第二十五.五話 スーツと宝石と写真
これは、朝倉討伐戦から少し前のお話です。
「ミツ、お主は髷を結わぬのか?」
「はい、面倒ですから」
「面倒という理由で髷を結わぬとは凄いな……」
この時代、武士は若い者は茶筅髷を、そうでない者は丁髷を結い、前頭部から頭頂部にかけ頭髪を抜いたり剃って月代を作る者もいた。
剃刀が貴重品なので、大半の者は頭を血まみれにしながら髪を抜いて月代を作っているそうだが、信長は剃刀を入手して剃っている。
誰しも、痛いのは嫌だからであろう。
剃刀が高級品でも、信長なら入手は可能だ。
だが、そんな事はしたくない光輝は、普通に短くした髪型を維持している。
髷を結うのに違和感を感じていたからだ。
『そんな、時代劇でもあるまいし……』
『兄貴、僕達はその時代劇な世界で生きているんだけど』
『そういう清輝だって、髷を結わないじゃないか』
『だって、面倒じゃないか!』
弟の清輝もそうだ。
実はこの時代、男性でも定期的に髪を切る習慣はないのだが、光輝も清輝も今日子に髪を切ってもらっていた。
今日子は髪に拘りがあるようで、腰に近い部分まで伸ばしている。
手入れも行き届き、髪を染めてはいなかった。
「その服装も変わっておるな」
織田家でおこなわれる評定の席や、ここぞという時には、光輝も小袖、肩衣、袴、足袋、草鞋などを着けて武士らしくはしている。
だが、普段は面倒なのでノーネクタイのスーツ姿であった。
靴下を履き、靴は歩くのに適した革製のウォーキングシューズで、暑いと日射病対策で通気性に優れたパナマハットを愛用している。
これは、光輝が少ない小遣いで購入したネオイタリア製の高級品であった。
下着は、褌は面倒なので常にトランクスと半袖のシャツ、寒いとヒートテックの製品に変えている。
新地領にいる時には、TシャツとGパン、スニーカー姿などとカジュアルな服装をする事が多い。
これらはすべて、カナガワの艦内にあった昔に購入した物や、今日子が自作した物である。
今日子は身長と体型のせいで既存の小袖と打掛が着れないので、カナガワにあった服と独自に色々な服を自作している。
この世界に来て大分年数が経ち、所持していた下着が駄目になってきたのでこれも自作していた。
お市と孝子も手伝い、三人は新地領内にいる時には色々な服を着るようになった。
家臣の妻達にも徐々に広がりつつあり、戦で夫を失った未亡人や、嫁入り前の女性を集めて縫製工場も立ち上がりつつある。
ただ、材料が不足しているので、まだ単価は非常に高い物となっていた。
新地領でも木綿と青苧の栽培が始まっているが、まだ満足な収穫量ではない。
養蚕に至っては、まずカイコの餌となる桑の栽培から始めないといけなかった。
金の力で全国から集めているが、やはりまだこの時代は服の材料になる素材の生産量が少ない。
この時代、武士でもさほど服を持っていなかった。
庶民などは、着たきり雀なのが当たり前の時代だったのだ。
「ミツは、随分と服をもっているのだな」
「そうですか?」
光輝は、自分をお洒落だとは思っていない。
超未来には、友人や同業者に複数お洒落な人達がいたからだ。
信長は光輝を、風変わりな服装に拘る風流な人物と見ているが。
「ミツは、髭も伸ばさぬな」
この時代、武士は男らしさを強調するために髭を伸ばす者が多かった。
だが、光輝は毎日カミソリで髭を剃っている。
足利運輸の営業もしていた頃の癖で、営業相手にいい印象を与えないので髭を伸ばすのが嫌だからだ。
大嫌いな柴田勝家が髭モジャなので、余計に髭は伸ばしたくなかったというのもある。
「清潔感を求めておりますので」
光輝は、戦場でもなければ毎日風呂に入り、髪も洗うし、朝は毎日髪を梳かす、ヒゲも剃るし、歯だって毎日磨く。
なぜなら、それが昔からの風習だからだ。
大昔に飛ばされたくらいで、それを止める気などなかった。
「我もそれはいい事だと思うぞ。権六はたまに臭いからの」
信長も、常に身嗜みには気を使っている。
わずかに菖蒲の香りがして、それが信長のトレードマークでもあった。
勝家は、汗臭いのと加齢臭のせいであろうと光輝は思った。
確認のために勝家の傍に行こうとは思わないが、間違いなくそうであろうと。
「ミツが着ているような服が一着ほしいの」
「今日子に聞いてみます。時間がどのくらいかかるかわかりませんが」
服を作るとなると、信長レベルのVIPならばオーダーメイドが基本だ。
カナガワに残っている光輝達の私服だとサイズが合わないので、信長にあげようがなかったからだ。
というわけで、今日子がわざわざ岐阜まで信長の体のサイズを計りにきた。
「なるほど、我専用の服だから採寸するわけだな」
「あとは、どのような服が欲しいかですけど」
「ミツの着ている服が基本だな」
信長は、スーツが欲しいようだ。
正式なスーツセットにはネクタイがあるという事を知り、これの柄まで細かく今日子に注文を出した。
さすがは元ヤンキー、他の人が着ていないような目立つ服装に物凄く興味があったようだ。
「一か月で何とかしてみます」
「頼むぞ、今日子」
そして約束の一か月後、信長のいる岐阜まで光輝と今日子が頼まれたスーツ一式を持参した。
デザインと型紙はコンピューターで簡単にできあがるし、生地は艦内に在庫がある程度あった。
裁断や縫製はコンピューターと連動しているミシンがやってくれるので、昔の時代ほど服を作るのに手間がかからない。
他にも、Yシャツや下着やネクタイ、ベルトなども数組持ってきている。
「この『ぶりーふ』という褌はいいな」
褌で慣れているせいか、信長はトランクスよりもブリーフがお気に入りのようだ。
ただ光輝も今日子も、いい年のおじさんがパンツ一丁ではしゃがないでほしいと内心で思った。
髷を結ったおじさんがパンツ一丁、超未来では一発ギャグかコント扱いである。
「では、全部着てみましょうか」
「任せたぞ、今日子」
今日子も手伝って、信長は今日子が縫製したスーツ一式を着ていく。
ネクタイの結び方も、何度か練習してすぐに物にした。
さすがは、織田信長とでもいうべきか。
「これはいいな、とても格好いいではないか」
スーツ姿となり、付属品のセカンドバッグや革靴も気に入ったようだ。
子供のようにはしゃいで、小姓や家臣達に自慢している。
「(ねえ、みっちゃん……)」
「(言うな、今日子)」
「どうかしたか? ミツ、今日子」
信長は、小声で話をしている光輝と今日子に何か言いたい事でもあるのかと尋ねた。
「いえ、とてもよく似合ってますよ」
「まさに、織田家の当主って感じです」
「であろうな」
確かに、光輝と今日子はよく似合っていると思っていた。
信長の好みに合わせてスーツを作ったら、アルマーニ風のダブルスーツになり、誰が見てもひと昔前のヤクザの親分にしか見えなかったからだ。
この日から織田信長は、ブラック企業の社長からヤクザの親分へと進化を遂げた。
「凄いです! こんなに素晴らしい物があるなんて!」
とある平和な日、新地城内にてお市はある物を見て驚いている。
それは、光輝と今日子が撮った結婚式の写真であった。
「今日子さん、綺麗ですね。この南蛮の衣装も綺麗……」
色々と誤魔化すため、フルカラーのデジタル写真から白黒のガラス乾板写真に変えてあったが、お市には写真というもの自体が衝撃的であった。
光輝と今日子が、まるでそのまま中に入ったかのように板に写っているのだから。
続けてお市は、写真の中の今日子が着ているウェディングドレスの素晴らしさに溜息をついた。
彼女も綺麗な服に興味がある普通の女性であったというわけだ。
「私も、こんな服を着てみたいです」
「式はもう挙げちゃったけど、撮影はいつでもできるから撮影しようか?」
「はいっ! お願いします!」
今日子の勧めもあり、光輝はタキシード姿で、お市は今日子が結婚式の時に着たドレスをサイズ直ししてもらい、二人で写真を撮った。
今日子は光輝と結婚した時に、ウェディングドレスをレンタルしないで記念だからといって購入していたのだ。
「綺麗な服ですね。装飾品も凄い」
サイズ直しされたウェディングドレスに、手袋、ブーケ、靴、ベールと今日子から着つけてもらい、光輝からもらった結婚指輪もはめた。
これら指輪他アクセサリーの台座は、器用な清輝がカナガワにある工作機械で製造している。
台座の材料は銀で、使われているダイヤや他の宝石類は、宇宙海賊からの鹵獲品や、国内や海外からも仕入れていた。
天然真珠、翡翠、瑪瑙、水晶、珊瑚、鼈甲が国内からで、数は少ないがインドなどからダイヤモンド、サファイア、ルビーなども仕入れてアクセサリーに加工している。
価値的には低い宝石類も集め、工芸品を装飾する材料にしたり、低価格帯のアクセサリーの試作も職人を養成しながら進めているが、結果が出るには時間がかかるであろう。
今は、新地家の人間しか使っていない。
お市は光輝と結婚した時にダイヤ入りの指輪を贈られていて、それを指にはめていた。
「じゃあ、写真を撮るね」
撮影者は清輝であったが、このあと彼も孝子と一緒に写真を撮り、写真は額に入れられて新地城内の居住部屋に飾られた。
「ほほう、写真というのですか。南蛮には物凄い物があるのですな」
「いいや、写真は新地家の技術だ」
最近、京に南蛮人が増えている。
さすがに写真は誤魔化せないであろうと、新地家独自の技術だと嘘をついた。
技術を独占しているのは事実だし、この時代金になる優れた独自技術を持つ者がそれを秘匿するのは当たり前だ。
下手に奪おうとすれば殺し合いになるのが普通で、正信は新地家の力を改めて理解した。
正信は、写真と現物の光輝を見比べながら、その瓜二つの様子に驚きを隠せなかった。
いくら上手い絵師でも、ここまで似せて書くのは難しいであろうと思ったからだ。
つまり、何か新地家独自の技術を駆使しているのだと。
正信は素直に凄いと思ったのだが、彼以外でそう思っている人は意外と少なかった。
「みんな、写真を撮ると魂が抜けるって言うんだよな。そんなわけはないと思うけど」
この時代の人間は信心深いというか、迷信を信じやすいというか、カメラの原理を理解できないので、今までに見た事がない写真に恐怖感を覚えてしまったようだ。
光輝が撮影してやると言っても、誰も手をあげなかった。
いつの間にか、写真を撮ると魂が抜けるという噂が新地家家臣達の間で広まったからだ。
「確かに、写真を撮った殿の魂は抜けておりませぬな」
正信は合理的な思考を持つ人物だったので、写真を撮ると魂が抜けるなどという迷信を一切信じなかった。
お市も、さすがは信長の妹とでも言うべきかそんな迷信は信じていない。
「正信、夫婦で撮影してみないか?」
「よろしいのですか?」
「誰も撮ってくれと言わないからな。大した手間でもないし、正信が魂は抜けないと証明してくれよ」
「わかりました、これは役得でしたな」
ウェディングドレス姿ではなかったが、正信夫妻は身形を整え、まだ小さい嫡男千穂と三人で写真を撮った。
現像された写真は額に入れられ、本多家の屋敷に飾られる。
「あなた、いい記念になりましたね」
「そうだな、本当に三人共そっくりじゃないか」
本多正信一家が写真を撮っても魂は抜かれなかったので、次第に家臣達の間で写真を撮ってほしいと頼む者が増えてきた。
「これって、褒美に使えるかな?」
希望者全員を撮影しているとキリがないので、撮影してもらえるのは光輝に認められた家臣とその家族のみというルールになる。
許可を得た家臣は、家族で精一杯めかし込んでから写真を撮影し、それを額に入れて家に飾って名誉とした。
「俺も頑張って、お殿様に写真を撮ってもらおう」
写真に関する技術は暫く新地家のみの独占技術となり、写真撮影という褒美を目指し、家臣達はますます懸命に働くようになるのであった。
「ミツ、上手く写せよ」
当然というか、新しい物好きの信長がこの情報を逃すはずはない。
すぐに自分を写せと、光輝に命令する。
「あの……殿は、お一人で撮影をするのですか?」
今日子に作ってもらったスーツを着込み、光輝から献上されたダイヤの指輪とタイピンまで着けた信長は、一人カメラの前で色々なポーズを取りながら、どういう体勢で撮影してもらおうかと悩んでいた。
そして、その様子に見ながら内心でこう思っていた。
「(ダブルのスーツに、デカイ宝石の指輪……ますますヤクザの親分だな……)」
大人の光輝は、それを口に出さずに撮影に没頭した。
「ミツは、家族と写真を撮ったと聞く。よし、何枚か撮ってもらおうか」
信長単独で一枚、彼の嫡男奇妙丸と二人で一枚、他の子供達と一枚、他にも濃姫や多数いる側室や愛妾とも写真を撮った。
光輝は妻と子供達との撮影で慣れていたので、テキパキと写真を撮っていく。
「聞けば、ミツはお市と婚礼の衣装を着て撮ったそうだな」
「はい、記念写真ですよ」
「記念写真か、いい命名だな」
「殿も、濃姫様とお撮りになられますか?」
濃姫とは、信長の正妻で、美濃のマムシと称された斎藤道山の娘である。
二人の間に子供はいなかったが、彼女は嫡男信忠を養子とし、奥を取り仕切る才女であった。
濃姫という名は、美濃出身の高貴な貴婦人という意味の称号のようなもので、本名は帰蝶だと光輝は聞いている。
信長よりも一歳上なので決して若くはないが、光輝は十分に美人の範疇に入る人だと思っていた。
「婚礼の写真か?」
「はい、いい記念になりますよ」
光輝としては、女性はいくつになってもそういうものに憧れるから、記念に撮影しておいた方がいいと思って信長に勧めた。
知らず知らずの内に、彼は妻である今日子に上手く教育されていたわけだ。
「いや、ありのままを写すというのは、時に残酷なものだぞ。今日子はまだ見た目よりも若いし、お市もまだ若いから撮影しても様になるではないか。帰蝶は……」
信長は、『三十後半の女性の婚礼衣装ってどうよ?』という顔を浮かべた。
この時代の価値観とはそういうものであったから、決して信長が悪いわけではない。
むしろ、彼なりに気を使って断ったというわけだ。
「そうですか……って! 殿……」
「どうかしたのか? ミツ」
突然光輝の顔色が真っ青になったので、信長がその原因らしきものがある方に視線を向けると、そこには般若のような顔をした濃姫が立っていた。
「殿、私と写真を撮る事に何か不都合でも?」
「帰蝶……」
普段どおりの喋り方であったが、濃姫と付き合いが長い信長はすぐに彼女が激高している事に気がついた。
「確かに私は、今日子さんやお市さんのように若くはありませんわね」
「そんな事はないぞ、帰蝶……」
普段は家臣に無茶な命令を出し、怖い物知らずな部分もある信長であったが、唯一の弱点はマムシの娘である濃姫であった。
彼女はマムシの娘なので気が強いし、信長が美濃を混乱なく治められているのは彼が濃姫の婿であったからというのもある。
彼女は賢明でもあり、混乱なく奥の統制もおこなっている。
信長にとっては、怖いというよりも頭が上がらない女性なのだ。
「では、せっかくなので撮影しましょうか?」
「お願いしますね、新地殿」
光輝は今までの教訓から、すぐに濃姫の意向に従って写真を撮る準備を始める。
「どのように写るのか、楽しみですね」
「そうだな、帰蝶」
二人は衣装を変えて婚礼写真を撮ったが、濃姫がご機嫌でニコニコしているのに対し、信長は自分よりも偉い親分に怒られて凹んでいるヤクザのようであった。
 




