【第12話】
ホテルをチェックアウトした蓮は、駐車場に止めていた軽トラの運転席へと滑り込んだ。
荷台には既に、防水シートの下に厳重に固定された段ボール箱が積み上げられている。食料、水、衛生用品、そしてカセットボンベ。この事態を予測し、蓮が自らの資金と時間を投じて用意した生存のためのライフラインだ。
エンジンをかけ、路上へと出る。
車窓の外は、いつも以上の喧騒と混乱に包まれていた。
無理もない。一国の首相が「敗北」を認め、インフラの停止を宣告したのだ。
それに加え、蓮の脳内ではさらに悪いシナリオが構築されている。地方で自衛隊が食い止めていた魔物の群れが、ダムが決壊した濁流のように、一気にこの都市部へ雪崩れ込んでくる可能性。そのタイムリミットは、一般市民が想像するよりも遥かに近いはずだ。
交差点では、必死に交通整理を行い、避難誘導を続ける警官の姿があった。
総理の言葉通り、彼らは職務を全うしようとしている。だが一方で、乗り捨てられたパトカーや、制服のまま呆然と立ち尽くしている者も見受けられた。
彼らだって人間だ。公僕である前に、守るべき家族がいる。職務を放棄し、愛する者の元へ走る彼らを、誰が責められようか。
蓮は、まだ本格的な渋滞が始まる一歩手前のタイミングで動けていた。
裏道を駆使し、目的の巨大ショッピングモール『グラン・アルシェ』へと到着する。
だが、モールの入り口付近では、すでに社会契約の崩壊が始まっていた。
多くの人々は、スマホを耳に当てながら家族へ連絡を取ったり、足早に家路を急いだりしている。しかし、その混乱に乗じ、割れたガラスの隙間から商品を抱えて飛び出してくる者たちの姿があった。
火事場泥棒。あるいは、これから来る飢餓への恐怖に駆られた本能的な略奪。
代金を払わず、咎める店員もいない店から逃げるように去っていく彼らの姿は、法治国家の終わりを告げる象徴的な光景だった。
(……始まったな)
蓮は冷ややかにそれを見つめつつ、ハンドルを切って地下駐車場へのスロープを下りていく。蓮は指定の場所として考えていた、Bブロックの柱番号12付近に軽トラを止め、エンジンを切った。地下特有の湿った空気と、タイヤのスキール音が響く中、まだ二人の車は見当たらない。その時、二人とのグループチャットに新着メッセージが届いた。
『蓮! 俺だ! 今、母さんのパート先回ってピックアップして、康太も乗せた! あと10分くらいで着く!』
康太というのは、悠真の歳の離れた弟だ。かつて父親から受けたDVによる怪我の後遺症で、足に障害が残っている。歩行は困難だが、松葉杖か車椅子があれば移動は可能だ。
『蓮さん! 私も今お父さんとお母さんと一緒に車で向かってるよ~! もう少しで着くと思う!』 『わかった。俺はもう到着して場所を確保してる。Bブロックの柱番号12付近で待つ』
蓮はシートを倒し、大きく息を吐いて天井を見上げた。ここまでは計画通りだ。あとは無事に合流できることを祈るしかない。
それからおよそ15分後。ヘッドライトの光が壁を走り、一台のワゴン車が滑り込んできた。蓮が車を降りて手を振ると、運転席の悠真が気づき、隣のスペースへと駐車する。
「おい! 蓮! 待たせたな!」
「ああ、無事でよかった」
悠真が駆け寄ってくる。その後ろには、スライドドアから降りてくる母親と、松葉杖をついて体を支えている康太の姿があった。
「蓮兄ちゃん久しぶり!」
「ああ、康太君、久しぶりだな。おばさんも、お久しぶりです」
「ええ、今回も、ありがとうね、蓮くん。貴方にはいつも助けられてばかりで……」
笑顔で挨拶する康太と蓮。そして、おばさんも気丈に振る舞っているが、その顔には疲労と不安が滲んでいた。
悠真の家は、父親とは裁判を経て接近禁止命令が出ている。今は悠真と母が働き、康太を守りながら平和に暮らしていたはずだった。そのささやかな日常すら、魔物は奪おうとしている。
「蓮さーん!」
そこへ、立て続けにもう一台のセダンが到着した。助手席から結が飛び出してくる。
「ああ、結ちゃんも無事でよかった」
「いやー蓮君すごいね……こんな事になる事……予想してたなんて……!」
「蓮君、本当にここで大丈夫なの~?」
結に続いて降りてきたのは、彼女の両親だ。正月に顔を合わせて以来の再会だが、二人とも善良な市民の代表のような顔つきをしている。
温厚で人の良さそうな父は、事態の急変に驚きつつも感心したように蓮を見つめ、ややおっとりした母は、ショッピングモールの地下という異質な避難場所に戸惑いを隠せない様子だ。
「おいおい、母さん。家族みんなで決めた事だろう? 蓮君を信じてみようって……」
「そ、そうなんだけど、不安なのよ~~。ごめんね、蓮君の事は信じてるのよ~?」
結の母が申し訳なさそうに眉を下げる。この家族は仲が良く、円満だ。だからこそ、この殺伐とした状況にはあまりに不釣り合いな「平和な空気」を纏っていた。
蓮は守るべき対象が増えた責任の重さを感じると同時に、この温かい場所だけは絶対に死守しなければならないと、改めて決意を固くした。




