【第15話】
蓮と悠真が、互いの拳をぶつけ合い、勝利の熱を分かち合った、その刹那だった。
蓮の視界の端に、無機質なシステムウィンドウがポップアップする。
『条件達成:職業が『剣客』に更新されました』
「え……?」
「ん? どうした……蓮?」
「いや、なんでもない……」
蓮は慌ててウィンドウを視界の隅へと追いやる。
ジョブチェンジ。
ゲームであれば、これほど胸踊るイベントはない。ステータスがどう変化したのか、新たなスキルは習得できるのか……検証したいことは山ほどある。
だが、今は一刻も早くバリケードを作らなければならない。
先ほどの戦闘で成長したであろうステータスの確認すら後回しだ。考えるべきタスクがさらに増えたことに、蓮は軽い目眩を覚えながらも、思考を「生存優先」へと切り替えた。
一連の惨劇と勝利を、エレベーターホールの陰から見ていた結の家族。
あのカップルを乗せた箱が屋上まで上がり、再びこの地下へ戻ってくる頃には、蓮たちの戦闘は終わっていた。
ゴブリンの死体と、立ち尽くす若者たちを見て、彼らは安堵の息を漏らす。
「うわぁ! すごいじゃないか……蓮君達はっ!! あの自衛隊が敗北したっていう魔物を、二人だけで倒しちゃったぞ!」
「そうね~~~!! すごいわ~~~!! これなら安心ねっ」
「ほっ……よかったぁ……蓮さーん!! 悠真さーん!!」
結の両親は手放しで称賛し、結は涙目で蓮たちのもとへ駆け寄ってくる。悠真の傷を見た結は、すぐに救急箱を持ってきて、手当てを開始する。
「待ってて! すぐに手当てするから!」
消毒した後、結はユニークスキル《結合定義》で切り傷を閉じる。そして、塗り薬とガーゼを貼り、包帯で巻くのだった。切り傷などの切断対象に《結合定義》はとても相性が良かった。もしこれが、齧られた跡だったら、こうもいかなかっただろう。《結合定義》は「くっつける力」だ。くっつけるべき肉そのものが無ければ、治療に使えない力でもあった。
「さんきゅっ! 結ちゃん!」
見ていた者の目には、蓮たちが英雄のように映っているのかもしれない。だが、現実はそう簡単なものではないことを、蓮自身が一番よく理解していた。
(……俺たちが勝てたのは、奇跡じゃない。必然だ)
この数日間、筋肉が悲鳴を上げるまでステータスを上げ、ユニークスキルの特性を理解し、使いこなす準備をしてきたからこそ、ゴブリンを倒せたのだ。
もし、何の準備もなく、あの時のように無知なままで挑んでいれば――あの時の警官達のように、重傷者を出しながら、ようやく一体を追い払えるかどうかだっただろう。
おそらく軍の敗因もそこにある。
彼らは「現代兵器は無敵である」という正常性バイアスに囚われ、マニュアル通りに小銃や機関銃による制圧を試みたのだろう。
だが、この異界化した世界では「DEX(器用さ)」や「STR(筋力)」の補正が乗らなければ、弾丸も紙切れのように弾かれるに違いない。
この新世界のシステムに適応できなかった旧世界の軍隊は、理不尽な数値の壁に阻まれ、為す術なく蹂躙されたのだ。……と、蓮は推測していた。
「また魔物が入ってくるかもしれない!急ぎましょう!」
蓮は厳しい口調で場の空気を引き締める。
「この地下の荷物を運んだら、まずは封鎖です。今からこのモールに入ってくるのは、混乱に乗じた『物資目当ての暴徒』か、『人を食う魔物』しかいません。……もしくは、俺たちのように必死に避難してくる人か」
もう日常生活のためにこのショッピングモールが使われる事は無い。封鎖した所で、それを咎める存在も居らず、犯罪になる事も無いのだ。
蓮はゴブリンの死体を跨ぎ、軽トラの荷台へと戻る。
「新たに魔物が侵入してきたら、どうなるか解りません……急いで封鎖し、安全地帯を確保しましょう」
蓮の言葉に、浮かれかけていた結の両親も神妙な顔で頷いた。
実際、次のゴブリンが侵入してきた場合、MPを消耗した蓮と悠真だけで倒せる保証はない。
全員で協力し、三階への荷運びが再開される。
崩壊し始めた世界で生き残るための、最初の拠点が築かれようとしていた。
荷運びを終えた蓮たちは、三階の居住スペース予定地に悠真の母と康太を残し、荷物の整理と見張りを頼んでおいた。
そして、蓮、悠真、結、さらに結の両親という大人数で、一階奥にある「防災センター」へと向かう。
「バリケードで物理的に封鎖する前に、まずはシャッターでの封鎖を試みます。俺の予想が正しければ、なるべく大勢で向かった方がいいかもしれないので……」
蓮の言う「予想」の意図を完全に理解できたわけではなかったが、一同は黙って蓮の背中についていく。
蓮の頭の中には、事前のネット調査で叩き込んだフロアマップが展開されており、迷うことなく最短ルートで防災センターへと辿り着いた。
重厚な扉を開け、中へ踏み込む。
「だ、誰だッ!! ……君達っ! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞっ!」
中には、操作盤の前に陣取る上等なスーツを着た30代から40代と見られる男性と、制服を着た警備員が2名。モニターを操作している従業員が数名。さらに奥の休憩スペースには、怯えた様子の女性や子供たちの姿もあった。
蓮たちと同じく、家族連れでここに避難していたのだ。
蓮は冷静に状況を分析する。まだ若そうだが、スーツの男が、この場の決定権を持つ人間に違いない。
「俺達は、ここへ避難しにきた者です。外部からの侵入を防ぐため、シャッターを閉じにきました。支配人の方でしょうか?」
蓮は、穏便に済まそうと丁寧な口調で尋ねる。
支配人と呼ばれた男は、脂汗を浮かべた顔で叫んだ。
「そ、そうだ。私がここの責任者だ! だが、ここでは一般の避難など受け入れていない! 警察の誘導に従って、指定避難所へ行きなさい!」
蓮は小さく息を吐いた。
いくつかの可能性をシミュレーションしていたが、最悪ではないものの、「所有権を主張する人間との対立」という、面倒なパターンに入ったようだ。
「いえ、俺たちはこうなる事を予想して、ここに避難するつもりで計画を立ててきました。悪いですが、ここから出る気はありません」
「な、なんだと……!? 警備員、こいつらを追い出せ! 不法侵入だ!」
支配人のヒステリックな指示を受け、二名の警備員が前に出る。
彼らも本気で暴力を振るうつもりはないようだが、一人は大柄だがふくよかな巨体、もう一人は蓮達と同じ身長だが、やや痩せ気味だ。二人で威圧し、蓮たちを両手で押し出そうと体を寄せてきた。
それに対して、蓮と悠真は、それぞれの家族を守るように前に出て、床に根を張ったように踏みとどまった。
「……ん!? うおおおお……っ!? あ、あれっ!?」
「ぐっ……くそっ!!」
警備員たちは、「二人合わせれば」、蓮達より質量も体積も大きい。
しかし、彼らが顔を真っ赤にして、前のめりになって本気で押し出そうと力を込めても、蓮たちは力を加える様子さえないのに、ビクともしなかった。
それどころか、蓮が軽く力を込めて押し返すと、警備員たちが押し飛ばされ、壁に衝突する。
「ぐわあっ……!! すみません、こいつら……! む、無理です……!」
(あれ……少しだけ押し返すつもりが……)
警備員が愕然として声を上げる。
蓮は先ほどの戦闘の後、まだウィンドウを開いて数値を確認していなかった。
ゴブリンとの戦闘経験を積み、ジョブチェンジにより《剣客》となった。
その恩恵によるステータス成長と、「職業ボーナス」により、蓮のSTR(筋力)は「16」へと上昇しているのだった。
それは既に、あの怪力男・五十嵐をも凌駕する数値であり、この期間にステータスを伸ばしてこなかった一般人とは、もはや生物としての「格」が違うのだ。
予想を遥かに超える力が発揮された蓮は、「それ」が気になった事でSTRだけが簡易ウィンドウで表示された。
(STR16!? 何が起こったんだ……)
蓮の記憶ではゴブリンとの戦闘前はSTR13で、戦闘により成長したとしても14だと思っていたのだ。
――しかし、今はそれを考える暇は無かった。
「何っ!? いいか、ここにある物は支配人である私のものだ! お前たちにやるものはない! さっさとでていけ!」
支配人が唾を飛ばして喚き散らす。
彼はまだ、自分が「法治国家の管理者」であるという幻想にしがみついている。
だが、力関係はすでに逆転していた。
蓮は、暴力による排除ではなく、交渉による支配を選択する。
「そうですか……。協力してここで生き残る気はありませんか? この様子だと、あなた達だけでは、絶対に生き残れませんよ」
蓮は冷徹な視線を、突き飛ばされた警備員たちに向け、その後に支配人へと視線を戻した。
そして、「見ての通り、この人達だけでは、あなたを守れませんよ?」と、言葉と視線で示すのだった。




