第二十七.五話 野草とラーメン
「旦那様、おはようございます」
「こんなに朝早くから何をしているんだい? 葉子」
「はい、食べられる野草の採取です!」
光輝は、大臣家である三條西家から嫁を迎え入れた。
名を葉子といい、背は百五十センチもなくて小さいが元気で明るい美少女であった。
どうやら三條西家には年頃の娘がいなかったようで、彼女は親戚筋の貧しい半家から養女となり、それから新地家に嫁いだ。
信長も親戚から養女を迎え入れて嫁がせているので、そう珍しい話ではない。
色々と大変な環境で育った葉子だったが、彼女は貴族の娘とは思えないほど行動的で逞しかった。
朝早く起きて新地城近くにある草原まで行き、そこで食べられる野草を採取してきたというのだから。
「食べられる野草を?」
「はい、実家が貧しかったので癖ですね」
聞けば、嫁ぐ前の葉子は時間があれば食べられる野草の採集をしていたらしい。
「私が野草を採取しないと、食事でおかずが出ないんですよ」
「そうなんだ……」
光輝は、新地家では必要ないのにと思った。
それに葉子は光輝の第三夫人であり、一人で城の外に出られるはずがない。
光輝の視界の端に、彼女の警護を担当する兵士が野草の入った籠を持たされて黄昏ていた。
まさか、野草採りの手伝いをさせられるとは思っていなかったのであろう。
彼だって出世を目指して新地家に仕官したのに、まさか野草採りを手伝わされるとは思わなかったのであろうから。
「(お前さん、よく頑張ったな)」
光輝は、あとでこの兵士に酒でも褒美で渡してやろうと思った。
「一杯採れましたよ」
野草は、ヨモギ、フキ、カタバミ、カラスエンドウ、ドクダミ、タデ、ツユクサなど、食べられるものだけを大量に採取している。
葉子は、食べられる野草に対する知識に優れているようだ。
「実家には、代々食べられる野草を記した本があるのです。家伝ではありませんが、覚えないと汁に具が入れられないので」
屋敷の庭で菜っ葉なども育てているが、量が足りないので野草採りは必須だったらしい。
「でも、そんなに美味しい物でもないですけどね」
「野草は食べた経験があまりないなぁ……」
今日子と一緒に惑星グンマにある日本料理屋で、タラの芽とフキノトウの天ぷらを食べたくらいだ。
それも、お店の人は水耕工場で栽培されたものだと言っていた。
人気があるので自然採集だけにすると量が足りず、人工的に栽培しているそうだ。
それを聞いて、二人は美味しさが半減したような気がしたのを覚えている。
「朝食で食べてみるか」
「私も調理を手伝います」
葉子が採取した野草は、お浸し、炒め物、天ぷらなどに調理されて食卓に並んだ。
彼女も手伝ったが、慣れているだけあってその腕前はなかなかのものだ。
「新鮮だからか、意外とアクがなくて美味しいな」
「健康にはよさそうだね」
調理された野草を、光輝と清輝は美味しそうに食べる。
これはこれで、たまに食べる分には美味しいのだなと思った。
毎日食べたいとは思わなかったが。
「うーーーん、実家を思い出すなぁ」
清輝の妻孝子は、微妙な顔をしながら野草料理を口に運ぶ。
「新地家に嫁いだから、毎日無理をして採らなくてもいいと思うよ、葉子ちゃん」
「みたいね、新地領には野菜が一杯あってみんな美味しいし、同じ野草を調理しても全然美味しいのね。新地家って」
天ぷらに使う大量の油に、多彩な調味料もあるし、野草の調理方法ですら洗練されていて、葉子は実家で調理して食べるのとは段違いだと感じた。
「間食はヨモギ餅だよ。ヨモギが新鮮だからいい香りだね」
今日子は、余ったヨモギでヨモギ餅を作ってオヤツの時間に出した。
「実家では、ヨモギがあってもお菓子を作ろうという発想がないです。刻んで雑炊に入れて終わりですから」
下級貴族が砂糖を入手するなど、ほぼ不可能だと葉子は言う。
誰か上の貴族からもらうくらいしか可能性はないそうだが、その上の貴族も貧乏なのだから食べた事がないそうだ。
「義実家の三条西家では?」
「私、養女になってすぐに嫁いだので詳しくは知りませんけど、連歌の会で出されたお菓子を誰が持って帰るかで貴族達が揉めたという噂が……」
葉子から聞く貴族の困窮ぶりに、光輝は言葉も出なかった。
「食べられる野草採りは、私もしていましたよ」
孝子も下級貴族家の娘であり、実家にいた頃はよく野草採りをしていたと語る。
「一応貴族だから、体面を気にして変装して行くんですよね。野草がよく採れる場所に行くと、変装している貴族の子供が何人かいまして」
「よくあるよね。顔見知りでも、お互いに知らない人の振りをするのが決まりになっているんですよ」
いくら下級でも、貴族が庶民に混じって野草を採るのは恥なので、知り合いに会っても一切話をしないのがルールだと葉子が言う。
「たまに名家の人とかがいて、それはいいんですけど、羽林家の人だと目のやり場に困るんです」
羽林家の人間が、食事が足りないから野草を獲って腹の足しにしている。
確かに、あまり人様に話せるような話ではなかった。
「さすがに、当主や息子は野草採集はしないよね?」
「はい、趣味という事にして釣りをしていますね」
光輝は、葉子の返答にガックリときた。
貴族が、釣った魚をおかずにしないと滅多に魚が食べられないというのだから。
「(そんなんで大丈夫か? 貴族)」
光輝は少し心配になってしまったが、それでも葉子は貴族の娘でちゃんと教育を受けている。
その教養の高さは、お市でも及ばないところがあった。
「秋の池 蛙飛び込む 水の音 ぽちゃ」
「いや、兄貴。ぽちゃはいらないだろう! それに、誰かの真似くさい!」
光輝がやっと考えて詠んだ歌を、清輝が全力で否定した。
「字余り」
「字余りが独立してどうするんだよ!」
光輝はいつもこんな感じで、この時代の教養も興味がないと一切覚えない人間であった。
本人に才能がないという理由も大きいであろうし、下手に覚えると大嫌いな細川藤孝と顔を合せる羽目になってしまうのが嫌だと思っているのだ。
だが清輝も、人に言うほど教養があるわけでもない。
代わりにその手の事を孝子と葉子に任せる機会が増え、新地家家中はそれなりに上手くいくようになるのであった。
「清輝、お前は間違っているぞ!」
「兄貴こそ、その間違いに気がつくべきだね!」
その日、二人の兄弟は今までに誰も見た事がないほど激しい兄弟喧嘩をしていた。
「殿、落ちついてください」
「正信、これは兄弟だけの問題なのだ。他人が手出しする事を禁止する」
「そう、これは僕と兄貴だけの喧嘩だ。共に譲れないものがあるからね」
これまでは仲がよく、兄弟が喧嘩をしているところを一度も見た事がない家臣達は、みんな狼狽えていた。
「このまま喧嘩が激しくなると……」
真面目な一豊は、心配で堪らない。
これが原因で兄弟が相争い、もし新地家分裂などになれば。
今の新地家重臣としての安定した日々が、なくなってしまうかもしれないからだ。
「殿、清輝様。落ち着いてください」
「一豊、俺は常に冷静だ。間違っているのは清輝なのだから」
「いいや、間違っているのは兄貴だね!」
二人は火花を散らしながら睨み合いを続ける。
「えっ? みっちゃんとキヨちゃんが喧嘩?」
一豊が懸命に二人を押さえている間に、気を利かせた清興が今日子を連れてきた。
腕っ節でいえば、光輝と清輝が二人がかりでも今日子に勝てるはずがない。
それを知っている清興は、もし本当に喧嘩になったら彼女に押さえてもらおうと呼んできたのだ。
「二人が喧嘩? 何が原因で?」
「それが皆目見当もつかず……」
「私もわかりません……」
清興と一豊は、二人の喧嘩の原因がわからないと首を傾げた。
「今日子様、何とかしてください」
「遺恨を残すような事になると大変ですぞ」
「わかったわ、ねえどうして喧嘩をしているのかな?」
二人に頼まれて、今日子は光輝と清輝に喧嘩の原因を聞いた。
「よくぞ聞いてくれた、さすがは我が妻だ」
「この件ばかりは、義姉さんは僕の味方になるはずだよ」
「ふっ、肉親の情以前に、俺の方が主流なんだ」
「いいや、僕の方が主流派だね」
「意味がわからないから説明!」
二人が何で言い争っているのわからない今日子は、詳しい説明を求めた。
「ほら、義姉さん。ようやく養豚が軌道に乗ったでしょう? まだ小規模だけど」
ある物が食べたい。
そう思った兄弟は、養豚業の育成を開始していた。
焦って生産を急ぐのではなく、将来の拡張性も考慮して最初は豚の数を増やす事に集中した。
薩摩、琉球、明などから豚を輸入(密輸)し、掛け合わせて品種改良をする。
餌は何でも食べるので、生産を最優先した豚と肉質をよくするために餌や飼育方法の工夫をおこなった少量生産豚とに分け、後者は新地家のみで消費されていた。
他にも、酪農と養鶏も始めていて、肉、牛乳、卵の採取量も増えている。
ヤギも試しに育てているが、癖があって新地家の人達は食べなかったので、これはすべて市場に流していた。
あとは、田んぼの雑草を合鴨に食べさせる農法を一部農家で実施してマニュアルを作製したり、用水路やため池で鯉を飼う実験も始めている。
「そうね、でも養豚が原因で二人が喧嘩をするの?」
「違うよ、義姉さん。僕達が養豚を始めた理由は何?」
「ええと……ラーメンだっけ?」
そう、美味しいラーメンを作りたいが、スープを取るにもチャーシューを作るにも豚が必要だったからだ。
「養豚も軌道に乗り始めて、豚骨もチャーシューに使うお肉も確保したのよね?」
「麺に混ぜるのと、煮玉子用の卵もあるよ」
「じゃあ、何で二人で喧嘩するのよ?」
今日子はわけがわからなかった。
「麺の打ち方は、蕎麦で教育済みだ。メンマも既に生産を開始している。ネギもあるし、ナルトも……」
「待てい!」
いきなり光輝が、清輝の発言を大声で遮った。
「何だよ? 兄貴」
「ラーメンにナルトはいらない」
「はぁ? ラーメンにナルト入れないで何入れるんだよ?」
「海苔」
「兄貴こそバカ言うなよ! ラーメンに海苔なんて入れてもヘタヘタになって美味しくないじゃないか!」
「ナルトは意味がわからねえよ! 昔から入っているからって、老舗至高主義の連中がありがたがっているだけだろうが! 海苔は、スープに浸してからご飯に載せ巻いて食べるんですぅ! 情弱乙!」
「ラーメンライスじゃない人はどうするんだよ! ナルトは美味しいじゃないか!」
「この兄弟は……」
今日子は、心の底から呆れた。
いい年をした兄弟が、ラーメンに入れる具で言い争いをしているのだから。
「具なんて、個人が好きな物を入れなさいよ」
「今日子がそう言うのなら……」
「まあ、義姉さんの意見だからな……」
二人は、ラーメンの具で争うのを止めた。
下手に今日子を怒らせると怖いからだが、表立っては絶対に口にしない。
「ラーメン久しぶりだよね。何ラーメンにするの?」
「醤油!」
「味噌!」
ここでも、兄弟の意見が割れてしまった。
「はあ? ラーメンといえば醤油だろうが!」
「違うね! 味噌に決まっているじゃないか!」
せっかく争いが収まったのに、結果的には今日子がまた火をつけてしまった。
光輝は醤油ラーメン、清輝は味噌ラーメンと、最高のラーメンの味を譲らなかったからだ。
むしろ、具の争いよりも性質が悪いかもしれない。
「ナルトが旧弊の産物とか言っている人が、醤油に拘るって滑稽だね」
「味噌は何食っても味噌の味しかしないだろうが! 醤油はアッサリからコッテリ、魚介、鳥、豚、牛とどんなスープにも合い、変幻自在で万能な味なんだよ!」
「味噌だって同じだね! 味噌ラーメンも色々とあるんだよ! 兄貴こそ、味音痴なんじゃないの?」
「言うに事欠きやがって! この脳味噌味噌野郎が!」
「言ったな! この体液醤油野郎が!」
「「「……」」」
あまりに幼稚な言い争いに、今日子は呆れ返って何も言えなくなった。
一豊と清興は、ところどころ意味がわからない単語が出るので判断を放棄してしまっている。
「こうなれば、今日子に判断してもらおう! まあ、今日子は醤油って言うだろうけど」
「それがいい! きっと義姉さんは味噌って言うけどね」
光輝と清輝は自分の勝利を疑わずに、今日子に好みのラーメンの味を聞く。
「塩」
「へっ?」
「だから、私は塩ラーメンが好きなの」
嘘偽りなく、今日子は塩ラーメンが好きであった。
そして、それを正直に二人に言ってしまう。
まさかの第三勢力登場に、光輝と清輝は余計に激高してしまった。
「ガッデイム! 我が妻の好みが塩味とは……」
「塩、それは味の好みを聞かれた時に、そう答えておくと通だと思われる、などと邪な考えを抱いてしまう味!」
「天ぷらでいえば、塩を振って食べる人が通で、天つゆを使う人を下に見てしまうという罪な調味料」
「それはあるね。ステーキを塩コショウだけで食べ、ステーキソースを使う人に『程度の低い肉しか食べられないで可哀想に』とか言うパターン」
「そうだ、塩は罪深い」
「罪深いね、兄貴」
二人はいつの間にか仲直りしていたが、今度は塩味だと答えた今日子を挑発するような発言を連発した。
次第に今日子が小刻みに震え、それに気がついた一豊と清興が顔が真っ青になる。
もし今日子が爆発したらどうしようかと、気が気でなかったのだ。
今日子を怒らせるなんて、我らの主君ながらなんて無謀な兄弟なのだと思ってしまった。
「味の好みはその人次第、バカにするなどもっての他! ラーメンは?」
「「何味でも美味しいです!」」
今日子から湧きあがるような殺気に気がついた光輝と清輝は、すぐにヘタれて己の意見を完全に引っ込めてしまうのであった。
「結局、色々と作ったのね……」
「実際に作って味を見てみないと」
下らない兄弟喧嘩の後に、二人は協力してラーメンの作成に取りかかった。
「味は、タレで分ける事にしよう」
醤油タレ、味噌タレ、塩タレでラーメンの味を分ける。
スープも、野菜主体、魚介主体、鳥ガラ主体、豚骨主体などと何種類も作り、色々と組み合わせてスープを完成させる。
麺は、卵入りとそうでない物、太さなども色々と種類を作らせた。
具も、チャーシュー、煮玉子、ナルト、メンマ、海苔、ネギ、ホウレンソウ、紅ショウガなどと準備してあり、みんな自由に組み合わせてラーメンを作る。
光輝は、鶏がらあっさり醤油ラーメンと、豚骨醤油ラーメンを。
清輝は、正統派北海道味噌ラーメンと、味噌豚骨ラーメンを。
今日子は、野菜と魚介が載った塩ラーメンをと。
まだ専門店のラーメンには少し劣るが、これは研究を続けようと光輝は決意する。
「あなた、美味しい料理ですね」
「へえ、原型は明の料理なのですか」
「珍しくて美味しい物が食べられる。新地家は凄いですね」
お市、孝子、葉子もラーメンを堪能した。
「なるほど、汁、麺、具材の組み合わせで種類は無限の料理ですか」
光輝と清輝から資料をもらい、ほぼ独学でラーメンを完成させた調理師は、試食したラーメンの味にあらためて感動した。
だが、まだ美味しく作れるはずだと光輝から聞き、更に研究を重ねようと決意する。
「私、この料理を覚えて新地にお店を出したいです」
「食べに行くから頑張れよ」
この調理師は武士ではなかったので、数年に及ぶラーメンの研究後に警備隊を退役し、新地にラーメン店を開業する。
数百年後、ラーメンの元祖と呼ばれるようになる伊勢屋伝次郎の若き日の姿であった。
「えっ? また清須にですか?」
「聞いているぞ。光秀に随分といいものを食わせたらしいな。お市からも、らーめんが美味しいと手紙に書いてあった。我は両方を食するぞ」
信長の命令により、光輝はまた清須にラーメンを作りに行く羽目になるのであった。
フグを捌ける調理師も連れて。