記憶の欠片
――チュンチュンチュン……
廊下の窓から外をのぞけば、今日もいいお天気です。
「あっ。」
……そうでした、忘れてました。
昨晩、お兄さまがお土産にと、首飾りをくださったのです。
小ぶりな翡翠があしらわれた、普段使い用の首飾りです。
つけなくては……。
――ガチャり
「え、お嬢様――?」
部屋に戻ると、侍女がちょうど寝台を整えているところでした。
「ごめんなさい、ちょっと忘れ物があって……」
朝食に向かっていた私が戻ってきたので、驚かせてしまったようです。
――カサッ
「え……」
僅かな紙の音に、彼女の手を見ます。
――白い、紙
「あの、それ、あなたが……?」
「あ、あの、何のことでしょう?」
明らかに動揺した侍女は、後ろ手にそれを隠します。
「お嬢様、早く朝食に行かれないと旦那さまが心配なさいますよ?」
「え、えと……首飾りを……」
「あぁ、昨晩旦那さまがお贈りなさった品ですね?」
バビュン、と聞こえそうな勢いで、部屋を突っ切ります。
明らかに、何かを握りつぶした右手は、僅かにしか見えません。
「おつけいたします。」
「え、えぇ……。」
――カチリッ
留め具が、はまりました。
「さあ、お嬢様、遅れてしまいますわ!!」
「あ、あの……」
「さぁさぁさぁ!」
――バタンッ
追い立てられるように、部屋から締め出されてしまいました。
……仕方がありません。後ほど、彼女には事情を聞きましょう。
※ ※ ※ ※
――ガタゴトガタゴト……
馬車が揺れます。
窓から見える景色には、見慣れた街並がうつります。
結局、朝食の後、侍女に話を聞くことはできませんでした。
自室に戻れば案の定、誰もいません。
偶然に会って話しかける以外に、どうやって彼女を探せばよいのかわかりません。
それに今日は、出かける予定がありました。
「お嬢様、到着いたしました。」
馬車がとまります。
従者の手をとりおりますと、糸巻きを模した木の看板が見えました。
そのまま従者に導かれて、店内に入ります。
「これはこれは、ようこそおいでくださいました。」
「今日はよろしくお願いします。」
お店の中には、色とりどりの布地や糸が所狭しと並べられています。
そう、ここは布地と糸を扱う問屋さんです。
通常は、このようにお店に直接足を運ぶことはありません。出入りの商人に言えば、欲しい品は揃えてもらえます。
それがこうしてお店を訪れているのは、……そう、殿下に献上した誕生祝の品がきっかけでした。
「――以上が、殿下に献上する品の候補でございます。」
「う~ん……どれなら、喜んでいただけるのかしら……。」
並べられた品をもう一度ぐるりと見回します。
薄紫色の翡翠をあしらった聖獣の置物は、貴重な縁起物です。雄々しくも美しく、装飾品として充分立派ですし、王太子殿下の守護を司る獣でもありますので、誕生祝いの品として相応しいでしょう。
一方で、ガラス細工の万年筆は、職人が髄を凝らした実用的な美しさです。試し書き用のそれを羊皮紙に走らせてみれば、これほど書きやすい筆は初めてでした。
ですが、私が気になったのは、貴重な年代物のワインでした。殿下が、好んで口になさるという話をどこかで聞いた記憶があったのです。
「……ワイン、にしましょう。」
しかし、私が用意したものがないというのも、失礼な話です。
「どうしたものでしょうか……。」
「それでしたら、包みを工夫なさってはいかがでしょう?」
「包みを、ですか?」
「はい。昔からこうした品には、貴婦人手ずから施した刺繍が、誠意の証とされています。」
確かに、他の方が用意してくださった候補から選ぶだけでは、私からの贈り物という感覚は薄いです。
「そう、ですね。そうしましょう。布地は、どうしましょう?」
「私の方で見繕って本日中にお届けいたします。お嬢様のご要望はありますか?」
「要望、ですか。う~ん……すぐには思いつかないです……」
そもそも、意匠はどうしましょう?
「……白い、薔薇……」
「白い薔薇、ですか?」
ふと思いついたままに口に出してみれば、妙にしっくりきました。王城には見事な白薔薇の庭があるといいます。
「はい。意匠を、それにしようかと思いまして……。」
「それでしたら、白の天布で浮き縫いですかね。」
「天布って、白もあるのですか?」
天布とは、最高級の布地です。天にものぼる触り心地だと聞きます。
因みに浮き縫いは刺繍の技法の一つで、布地と同じ色の糸で刺繍することで、モチーフが浮かび上がるように見えるものです。今回の白薔薇の意匠に、確かに相応しいでしょう。
しかし天布は、一般的にその色は黄色味がかっています。白い天布は聞いたことがありません。
「最近になって、特殊な薬液につけることで白くする技術ができたのですよ。王族への祝いの品を包むのに、これほど相応しい品もないかと。」
「ですが、今からでも手に入るでしょうか……?」
「王都の布地問屋でしたら国内随一ですし、こちらを包むくらいの量はありますでしょう。例えなくとも、あそこでしたら代わりの布地もすぐに見つかるかと。いつ行っても、見事な布地が所狭しと並んでますからねぇ。」
「そんなに、すごいのですか?」
「えぇ、最新の染料を使った布地は一通り揃えてるそうですよ。倉庫は見渡す限り、床から天井まで布地と糸が棚に並べられてまして、見てるだけでも飽きないくらいです。」
「それは一度、見てみたいですね。」
「それでしたら、旦那様の許可さえいただければ、見に行くのは可能でしょう。今日行くついでに、店の者の都合も聞いておきましょう。」
「それは……迷惑ではないでしょうか?」
何気なく言っただけでしたのに、本気で段取りを考えてくださっているのに戸惑いました。
「何も今日行こうというわけではありませんし、聞くだけでしたらいくらでもできますから、お気になさらず。」
「えぇと……。」
「それよりお嬢様、意匠を考えておいてくださいね。」
「え、えぇ……。」
※ ※ ※ ※
「こちらの布地は……」
あの時の言葉に嘘はなく、倉庫は確かに床から天井まで、所狭しとばかりに布地と糸巻きが並べられています。特に珍しい布地について、お店の方が丁寧に説明してくださいます。
「……あぁ、それはこの前発明されたばかりの“貴婦人の濃紺”だね。」
「左様にございます……って、でんくぁ!?……むぐ。」
お店の人が両腕の上に広げた布地と、私の間に立っていたのは、帽子を目深に被った青年でした。……どこかで聞いたことのある声の気がします。が、帽子のツバで顔が見えません。
お店の方の口をふさいで、かなり仲のよいご様子で何かを囁いております。
いつの間に、いらしたのでしょう?お客さんでしょうか?
「こんにちは、ティアード、と、呼んでください。」
「えぇと……ミスリアです。」
「ふふっ、可愛らしい方ですね。こちらの愛らしい方に、色とりどりの布地と糸をご案内する栄誉をお譲りいただけますか?」
「え、ええ、もちろん、もちろんでございますとも!私は表におりますので、何かありましたらお申しつけください。」
かなりの、身分の方なのでしょうか?お店の方が、体をこちらに向けたまま、下がります。
2人きり、になってしまいました。
「こちらには、よく足を運ばれるのですか?」
「ええ、妹が最新の布地を見たいと言うので。流行を作り出すのに必要だそうです。あなたも、ドレスに仕立てる布地を見にいらしたのですか?」
「いえ私は……その、たくさんの布地と糸があると聞いて、一度見てみたいと思いまして……。」
単なる興味本位です。
刺繍に使うのに良さそうな布地は目に留めていましたが、ドレスに仕立てることは考えていませんでした。
「ふふ……この“貴婦人の濃紺”もよさそうだけど、あっちの淡色系のオーガンジー使ったら、妖精みたいになりそうですね。」
「妹さんのドレスですか?」
「いいえ、あなたにどんなドレスが似合うかと。」
想像してしまいました、とさらりと告げられる。
……見ず知らずの方なのに、恥ずかしくなってしまいます。
「そうだな……このオーガンジーを使うとしたら、ベースはこっちの布地かな。」
「あ、あの、お店の商品……。」
ティアードさんは、次々と布地を私にあててみます。まるで、仕立屋でドレスの意匠を決める時のようです。
「ん?あぁ、大丈夫だよ。後でまとめて購入するから。せっかくだからドレスに仕立てて、私から贈らせてもらえませんか?」
「え、えぇ、そんな、今日会ったばかりの人に、そんなわけには……。」
トン、と、唇に、人差し指があてられます。
「ふふふ、私が、ミスリアに贈りたいんだ。それに……君は覚えてないかもしれないけれど、ずっと前に、何回も会っているよ。」
「え……?」
急に変わった口調と、唇にあてられた指のひんやりした感触とに、戸惑いながらも、どこか懐かしい気がしてしまいます。
――ミスリア
「ティアード、さま……?」
「ティアードと、呼んで?」
――ティアードが、愛称なんだ?
……私には、その声が誰のものだったのか、思い出すことはできませんでした。