第二十七話 小谷城開城と、三人目の妻
比叡山焼き払いから一か月後、織田家はいまだに軍を動かし続けていた。
浅井家の裏切りで後退した対朝倉戦線を元に戻すべく、北近江浅井領の制圧を急いでいたからだ。
浅井家は一か月前の敗戦により多くの損害が出てしまい、織田家の将木下藤吉郎による調略と、抵抗した国人衆の城は落とされ、今は小谷城のみが浅井家の勢力圏となっている。
浅井三人衆は領地を奪われながらも久政を擁して籠城を続けていて、遠藤直経は長政を助けてほしいと信長の元に単身で出頭した。
「朝倉家への恩義に、重臣ほど捕らわれてこの結果なのです。長政様も改めようと努力していたのですが……」
それを改め切れない内に、久政が三人衆を説得して押し込めが発生してしまったのだと直経は言う。
「そちのせいでもあろう」
「私がですか?」
「わからぬのか? 長政は、常にお前を傍に置いた。その信頼は絶対のものであろうな」
「それがいけないのですか?」
「三人衆は面白くなかろうな。いつか、お前が自分達を押し退ける可能性を考えた。そういうものも朝倉家に利用されたのであろう」
長政による浅井家掌握が進むと、先代久政の影響が強い三人衆の影響力が弱められ、長政に重用されている直経がその地位に取って変わる。
信長の推論でしかなかったが、直経は一言も反論できなかった。
「義弟は助けたい。逆らったのは久政であって、義弟ではないからな」
「ありがたき幸せ」
「ただし、久政と三人衆には責任を取ってもらうぞ」
直経は自ら志願して小谷城に戻り、そこで降伏の条件を久政に伝えた。
「浅井家は長政様を当主に存続可能ですが、公方の朝倉討伐命令に逆らって朝倉家側に寝返ったのは事実。折を見て復帰を検討するが、領地は没収だそうです。そして、久政様とご三人には腹を召していただく」
「うぬは、織田の手先か!」
条件を伝えた直経に、赤尾清綱が激怒する。
彼からすると、直経は売国奴にしか見えなかったからだ。
「裏切り者はどちらですか! そもそも、織田家を裏切らなければこんな事態にはならなかったのです! 無駄な戦で何人死んだと思っているのです!」
「まだだ! まだ勝利の目はある! 朝倉家も我らが滅べば孤立するのだ。必ずや援軍を送ってくる。彼らと、我々で織田軍を挟み撃ちにすれば」
「無理です」
直経は、海北綱親の楽観的な意見を冷たく否定した。
「籠城している兵力だけでは、城を出ただけで織田軍に殲滅されるでしょう。それに、いつ新地軍が来るかわかりません」
今は明智軍と共に坂本の地にいるが、いつここに来ないとも限らない。
あの青銅製大筒を大量に放たれてしまえば、小谷城など簡単に廃墟にされて落城するはずだ。
「長政様と乃夫様がおられる。信長はそのような無茶はすまい」
「清貞殿、信長公は善意の人ではなくこの乱世を生きる大名なのです。そのような甘い考えは捨てなされ」
直経は、いまだにそのような楽観論を吐く雨森清貞に内心で落胆した。
逆に言えば、清貞ほどの人物が楽観論に逃げるほど戦況が悪化している証拠とも言えた。
「朝倉家への恩を忘れたのか?」
「ならば、上洛するように朝倉家を説得するのが筋でしょうが! それが出来ないで無謀な反乱、挙句に小谷城以外はすべて織田家に占領されました。浅井家はもう負けたのです! 滅ぼされないで済むのですから、腹を召しなされ!」
「……」
直経に大声で怒鳴られ、三人衆は黙り込んでしまう。
彼らもバカではないので、直経が言っている事が正しいのはわかっているのだ。
「敗れた以上は是非もなし。腹を切ろう」
直経からの強い説得により、一番ごねると思われていた久政が決意し、浅井久政、赤尾清綱、海北綱親、雨森清貞が切腹、他に数名の殉死者が出て小谷城は開城となった。
「次は、朝倉に楔を打つぞ!」
さすがに、越前の完全占領は来年以降に持ち越さないといけなかったので、織田軍は大損害を出して動員能力に陰りがある朝倉領のうち、敦賀、金ヶ崎、手筒山、木の芽峠の諸城を再び落とし、そこに柴田勝家を入れた。
「暫くは、体勢を立て直さねばなるまい……」
いかに織田家でも、兵員の損失はともかく兵糧、金銭、物資の消耗が激しい。
ひとまず戦を終えて京へと凱旋し、予想以上に長くなってしまった出兵がようやく終了するのであった。
「三條西家より参りました。葉子と申します」
光輝が新地に戻ると、自分に三つ指をついて挨拶をする美少女がいた。
ちょっと小さいが、この時代なら平均よりも少し背が低い程度だ。
前に信長から聞いていた三人目の嫁が、既に新地に到着していたらしい。
「お互い事情があって大変だけど、よろしく」
「みっちゃんは、もう少し女性に気が利いた事が言えるといいのにね」
光輝としては考えに考え抜いた挨拶だったのに、今日子に否定されて少し落ち込んでしまう。
「ここは格好よく、歌でも詠めってか?」
「みっちゃんには無理だよね……」
「無理だけど、それを口にしてはいけない」
元々この時代の人間ではない光輝に、和歌を詠む教養はない。
宇宙船員の学校にいた時に、労働衛生週間の標語や、船員募集に使う川柳などを強制的に提出させられたくらいだ。
まったくセンスもないので、苦労して考えて提出したものは箸にも棒にも引っかからないで終わった。
絵は下手だし、字も普通に読める字を書けるくらい。
茶道は今日子頼みであり、その今日子も茶道と生け花以外の教養は苦手で、すべて信長の妹であるお市に任せている状態だ。
いや、もう一人いた。
「あれ? 葉子って、三條西家に養女に入ったの?」
清輝の正妻にして若干腐女子の気がある、唐橋家から嫁に来た孝子が葉子に声をかける。
どうやら、二人は顔見知りのようだ。
「年頃の娘がいなかったみたい。うちの実家は傍流だけど親戚筋だし」
意地でも新地家に嫁を送りたかった三條西家は、親戚筋の半家から養女を取って嫁に出したようだ。
養女を嫁がせるのは、この時代普通にあった。
「貴族、大変だな」
「みたいだね」
光輝が戻ってきたので顔を出した清輝が、訳知り顔で頷き続ける。
「お前も、もう一人嫁さんいるか?」
「うんにゃ、いらない」
清輝は、きっぱりと側室はいらないと答えた。
こう見えて意固地な部分もあるので、無理に押しつけるのは難しいと光輝は理解する。
「こう見えて、僕も色々と忙しいんだよ」
領内にヒキコモリ状態の清輝であったが、新地城の建築、周辺の城下町の整備、埋め立てによって巨大な新地港も建設した。
伊勢やその周辺から、硝石製造のために糞尿を他の肥料と交換して硝石丘に運んでくるシステムに、カナガワで製造した資材で領内中の開発も進めている。
効率のよい鉄砲製造工房に、焼き物、磁器、ガラス、鋳物、製紙、製本、製鉄などの職人を呼び寄せ、工業団地を作って生産と秘密保持も行っていた。
治水、道路工事、農地の開発も進め、光輝が頻繁に出征可能なのも、すべて清輝とキヨマロ達のおかげであった。
「空いている時間に孝子と創作活動をしているから、他の女の相手をしている暇はないんだ。創作物の女性登場人物を除いて」
「私も、新しい組み合わせを考えるので忙しいんです」
孝子は、いわゆる腐女子であった。
清輝よりは外に出る妻で今日子達とも仲が良かったが、男性同士の『アッーーー!』な作風の本を印刷して密かに販売している。
同好の志は伊勢国内のみならず京にもいるそうで、これが意外と儲かっているらしい。
清輝は純粋なオタクなので、彼も萌え美少女が沢山出ている本を出版して販売している。
今日子に言わせるとこの二人は、『互いの趣味を諦め合えるいい夫婦』なのだそうだ。
だが、光輝は知っていた。
そんな事を言っている今日子とお市も、実は孝子の新刊を密かに楽しみにしている事実を。
「三條西家の実娘が、新地家三番目の側室というのも問題なので養女にした。それでも、一応は三條西家の縁戚になっているというわけです」
「葉子ちゃん、相変わらず冷静だね」
「うちの実家、今にも倒れそうだし仕方がないかなって」
どうやら、葉子の実家も例外なく貧乏なようだ。
信長の上洛でようやく財政的に少し落ち着けたが、その恩恵はなかなか下級貴族にまで回らないらしい。
「末永くお願いします、旦那様」
そんな事情もあって新地家にやって来た葉子であったが、孝子という知己がいるおかげですぐに慣れたようだ。
新地家には姑や小姑もいないので、案外楽なのかもしれない。
「今日子さん、贅沢しすぎではないですか?」
「そう? 普通じゃないの?」
大臣家は知らないが、やはり葉子の実家の困窮具合は酷かったようだ。
出された朝食を見て、葉子は目を丸くさせた。
「白米、ワカメと豆腐の味噌汁、キュウリの漬物、アジの開き、昆布の佃煮、納豆、卵焼き、水菜のお浸し。そんなに贅沢かな?」
「ご飯とお味噌汁がお代わり自由だなんて! うちの実家では、お代わりという言葉は存在しません!」
「えっ! 贅沢ってそこ?」
「勿論、おかずも凄いですね。初めて見ますけど、美味しそうな魚ですね」
「これ、ただのアジだよ」
葉子は、新地家の食事の豪華さに驚いた。
朝からこんなにおかずが出て、しかもお替り自由であったからだ。
今日子は、アジの開きを知らない葉子に驚いている。
「間食もあるのですか?」
「そうね、普通じゃないかな?」
十時と三時にお茶とお菓子が出て、しかもそれが物凄く甘いので葉子はまた驚いた。
「お昼御飯があるのですか?」
「えっ? ないとお腹が空くじゃない」
「凄いです。新地家、お金持ちです」
新地家では昼飯が出る事に、葉子は三度驚いた。
今まで生きてきて、一日に三食も食事を取った経験がなかったからだ。
「私、ここにお嫁に来てよかったです。新地家のために頑張りますので、捨てないでください」
「はあ……それは心配しないでくれ」
光輝は食事のよさだけで捨てないでくれと懇願する葉子に、貴族ってどれだけ貧乏なんだろうと思ってしまったのであった。




