【第14話】
家族を連れて逃げる事は難しい。
ゴブリンの俊敏性は、一般人の全力疾走を遥かに凌駕する。背を向ければ、足の遅い者から順に狩られるだけだ。
(それなら……敵がまだ一体のゴブリンだけだという事を幸運と捉え、ここで確実に仕留めるしかない……!)
魔物を倒して、バリケードを完成させる。それが生存への最適解だと、蓮は瞬時に思考を切り替えた。
「蓮、俺が前に出る。 隙を見て頼んだぜ」
「悠真、あいつの爪は……」
「――わかってるよ! おい! ゴブリン! 来いよッ!!」
蓮が言おうとした警告を、悠真も理解していた。
以前、蓮が見せたAR映像の中で、警察官の分厚い制服ごと肉体が切り裂かれる様を目にしているからだ。
蓮の制止を遮り、悠真が一歩前に出る。
よく見れば、悠真の両手にはいつの間にか、バイク用か護身用の丈夫なグローブが装着されていた。ナックル部分にはカーボンか金属製のプロテクターまで付いている。
しかし、いかに丈夫な装備であろうと、この世界では「ステータス」という数値が伴っていなければ、紙切れ同然に引き裂かれることを蓮は知っている。
(だが……悠真にはあのユニークスキルがある。果たして実戦でどこまで通用するのか……)
ゴブリンが濁った眼球をギョロリと動かし、新たな獲物を見定めてにじり寄ってくる。いつ飛びかかってきてもおかしくない一触即発の状況。
悠真は恐怖を怒鳴り声で塗りつぶすように、大きく両手を広げて挑発した。
「おい! クソ緑! かかって来いよッ!!」
「ギャッ! ギャッ! ギャッ!」
殺意のスイッチが入った。
シュタッ!!
アスファルトを蹴る鋭い音。
恐ろしい初速で、ゴブリンが悠真へ襲いかかる。
あの時、蓮が反応さえ出来ずに切り裂かれたのと同様、目にも留まらぬ飛びつくような動作からの、鋭い爪による袈裟斬り。
(速ぇえっ!!?)
蓮が録画していたのは警察官達が来てからだ。この初速からの飛びつきを初めて見て驚く悠真。
悠真のAGI(敏捷性)では躱しきれない。
それでも悠真は、本能的に傷を浅くしようと半歩下がりつつ、その腕を盾にするように掲げた。
ゴブリンの凶刃が、間違いなく悠真の腕を捉える軌道。
「《金剛外殻》!!」
気合と共に、スキル名が叫ばれる。
発動する意識を確実なものにするための、音声入力。
シャキッ!!
ゴブリンの勢いを乗せたするどい爪攻撃が、悠真の腕に確実に接触した。
「ぐっ!!」
蓮の動体視力と《解析眼》が捉えたのは、無傷のグローブと、その奥で無惨に引き裂かれた悠真のジャケットの袖。
傷を負ったらしく、出血が見える。悠真は顔をしかめるが、腕そのものは切断されていない。
これまで人を抵抗無しの空気かのように裂いてきたゴブリンの爪を、確実に腕で防いだのだ。
だが、詳細に傷の深さまで確認している余裕は蓮には無かった。
蓮は、ゴブリンが悠真に襲いかかる様子を、ただ傍観していたわけではない。
せっかく悠真が体を張ってターゲット(ヘイト)を引き受けてくれているのだ。
その背中越しに生まれる、絶好のバックアタックのチャンス。
これを逃しては、悠真に申し訳が立たない。
(今だッ……!!)
蓮の身体が弾かれたように動く。
ゴブリンとの初遭遇から今日までの、わずか数日間の「準備期間」。
その間、蓮は筋肉繊維が断裂するほどの負荷をかけ続け、できうる限りSTR(筋力)とAGI(敏捷性)を上げ続けてきた。
現在のステータスは、STR13、AGI12。
常人の限界を超えつつあるその数値は、全身を覆う疲労感と筋肉痛という代償の上に成り立っている。
かつてゴブリンに有効打を与えていた男、五十嵐。
彼は世界に通用しそうなボディビルダーのような筋肉を持っていた。
対して今の蓮は、細身のままであり、見た目はそこまで変わっていない。とても五十嵐と同じ剛力を持っているようには見えないだろう。
だが、数値上はあの時の五十嵐と同じ。
この変貌した世界において、絶対的法則が筋肉の量よりも優先されるのか、その真偽が試される時が来た。
悠真が衝撃を受け止めた瞬間。
蓮は素早くサイドステップを踏み、ゴブリンの死角である背後へと回り込む。
そのまま横移動の慣性を殺さず、腰の回転を利用して、手にした薪割り斧で真横から薙いだ。
狙うは首などの細い部位ではない。
最も当てやすい胴体、その脇腹。
ブゥンッ!!
風を切る重い音が、以前とは明らかに違っていた。
ザシュッッ!!
「あの時のお返しだッ!!」
「グギャッ!!?」
ゴブリンが苦悶の声を上げながら横に少し飛ばされる。
蓮の薪割り斧は、ゴブリンの強靭な皮膚を切り裂き、その脇腹に確かな傷を刻んでいた。
あの時、蓮が負わされたのと同じ程度の深さではある。致命傷には程遠い。
だが、明確に刃が通り、ダメージが通った。
五十嵐と同じSTR13。だが、理由は不明だが、ダメージはあの時の五十嵐より高いように見えた。
その疑問が湧いた蓮だったが、今は考える余裕など無い。
ゴブリンが衝撃で横に飛び、体勢を崩したほんの一瞬。
蓮は、その隙にゴブリンの向こう側に居る悠真の状態を確認した。
引き裂かれた袖の隙間から覗く皮膚には、赤い線のような切り傷、しかし、浅く済んだようだ。
悠真もステータスを上げたこと、そしてユニークスキルの防御効果により、この理不尽な暴力に耐えうることを証明していた。
(これなら、いけるっ!)
「ギ……ギィィィッ!!」
いきなり傷を負わせてきた蓮を、ゴブリンは充血した眼で睨みつける。
明確な殺意の対象が、悠真から蓮へと変更された瞬間だった。
「おい! こっちだ!! チビ緑!! ゴブリンッ! おらっ!! 来い!!」
その視線移動に気づいた悠真が、傷を負いながらも、必死に手を叩いて挑発する。
だが、ゲームの挑発スキルのようにはいかない。
知能の低い魔物にとって、口汚い言葉よりも、実際に自分の肉を裂いた痛み(ダメージヘイト)と恐怖の方が優先順位は上だったようだ。
ゴブリンは悠真を無視し、蓮に向かって一直線に襲いかかった!
「くッ……! ふっ!」
蓮は《解析眼》をフル稼働させ、視界に投影される「未来の軌道」を読み取る。
バックステップだけでなく、左右のサイドステップも駆使し、紙一重の間合いで凶爪を躱していく。
傍から見ている悠真にとって、今の蓮の動きは異常だった。
無駄のない重心移動、鋭い反射神経。それこそプロの格闘家や、オリンピックの体操選手を見ているような洗練された挙動に見えた。
(おいおい、すげぇ動きだな……)
蓮は、回避に専念し、当たりこそしてなかったが、冷や汗を流していた。
当たれば死ぬ。その恐怖と隣り合わせのダンスだ。
一方、悠真はそこまでAGI(敏捷性)を鍛えていない。
だが、友を死なせるわけにはいかないと、蓮とゴブリンの動きに回り込むように接近する。
早く自分に敵意を向けさせなければ、いずれ蓮はやられる。蓮には悠真のような硬化スキルもなければ、打たれ強いVIT(耐久力)があるわけでもない。
一撃でもまともに食らえば、それが致命傷になる。
「おらっ!! おらっ!! おらっ!!」
接近の直前、念のために《金剛外殻》を発動し、皮膚を硬化させる。
そして、蓮を追うのに夢中になっているゴブリンの背後から、無防備な後頭部や肩を拳で殴りつけた。
ドゴッ! ドゴッ!
悠真のSTRは12にまで成長していた。
蓮の斧のような切断力はないが、その重い質量を感じさせる拳は、ゴブリンの脳を揺らすには十分だった。
五十嵐や蓮ほどの攻撃力では無いが、確実にダメージが通り、痛そうに頭を振るゴブリン。
執拗にちょっかいをかけ続ける背後の敵に、ついにゴブリンが堪忍袋の緒を切らした。
「ギャッ! ギャァーーーーーー!!! グギッ!!」
ゴブリンが蓮への追撃を止め、咆哮と共に悠真へ向き直ろうとする。
――その瞬間こそが、蓮の待っていた「詰み(チェックメイト)」だった。
すかさず、蓮が踏み込む。
薪割り斧を両手で高々と振り上げ、遠心力を乗せた縦の一撃。
狙うは、悠真の方を向いたことで無防備に晒された後頭部。
薪割り斧は、刃渡りが短く、先端部分にしか攻撃判定がない。動く標的の急所に、その一点を当てるのは至難の業だ。
だが、今の蓮には視えている。
――1秒先の未来の位置が。
透き通るような『電脳青』の『輪郭線』に模られたゴブリンの後頭部に、狙いを定め振りかざす、そこに現実色のゴブリンがぴったりと重なった瞬間。
(――重なったッ!!)
フォンッ!! ザグッ!!!
「ガッ! ギャッ! ギャッ!!?? グアアッ……!」
鈍く、重い音が響いた。
斧の刃がゴブリンの後頭部に少し食い込み、メリっという頭蓋に割り込むような感触……そしてどす黒い血が噴き出した。
だが、蓮の攻撃はそこで終わらない。
蓮はゴブリンの背中を足蹴にして、強引に斧を引き抜くと、よろめいたゴブリンに対し、即座にもう一度「薪割り」をお見舞いした。
一度目と同じ軌道、同じ箇所。
先ほど刻んだ傷口に、寸分違わず刃が吸い込まれる。
今度こそゴブリンの後頭部が完全に「パカッ」と割れる音の中に、体液による粘性の嫌な音が混ざっている。
「おい……やったな……! やったんだな!? 蓮!!」
「まだだ!」
うつ伏せに倒れたゴブリンは、ピクピクと痙攣している。
脳を破壊され、間違いなく死に至る傷だ。
だが、蓮は「不確定」を嫌う。
相手は「魔物」、常識は通用しないかもしれない。
敵が完全に動かなくなるまで、油断は死を招く。
蓮は倒れたゴブリンに跨ると、トドメを刺すようにもう一度、容赦なく斧を振り下ろした。
ビクンッ、と死体が大きく跳ね、そして動かなくなる。
「……ふぅ……ああ! やったんだ……!」
ようやく蓮は斧を下ろした。
返り血を浴び、荒い息を吐く蓮と悠真。
二人は互いの無事を確認し合うように視線を交わすと、強く拳を合わせ、勝利を分かち合った。
『条件達成:職業が『剣客』に更新されました』
――まさにその瞬間。蓮の視界の端に、無機質なシステムウィンドウがポップアップした。
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以上で「序章異界化」の終了となります。
次話より、本格的なサバイバルと狂った世界での「最適解」を求めていく「第一章」が始まります。
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