第二十六話 比叡山成敗
「うぬらは、征夷大将軍たる余の命令を何と心得るか!」
朝倉軍の追撃をかわし、散々苦労してようやく京へと逃げ延びた光輝達であったが、義昭から労いの言葉はなく、逆に信長と共に叱責される羽目になった。
光輝は義昭からの感謝の言葉など胡散臭いので聞きたくはなかったが、叱られたいわけではない。
内心ムっとしながら、義昭の叱責という嵐が過ぎ去るのを待っていた。
「此度の敗戦が、上様の権威を落とさねばいいと心配しております」
義昭の傍で、藤孝が虎の威を借るかのように偉そうに言う。
古今伝授のおかげかは知らないが、藤孝は義昭のお気に入りであり、いつも偉そうで上から目線である。
色々な事情を鑑みても、やはり光輝は彼が嫌いだった。
「(お飾りのお前らに、権威なんてないだろうが!)」
光輝は、心の中で義昭主従に毒を吐いた。
「三好軍が再び摂津に上陸し、朝倉、浅井、比叡山の連合軍もあり、京は敵に挟まれた状態にあります。急ぎ、これを排除して幕府を安寧に導く事こそ貴殿らの仕事です」
正論だが、やはり藤孝の言い方は腹が立つ。
彼と交流があるはずの光秀まで、少しムっとしていた。
第一、そんなすぐに反撃など不可能だ。
撤退作戦が成功して人的な損害は少ないが、逃げるために大量の物資を置いてきてしまった。
朝倉軍の損害は多いとは思うが、軍事行動を掣肘するまでではない。
浅井、比叡山と連合を組めば数は補えるので、損害は無視できるはずだ。
「暫し時間はかかりますが、必ずや討ち果たしましょう」
信長は、静かに冷静に義昭の命令を受け入れた。
よくキレないものだと、光輝は感心する。
「ならば、褒美を出そう」
「褒美ですか?」
義昭が褒美を出すというので、信長は珍しく呆気に取られた表情を浮かべた。
「かの普廣院様(足利義教)の例に習い、比叡山の成敗を信長に命じる。寺社の成敗権は、幕府に与えられた正当な権利だからの」
そう言いながら義昭は、『比叡山を成敗せよ! 正式に許可する』と書かれた書状を信長に渡す。
受け取った信長は、小刻みに震えていた。
「(うわぁ、怒ってる)」
この時代の寺社勢力とは、荘園や領地を囲い、金貸しや商売を営み、有名な寺院の前では門前町などを経営して大名や地侍の支配を拒否する独立勢力の一つであった。
信者の農民や地侍、僧侶も武装して軍事力も持っている。
神の名の元に他宗派、政敵、大名にも牙をむくので、もしかしたら大名よりも性質が悪いかもしれない。
少なくとも、大名は戦争の口実に神や仏を利用しないからだ。
「信長殿の働きに期待しておりますぞ」
最後に、藤孝からのありがたいお言葉を聞いて、全員御所を辞した。
「ミツ、頭に来ぬのか?」
「俗に塗れた宗教などこんなものだと思っております」
超未来の住民である光輝は、そこまで宗教を崇高なものだと思っていない。
既存の宗教の新宗派に、謎のカルト宗教まで、様々なインチキ臭い教祖や宗教団体が現れて社会問題化していたし、宗教団体の過激派が資金稼ぎのために海賊をしているケースも実際に目撃している。
狂信者の怖さは、実は一番よくわかっている。
海賊を捕えた時にわけのわからない事をわめいたり、神に祈りながら自害などされれば、誰だって宗教に疑問を持つというものであろう。
だから光輝は、普通の寺は禄を金銭で出して保護していたが、長島は裏工作を行ってその力を殺ぎ続けている。
「運上金や荘園を持ち、莫大な収入を元に僧侶が武装し、信者の国人まで動かす。仏の名を騙っていますが、武士と変わらないのでは?」
「確かに、新地殿の言うとおりですな」
つい最近まで一向一揆で苦労した家康が、光輝の意見に賛成する。
「こちらに敵対したのですから、滅ぼすのも仕方がないかと」
「であるな」
信長は、念のために朝廷に伺いを立てた。
比叡山討伐などして欲しくない朝廷は和解案を提示したのだが、何と比叡山側がその和解案を蹴ってしまったのだ。
もし自分達が抜けると、浅井・朝倉連合だけでは信長には勝てないと悟っていたからであろう。
比叡山にコケにされた朝廷は、比叡山討伐の許可を出してしまう。
これで信長は、比叡山を成敗しないといけなくなった。
「これで、比叡山を討っても問題はないのか」
「日の本に寺など沢山あるのですから、一つくらい焼けてもそう変化はありませんよ」
「ミツ、お前はたまに怖い事を言うな」
怖いと言われても、光輝は本当にそう思っているのだ。
同じ仏や神を信仰しているのに、なぜお前らはすぐに分裂するのだと。
あとは、神や仏にそれほど沢山の金や荘園が必要かとも。
「比叡山など、焼いて消毒してしまいましょう」
信長以下の織田軍は一旦岐阜に戻って兵糧などを確保した後に、三好軍に対抗すべく再び大軍を編成して摂津へと向かう。
そして、押し寄せる浅井、朝倉、比叡山の相手をするのは……。
「殿に大言壮語を吐いてしまったかな? 比叡山のクソ坊主達が相手か……」
新地軍一万二千人と木下軍三千人、合計一万五千人で倍近い戦力を持つ連合軍を相手にする事になる。
「大殿が、三好軍を破って戻ってくるまで耐えれば勝ちですぞ」
「向こうも万全ではないのが救いですか……」
新地・木下連合軍は浅井、朝倉、比叡山連合軍二万八千人と対峙していた。
数では大分に不利であったが、藤吉郎はさほど心配していないと言う。
「浅井家は、長政様の押し込めで士気が上がらないはずです」
今まで浅井家の勢力を拡大するために貢献してきた長政の押し込めに、彼を支持する若手家臣達の反発は大きかった。
長政は何も失敗していないのに、戦下手で強制的に引退させられた久政が出張ってきたのだ。
いい顔をされるはずがない。
第一、以前に久政の押し込めに同意した重臣連中の大半が、今度は長政を押し込めて久政の味方をしている。
彼らの腰の据わらなさに意図的に兵を出さない国人衆も多く、現在の浅井軍は五千人ほどしかいない。
仕方なく兵を出している家臣や国人衆も多かったのだ。
「朝倉家も、加賀の一向宗が気になるところですな」
朝倉家は、全軍を出兵させるわけにはいかない。
加賀への備えが必要だからだ。
比叡山も同様で、比叡山を有する天台宗と石山に本拠を置く一向宗との仲は険悪で、両者が手を取り合って織田家に対抗するわけがない。
そんな事をするくらいなら、互いに相手の信者と利権を奪ったりする方が先であろう。
「三者の連携もなっておりませぬからな」
藤吉郎の寄騎をしている竹中重治、通称『半兵衛』もあまり危機感を抱いていないようだ。
「連携の訓練などした事はないでしょう。比叡山も僧兵達は精鋭ですが、門徒連中はそれほどでもありません。ここは、攻撃に差をつけて敵方の分断を図るべきです」
半兵衛は、周囲から『今孔明』と呼ばれるほどの知恵者であった。
藤吉郎の寄騎として常に従い、軍師のような役割を担っている。
『今孔明って、格好いいなぁ。僕も今鳳雛とか呼ばれないかな?』
それを聞いた清輝が羨ましそうであったが、光輝はそんなあだ名をつけられた半兵衛に同情している。
そんなあだ名をつけられて喜んでいるのは、自分の弟くらいだと思っていたからだ。
「総数一万二千人で、内種子島が七千。拙者なら、新地殿とはまともに戦いませんが」
戦闘が始まり、浅井軍、朝倉軍、比叡山軍の三軍が一斉に押し寄せてくる。
数の優位を利用すれば勝てると思っているのであろう。
碌な連携が取れないので、一斉に攻めかかるしかないというのも現実であろうが。
「逆に、まともな連携など向こうも期待していない。数で押すしかないとも言えます」
攻撃に差をつけるという半兵衛の策に従って、まずは浅井軍に種子島の射撃が集中した。
「静まれ! 相手の思う壺ぞ!」
「前衛が……」
数千丁の鉄砲に狙い撃ちされた浅井軍の先鋒は一瞬で壊滅した。
「だから、織田家を裏切るなど止めればよかったのだ!」
長政が人質に取られた状態なので仕方なしに出陣していた宮部継潤は、一度に三百名を超える死傷者を出した新地軍の銃撃に苦い表情を浮かべる。
「朝倉家の連中! 浅井家を裏切らせておきながら援軍で手を抜きおって!」
加賀一向宗に備えるためだという理由で、朝倉家は一万人ほどしか援軍を送ってこなかった。
この、浅井家が乗るか反るかの時に、なぜもっと兵を出さないのかと継潤は思うのだ。
一番多い比叡山軍が、食い詰めた流民みたいな連中ばかりなのにも腹を立てる。
「織田軍は、時間稼ぎをしているのか!」
こちらが攻めれば下がりつつ、それでも間断なく射撃音が響き兵達が倒れる。
特に比叡山軍の流民達は、鉄砲のせいでまともに統制すら取れていない。
彼らは銃撃に慣れておらず、中にはもう逃げ出している者達もいた。
戦い慣れた僧兵達が押し止めようとするが、彼らにも平等に銃弾や矢が降り注ぎ死傷してしまう。
相手を狙って撃てる、継潤は新地軍種子島隊の練度に驚きを隠せなかった。
「せめて、信長が戻ってくる前に撃破せねば勝てぬわ!」
新地、木下連合軍は無理に決着をつけなかった。
夕暮れまで戦い、浅井、朝倉、比叡山連合軍は死屍累々、犠牲者が多数出ている。
それでも軍勢が崩壊していない味方に、継潤はある意味感心していた。
「このままでは……」
夜戦は危険と判断したのか、二日目も朝から戦いが始まった。
少しでも射撃の間隔が落ちれば攻め寄せるのにと、継潤は心から悔しがる。
比叡山が連れている軍勢の消耗が特に酷い。
大轟音の後に仲間が倒れると、我先にと逃げ出してしまう者が続出したからだ。
まだ味方の方が数は多い。
比叡山が援軍を寄越したからだ。
食い詰めた流民が多いので鉄砲を撃ち込まれると逃げる者が多いが、供給には事欠かないらしい。
自分も坊主であった継潤は、宗教の恐ろしさを再確認する。
継潤は、純粋な信教者というわけではなかった。
元坊主だからこそ、寺の実情に詳しかったからだ。
「なぜ向こうの射撃は止まぬのだ?」
新地軍に装備された種子島の数も、玉薬と弾薬の量も、継潤から見れば常識外れでしかなかった。
「味方がまるであてにならんな」
朝倉軍も、指揮官の朝倉景隆、朝倉景鏡が越前ばかり気になって戦闘に身が入っていない。
新地軍の銃撃を見て、なるべく被害を受けないように後方に下がろうとする意図が明白であった。
明らかに的役を、浅井軍と比叡山軍に任せようとしている。
兵を減らせば、自分達の力が落ちてしまう。
なるべく兵を失わないように動くのは、この時代の武士の常識でもあった。
「バカらしくてやっておれぬわ!」
二日間で犠牲ばかり増え、夜の陣地で継潤は吠えていた。
なぜこんな下らない戦で兵を失わねばならないのかと。
「うるさいぞ、継潤」
傍にいた阿閉貞征が、怒鳴る継潤に文句を言う。
「これが叫ばずにいられるか。貞征、貴様はどう思っているのだ?」
「どうもこうも、長政様があの状態ではどうにもならぬわ」
若いながらも有能な長政は、多くの家臣達の支持を得ていた。
それが人質のような扱いになっている以上は、久政の命令どおりに兵を出さねばならない。
出さずに様子見をしている者もいるが、今のところは放置されてる。
浅井家に討伐する余裕がないからであった。
「三人衆と直経は、まだ下らない言い争いをしているのか?」
「ああ、相変わらずだ」
貞征の問いに、継潤がバカにしたような口調で答える。
親朝倉家で、その調略に乗って長政を押し込め久政を擁立した赤尾清綱、海北綱親、雨森清貞のいわゆる『浅井家三人衆』と、長政からの信頼が厚い遠藤直経が軍内で対立していた。
直経は、軟禁状態にある長政とその家族の身を危険に曝すまいと嫌々久政に協力している。
そんな事情もあり、どうしても三人衆と意見の相違が出てしまうのだ。
「どうにもならぬな。覚悟が必要かもしれぬ」
その覚悟とは、浅井家を見限る事であった。
主君は大事だが、その前に自分の家を保たねば意味がない。
浅井家からより強い織田家に乗り換えたとしても、それは非難される事でもなかった。
「第一、下手に長引かせると敗北は必至だぞ」
「かと言って、強引な攻勢は銃撃で死人を増やす事になるぞ」
継潤と貞征には打てる手がなく、その後も戦はダラダラと続いた。
新地・木下連合軍は、味方の人員消耗は極力抑えるが、玉薬と弾薬については惜しまなかった。
補給があるようで、毎日惜しむ事なく銃撃をしてくる。
そのため、浅井、朝倉、比叡山連合軍は犠牲が多く、対立もあり、徒労感も出始めていて士気は下がるばかりだ。
「仏敵信長を討つのだ!」
元気なのは僧兵ばかりである。
信長は仏敵になっていたが、継潤からするとなぜ信長が仏敵なのか理解できない。
自分が坊主なので、仏敵ではなく寺敵なのは理解できていたが。
坊主など、自分が都合の悪い者を勝手に仏敵にして信者に始末させようとするから性質が悪い。
こうやって腐敗しては、新しい宗派が出来てまた腐敗する。
元坊主だからこそ、継潤は寺に対してドライな感情を持っていた。
「まあ、それももうすぐ終わるか」
新地・木下軍がなぜ時間を稼いでいたか?
戦闘開始から五日後に、それがわかった。
摂津方面から、三好軍を再び海に追い落とした織田本軍が救援に現れたからだ。
「かかれや!」
信長の掛け声と共に、柴田、佐久間、丹羽、滝川、明智、松永などの各軍勢が浅井、朝倉、比叡山連合軍に一斉に襲い掛かり、連合軍はまるで針を刺した風船のように弾けてしまった。
「撤退だ!」
三者はバラバラになって撤退していくが、まず浅井軍はほとんど放置された。
『大殿、浅井は調略で引き抜ける者が多いとサルめは思うのです』
『やってみよ』
この戦いの前に、藤吉郎は信長にこう進言してそれが受け入れられていた。
だからわざと追撃は行わず、それでも小谷城へと戻った国人は少ない。
もう今さら後には引けない浅井家三人衆と、長政が心配な遠藤直経くらいで、残りは自分の領地や居城に戻ってしまい、木下藤吉郎の調略によって次々と降っていく事になる。
「比叡山に逃げ込め!」
朝倉軍は執拗な追撃を受けて再び損害を出したが、何とか比叡山の山門へと逃げ込む事に成功した。
このまま籠って守りを固め、越前からの援軍を待つ作戦だ。
「成敗の権利は、義昭公から出ているからな」
「念のために、各地の大名等にお知らせしておいた方がよろしいかと」
「なぜそう思う?」
全軍で比叡山を囲んでいる最中、信長は自分に進言した光輝にその意図を聞く。
「今の殿は、足利義昭公を守り立てる幕府の重鎮中の重鎮。人とは、そういう方を非難したくなるものです。それは仕方がないにしても、このまま何もしないで殿が寺院を弾圧しているという誤解を受けてしまうのはよくありません。解ける誤解は解いて、足を引っ張る者を少なくするべきかと」
「詳細を知らせよと?」
「はい。織田上総介は、足利義昭公の命で比叡山に成敗を成したと」
「よかろう。それで、それまでは攻撃は中止か?」
「いえ、事後報告で構わないでしょう」
信長は、それでも最初は比叡山にいるまともな坊主や信者向けに退去を命じ、山を降りてきた人達には手を出さなかった。
比叡山側も、朝倉軍を入れてしまったために食料備蓄量に不安があったため、仏敵信長との戦いに役に立たない者は山を降りるようにと指示を出している。
双方が睨み合いを続ける中、遂に比叡山に火の手があがった。
織田軍が山麓に大量の油を撒いて火を付け、火矢も次々と放って山門を燃やしていく。
耐え切れずに外に出て来る者には、容赦くなく銃弾が飛んできた。
「おのれ! 仏敵信長! 比叡山に手を出すとは!」
火の手に包まれ、脱出もかなわず、座主以下の比叡山の指導者達は炎に包まれていく。
一部逃げ延びた者達以外は全て首を討たれ、多くの建物が灰塵に帰した。
総本山の消失により天台宗はその力を大きく失い、織田家によって過剰と判断された寺領などが次々と奪われていく事となる。
朝倉軍は、朝倉景隆、朝倉景鏡以下、多くの兵と将が比叡山と運命を共にした。
 




