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第四十一.五話 江戸前寿司と天ぷらとヘッドハンティング

「江戸沖の海の幸は最高だな、泰晴」


「酒が進んで最高ですな」


「深酒しないようにしないと」


「まあ、忙しいですからね……」


「頑張れ、泰晴」


「殿、人員の補充を切に願います……」





 関東を制し、現在その整備で忙しい光輝であったが、合間を縫って宴会を開いていた。

 現在の新地家家臣で暇な者はいない。

 休みを削って働いている者も多く、そんな彼らのために慰労会のようなものを開いたのだ。

 これには家族も参加できるが、そっちは別口で今日子が主催している。


 光輝達は江戸沖に船を浮かべ、酒と料理を楽しむという趣旨の宴会を開催していた。

 船は船上で宴会を行えるように建造された特別な船で、他にも小型の屋形船も清輝の設計で建造、量産中であった。


 これが稼働すれば、もっと定期的に小規模の宴会が屋形船からの景色を楽しみながら行える予定である。


「酒は最高、料理も最高。素晴らしい宴会ですな」


 このような催しに初めて参加する武藤喜兵衛は、豪華な料理と酒に大満足であった。


「左様、あまり堅苦しくないのもいい」


 島清興は、新地産の清酒をガブ飲みしている。

 酒造蔵が新地から関東に移転するので、暫く生産に障害が出て手に入らないかもと飲み溜めをしていたのだ。

 

「清興、移転の混乱は生じさせないつもりだけど」


「あははっ! という理由をお題目に、無料酒を楽しんでいるのですよ。清輝様!」


 清興は、珍しく宴会に参加している清輝に正直に自分の企みを話した。

 お酒が大好きな清興であったが、お酒を大量に買うと奥さんに怒られてしまうそうで、こういう席は大きなチャンスなのだという。


「うちの妻は、今日子様にしっかりと教育されてしまいましてな。過度の飲酒はできないのです。そんな妻も、今日は今日子様主催の宴会で楽しんでいるでしょうが」


「あっちの宴会は、清興には合わないよ。甘い物が沢山出るから」


 今日子主催の女子会(笑)は、美味しいだけではなくてお洒落な料理とデザート、お茶、紅茶、コーヒーなどに、お酒もお洒落なカクテルなどが出て、この時代の男子には近寄りがたい雰囲気になっている。


 甘い物がさほど好きではない清興にはハードルが高すぎた。

 どうせ、成人男性は一人も招待されていないが。


「男は、こういう宴会の方が嬉しいですな」


「無理に一緒にやる必要はないよね」


 時には、男同士女同士だけの方がいいと清輝が断言する。


「若い者は、食うのに忙しいようで……」


 十代、二十代の若い家臣は、列を作って配膳のコーナーに並んでいた。 

 料理は、自由に好きな物を食べるビュッフェスタイルになっている。

 和洋中の様々な料理が並び、中でも人気なのは信州産の手打ち蕎麦、生パスタ、餃子や焼売などの点心、豚の丸焼き、ローストチキンなどで、その中でも江戸前のネタをその場で揚げてくれる天ぷらと、好きなネタを握ってくれる江戸前寿司には長い行列ができていた。


「江戸前は、豊富な海産物の宝庫だからね。車えび、穴子、はぜ、きす、白魚、青柳、ぎんぽと、大量に天ぷらネタを恵んでくれる」


 他にも、江戸前ではないがハマグリ、イカ、鳥肉、豚肉、サツマイモ、各種野菜、山菜などもネタとして大量に準備された。

 ゴマ油でカラっと揚げられた天ぷらの匂いが、みんなの食欲を誘う。

 

「寿司のネタに使う海産物も、大量に準備したよ」


 ヒラメ、カレイ、タイ、スズキ、マグロ、カツオ、シマアジ、カンパチ、コハダ、サヨリ、アジ、サバ、イワシ、赤貝、ミルガイ、アワビ、アオヤギ、タイラギ、トリガイ、ハマグリ、ホタテ、エビ、シャコ、カニ、イカ、タコ、アナゴ、シラウオと。

 

 全部が江戸前ではないが、この日に合わせて大量の素材が津田水軍協力の元で取り寄せられた。

 その中でも、蝦夷産のイクラ、ウニ、鮭は人気のネタとなっていた。

 他にも、定番の卵焼きとキュウリ、芽ネギなども準備してある。


「若い者は、全種類を食べる気でいますからな。いや、本当に羨ましい」


「清興もそこまで年寄りじゃないだろうに」


「三十を超えますとな。前のように無理は利かないのですよ」


「僕も三十すぎだけど」


「清輝様は、若く見えて羨ましいですな」


 清輝は超未来の人間なので、この時代の人間よりは圧倒的に若く見える。

 平均寿命九十歳の世界からきているし、アンチエイジングな効果が、超未来では普通に生活しているだけで得られるからであった。


「でも、三十を超えると年を取ったなと思うけどね。子供の頃には、三十を超えた自分なんて想像もできなかったし」


「それはありますな。ところで、殿の姿が見えないようですが……」


「一緒に並んで寿司でも食べているのかな?」


 清輝と清興が光輝の姿を探すと、彼は一人の子供と話をしていた。

 

「子供?」


「調理人の助手だろうね」


 新地家で料理の修行をする者は多く、その中には困窮した家の子供が多かった。

 給金は安いのだが、食事つきで、帰りに余った料理を持ち帰れるので、貧しい家の子供が丁稚として働いているケースが多かったのだ。


「坊主は、武士の家の出か? 名前は?」


「はい、井伊万千代と申します。今川家、徳川家、武田家、新地家と遠江は戦乱により次々と主が代わり、我が井伊家は、井伊谷の所領を失い、家臣はみんな離れてしまいました」


「そうか」


 まだ十歳くらいなのに、えらく大人びた話し方をする子供だと光輝は思った。

 光輝に人を見る目はないと思うが、この子供は偉大な人物になるのではないかと思ってしまうほどだ。


「坊主のご家族は?」


「母だけです」


「生活は大変じゃないか?」


「いいえ、生活自体は貧しいわけではありません。私はここで丁稚として働いていますし、母も裁縫の仕事をしていますから」


 新地には、寡婦などを対象とした洋裁工房があった。

 これも江戸に移転拡張中であり、技術がある女性は男性よりも稼げるとあって、女性に大人気の職場となっていた。


「そうか、坊主は料理人になってお母さんに楽をさせたいのか」


「母は、私と血が繋がった本当の母ではありません。ですが、小さな私を常に守ってくれました。早く一人前になって、母に楽をさせてあげたいのです」


「……偉いな、坊主は」


 光輝はそう涙もろい方ではなかったが、この万千代という少年の健気さに少し涙ぐんでしまう。

 と同時に、一つ気になった事があった。


「一人前になりたい? それは本当は調理人ではなく、他のものになりたいという事かな?」


「……いえ、そういうわけでは……」


 万千代は、光輝の問いに口ごもってしまった。

 自分を使っている調理人に気を使っているのかもしれない。

 その調理人自身は、寿司を握るのに大忙しであったが。


「万千代、自分の気持ちを正直に言え。これは津田のお殿様の命令だと言えば、言えるか?」


「はい……私は、母のためにも井伊家を再興したいのです」


 万千代は、真っ直ぐな視線で光輝を見つめながら堂々と自分の意志を語った。

 いくら生き急ぐ時代とはいえ、この年齢の子供にはなかなかできない事だと光輝は思い、そして決断した。


「万千代、お前は俺が雇う。明日から、太郎の御付きにする」


「太郎様のですか?」


「あいつは優秀だと思うが、どこか抜けているからな。たまには外からの刺激も必要だろう」


 こうして井伊万千代は、成人するまで光輝から給金をもらって太郎の御付きとなる事が決まった。


「父上にしては珍しい事をするなぁ。まあいいか……よろしく、万千代」 


「はい、若様の傍仕え、全身全霊を持ってしてまっとういたします」


「孫六、すごい真面目な子が来たぞ」


「おいおい慣れるのでは?」


 いきなり父親から新しい御付きの少年を押しつけられた太郎であったが、彼も父親と同じくあまり細かい事を気にしない性質なので、そのまま彼を受け入れた。

 その後精進を重ねた万千代は、後に井伊家当主として御家の再興を果たすのであった。





「宴会ですか、少し時機がズレたばかりに残念な事をしました」


 宴会から数日後、甲斐から羽柴秀吉が江戸の光輝を訪ねてきた。

 移封された光輝への挨拶と、寄生虫病の治療薬、コンクリート、農機具、建設道具などの代金である金と銀を持参するためだ。

 秀吉は、金と銀が入った袋を大量に光輝の前に積んだ。


「こんなに大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ。現在、金山と銀山は増産中ですので。実はいい人材を手に入れまして」


「ええと、土屋長安でしたか?」


「今は、私の旧姓木下を名乗って木下長安ですわ。財務や鉱山開発に精通していて、金の増産が可能になったのです」


 その成果が、目の前に積んである金と銀の袋というわけだ。


「なるほど、確かに受け取りました。ところで、一泊くらいされるのでしょう?」


「はい、是非にお願いします」


 秀吉は、江戸城内で一泊してから甲斐に戻る事になった。

 光輝は彼をもてなすために、夕食に江戸前の寿司や天ぷらを出す。


「なるほど、海に近いからこそ新鮮な魚を生で食べられるわけですな。新鮮な魚は、火を通しても美味しい。いやあ、ご馳走だ」


 秀吉は、美味しそうに天ぷらと寿司を食べていた。


「こら! 虎之助に市松! もう少し遠慮せい!」


 秀吉は、以前に今日子をおばさん呼ばわりした二人の少年を、自分の小姓として連れてきていた。

 彼らは初めて食べる天ぷらと寿司に感動してお替りを連発し、秀吉から怒られてしまう。


「まあまあ、毎日の事でもありませんし、若い者は沢山食べたらいいのですよ」


「すみませんな。私の見立てでは将来有望だと思うのですが、如何せんまだ行儀の方が……」


「そういうものは、時間が経てば自然と身につきますよ」


 光輝と秀吉が話をしている最中も、虎之助と市松は食事に集中していた。


「これは美味い。市松、俺はもう寿司を五十貫も食べたぞ」


「虎之助よ、俺は五十五貫だ」


「ふえーーー、よく食べるよなぁ」


 同席していた太郎や孫六達は、大食漢の二人に驚くばかりであった。


「津田の若様、我らは早く大きくなって親父様のために働かねばならないのです」


「そう、もうすぐであろう初陣に備えませんと」


 二人は、太郎にそのように答えながらまだ寿司を食べていた。


「俺はこんなに食えないよ」


「若様、我らもです」


 太郎や御付きの子供達は、別にそこまで美味しい物に飢えていないし、食べすぎは肥満の元だと今日子から言われているので、バランスが取れた食事を心がけていた。

 なので、虎之助と市松に張り合おうという気持ちすらない。


 ただ一人の例外を除いては……。


「ふんっ! 私はもう六十貫目ですが」


「えっ? 万千代?」


 太郎の御付きの中で、ただ一人例外として光輝に見いだされた井伊万千代が、二人を超える量の寿司を食べて挑発的な態度を取った。


「やるな、チビ」


「チビではない。私はじきに大きくなるのですから」


 大量に積まれた空の皿を前に、虎之助と市松バーサス万千代という光景が展開される。


「若様……」


「そういえばさ、万千代って、凄い負けず嫌いだったよね……」


 太郎の御付きをしていると、勉学に励んだり、武芸や運動で競ったりする時間も増える。

 ご学友という扱いだからだが、万千代は何をするにも常に一番を目指した。

 そして誰かに負けると、必ず陰で特訓して一番を奪取せんとするのだ。


 今日子は『万千代君ってやる気あるわね』と褒めていたし、太郎達もその努力する姿勢は尊敬に値すると思っている。

 だが、茶屋で食べる団子の数でも、ゲームでも、釣りの釣果でも、とにかく何でも一番になろうとするので、そこは少し手を抜いてほしいと感じていたのだ。


「食べた寿司の量とはいえ、津田家が羽柴家に負けるのはよくありません。若様、私にお任せください」


「ええと……無茶するなよ……」


 これまでの付き合いの結果、彼を止めても無駄なのはわかっているので、太郎は万千代にほどほど頑張るようにとエールを送った。


「そう言われては、我らも退けないな。ヒラメとイクラだ!」


「左様、勝負の再開だ! 俺はマグロ! マグロを十貫だ!」


「アジとサヨリをお願いします」


 なぜか寿司大食い競争が再開し、虎之助も、市松も、万千代も、次々と寿司を頼んでは食べていく。


「俺は、七十貫だ!」


「七十五貫!」


「私は、七十七貫です」


 三人よる競争は白熱し、それを見た秀吉は光輝に謝った。


「うちの虎之助と市松が申し訳ありません」


「いやーーー、うちの万千代って負けず嫌いなんですよねぇ……」


 むしろ勝負に誘ったのは万千代なので、光輝は逆に申し訳ない気持ちになってしまった。


「九十八貫! もう食えない……」


「虎之助! 気合を入れろ! 九十九貫……」


「私の勝ちだな。百貫!」

 

 寿司食い勝負は、僅差で万千代の勝ちとなった。

 

「若様、やりましたよ!」


「おっおう……よくやったな。胃薬飲んでおけよ」


 太郎は、別にこんな勝負で勝っても負けてもどうでもいいと思っているのだが、万千代が頑張って勝ったので褒めないわけにはいかない。

 微妙な表情で、万千代の勝利を褒めていた。


「津田殿、あの万千代という少年、大物になるかもしれませんな」


「おおっ! 人を見る目がある羽柴殿がそう言うのなら、抜擢した俺の目に狂いはなかったのか」


 これが、太郎の代に重臣に抜擢される事になる井伊直政、後に井伊光政の少年時代のエピソードであった。





「貞勝、江戸前寿司という料理が食いたいな……」


「そうですな……」


「サルは甲斐だから、江戸と距離が近くていいな」


「左様ですな」


 そして安土に、江戸前寿司を食べたい病を発症させた主君の姿があった。

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