【第2話】
蓮は数十分、あらゆるニュースサイトやSNS、動画・配信サービスをまわって情報を集めた。
――誰も、解っていない。
それが、現在判明している唯一の事実だと、蓮は解をだした。
(ネットの集合知が束になっても、最新のAIが演算しても原因が特定できない現象を、俺一人が頭を捻ったところで正解にたどり着けるはずがない……)
蓮は頭の回転が速かった。それゆえに、状況を整理し、まずできる事を優先した。
「……今、俺にできる事は、検証する事ぐらい、だろうな」
PCの画面上には、蓮と同じ結論に至ったのか、あるいは単に流行りに乗じているだけなのか、多くの動画投稿者や配信者たちが「ステータス検証」をリアルタイムで行っている様子が映し出されている。
蓮は音声認識でAIに指示を出し、それらの配信をモニターの端で流しながら、自身も検証を開始することにした。
「まずは簡単で、すぐにわかる検証だ」
それはHPの検証。
そう思考した瞬間、視界の端にHPバーだけがスッと浮かび上がる。
余計な情報は一切ない。必要な時に、必要な情報だけが出る。このシステムの不気味なまでの利便性に舌を巻きつつ、蓮は自分の左腕を見下ろした。
HP 30 / 30
(この数値が、自分の生命力を表しているのか……だとすれば、傷つけば減るはずだ)
至って単純なロジック。
とはいえ、いきなり包丁で刺すような蛮勇は蓮には無い。まずは安全マージンを取って、打撲程度で試す事にした。
蓮は右手の拳を握りしめ、当たれば確実に痛いと感じるほどの強さでフックのように弧を描く。左の上腕二頭筋に拳が命中した。
「――痛っ……!」
鈍い音が響き、ジンとした痛みが走る。
皮膚が少し赤くなり、じきに内出血で青むだろう。それくらいの強打だった。
蓮はすぐに視界の数値を確認する。
HP 30 / 30
「なんだ……減らないじゃないか……」
1すら減っていない。
徒労感が肩を重くする。
(はは……痛い思いをしただけか……)
溜息をつきかけた、その時だった。ふと思いつく。
(……いや、待て。この程度では「30あるHPのうちの1」にすら届かない微細なダメージだったという可能性はないか?)
ゲームでも、防御力が高い敵に弱い攻撃をしても、ダメージが0になるか、小数点以下で切り捨てられることがあるのを知っていた。
(もっと、細かく視れたらいいのに……)
そう強く念じた、その瞬間だった。
30/30という数値の奥に、緑色の『HPバー』らしき物とパーセント表示という、新たな情報が追加される。
HP 30 / 30 【99.4%】
「え……?」
これは便利だ、と軽口を叩こうとして、言葉が喉に張り付いた。
感動よりも先に、冷たい恐怖が背筋を駆け上がる。
0.6%の減少。
それは、まぎれもなく自分の「命」が削れた証拠だった。
今までゲームの中で何気なく管理していたHPという数字が、急に生々しい現実の質量を持って迫ってくる。あと99.4%削れれば、俺は死ぬのか?
恐怖で一瞬思考が凍りつく。だが、蓮の生来の理知的な性格が、強制的に冷静さを取り戻させた。
(つまり……これは、間違いなく自分自身の状態って事か……? こんなものが、人類全員に表示されてるって言うのか……)
「うっ……」
思考を深めようとした矢先、軽い目眩が蓮を襲った。
(立ち眩み……? なんだ……この疲労感……)
謎の倦怠感……精神的なショックのせいかと思ったが、違う。
視界の下、普段は意識外にある領域で、何かのアイコンが点灯していることに気づく。
注視すると、詳細がポップアップした。
《解析眼Lv.1》【ON】
緑色の光が常時点灯している。これがONの状態を示しているらしい。
そして、なぜこんな疲労感を感じるのかを意識すると、MPバーが警告色と共に表示された。
MP 13 / 40
MP 12 / 40
半分以上減っている。そして、今まさに13から12へと減る瞬間が見えた。
「――減った!? 今、1減ったぞ……つまり、このスキルが起動していたからか!?」
蓮は直感的に理解した。このスキルを発動し続けていたからMPが減ったのだ。そして、MPの枯渇がこの倦怠感の原因だ。
「《解析眼》! オフ!」
蓮は吐き捨てるように叫びながら、同時に強く念じた。
フン、という音と共にアイコンの光が消え、視界から余計な情報がスッと引いていく。
それと同時に、頭を締め付けていた圧迫感が、和らいだ気がした。
(……急にHPがバーやパーセントでも表示されるようになったのは、このスキルを使ったからなのか……?)
ほんの数十秒、無意識に使ってしまっていただけだった。
(MPの消費がこれほど激しいのか、それとも初期ステータスのMPが低すぎるのか……?)
冷静に分析しようと努めるが、MPの減少が肉体的な「異常」としてフィードバックされるという事実は、蓮をさらなる困惑へと突き落とす。
(自分の「知りたい」「視たい」という意思だけに反応して起動したのか? そういう自律的なスキルだから……? わからないことだらけだ……説明くらい書いてあってもいいのに……)
どうせこの休日は、買い物に出て、あとはゆっくり体を休めてゲームでもして寝るつもりだったのだ。
そう割り切って、蓮は、今日という日を検証と情報収集に当てる事にした。
HPとMPについては、痛みと疲労の相関関係から大体の予測がついた。
問題は、その他の数値だ。
(そもそもレベルが無いんだから、いるわけもないモンスターを倒したらレベルアップして増えるとか、そういうものでもないだろうし……何かをしたら成長するんじゃないか……?)
そう仮説を立て、次に気になったステータス――おそらく検証が最も容易であろうSTR(筋力)から試すことにした。
STRと言えば、力。上げる手段は筋肉への負荷しかありえない。
そこから一時間ほど、蓮は自室で黙々と筋トレを続けた。
汗ばんだシャツを脱ぎ捨てると、露わになったのは、無駄な脂肪が削ぎ落とされた精悍な肢体だ。
「はぁ……っ、はぁ……くぅ……」
滴る汗が首筋から鎖骨を伝い、ほどよく割れた腹筋の溝へと滑り落ちていく。
荒い呼吸に合わせて蓮の低めの声が漏れると同時に、波打つ胸板。上気した肌は汗で艶めき、限界を迎えた筋肉が痙攣するたび、蓮の喉からは熱っぽい吐息が漏れた。
普段から、男として恥ずかしくない程度には筋トレを嗜んでいる。だが、いくら器具を使わない自重トレーニングとはいえ、一時間もぶっ続けで行ったことはなかった。
筋肉が悲鳴を上げ、腕が上がらなくなるほどの限界を感じて、蓮は期待と共にSTRを確認する。
STR:8
数値は、ピクリとも動いていなかった。1たりとも増えていない。
「はぁはぁ……増えないな……1時間近く筋トレしたんだぞ……」
蓮は汗をぬぐいながら、音声操作で動画やライブ配信の状況を確認する。
やはり、世界中の誰からも「ステータスが増えた」という報告は上がっていなかった。
(関係ないのか……? 増えないのか……? それとも、単純に筋トレの量が足りてないのか……?)
徒労感が押し寄せる。
(HPの時みたいに、もっと詳細がわからないか。あとどれくらいで増えるのか、その兆しだけでも視えれば……)
そう願いながら、簡易表示させたSTRの数値をじっと見つめる。
すると、世界がカチリと噛み合うような感覚と共に、STR8の横に新たな文字列が浮かび上がった。
STR:8 【36.1%】
同時に、先ほど味わった泥のような倦怠感が頭をもたげる。
「おおっ!? 視える……! 解る……!」
詳細を視ようとした意志に呼応して、スキルが発動している。
視界の端を確認すると、あのアイコンが緑色に光っていた。
《解析眼Lv.1》【ON】
(そういう事か……!)
蓮は慌てて体を起こした。
MPが尽きて倒れる前に、確認しなければならない。
すでに腕はパンパンだが、最後の力を振り絞り、床に伏せて腕立て伏せを開始する。
フォームは崩れているが、とにかく負荷をかける。瞬間的に、簡易にだが10回ほどこなす。
顔を上げ、震える視線で数値を見る。
STR:8 【36.2%】
(――増えた!)
0.1%だが、確実に前進している。
(《解析眼》、オフ!)
確認した瞬間に思考コマンドを送る。
フン、とスキルの圧力が消える。
MPバーを確認すると、回復していたはずのMPが再び13/40まで落ち込んでいた。
スキルを使っていない休憩の間に少しは自然回復していたようだが、たった数秒の起動でまたここまで削られたらしい。
(だが、収穫は大きい……ステータスは行動によって成長する。そして、その進捗は《解析眼》によって可視化できる……!)
大体の仕組みを理解した蓮は、限界を迎えていた筋トレを切り上げて、買い物へ出かけることにした。
♢
蓮は汗だくになったシャツを替え、ジャージを着ると、愛用のARグラスを掛けてアパートを出た。
MP消費による倦怠感と過度な筋トレで、すでに疲労感は高い。休日なんだからもう少しゆっくりしたい、という気持ちもある。
だが、それ以上に今の蓮を突き動かしているのは、この現象への尽きない探求心だった。
郊外に住んでいるため、スーパーまでは少し距離がある。
普段なら自転車かバイクを使うところだが、今は「次の行動により何が上昇するのか」を確かめる検証の最中のため、ランニングで向かうことを選んだ。
(こうして休日に、筋トレやランニングをして、夜はゆっくり過ごす……。健康的に過ごせて穏やかな日だ。この違和感さえ無ければ……)
蓮にとって、今は少し状況が違えど、こうした「普通の日常」こそが、心の傷を癒すための大事なひと時でもあった。
事件から3年経ったとはいえ、完全に吹っ切れているわけではないのだ。
冬の終わりを告げる、少し冷たくも心地よい風が頬を撫でる。
蓮はあえてトレーニング――検証のため、辛い遠回りを選ぶ。
街の裏手にある、あまり舗装の手入れがされていない小高い山を越えるルートを走った。
息を弾ませながら、頭の中で情報を整理する。
(まず、強く殴っても1すら減らなかったあのHPの減り具合からして、HPが0になる時というのはおそらく……完全な行動不能……最悪、死だ)
ゲームなら教会で復活できるが、現実でHPゼロは命の終わりを意味するだろう。
(MPに関しては、減るだけでこれだけ頭が重くなる。0になれば脳疲労でぶっ倒れるか……最悪、こちらもショック死か廃人化か……?)
どちらにせよ、リソースの枯渇は死に直結する。
裏山の頂上を過ぎ、下りに入ったところで、蓮は検証のために一瞬だけ意識を集中した。
(《解析眼》、オン)
一瞬だけ緑の光が灯ったスキルアイコン、数値が展開される。
ステータス一覧を見た蓮の目が、変化している項目を捉えた。問題の熟練度が動いているのは、二箇所だけだった。
HP 30 / 30 【99.5%】
AGI 8 【12.4%】
(そうか、ランニングはHPとAGI(敏捷性)の熟練度らしきパーセンテージが増えるのか……これはいくつかの成長要素が絡んだ行動をしたから、という事か……?)
確認と同時にオフにする。
早業のおかげか、MP消費は1だけで済んだようだ。
――その時だった。
「だ、誰か助けてーーーッ!!!」
悲鳴が、静かな街の郊外に響き渡った。
蓮が顔を上げると、坂の下の歩道、一組の親子が血相を変えて走っているのが見えた。
まだ五歳くらいの子供の手を引き、母親が必死の形相で駆ける。
単なる不審者や野犬ではない。その切迫した空気は、生存本能が発する警報そのものだった。
蓮の視線が、親子の背後に吸い寄せられる。
そこには、猛スピードで二人を追いかける、小柄な影があった。
「――嘘……だろ?」
見間違いようがなかった。
緑色の肌。子供のような背丈だが、醜悪で凶暴な顔つき。
肩から胸にかけての部分だけが金属質の肌をしていて、その指先には、ナイフのように鋭く長い爪が伸びている。
少し違う点はあれど、ゲームの中で腐るほど見てきた、最も有名なモンスター。「ゴブリン」らしき魔物が、そこにいた。




