【第11話】
有給休暇四日目、木曜日。
蓮はホテルの狭い一室で、ノートパソコンとテレビの画面を交互に見つめていた。
テレビのニュースでは、福井県の原子力発電所から、未だに黒煙が上がり続けている事に関する議論等が映し出されている。
異常なのはそれだけではない。付近の他の発電所からも煙が上がったという速報が、テロップで流れていた。
海外に目を向ければ、状況はさらに絶望的だ。
主要な大都市ですら大規模な停電が発生しており、SNSには翻訳機能を通さずとも理解できる悲鳴と、新たな魔物の動画が溢れかえっている。
(これは……ゴブリンじゃない……?)
蓮がモニターで拡大した動画には、手ブレの激しい映像の中に、逃げ惑う人々の波と、その背後に迫る『何か』が映っていた。
遠目からの映像であり、硝煙と土煙に阻まれてその正体までは判別できない。だが、その輪郭は明らかにゴブリンのような小鬼ではなく、もっと巨大で、異質な影だ。
(軍が展開しているのか……!?)
映像の端では、バリケードを築いた軍隊が一斉射撃を行っているのが見えた。暗視映像の中で、無数のマズルフラッシュが瞬き、曳光弾の光跡が雨のようにその巨体へ吸い込まれていく。
ロケットランチャーらしき爆発が、怪物の身体で花火のように炸裂した。だが、煙の中から現れた影は、止まらない。重火器の直撃を受けながらも、まるで痛痒を感じていないかのように、防衛線を踏み潰していく。
街の至る所から黒煙が噴き上がり、かつての繁栄を誇った大都市が、なすすべなく蹂躙されていく様子が映し出されていた。
蓮は観察に没頭しかけた意識を、無理やり現実に引き戻す。
(おいおい……海外ではもう街まで魔物が来ているのか……!? 政府は「直ちに影響はない」と繰り返していたが……本当に魔物も、放射能漏れも大丈夫なのか……!?)
――そう考えた矢先だった。
テレビの画面が唐突に切り替わり、「緊急放送」の文字。
昨日の防衛大臣ではない。
今度は、内閣総理大臣が自ら登壇した。
その表情は、疲労と、ある種の諦念に彩られていた。
『……国民の皆様。政府は、先ほど、現在発生している「魔物」による襲撃事態に対し、「武力攻撃事態」を認定致しました』
その言葉が意味する重みを、どれだけの国民が理解しただろうか。
戦後、いかなる大災害やテロ事件でも抜かれることのなかった、日本国最強の伝家の宝刀だ。それは自衛隊が「災害派遣」ではなく「軍」として、敵を排除するために武力を行使することを意味する。
『すでにご存じの通り、自衛隊および警察・海上保安庁の部隊は、発令を待たず現場へ展開し、懸命な対処に当たっております。しかし……現時点において、「魔物」の戦闘能力は我々の想定を遥かに上回っており、各地の防衛線は……突破されつつあります』
総理の声が震えた。手元の原稿には、国家の長として決して口にしたくない文字が並んでいるのだろうか。彼は意を決したように顔を上げる。
『さらに、極めて深刻な報告があります。魔物は、我が国の「原子力発電所」などの「エネルギー発生施設」、並びに、「エネルギー消費施設」をも標的として認識し、進攻してきております。政府は最悪の事態――放射能による破局的な汚染を防ぐため、全国の原子力発電所に対し、「緊急停止措置」を命じました。現在、安全な冷温停止への移行作業を行っています』
蓮は息を呑んだ。
放射能汚染を防ぐための停止。それは正しい判断だ。だが、その代償はあまりに大きい。
『この措置により、間もなく、日本全土で大規模な停電が発生します。これは故障ではありません。皆様の命を守るための、苦渋の決断です』
(全て事後報告……。政府は魔物にもすでに対処していた。しかし、対応策も何も見つからずどうにもならなかったんだ……それで正式な発表さえできなかったという事か……)
蓮の推測は、最悪の形で的中していた。普段冷静で、「もしかすると……」と予測できていた蓮でさえ、苦悶の表情となる。
地方や山間部で発生していた魔物の群れを、自衛隊は必死に食い止めていた。だが、防衛線は決壊したという事だ。
『停電に伴い、通信、水道、ガスの供給も順次、停止する恐れがあります。本来であれば、政府が主導し、物資の配給や価格の統制を行うべき局面です。しかし……正直に申し上げます。現在、政府には、全ての皆様のもとへ食料や燃料を届ける「手段」がありません。配給制度を実施する余力すら、今の行政には残されていないのです』
兵站の崩壊宣言。
金も、権利書も、ただの紙切れになる瞬間だった。
『……ここから先は、国が皆様を物理的に守ることが、極めて困難になります。ですが、政府は、決して国民を見捨てません。現在、全国の警察官、消防隊員、そして自治体の職員たちが、崩壊しつつある現場にあえて踏みとどまっています。彼らは自身の避難よりも、皆様の安全を優先します』
総理はカメラを睨みつけるように、力強く語りかけた。
『たとえ通信が途絶えようとも、最後の瞬間まで、現場の職員が皆様を安全な場所へと誘導します。どうか、彼らの指示に従ってください。それが――公僕である我々に残された、最後の務めだからです。私自身も、この官邸から一歩も退きません。指揮機能が失われるその時まで、自衛隊と共に、最後の一兵となっても戦い抜くことを誓います。どうか、皆様も生きてください。……以上です』
直後、会見場は怒号と悲鳴に包まれた。
記者たちが電話をかけまくり、誰かが叫んでいる。
しかし、中継は切断されず、仕事を放りだし、そのパニック映像を垂れ流し続けた。
(これは、予想よりも早い展開だな……というよりは、限界まで持ちこたえてくれていただけで、実際には魔物は迫ってきていたんだ……海外の映像がその証拠だ)
蓮は立ち上がり、バックパックを背負う。
総理が「敗北」を宣言した意味。それは、地方で堰き止められていた魔物の濁流が、一気に都市部へ押し寄せてくることを示唆している。
(くそ……! まだステータスもぎりぎりの目標到達ってところなのに……!)
猶予はない。
蓮は震える指を抑え込み、二人とのグループチャットに通話ではなくメッセージを打ち込む。回線が混雑する前に、テキストで指示を送る方が確実だ。
『二人とも、今会見があった。予想よりも早く、事態は悪化してたみたいだ。家族にも連絡して、今すぐに避難しよう。大丈夫……いや、大丈夫じゃないんだが、もう仕事どころではないはずだ。結も両親を今すぐに呼んで、例の避難所に!』
送信ボタンを押し、蓮は部屋を飛び出した。
世界が終わる音が、すぐそこまで迫っていた。




