第十八話 侵攻! 北畠軍
「お市と仲良くする時間とか、北、中伊勢の領内整備に、軍備の増強も必要だし、新地だってまだ開発途中なんだけどな……」
「今ならば、新地家の北・中伊勢に対する支配力も弱く、多くの豪族が没落したので漁夫の利を得られると思ったのでは?」
「理屈はわかったが、名門の癖に北畠家は狂犬か何かか? 頭がおかしいんじゃないか? あの連中」
「隙あらば勢力の拡大を図る、珍しい話ではありませんな。新地家が新参で舐められている節もありますが」
「あの野郎ども、絶対に後悔させてやる!」
光輝は、泰晴に汚い言葉で決意を表明する。
お市との婚姻を終えて新地に戻った光輝は、その足で急ぎ軍を出す事になった。
南伊勢五郡を領する伊勢国司北畠家が、突如新地領に侵攻してきたからだ。
これに対抗すべく新地軍はほぼ全軍を出し、これに多くの将が参加している。
泰晴のみが留守居役として残り、今回は彼の補佐をしている不破光治と日根野弘就も出陣した。
弘就の四人の息子も指揮官として配置され、旧三河組の本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次も同様であった。
本多正信は秘書として光輝の傍に、岸教明は堀尾方泰の補佐で警備隊の後方支援を行っている。
新地軍は、北畠軍に少し領内に入られてしまった。
そこで略奪などを行ったようで、新地軍は逃げてきた領民達を保護している。
「これから獲る予定の中伊勢で、領民から略奪してどうするんだ?」
「大分無理をして兵数を増やしたので、現地調達しないと兵糧が間に合わないのでしょう」
この時代、攻め寄せた軍勢が略奪をするのは普通である。
だが、新地家では基本的には禁止となっていた。
「もう少し考えて兵を出せばいいのに……来年にするとか……」
「そうすると、北伊勢の統治体制がある程度整ってしまう。伊勢国司殿は、そのように考えたのでは?」
正信の考えに、光輝は納得した。
伊勢国司北畠家は、押しも押されぬ名族である。
もっとも、歴史の流れが違う未来から来ている光輝達には実感がない。
事前に情報を集めて勉強はしてあったが、『だから何?』くらいにしか思えないのだ。
「北畠家は滅ぶか……名族がこの世から消える。世も末かな?」
「そうでしょうか?」
光輝の発言に、一軍を指揮してる弘就が応えるかのように疑問を投げかける。
「美濃斎藤家は名門土岐家から国を簒奪しました。織田家も斯波家から国を簒奪しましたし、度々はないが、たまにはあるくらいのお話だと思いますが」
その斎藤家に仕え、今度は斎藤家の滅亡を目の当たりにした弘就からすれば、名族だろうが何だろうが滅ぶ時には滅ぶと考えていた。
「新地家も、いつか滅ぶかもしれません」
「弘就殿、その発言は……」
弘就の毒舌に、正信が顔色を変えながら注意をする。
光輝に仕官した弘就は、有能ながらも反骨心があるというか、性格が少しひねくれているというか、周囲を驚かせる発言をたまにするのだ。
「そういう将来も可能性としてはあるのかもな。俺が生きている間は、そういう事がないようにしたいが」
「そうであれば、私も息子達も安心というわけです」
「それに、名族って簡単に滅ぶか?」
光輝には、一見滅んだように見えても、すぐに自称子孫がその名家を再興する事例が多いような気がした。
もし上手く行っても、血筋的には相当に怪しいような気もしたが。
「名族の名は、利用価値がありますからな」
そんな話をしている内に両軍は陣形を整え、あとは合図があれば戦いが始まる。
ほぼ全軍を率いての野戦になったのは、これで勝てれば伊勢の掌握も容易かろうという双方の思惑が一致したからである。
「北畠具教殿は、殿を恨んでいるようです」
「子の仇だものな」
過去に討ち取った長野具藤は具教の次男であり、なら恨まれても仕方がないと光輝は思う。
勿論、仇を討たせてやる気は更々なかったが。
「新地家が伊勢志摩を統一できるかどうかの大戦だ。皆の健闘を期待する」
北畠軍九千人に対し、新地軍は六千人。
数は北畠家の方が有利であるが、かなり無理をして動員したようで食料などに難点がある。
鉄砲の装備数などでも、新地軍とは大きな差が存在していた。
「撃てぃ!」
「放て!」
新地軍の戦法は、至ってシンプルである。
大量に装備した鉄砲と大筒で、遠距離から敵を削っていく。
味方になるべく犠牲を出さないのは、金と時間をかけて育てた兵をそう簡単に失っていられないからだ。
個々の部隊を細やかに運用し、伏兵や夜襲を行なったり、複雑な陣形や戦法を採用したりというのは、いくら集中的な訓練や火力を増強しても時間がかかるという理由もある。
『戦記物でもあるまいし、戦争はシンプルに勝てるのが一番いいんだよ。多数に少数で勝てて嬉しいのはわかるけど、いつもそんな危ない戦いで連勝するのも難しいから』
新地軍の戦法が単純なのは、三人の中で一番戦術に詳しい今日子が指導した結果だ。
「クソっ! 矢と石も多いぞ!」
「連中、大筒まで持ってやがる!」
新地軍は弓や投石器なども改良されて配備されており、しかもいくら撃っても矢弾が尽きない。
北畠軍では、次第に犠牲者が増えていった。
「数の有利はこちらにある。接近戦に持ち込め!」
自らも剣術の達人である北畠家の当主具教が、新地軍への接近を全軍に命じる。
だが、そこに新地軍の一部が斬り込んできて前進が止まった。
まだ少数だが、優れた将が仕官してきたので、斬り込み専門の部隊も一部編成していたのだ。
「具教の首はどこだ!」
「この甲冑、頑丈なのに軽いな」
「槍も見た事がない素材が使ってあるな」
カナガワで製造された、軽く、対銃弾、防刃機能に優れた特殊素材製の鎧、合金製の槍や刀を貸与された本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次の三名は、北畠家中央は鉄砲隊に任せて左右から斬り込んでいく。
武勇で鳴らした彼らは新しい武器を使いこなし、次々と兜首をあげていった。
「なぜ、射撃が止まない……」
具教は、先に討ち死にした次男長野具藤と同じ疑問を口にしていた。
高価な火薬をあそこまで大量に使える。
得意なはずの白兵戦でも、新地軍には武勇に優れた将が複数いるようで、次々と主だった者達が討ち死にしたと報告が入ってくる。
「一体、なぜこんな事に?」
新地家などたまたま運よく伸長した勢力にすぎず、伊勢を治めるには力不足。
北伊勢を奪うのが精一杯で、こちらが攻めれば簡単に破れるはずだと。
具教はそう考えて兵を出したのに、現実は今にも敗北寸前であった。
「疲弊した隙を狙ったのだぞ!」
「父上、我が方の死人、手負いばかり増えて、新地軍はほとんど損害を受けておりませぬ」
「そんなバカな事があるものか!」
嫡男具房からの戦況報告に、具教は顔を真っ赤にさせながら怒鳴った。
だが、いくら怒鳴っても絶望的な戦況が改善するはずもない。
むしろ、周囲にいる家臣達を白けさせてしまう。
「離脱する国人も出始めております」
いくら多数を揃えても、戦況が不利になれば地侍や国人はすぐに兵を退いてしまう。
主君に殉ずる者など、この時代では歴史書に記載されるくらい貴重な存在なのだから。
「父上、このままでは……」
「撤退する!」
だが、撤退こそ至難の業であった。
新地家の損害は少なく、しかもここは新地家の領内、北畠軍を領外に追い出そうと執拗に追撃を加えてくる。
離脱する国人衆は増え、討たれた者、降伏する者も多く、ますます北畠軍の数は減っていく。
「まだ追撃してくるのか!」
「父上、叔父上が討ち死にしたと……」
具房は、具教の弟で分家木造家の当主である木造具政とその嫡男長政が討ち死にしたと、父に報告した。
血を分けた弟であり、猛将でもある具政の討ち死にの報に、具教は大きなショックを受ける。
「大河内城に籠城する……」
具教は、天下の要害である大河内城まで撤退して籠城する事を決意した。
だが、新地軍からの執拗な追撃のせいで共に籠れた兵力は少なく、城は五千人ほどの新地軍に包囲された。
「あの数で包囲など片腹痛い! 兵糧の問題もあるし、いつ根をあげて撤退するかな」
具教は眼下の新地軍を見ながら笑うが、彼らはひと月経ち、ふた月経っても撤退しなかった。
逆に、具教の持つ南伊勢五郡の平定作戦を行い、三か月もすると彼の支配領域は大河内城だけとなってしまう。
志摩国も、今回が初陣の九鬼澄隆が新地水軍の船に載せた軍勢と共に上陸し、すぐに攻略されてしまった。
「なぜ撤退しない……」
三か月も城を囲んでいるのに、新地軍は兵糧が不足しているようにも、規律が弛緩しているようにも具教には見えなかった。
むしろ、北畠勢は彼らに身を曝せなくなった。
狙撃手がいるようで、既に数十名の兵が撃ち殺されていたからだ。
「もう無理だべ」
「新地様に降伏して、故郷の村に帰るだ」
戦況の悪化により夜中に城を抜け出す兵が続出し、ついに大河内城内には北畠家の一族や少数の家臣のみが残るだけとなった。
「父上、新地軍はなぜ総攻めを行わないのでしょうか?」
「わからぬ」
もはや、敵に攻められたら一族は滅亡するのみ。
具教・具房親子が覚悟を決めた時、新地軍から一人の軍使が大河内城に現れた。
「本多正信と申します。開城のための交渉に参りました」
別に光輝が仏心を出したわけでもなく、伊勢志摩の領民達に、完敗した北畠家の一族が国外に逃げ出したのだとアピールするためであった。
「条件を聞こうか」
腹を切る覚悟をした二人に、正信は意外な条件を提示した。
一族、希望する家臣を伴って伊勢志摩を出れば助命する。
私財の持ち出しはこれを許可する。
条件を呑めば、旅費を支給する。
北畠一族は二度と伊勢志摩に入らず、また領有せんとする野心を抱かない。
もし無断で伊勢国内に入れば、容赦なく処断する。
以上の条件を誓詞で交わし、互いに一通ずつを持つ。
「この条件を呑むか、一族で腹を召されるかです」
正信の言い分に、具教は即答で了承すると返答した。
条件が甘いのは、成り上がりである新地家に情けをかけられて移住の援助まで受けたのに、もしおめおめと伊勢志摩に戻って何かを企めば、北畠家の名誉が地に落ちるからだと具教は理解した。
それと、もし北畠家が伊勢志摩奪還を図ろうとしても、新地家にはそれを防げる自信があるのであろうと。
その時には、新地家が自分達を族滅しても世間から何も非難されない。
むしろ逆で、具教からすれば、北畠家が約定も守れないで滅ぼされたと後世まで言われるのは我慢ならなかった。
『もう一つ、名家は重たい意地と矜持を抱えている』
『それはありますな』
正信が交渉に赴く前、光輝は彼にこの交渉の真意を語った。
「滅ぼされぬだけマシよ、一族を連れて京にでも屋敷を構えよう」
大河内城は開城され、具教は一族と希望する家臣を連れて京へと移住する。
「旅費か……一万貫が旅費とは……徹底抗戦しないで正しかったな……」
持ち出しを許された私財、新地家から旅費として渡された一万貫を元手に北畠家は京に屋敷を構え、具教は剣術道場を開いて弟子に教えたり、貴族達と交友したりして穏やかに暮らしていくのであった。




