泰晴は、統治体制の構築、家臣団の編成などで毎日忙しい日々を送っている。
領土が広がりすぎて自分が筆頭家老で大丈夫かと不安になったが、清輝や今日子からも助言などを受けて、これまで何とかしてきた。
以前は武士なのでたまには戦に出てみたいなどと考える事もあったが、今は忙しすぎてそんな気持ちすら消え去ってしまっている。
そして仕事がどんどんと増えていく状況に、弘就と光治も今では完全に内政畑に転じていた。
更にこれからも、関東、東北と統治する領土が増えるので、ますます忙しくなるのは決まっていたからだ。
とにかく今のうちに、やれる事はやっておかないといけない。
「泰晴殿、そもそも今の戦は味気ないぞ」
「そうなのか? 光治殿」
「ああ、うちの彦三が言っておったが、種子島と大筒ばかり撃つそうだ。あとは、銃剣の鍛錬か」
「玉薬と弾薬の消費量が物凄いからな……」
光治の嫡男不破直光は、まだ元服直後で警備隊に幹部見習いとして入隊していた。
太郎の御付きでもあるのだが、今は暫定的に警備隊に送り込まれている。
幹部候補ではあるが新入りなので、直光は毎日厳しい訓練に参加して屋敷にヘトヘトになって戻ってくると光治が話す。
「彦三は、軍務よりも政務向きだからな」
「うちの吉晴と氏光は、完全に軍務向きだから羨ましい」
泰晴が引退すれば、堀尾家は軍務の家になってしまう。
それでも堀尾家は重臣だが、子供が自分の仕事を継いでくれないと寂しさを感じてしまうのも事実であった。
適性がない以上は、仕方がないと泰晴も思っていたが。
「まあどちらでも、どうせ暫くは忙しいであろう」
「それもそうか」
いまだに燻り続ける関東諸侯の残党、今は交易で大人しくさせている上杉家、関東以上に混沌としている東北の諸大名達と、戦のネタには事欠かないわけだ。
そして彼らに勝利すれば、これら広大な領地を開発しながら治めていかなければならない。
「引っ越しが順調なのが救いか」
「大殿は、拒否しませんでしたな」
「できるわけがない」
弘就は、その可能性を否定した。
最終的に津田家は、初期に得た尾張の一部、伊勢志摩、伊賀、紀伊の所領をすべて放棄した。
引っ越しを終えるまでにはもう少し猶予があり、現在弘就が清輝と九鬼澄隆と組み、全設備の移転と希望する領民達の引っ越しを行っている。
領民には高度な技術を持つ者が多く、弘就は信長が移動を禁止する可能性を考えていたが、さすがにそれはしなかったようだ。
「(下手に押し止めても、関東に逃げてしまうからな)」
農民ですら、津田家が提供する種籾がなくなれば収穫量が落ちるとわかっているので、移住を希望する者が殺到した。
弘就は信長がどう出るか興味深々だったのだが、彼は関東への移民を許可した。
随分と呆気ない結末であったが、そのカラクリはこうだ。
農民がいなくなった土地に、尾張、美濃の農家の次男、三男や、一向宗から離脱した農民達を移住させて田畑を耕させる。
本拠地であった新地は無人となったが、城や港などは残った。
これを有効活用できれば、織田家に損はないというわけなのであろう。
何しろ、津田家から奪った領地はすべて織田家の直轄地となるのだから。
信長は給金で雇った代官を置き、新しい統治をおこなう実験を旧津田領でおこなうようだ。
それと、津田家提供の種籾がなくても、織田家もバカではないので稲の品種改良はおこなっている。
これでも昔の倍近い収量なので、織田家の領地では信長の人気は絶大であった。
『織田信長という人物を侮っては駄目だな、弘就』
確かに光輝の言うとおりだと、弘就は思った。
織田信長は、美濃を有し圧倒的優位にあった斎藤家を国主の座から引きずり下ろした人物なのだから。
「押し寄せる移民に、関東の開発と、我らはこれからもずっと忙しいわけだ」
「早く食べて、仕事に取りかかるかな」
「そうだな」
泰晴達は、こういう時には丼料理は最高だなと思った。
素早く食べられて仕事に戻れると。
「今日の三時の間食は芋羊羹らしいので、もうひと踏ん張りだな」
食事を終えると、泰晴達は再びそれぞれの仕事に戻る。
関東以東の開発はまだ始まったばかりだ。
内政を担当する者達は、これからますます忙しくなるのであった。
「志摩の真珠養殖場は、暫くは津田家のものだそうだ」
「織田家には、生産技術がないからな」
志摩で行われている真珠の養殖事業、これは津田家が独占している技術であった。
当然移転を検討したのだが、関東には真珠の養殖に適している海がない。
真珠とは、潮流が穏やかな内海で養殖されるものだからだ。
養殖真珠は、南蛮人や明にも輸出されている津田家のドル箱商品である。
特に、南蛮人の真珠好きは異常であった。
何しろ、スペイン人が新大陸のベネズエラで真珠採取のために原住民を酷使して、彼らを全滅寸前まで追いやっていたのだから。
それほどまでに需要が高い真珠は、恐ろしい価格で売れた。
信長としても、これの生産を止められると困ってしまうというわけだ。
光輝が真珠や他の産品を南蛮人に売った金で硝石を買い、これを織田家にも回してもらっていると思っていたのだから。
織田家も大量に硝石を購入しているが、以前に光輝から言われた『金の海外への流失』という発言を気にして、織田家でも金と銀以外の産物の選定に入っていた。
勿論、そんなに簡単な事ではないのだが。
「真珠の生産技術を寄越せとは言わなんだな、信長は」
「言えないだろう。信長とてバカではないのだ。いくら殿との関係が良好でも、ここまで巨大化した津田家家臣団の反発というものも気にしないといけなくなった」
そんな事は当たり前だと、弘就は思っていたが。
いくら主君でも、津田家が独自に開発した金の卵たる技術を奪おうとすれば、これはもう戦しかないのだから。
「だが、養殖場の警備が難しくなるな」
「それは、水軍を主体に任せるしかあるまい」
最悪、養殖場の人員を撤退させる船と、その作業を終えるまで防戦する最低限の人員がいればいいのだから。
水軍では上陸専門部隊の編成も進んでいるので、これに守らせればいいと弘就は光治に説明した。
現在編成中のその部隊の名は『水兵隊』と名付けられていた。
命名者は今日子である。
「思えば遠くに来たものだな」
「そんな事を言うと老人扱いされるぞ、光治。殿は淡水での真珠養殖も始める予定らしい。出来れば琵琶湖がいいそうだが、霞ケ浦を干拓して対応するそうだ」
弘就は、光輝は光輝なりに戦ではない方法で信長に対抗しているのだと思った。
反骨心があり、信長が嫌いな弘就からすれば、光輝は納得できる主君というわけだ。
「我らは我らで、今日子様が仰る『生存圏』を確保すればいい。織田家が攻めるのを躊躇するようなものをな」
「今はそれが一番正しいのであろうな」
元斎藤家組の光治と弘就は、話を終えてから再び仕事に没頭しようとする。
「今日の三時の間食は芋羊羹であったが、明日は何だろうな?」
「大判焼きという新しいお菓子だそうだ。楽しみだな」
「信長よりも先に試食できるのは嬉しいな」
そう思うだけで留飲が下がると、弘就と光治は新たにきた大量の書状をチェックし始めるのであった。
「貞勝、ミツがそろそろ新しいお菓子を開発していそうな気もするが、関東は遠いの……」
「はい……(日持ちのする菓子を開発してくれないものかな……)」
その頃信長は、村井貞勝とともに安土城で弘就達以上に膨大な政務をこなしながら、新しいお菓子に思いを馳せていた。




