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銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。(本編完結)(コミカライズ開始)  作者: Y.A


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第二十六.五話 宣伝とフグ

「貴様! 下賤の身の分際で、皇族たるワシに何たる態度を!」


 比叡山の焼き討ち後、光輝は小うるさいおじさんの相手をする羽目になった。

 比叡山延暦寺の貫主(住職)で、全国にある天台宗の寺を総監する一番偉い人で、伏見宮貞敦親王の五男だそうだ。


「(皇族だけど、子沢山で貧乏だから坊主になった口とか?)」


「(かもしれませんが、あまり大きな声で言わない方がいいのでは?)」


 延暦寺周辺は暫く復活できないように念入りに焼き払ったのだが、やはり一番偉い人というのは逃げ出す手段を持っているようだ。

 関係者にしかわからない山道からわずかなお供と共に逃げ出そうとしたが、警戒していた新地軍によって捕えられた。


「貴様らには仏罰が下るぞ!」


「(このハゲ、何でこんなに怒っているの?)」


「(さすがに寺を焼かれれば怒るのでは?)」


 正信は、皇族でもある天台座主をハゲ呼ばわりする光輝に驚愕しつつも、ちょっと面白いと感じ始めていた。

 小声で聞こえないようにではなく、普通の声で光輝の毒舌を聞かせたら、天台座主である應胤法親王がどんな顔をするのであろうかと一瞬思ってしまったのだ。


「にしてもなぁ……」


 信心などという言葉から最も遠い場所にいる光輝から見ても、この天台座主は酷かった。

 出家している癖に愛妾を複数連れ、お供をしている若い坊主達が担いでいた荷を改めると金銀宝物が大量にある。

 持っている食料の中には、酒が入った容器もあった。


 出家している癖に、妻帯し、金銭に執着し、飲酒しているのだから凄い。

 そういう戒律がなければ光輝も何とも思わないが、『宗派で一番偉い天台座主が、率先して戒律を破るってどうなのよ?』と思わずにいられないのだ。 


「(正信、どうしようか? このハゲ)」


「(大殿に伺いを立てるべきかと)」


「(そうだな、面倒なハゲの管理は殿に任せるか……)」


 光輝は、捕えた應胤法親王を信長に差し出した。

 同行していた愛妾達と、大量にもっている金銀財宝と共にだ。


「ミツ、暫く管理しておけ」


「はあ……」


 信長も、應胤法親王の俗物ぶりには呆れたようだ。

 顔を見るもの嫌なようで、光輝はその管理を押しつけられてしまった。

 こういう時に、そこはかとなくブラック臭が出るのが織田信長という主君である。


「皇族にして天台座主たるワシは主上にも等しい存在、扱いを間違えれば、下賤な貴様など日の本に住めなくなるぞ!」


 責任者でありながら炎上する延暦寺を見捨てて逃げ出した癖に、應胤法親王は傲岸不遜な態度を崩さない。

 商売で嫌な官僚や政治家を何人か見てきて慣れていたが、こいつはその中でも特上クラスのバカだと光輝は思い、密かに應胤法親王に罰を下そうと決意した。


「天台座主様に、お屋敷を準備しないといけませぬな」


「ふんっ! わかればいいのだ。下賤な身分の癖に、少しは物わかりがいいじゃないか」


 光輝は、坂本の町で大きな屋敷を借りてそこに應胤法親王一行を押し込んだ。

 事実上の軟禁状態であったが、その代わりに贅沢の限りを尽くさせている。


「これは美味い酒だな。山海の珍味も最高じゃ」


 さすがに外出の許可は出していないが、その代わり屋敷に籠る應胤法親王に、新地領産の酒に魚貝類に大量の肉と、食べたい物を食べたいだけ食べさせた。


「おおっ! 綺麗な女子じゃの!」


 光輝が大金を叩いて各地から美しく有名な遊女を呼び寄せ貸し切り状態にし、應胤法親王は連れてきた愛妾と共に毎日乱行の限りを尽くす。


「呆れるばかりですな……」


 信長の命令で様子を見にきた明智光秀は、應胤法親王の乱行を見て眉を潜めた。


「楽しいのは今だけですよ」


「新地殿には、何か策が?」


「殺します」


「確かに酷い方ですが、さすがに殺すのはどうかと……」


 どんなに酷い人物でも、應胤法親王は皇族である。

 さすがに殺すのはまずいと、光秀は光輝に意見した。


「光秀殿、殺すとは言っても命は奪いませんよ」


「命は奪わない?」


「まあ、死んだ方がマシという結果になりますけど……」


 なぜ光輝が、嫌いな應胤法親王に多額の金を使ってまで接待を続けているのか?

 徐々にその理由が判明してくる。


「坂本で一番のお屋敷にいるのは、天台座主様らしいな」


「延暦寺があの様なのに、復興もしないで酒池肉林の日々なんだろう?」


「皇族なのに、それはないよな……」


 仮にも天台宗のトップがご乱行の限りでは、いい評判など流れるはずがない。

 すぐ坂本の町全体に、應胤法親王の悪行が広がっていった。


「何でも、近隣の村で美しい少女がいると強引に攫っているらしいぞ」


「それは俺も聞いた。逆らうと、自分は天子様と対等の存在だから仏罰が下るぞと言っているらしい」


「言いそうだよな、比叡山の連中なんて……。何か不都合があると、すぐに仏罰だものな」


 坂本は延暦寺のおかげで発展しているから住民も表立っては文句を言わないが、元々素行の悪い延暦寺の僧兵達にいい印象など持っていない。

 應胤法親王が坂本近隣の村で美しい少女を攫わせたという噂が流れても、誰もそれを嘘だと思わないのだ。


「普段の行状が悪いから、こういう事になるのですよ」


 坂本から始まった應胤法親王の悪評が京に届くまで、大した時間はかからなかった。

 

「殿、噂は流しておきました」


「ご苦労」


 光輝は、噂が流れやすいように伊賀者の家臣達も使ったが、使わなくても時間の問題だったであろう。

 そして應胤法親王の悪評は、親族である正親町天皇の耳にも入った。


「あの痴れ者が!」


 新地家が派手に流した真実と嘘を織り交ぜた應胤法親王の悪行の数々に、正親町天皇は大激怒した。

 特に許せなかったのは、『自分は主上と対等の存在』という部分だ。

 この失言のせいで、貴族達も應胤法親王を庇えなくなってしまった。

 正親町天皇のあまりの怒りに、父親である伏見宮貞敦親王はショックのあまり倒れて急死してしまった。

 これにより伏見宮家が混乱して、ますます應胤法親王を庇うどころではなくなってしまったのだ。


「天子様が、天台座主の素行に激怒しておられるそうだ」


 この噂と合わせて、畿内各地に應胤法親王の悪評が流れていく。

 

「この書状を、清輝に渡してくれ」


「ははっ!」


 そして、止めの一撃が光輝から放たれた。

 

 光輝のプロットを元に、比叡山の腐敗ぶりから、朝倉、浅井家と組んでの軍事行動とその失敗、最後に比叡山を焼かれ、それなのに一番偉い天台座主が愛妾と金銀財宝を持って逃げ、皇族だから命を取らずに軟禁しているのに反省もせず、酒池肉林の日々を送っている。


 という物語が作られようとしていた。

 半分以上は事実であったが。


「ええと……『天台座主様、この娘だけは……』、『ええい! ワシを誰だと思っているのだ! 皇族にして、天台座主たる應胤法親王であるぞ! ワシに逆らうという事は、仏の天罰が下り、主上に逆らうにも等しい行為なのだぞ!』と……おおっ! ワイドショー的になって面白くなってきた!」


 清輝は、これら一連の物語を色絵付きの小冊子にして、全国に無料で配ってあげた。

 新地領産の品を買うと、漏れなく一冊必ずついてくるのだ。

 無料とあって、全国のみんなが楽しそうに冊子を読んでくれる。

 字が読めない人向けに、イラストだけでも内容がわかるように清輝は上手く制作していた。


「無料ですから、みなさん楽しんでくださいね。兄貴も悪辣だなぁ……」


 應胤法親王の軟禁は半年にも及んだが、それが終わる頃には彼は正親町天皇の命令で山奥の荒寺へと監禁されてしまう。

 その後は二度と世間に出る事もなく、数年後にひっそりと息を引き取るのであった。


 そして天台宗も、應胤法親王のせいで評判が地に落ちてしまい、多くの末寺の離脱などもあって一気に衰退へと向かっていく。






「藤孝、あの下賤な新地が昇殿するらしいの」


「そのようですね」


「主上も気まぐれな……神聖なる禁裏が穢れるのに」

 

 義昭の命令どおりに比叡山は無事に成敗された。

 焼け野原にしろとまで命令した覚えはないが、あの強権を誇った延暦寺ですら自分に逆らえば容赦しない。

 それが世間に宣伝できたのは悪くないと義昭は思っていた。

 

 そんな中で彼は、正親町天皇が光輝を昇殿させようとしている事実を掴む。

 藤孝に文句を言っているが、今日は機嫌がいいようなので罵倒までには至っていなかった。


「あの不作法者を昇殿させて大丈夫なのか?」


「それは、織田様が手配しているのでは?」


「でなければ大変な事になるからの」


 義昭と藤孝の話はこれで終わったが、藤孝は内心で期待している事があった。

 光輝への作法指南役は、実はまだ決まっていない。

 藤孝から言わせると、織田信長は天才なのだが、たまにそういう配慮に欠ける部分があるというわけだ。


 それならば、ここは古今伝授の継承者たる自分が教えて、光輝に恩を売ってやればいいと考えた。


「(新地は力があるからな。そういう輩がもう一段上がるには、私のような者を頼りにしないといけない)」


 藤孝はそう胸算用して、光輝からの要請を待った。

 だが、胸算用は胸算用でしかない。

 光輝は独自に指南役を見つけ、藤孝の当ては大きく外れてしまうのであった。




「光秀殿、わざわざすみませんね」


「いえ、私も藤孝殿から教わったので、又聞きみたいで申し訳ないのですが……」


 現在の新地軍は浅井領制圧には参加せず、光秀と共に比叡山と坂本の統治をおこなっていた。

 この地が京都所司代として活躍している光秀に与えられる事となり、ならばと暇な新地軍が延暦寺の片付けをおこなっている。

 寺の再建を口にする者がいるが、光輝はわざとそれを無視して残骸を撤去し、整地をおこない、坂本の町と連結した新町建設のための基礎工事を勝手に進めていた。


 元々琵琶湖の水運を利用できる町なので、琵琶湖沿岸を整備すればもっと発展するはずだ。

 作業は家臣達に任せ、光輝は昇殿するために必要な作法を光秀から習っていた。


「たまに昇殿するくらいならば、基本的な部分だけを押さえておけば問題ありません」


 知的な光秀は教え方も知的で合理的で、光輝はなぜ彼が信長から抜擢されたのかを理解した。

 他の織田家重臣達も有能ではあるのだが、光秀はもう一段高い所にいるように光輝は感じてしまうのだ。


「今日はこのくらいにしましょうか?」


 光秀が先生となった教育が終わると、時間があったので二人でお茶を飲んだ。

 正式な茶会ではなく、急須で煎茶を淹れ、お茶請けは羊羹、黒糖カリントウ、飴、干菓子など日持ちがするものを準備した。

 暫く坂本に軍を置く予定だったので、新地から補給物資として到着して兵士達にも支給されたものだ。


「こんなに甘い物が沢山用意できるとは、新地殿は凄いですな。某には不可能ですよ」


 坂本の地を得るまで、光秀は義昭と信長から銭で禄を与えられていた。

 その額は少なくはないが、彼はこれから織田家重臣として活躍するために家臣団を形成しないといけない。

 ゆえに銭はいくらあっても足りなく、妻子にひもじい思いをさせてしまっている。


 光秀は若い頃には苦労の連続で、特に妻には迷惑をかけた。

 彼の妻は、夫のために髪を売って銭を工面した事がある。


 子供も多く、今までに甘いお菓子を食べさせた事があるのかと考え込んでしまった。


「光秀殿は甘い物は苦手ですか? ならば他の物を用意させますが」


「いえ、某はあまりお酒が飲めませぬので甘い物は大好物ですよ」


 光秀は、家族に悪いと思いながら色々なお菓子を堪能した。

 だが、量が多かったのでお菓子は大量に余ってしまう。


「湿気に気をつければ数か月は大丈夫なので、お土産にお持ち帰りください」


「よろしいのですか?」


「礼儀作法を教わっているお礼ですよ」


 光秀はありがたく余った大量のお菓子を持ち帰り、家臣や妻子供に配った。


『とても甘くて美味しく、子供達も喜んでおります。新地様にお礼の言葉を伝えておいてください』


 光秀は、妻から贈られた手紙を見て安心した。

 対浅井戦が終われば、坂本の地が信長から与えられる。

 そうすれば、妻や子供達の暮らしももう少しよくなるであろうと。


「今日はここまでです」


「休憩にしましょうか?」


 二人が率いる軍勢は、延暦寺焼け跡の片付けや港の拡張などで汗を流し、その間に光輝は光秀から昇殿に必要な基本作法を習う。

 それが終わると光輝は必ずお茶やお菓子を出し、大量に余るので光秀によかったらとお土産として渡した。


「殿、随分と回りくどい事をしていますな」


「光秀殿は真面目だから、お礼を渡しても受け取ってくれないからな。奥さんや子供達が好きな甘い物なら受け取ってくれるわけだ」


「なるほど、光秀殿は人間ができているのですな」


 正信は、光輝の心遣いに感心した。





「これは何とかしないと駄目だな」


 そんないい人である光秀には、一つ懸念があった。

 それは、連歌などで付き合いのある細川藤孝と光輝の仲がとても悪い事だ。

 

「何とか、仲直りの切っ掛けがあればな」


「ですが、殿。新地様を連歌の会に誘っても無駄なのでは?」


「であろうな」


 光秀はここ暫く光輝と付き合ってみた結果、彼が連歌の会に喜んでくるとは思っていなかった。

 むしろ嫌がるであろうと、重臣斎藤利三に断言する。


「利三は、どうすればいいと思う?」


「料理ならば、両名とも好きではありませぬか」


「料理か……」


「藤孝様なら、三日後に坂本に来られると聞いていますが」


 義昭が成敗を命じた延暦寺跡地の視察と、光秀に坂本を下賜するという義昭からの朱印状を渡すためである。

 こんな面倒な事になっているのは、光秀が義昭と信長両者に仕えている状態だからだ。


「殿が主催する宴席で両者の間を取り持つ。ありきたりな手で申し訳ありませぬが」


「いや、その手しかあるまいて」


 そして三日後、坂本に到着した藤孝を歓迎すべく光秀が宴席を開いた。

 可能な限りの料理を揃え、参加している藤孝と光輝は美味しそうに料理を食べ、たまには話をしていた。

 共に、宴席の亭主である光秀の顔を立てたからだ。


「この鯉こくは美味しいですね」


 丁寧に下処理した鯉を新地産の味噌で煮込んであるので、光輝にもとても美味しく感じられた。

 

「新地殿の領地で作られている味噌は素晴らしいですね」


 光秀は美味しい料理を出そうと、高いお金を出して新地産の調味料や食材を手に入れていた。


「鯉は甘煮にしても美味しいですよ。醤油と酒と砂糖で煮込むのです」


「それは、お酒もご飯も進みそうですね。新地産の醤油も、料理には最高です。少し高いですけど」


「生産量が増えれば、もう少し値が下がるのですが」


 光秀と光輝の話が盛り上がっていると、藤孝が別の話題を振ってくる。


「光秀殿は、最近食べた物の中で美味しかった物はありますか?」


「新地殿にいただいた饅頭は美味しかったですね。藤孝殿は?」


 酒が飲めない光秀は、お茶の時間に出てくるお菓子が楽しみになっていた。

 だが、その答えを聞いた藤孝は不機嫌であった。

 光秀の口から、光輝を褒める言葉が出たからだ。


「舞鶴からアマダイのいい物が手に入りまして、酒蒸しにしたら美味しかったですな」


 京に住む藤孝らしい、雅なチョイスだと光輝は思った。


「新地殿は、食べた事がありますかな?」


 だが、すぐに藤孝の悪意を感じて心が萎えた。

 『田舎者のお前は、アマダイを食べた事がないんだろう?』という顔をしたのがわかってしまったからだ。


「回数は少ないのですが、ありますよ」


「それは凄いですね」


 光秀は光輝のグルメぶりに素直に感心したが、藤孝は光秀に見えないように悔しそうな表情を浮かべた。

 まさか、料理への傾倒も深い自分が光輝と同じレベルだとは思わなかったのであろう。


「どのようにして食べたのですか?」


「そうですね……」


 アマダイは、今日子が食べたいと言うので新地家の料理人に買いに行かせたのだ。

 現地で締めてから小型冷蔵庫に入れ、急ぎ馬に乗せて新地へと走らせた。


「刺身に、昆布締めに、一夜干しに、アマダイは皮とウロコも上手に焼くと美味しいですよね。お吸い物のお椀に入れたり、焼いた骨で出汁を取ってご飯を炊いたりしても美味しい。茶碗蒸しに、焼いても煮魚にしてもいいし。ですが、やはりアマダイはかぶら蒸しでしょうね」


「かぶら蒸しですか?」


「はい」


 かぶら蒸しとは、アマダイの身にカブと卵白を混ぜた物を乗せて蒸しあげ、カタクリ粉でとろみをつけた餡をかけた料理だと光秀と藤孝に説明する。


「(そんな料理は知らないぞ!)」


 昔、夫婦でネオキョウトの料理屋で食べた物を、今日子が調理して再現してくれたものなので、この時代にはまだ存在していない料理のはずだ。

 藤孝は、まったく知らない料理の作り方を説明した光輝に嫉妬した。

 不味そうなら笑うところであるが、とても洗練された調理法で美味しそうにも感じられたからだ。


「新地殿は、最近食べた料理で美味しいと思った物は?」


「そうですね、出兵前に食べたフグですかね」


「フグっ! あのフグか!」


「新地殿、大丈夫ですか?」


 光秀は、フグを食べたという光輝の身を心配した。

 美味しいという話だし、密かに食べている人も多いのだが、毒に当たって死ぬ人が多い魚だったからだ。


「大丈夫ですよ」


 なぜなら、カナガワには調理ロボがあってフグが捌けたからだ。

 食べられる全種類のフグの、食べられる部分と毒のある部分の切り分けが可能であり、この知識と技術を本にして料理人にも教育を施した。


 彼らは何年も厳しい修行をおこない、厳しい試験をパスして新地家発行のフグの調理師免許を与えられている。

 新地領では、フグの調理師免許を持たない人間がフグを捌いて他人に食べさせると、最悪人殺しと同じ罪科を課せられてしまうのだ。


「フグの種類によって毒のある部位が違いますからね。捌くのが下手だと毒のある部位が混じる危険もありますし、厳しい試験を突破しないと免許は与えられないのです」


 まだ人数は少ないが、彼らの中には新地領内でフグを捌いて生計を立てている者も増え始めていた。

 偽の免許で営業をおこなって、打ち首にされた者も数名存在していたが。


「今までに何度も食べましたけど、俺は生きていますね」


「なるほど、新地領では研究が進んでいるのですね。そう言わると食べてみたくなりました」


 理論派の光秀は、光輝の説明に納得した。

 フグの種類によって、どの部位がよくて、どの部位が駄目か。

 毒が入った部分が混じらないように、捌く調理師に厳しい試練を課しているのだと理解したからだ。


「その内にご馳走しますよ」


「ほう、フグを食べるとは嘘だったのですね」


 なぜかここで、藤孝が光輝に噛みついてきた。

 なぜなら、藤孝は彼のフグ食いが嘘だと思ったからだ。

 いくら料理に興味がある藤孝でも、フグは危険なので食べた事がない。

 光輝も食べた事があるとは思えず、だからあとでご馳走しますなどと嘘を言っているのだと思ったのだ。


「いえ、今から取り寄せると時間がかかりますから」


「舞鶴から仕入れればいい。私のツテを使いましょう」

 

 藤孝は、自分がフグを取り寄せると言った。

 フグを光輝の目の前に出し、調理できないで言い訳に困窮する彼を見て笑ってやろうと思ったのだ。


「別に構いませんが、鮮度は大丈夫なのでしょうか?」


「私とて、料理には一家言ある者だ!」


 光輝の心配に、藤孝は声を荒らげた。

 バカにされたと思ったからだ。


「(まあいいか。日本海側でもフグは獲れたよな? トラフグならいいんだけど……」


 三日後、藤孝は約束どおりに舞鶴から生きたフグを取り寄せた。

 嫌な奴でも、知己が多くて一廉の人物なのだと光輝は感心する。


「新地殿が調理するのかな?」


「いえ、文隆!」


「ははっ!」


「うちの炊事部隊で、フグの調理師免許を持っている者ですよ」


 光輝はこういう事もあろうかと、炊事部隊に優秀な調理師を加えていた。


「このフグだ。できるな?」


「はい、いいフグですね」


 文隆は武士で、フグの調理免許持ちでも一番の腕前の持ち主だ。

 まったく武芸が駄目で親にも呆れられていた若者であったが、優れた調理技術で新地家の食事を担当している。

 大名家専属の調理師は、もし主人が腹を壊したり食中毒にでもなれば腹を切らなければいけない。

 毒殺を見逃しても駄目だ。

 責任の重い仕事であり、その分彼は手厚い待遇を受けていた。


「随分と若いが、大丈夫なのですか?」


 藤孝は、まだ若い文隆を見て少し心配そうに言う。


「料理の腕前は、年齢だけじゃ判断できませんよ」


「この不詳岩見文隆、失敗すれば腹を切るのみです」


 文隆という若者は、見事な技術でフグを捌いた。

 てっさ、皮刺し、焼きフグ、から揚げ、焼き白子、鍋と手早く準備する。

 お酒もお燗して、そこに焼いたヒレを入れてヒレ酒を作った。


「美味しそうですね」


「では、いただきましょうか。食べる勇気があればですけど」


「その心配は無用だ」


 光輝に臆病者扱いされるのが嫌な藤孝は、フグを食べる決心をする。

 三人でヒレ酒で乾杯してから、次々とフグ料理を食べていく。


「あっさりとした身なのに、こんなに美味しいとは。確かに、これは感動的な美味しさですな。白子の美味しさもまた格別で」


 光秀は、妻や子供達にも食べさせてやりたいと思いながらフグ料理に舌鼓を打つ。


「藤孝殿、どうですか?」


「まあまあだな」


 本当は物凄く美味しく感じているのだが、光輝にそれを言うと負けた気がするので、藤孝はわざとまあまあなどと言って誤魔化した。


「さて、雑炊を作りましょうか?」


 準備されたフグ料理がすべてお腹に収まったので、鍋のツユを使って文隆が雑炊を作ってくれた。

 雑炊が煮えたら火を止めてから溶き卵を入れ、最後にアサツキを散らして完成だ。

 

「フグの出汁が雑炊に沁みて最高ですな」


 光秀と光輝は十分にフグを堪能したが、藤孝は内心悔しさで一杯であった。

 フグは美味しいのに、自分だけでは毒があるので食べられなくて、光輝は安全に食べる方法を確立している。

 料理でも深い知識を持つはずの藤孝は、無残な敗北感に打ちひしがれながら京へと戻っていく。


 当然、二人の仲直りという光秀の策は失敗した。


「フグがこんなにも美味しい物とは思わなかったな」


「殿、大変に申しあげ難い事ながら……本来の目的である新地様と細川様の仲直りに失敗しております」


「そういえば、それを忘れていたな……」


 できる男明智光秀は、フグの魔力に負けて珍しく作戦に失敗してしまうのであった。

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