第十一.五話 戦場のカレーライス
「いい匂いだな」
「かれーだ! かれーが出るぞ!」
墨俣城に攻め寄せた斎藤軍を撃退した翌日、今も木下軍による築城作業が進む中、新地軍の兵士達が周囲に漂う匂いを嗅いで大喜びしていた。
食事に、みんなの大好物であるカレーライスが出るとわかったからだ。
この時代、カレーの原料である香辛料はとても高価な物である。
一部は薬として使われている物も多く、そう簡単に入手できるものではない。
新地軍には、負傷者を治療する救護部隊と、食事を作る炊事部隊が存在する。
救護部隊は現在味方負傷兵の治療で忙しく、炊事部隊は戦勝の後なのでご馳走を作っていた。
光輝の方針で兵に出す食事には注意している新地軍であったが、さすがに戦闘中などはそうもいかない。
だから、勝った後には必ず美味しい食事を出すようにしている。
兵士達は、生き残って美味しい食事を食べようと奮闘するわけだ。
そんな新地軍兵士達の間で一番人気の料理、それはカレーライスであった。
「今日は、猪の肉が大量に煮込んであるぞ」
「それは楽しみだな」
食料を現地で買い集めている新地軍の噂を聞き、食料なら金になると狩って持参した者が多かった。
鳥ではなく獣なので宗教的な理由で避ける者もいたが、光輝は一切気にしないし、よほど高貴な生まれでもなければ誰もが食している物だ。
カレーがいい匂いなのもあって、食べないと言う者は新地軍には一人もいなかった。
「思ったよりも肉が沢山あるな」
金の力とは偉大である。
みんな銭を得ようと、猪の他にも、鹿やウサギ、雉、鴨などを持参する者が多かったのだから。
「余った肉で、他の料理も作っておこう」
調理部隊は、カレーライスの他にも肉に味噌をつけて焼いたり、野菜と共に味噌仕立ての汁の具にして提供した。
実は、調理部隊のマニュアルはすべて今日子が作成したものである。
調理器具も、大人数用で効率よく作れる物が支給されていた。
「美味しそうではないか」
「これはご馳走だ」
新地軍のみならず、前田軍、木下軍にも振る舞われ、特にカレーライスは大好評であった。
「この香りと辛さが癖になりそうですな」
「さすがは噂の新地軍、兵に出す食事まで豪華とは……」
藤吉郎はカレーライスを美味しそうに食べ、新しく木下家の家臣になった蜂須賀正勝は新地家の金持ちぶりに驚いていた。
「新地殿、我らの分まですみません」
律儀な前田利家は、自軍の兵士達にまで食事を出してくれた光輝にお礼を述べる。
「勝ち戦なのですから、こういう時はみんなで楽しく食べましょう」
「かたじけない。殿への報告はお任せください」
織田本家からの援軍である前田軍と馬廻り衆は、食事を取ったらすぐに尾張へ戻る事になっていた。
利家には、信長に墨俣での戦いの結果を報告する義務があったからだ。
「文句のない勝ち戦です。殿も大満足だと思います」
食後、利家は光輝と藤吉郎に挨拶をしてから尾張へと戻っていく。
軍勢が減ったのは少し不安であったが、あれだけの大惨敗のあとだ。
斎藤軍はすぐに兵を出さないと、藤吉郎は予想していた。
引き続き墨俣城の強化工事をおこないつつ、既に小一郎を周辺の村落や地侍の屋敷に派遣している。
早速織田軍の大勝を宣伝して、調略を開始したのだ。
彼らの助けが得られるようになれば、木下家は墨俣周辺の領主として認められたという事になる。
「我らに味方する者も増えるでしょうから、何とかなりますよ」
それから三日ほど、新地軍も墨俣城の防衛と建設工事などの手伝いで汗を流していると、そこに信長から書状が届いた。
秀吉が封を切ってそれを読むと、そこには信長自身が墨俣に視察に行くと書かれていた。
「このような危険な場所に、なぜ殿が?」
光輝は、殿様なのに前線に来るという信長に驚いた。
こういう場合、フットワークが軽いと言えばいいのか、それともただ単に無謀だと言えばいいのか?
判断に悩むところである。
「桶狭間では殿は先陣として戦い、自ら兵を切っています。尾張を統一する戦でも、陣頭に立つ事が多かったのです。ですが……」
「ですが何ですか? 藤吉郎殿」
「書状には、食事にはかれーらいすを所望すると書かれております。殿は、かれーらいすを特別な戦場食か何かと勘違いしているようですな」
まさか、カレーライスが食べたいがために最前線に主君が視察に来るとは……。
信長を敬愛して止まない秀吉にでも、この事態は想像がつかなかったようであった。
「サル! 墨俣の築城は順調か?」
「はい、周辺豪族や地侍衆への調略も開始しております」
「ならばよし! ミツ! サルへの援軍大義!」
書状が来た翌日、信長は少数の護衛のみで墨俣城に姿を見せた。
どうやら、書状を出してからすぐに清洲を進発していたようだ。
「(殿、どれほどカレーが食べたかったのですか……)」
信長は十名ほどの少人数で来て、藤吉郎と光輝に短い労いの言葉をかけた。
彼はあまりクドクドと物を言わない。
自分が頭がいいので、多少言葉を省略しても理解してくれる察しのいい家臣が好きだからだ。
秀吉、一益、長秀などは頭がいいので、信長のお気に入りというわけだ。
利家はそこまで聡くないが、信長に誠実で忠実である。
武辺だけの人かと思えば、教わればそれを柔軟に吸収する能力もある。
だから信長のお気に入りで、前田家の家督を継げたというわけだ。
「殿、お食事の用意ができました」
「そうだな、腹が減ったから食うぞ」
信長は、光輝についてはよくわからないと思っている。
能力は人並み以上にあるし、夫婦で海外で活躍し色々と得ている点は素晴らしいと思う。
武士としてもよくやっているようだし、自分に忠実だが、この手の人間によくある嫌な媚び方をしない自然体の人間なので重用していた。
「今日の献立は……」
あまり量はないが、カナガワで生産した食材も少量は持ってきており、猪の肉をパン粉で揚げてカツカレーにして豪華にした。
他にも栄養のバランスを考えて、タケノコ、干し椎茸、サトイモ、山菜の煮物、野菜と鴨肉の味噌汁、魚の味噌漬けを焼いた物と、今ある材料も合わせてそれなりのメニューを提供した。
「このかれーという料理は美味いな。載っている肉を揚げた物も上手い。椎茸は我の大好物だ。いい味の煮物だな。褒めてやる」
信長は上機嫌でカレーライスをお替りし、食事をすべて平らげた。
「ミツ、菓子を寄越せ」
「戦場ですので、あまり大した物はありませんが……」
光輝は、木の棒にからめた水飴を信長に差し出した。
カナガワで人工的に合成された物であり、これも戦闘の後などで兵士に支給する事が多かった。
甘味を補給して、兵士の疲れを取るためだ。
「気軽に食べられていいな、気に入ったぞ!」
水飴を完食した信長は、光輝から水飴が入った壺を一つもらうと、馬に乗り颯爽と清洲へと戻っていく。
この間、わずか一時間ほど。
あまりの早さに光輝は驚くが、藤吉郎は慣れたものであった。
「殿は気が短いので、まさか半刻もおられるとは。よほど、かれーが気に入ったのでしょう」
そのお礼ではなく墨俣攻略への褒美だと思うが、二人の手には太刀と金子が入った袋があった。




