第二十九話 紀伊殲滅戦
長島の一向一揆を殲滅した新地軍の次の目標は、新宮以西の紀伊となった。
朝倉・加賀一向一揆連合軍との死闘を続ける信長から書状が届き、各地の一向一揆、朝倉家、波多野家、三好家などに鉄砲傭兵を送り出している雑賀孫一の抹殺指令が出たからだ。
これは、信長への狙撃暗殺未遂事件が起きたからでもある。
狙撃は失敗して犯人はすぐに捕まったが、厳しい尋問の結果、雑賀衆の者と判明したらしい。
「紀伊ですか? 色々と困難が予想されますな。兵達の士気は高いですが」
弘就は、長島戦後に光輝が出した褒美に喜んでいる兵と指揮官達に視線を送る。
貰った銭で、家族にお土産でも買おうかと思っているのであろう。
「褒美が金貨と銀貨で嫌か?」
「いえ、もう慣れましたから」
新地家の家臣で領地を持っている者は一人もいない。
すべて『銭侍』と外部から呼ばれている、金銭による俸禄システムであった。
堀尾家、山内家、日根野家、不破家、本多家、蜂谷家、渡辺家、島家など、新地家が上士、中士譜代と認定した家には家禄が存在し、これは後継者がいる限りその金額が出る。
あとは、軍で役職を得るも、内政、外交、技術関連で役職を得るも、これは本人の才能次第、有能ならば要職に任じられて役職給がつく。
当主の才能がいまいちでも決められた額の家禄は出るので、上士、中士家ならいきなり没落などはしない。
家臣の子供達は、成人前までは新地家が主催する学校で学ぶ者も多いし、嫡男太郎の御付きとして屋敷に通う者もいる。
人質というシステムは存在せず、太郎の御付きとはいえまだ子供ばかりなので、今日子が食事を食べさせて勉強などを教えていた。
ついでに、たまに清輝と孝子も怪しい事を教えている。
新地家二代目となる太郎と親しい家臣団を形成し、成り上がった新地家を存続させるシステムの構築に入ったというわけだ。
光輝は没落しない名家は存在しないと思っているが、だからといって自分の子供にそれを味わわせたいとは思っていない。
そのために、出来る限りの努力は行っているというわけだ。
弘就の孫達も、太郎の御付きとして屋敷に通っていた。
たまに孫達から話を聞くと、美味しいお菓子と食事が出たとか、色々と教えて貰ったとか、珍しい遊びをしたとか嬉しそうに話す。
弘就は自分の家が譜代扱いである事が理解できたので、特に不満などはなかった。
あとは、いかに新地家を潰さないように努力すべきかだ。
斎藤家のような最後はゴメンだと思ったのだ。
「金貨と銀貨ですか。いい名付け方ですな」
銅銭が不足しているし、信長は高額取引には金銀を使う事を推奨していたので、褒美としての金銀は有効だと弘就も思う。
今までの金は重さを計り、必要量を切り取って取引をしていたのだが、新地家が一匁単位で金貨と銀貨を鋳造したので銅銭との交換が楽になった。
新地領内では好評で、既に一部は領外でも流通していた。
純度と重さがどれも同じなので、取引がしやすいと特に商人に大人気となったのだ。
これに加えて、ビタ銭を永楽通宝に鋳造し直す作業も続けている。
最近では密かに銅塊を手に入れ、これを材料に永楽通宝を鋳造する事も多くなった。
銭が不足しているので、需要がいくらでもあるからだ。
第一、世間にビタ銭が大量に出回っているのも、銭が不足しているからなのだから。
最近では、永楽通宝よりも宋銭の方が重宝されていた西日本でも、永楽通宝の信用度が上がっている。
さすがに数百年も同じ銅銭を使っていれば、駄目になってビタ銭扱いされてしまう。
新しく宋銭が鋳造されるはずもなく、これに似せた質の悪いビタ銭が大量に流通するようになってしまい、堺経由で流れてくる永楽通宝の価値が上がって更に需要が増えてしまったらしい。
『兄貴、僕は銭ばかり鋳造している』
清輝は、作っても作ってもキリがない状態に嫌気がさしてきたようだ。
『そこで、試しに遊びで作ってみました!』
清輝の手には、永禄通宝と印字された真鍮製の銅銭があった。
『これも、重さは一匁。十文扱いで流通しないかな?』
『うーーーん、金貨の偽物扱いされないか?』
『駄目か……じゃあこれは?』
清輝は、今度は永禄通宝と印字された大きめの銭を出してくる。
重さは同じ一匁であったが、アルミニウム製なので大きかったのだ。
『この時代の人に、アルミニウムって……』
『銀とは違うから、これは大丈夫じゃないかな?』
明らかに貨幣偽造なのだが、この時代では取り締まる者もいないし、私鋳銭でも質がいいと使われたりする。
光輝は『どれだけ銭が足りないんだよ!』と思ってしまった。
『カナガワじゃないと作れないし、日本ってボーキサイトの産出が少ないからそんなには作れないって』
『じゃあ、いいか』
そんな軽いノリで市場に流されたアルミニウム製貨幣であったが、綺麗で物珍しいという事もあってすぐに価値が上がり、永楽通宝百枚前後の価値で取引されるようになる。
「紀伊は色々と面倒な土地。大殿も厄介な命令を」
弘就は信長に隔意があるので、彼からの紀伊平定命令を新地家への嫌がらせだと思っていた。
「やってみるさ。ただ、伊勢への備えも十分に残す」
「それがよろしいかと思います」
一向宗はテロリスト集団と同じで、またいつ蜂起するかわからない。
それに即応する守りも必要となるからだ。
「一万五千人で、紀伊へと進軍する」
「妥当な数だと思います。どうせ、完全平定など不可能ですから」
「補給物資は十分にあるんだけどな」
「進めるだけにしておきましょう」
新地軍は、紀伊平定のために移動を開始する。
伊勢国内で行っている道路工事のおかげで、新地軍は大分早く新宮へと到着した。
だが、問題はこれから先である。
雑賀衆が本拠とする名草郡は、摂津と河内に近い。
これから長い道のりが始まるだ。
「これ、伊勢側から侵攻したのが間違いかも」
「牟婁郡はほぼ押さえているのですから、これで構わないと思いますよ。どうせ摂津と河内も今は混乱しているでしょうし」
どうせ雑賀孫一には届かないのだから、牟婁郡の支配を強化しましょうと弘就は光輝に進言する。
隣接する郡は、状況次第というわけだ。
「ああ、熊野三山ね……」
堀内党を亡ぼして牟婁郡を手に入れたものの、この地では熊野三山の力が強かった。
寺領を新地家が銭で渡すという提案も拒否し、一部の神官が他の寺の僧侶や地侍と組んで新地家の検地帳と地図作製に抵抗してきた。
一時権益を認め、その後は硬軟織り交ぜての交渉と小競り合いが続いたが、今回の雑賀孫一侵攻に呼応して蜂起したため、雑賀衆の敗戦と残敵掃討に巻き込まれて多くの犠牲を出している。
このため、急速に力が衰えた熊野三山は、武装解除と寺領を銭で貰う講和案を受け入れた。
一部に反発した神官や地侍が出たが、これらも討伐されるか、牟婁郡から逃げ出している。
「紀伊には、根来寺と高野山もあるのですが……」
「宗教天国だな、紀伊って」
「まあ、これから地獄になるんですけど」
毒を食らわば皿までと、弘就は相手が宗教勢力でも容赦をしない決断をした。
今までは罰が当たるのではと心配していたのだが、光輝達がまったく気にしていないので、怯えるのがバカらしくなってしまったのだ。
根来寺と高野山は共に全国に広大な寺領を持ち、門前町もあり強大な経済力も持っている。
兵力も信者である地侍を有し、僧侶が武装して種子島も大量に保持している。
あまり敵に回したくないのだが、こればかりはどうなるかわからない。
「その前に、根来になど辿り着けないでしょう」
紀伊では他にも多くの寺社が寺領を持ち、僧侶や神官が武装していた。
地侍勢力も強く、新地軍は犠牲を少なくするために慎重な進撃をせざるを得なくなる。
「寺社と反抗的な地侍ばかりで嫌になりますな」
寺領を放棄して禄を新地家から金銭で貰い、僧侶と神官の武装解除、武力闘争禁止。
こんな当たり前の条件が呑めずに、彼らは武士のように武装して新地軍に襲い掛かる。
新地軍は鉄砲の連射、青銅大筒、弓矢で応戦し、僧兵達に種子島で反撃され、斬り込まれて多くの犠牲を出した。
地侍達の抵抗も凄かった。
新地家に銭で雇われるという条件に反発し、武器を持って襲いかかってくる。
これらを討ち、従順な農民達に土地を分配、その権利を認め、彼らを慰撫するために伊勢から道を作ったり、新規の開墾や治水工事を始めたり、新しい町割りをしたりした。
出来る限り物資の購入も現地で行い、反抗的でない農民や商人達の支持を得ようとする。
「殿、やれば意外とできるものですな」
本多正信は、感無量といった表情で雑賀城を眺めている。
粘り強く半年ほど作戦を続け、新地軍はようやく雑賀城近くにまで到達した。
根来寺と高野山を刺激しないように、ようやく地侍衆の一揆を討伐したら再び蜂起されと、なぜ紀伊が魔境扱いなのか光輝はようやく理解する事になる。
この半年で、越前の朝倉・加賀一向一揆連合軍は殲滅され朝倉氏は滅亡、越前も織田家に平定されている。
だが、残存する加賀一向宗が越前への侵攻を図り、柴田勝家がそれに対応する事になった。
彼は越前半国を得て、前田利家、佐々成政などを寄騎として戦いを続けている。
丹波方面は、明智光秀と木下藤吉郎による波多野、赤井家調略が成功してどうにか治まっていた。
だが、近江で一向一揆が発生したために両者は軍を戻して戦を続けている。
摂津方面は、応援で来た松永久秀が茶道が縁で知己である荒木村重を調略、三好軍を再び海へと追い落とす事に成功している。
ただ、石山へのけん制は必要で、信長の本隊に合流して石山に攻撃をかけていた。
「残るは雑賀衆ですが、織田家に対する全方位蜂起は失敗しました。呆気なく降るかもしれません」
石山にある本願寺は、長島という拠点を失い、近江の一向一揆も平定されつつあり、加賀の一向一揆とは実は連携していない。
石山も加賀のコントロールが効かなくて苦慮しているようで、これは見捨てる算段を始めたようだという噂が流れてきた。
ならば、雑賀衆は簡単に降るかもしれない……。
などと思っていた光輝に、正信から衝撃の報告がもたらされる。
「殿、根来寺と高野山が蜂起しました」
「クソ坊主め!」
光輝は思わず叫んでしまう。
正信から詳しい報告を聞くと、占領した地域にある根来寺と高野山の荘園から僧兵が出てきて、こちらの農地や城などを勝手に占拠し始めたらしい。
抵抗した家臣達は追い出されるか、殺された者も数名出たと報告が入った。
「なぜ?」
「ええと……純粋に好機だと思ったのでは?」
「何でだよ! 寺院じゃないのかよ!」
「根来寺と高野山も、荘園を広げるための出兵など日常茶飯事ですよ」
根来寺は全国に荘園を七十二万石持ち、僧兵は一万人を超える。
高野山にしても、荘園は全国に十七万石を数えた。
武装もしていて、種子島の装備数では全国有数であった。
つまり、坊主が大名化しているのである。
「武装して他人の領地を奪う坊主、世も末だな……」
「そうですな」
さすがの弘就も、紀伊の寺社勢力の強さにウンザリしているようだ。
「根来寺と高野山に、雑賀衆が合流して総勢二万人を超えるそうです」
「雑賀衆って、一向宗じゃないのか?」
「全員がそうとは言えませんし、新地軍を紀伊から追い出すために組む事も必要とあればするのでしょう」
「応戦準備、弾薬と矢を惜しむな」
増援して二万人となった新地軍と、根来寺、高野山、雑賀衆、残存地侍連合軍二万四千人との戦いは、壮絶な火力戦となった。
双方合わせて一万四千丁の種子島、新地軍のみが持つ二百門の青銅大筒が絶え間なく発射され、最初は双方に犠牲が出たが、徐々に種子島の性能と、用意した弾薬の量、新地軍側しか持っていない青銅製大筒の威力によって根来寺、高野山、雑賀衆、残存地侍連合軍の犠牲が爆発的に増えていく。
「惜しむな! 撃て!」
新地軍の射撃は一向に止まず、根来寺、高野山、雑賀衆、残存地侍連合軍は徐々に大量の死体を発生させながら後退を始めた。
「なぜ玉薬が尽きない!」
「向こうも硝石を製造しているのでは?」
荒れる雑賀孫一に、家臣の一人が答える。
「御館、このままですと土橋達が……」
雑賀衆は集団指導体制で、各当主の間には領地争いなどで対立関係もあり、決して一枚岩ではない。
孫一が勧めた本願寺との協調でここまで犠牲が出たとなると、彼に対する責任論が出てくる可能性があった。
「俺を殺して、新地に首を献上する輩も出てくるか……」
これ以上は、交戦の利あらず。
そう感じた孫一は、一部子飼いの部隊だけ連れて戦場を離脱、そのまま紀伊からも出国して石山本願寺へと合流する。
残された連合軍であったが、こちらは数が多いだけに犠牲も酷かった。
いまだに連続して続く射撃に、既に弾薬がない連合軍は絶望していた。
「なぜ種子島の過熱を冷まさず撃てるのだ!」
答えは、新地軍一人につき四丁の種子島を持っているからであった。
加熱したら予備と交換して射撃を続ける。
早合も大量に用意してあり、射撃密度も濃い。
無駄に見えるほど弾幕を張って敵を近づけず、槍と長刀を持って突撃を試みた僧兵の部隊は壊滅した。
「近づけるな! 撃て! 撃て! 撃て!」
経済力を背景に、強力な鉄砲隊を所持していた根来寺と高野山。
だが、それ以上の火力で自分達を殺していく新地軍に、彼らは恐怖した。
鉄砲だけではない。
荷台に載せた小型の青銅製大筒から散弾や砲弾も発射され、後方にも安全圏は少ない。
降伏する者、撤退する者、討たれる者と、孫一離脱後の連合軍は壊滅した。
敗走する彼らは新地軍による執拗な追撃を受け、多くの僧兵達が討たれていく。
「狂信者は怖いからな。数を減らしておこう」
光輝としては、素直に武器を捨てて寺や神社本来の仕事だけしてくれればと思ったのだが、今までの利権を捨てる事を潔しとしない連中が本気で新地軍を攻撃してきたために、殲滅戦に移行するしかなかった。
小さな寺や神社では、新地家からの要求に素直に応じる所もあった。
荘園は生活のため、武装は自衛のためだと純粋に思っている所は、新地家による禄の支給と、治安維持を責任持って新地家が行うと言えば素直に従ったのだ。
ただ、熊野三山、高野山、根来寺などの特権と利権が多い所はそれに応じられずに戦いとなった。
「三河の一向一揆でもこんな感じでした。私は一向宗の教えが正しいと思って、家康様に逆らった。今は、自分がいかに間違っていたのかに気がつきました。僧侶がこれほど膨大な軍事力を持つ必要などないのですね……」
光輝の傍にいる本多正信が、溜息をつきながら戦場跡を見る。
大決戦の後、戦場跡では遺体の片付けが進んでいた。
残敵掃討にも兵を割かねばならず、地元の住民に多額の日当を払って片付けを手伝わせている。
「敵側の死傷者は、一万二千人を超えるでしょう」
大火力によって集中砲火を浴びせたので、大半は銃創と砲撃によるものだ。
それでも、新地軍の犠牲者も千人を超えた。
主だった武将に戦死者はいなかったが、山内一豊、本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次が銃弾を受けて負傷している。
すぐに治療したので命に別状はないが、蜂屋貞次は重傷で暫く休養が必要だと軍医から報告があった。
「回収される種子島が多いな」
「さすがは、高野山と根来寺といったところでしょうか?」
その数、実に七千丁を超える。
あまりに多くて、遺体の片付けをしている農民達に盗まれないように注意する必要があった。
これを使って再び武装蜂起されると堪らないからだ。
「紀伊の占領自体は可能ですが、統治はいかがなされます?」
新宮は、熊野三山の蜂起が失敗して穏健派神官達による管理が始まっているので、余り大きな混乱は起きないはず。
だが、今回の作戦で占領した地域は、これからも反抗の芽が燻り続ける可能性があった。
「分割して、時間をかけて治めるしか手が思い浮かばない」
「私も、それしか思いつきません」
戦場跡の片付けが終わると、新地軍は根来寺と高野山へと向かう。
最後の抵抗を予想したが、彼らはあまりの損害に心をへし折られてしまったようだ。
素直に降伏してくる。
「一部強硬な者達は既に逃げ出しています。寺を焼くであろう仏敵新地に対抗すべく、各地で抵抗を続けると……」
離脱した人数はそう多くないが、他の国の根来寺荘園などを拠点に抵抗を続けると言って去っていったそうだ。
厄介の種を地方に撒いたとも言えるが、全てに責任を持つ余裕が光輝にはない。
「何で寺を焼かないと駄目なんだ? せっかくの文化遺産なんだ。上手く維持して観光客を呼べ」
光輝は、紀伊各地の寺院に金銭で禄を出す、武装禁止、罪人の匿い禁止などの通達を出してこれらを呑ませた。
雑賀城と雑賀荘も、犠牲者の多さと生き残った強硬派の石山合流などがあり、これも素直に開城・降伏している。
「とはいえ、これは難題だなぁ……」
信長の命令による紀伊平定は終了したが、光輝はその統治に多くの労力を割く事となる。




