【第10話】
有給休暇二日目、火曜日の朝。
蓮がつけたニュース番組では、福井県にある原子力発電所でボヤ騒ぎがあったことが報じられていた。
キャスターは「詳しい原因は調査中」と繰り返すばかりで、放射能漏れの心配はないという点だけを強調している。
(……発電所での火災? 魔物の襲撃じゃないのか……?)
蓮の脳裏に、ネットの海外フォーラムで見た情報がよぎる。海外ではすでに多くの発電施設が魔物の襲撃を受け、インフラがダウンしているという噂だ。
この福井の一件が、魔物によるものなのか、単なる設備の老朽化やヒューマンエラーなのか。まだ断定できる材料が足りない。
(だが、備えあれば憂いなしだ)
情報を精査しつつ、蓮は今日の行動予定を立てた。
物資の買い込みは昨日のうちにほぼ完了している。今日の目標は、トレーニングによるステータス上げと、「避難所の選定」だ。
通常、大規模災害が発生すれば、自治体から指定避難所(学校の体育館や公民館など)への誘導が行われる。多くの人々は思考停止して指示に従うだろう。
しかし、蓮の想定は違う。
避難所とは「すぐに救助が来る」こと、そして「外部から物資が届く」ことを前提とした一時的な収容施設に過ぎない。備蓄食料など、持って三日分が良いところなのだ。
もしインフラが完全に停止し、物流が死んだ場合、すし詰め状態の避難所は、ただの飢餓とパニックの温床と化す。
(俺が探すべきは、誰かに守ってもらう場所じゃない。……俺たちだけで生き延びるための『拠点』だ)
蓮は地図アプリを開き、近隣の地形と施設を照らし合わせながら、いくつかの候補地をピックアップしていく。
皆との合流距離、防御のしやすさ、物資の残存可能性。
最悪の事態――法や秩序が崩壊した世界で、悠真と結を守り抜ける場所を、蓮は冷徹な計算のもとでシミュレーションし続けた。
◇
そして、夜。
まだ寝るには早い時間帯、テレビ各局の番組が一斉に切り替わった。
緊急会見。
画面に映し出されたのは、内閣官房長官ではなく、防衛大臣だった。その異様な雰囲気に、蓮はトレーニングの手を止めて画面を凝視する。
『国民の皆様に、極めて重要なご報告がございます』
大臣の顔は強張り、手元の原稿を持つ手が微かに震えているようにも見えた。
『今朝6時頃に起きました、福井県にある原子力発電所の事故ですが……調査の結果、原因は、正体不明の生物――通称「魔物」による襲撃であるとの報告が入りました』
その瞬間、日本中が凍りついた。
政府が、魔物という非現実的な存在を、公式に「実在する脅威」として認めたのだ。
『現在、自衛隊および警察が対応にあたっておりますが、国民の皆様におかれましては、不用意な外出は控え、自宅で安全を確保してください。繰り返します、不用意な外出は……』
「大臣! 『魔物』とはどういうことですか!?」
「対策はあるんですか!? このARウィンドウとの関係は!?」
「生物兵器テロの可能性は!?」
質疑応答の時間など待たず、会場の記者たちから怒号のような質問が嵐のように浴びせられる。
大臣は額に脂汗を浮かべながら、必死に声を張り上げた。
『魔物に関しましても、現在調査中の段階です。見かけた場合、決して近づかず、直ちにその場から逃げて110番通報をお願い致します!』
蓮は無言でテレビを点けたまま、スマホを手に取った。
悠真と結を含めた、三人だけのグループチャットを開く。
『会見、見たか?』
即座に既読がつく。
『見ましたっ! 怖いです……ほんとに、ニュースで言ってる……』
『え? そんなのやってたのか? 俺いま風呂上がったとこなんだけど』
悠真はまだ状況を知らないようだ。蓮は素早くキーを叩く。
『ああ……政府が認めた。明日から、世の中は大変な事になると思う。この前言った通り、これで二人とも家族にもしっかり話して、万全の備えをしておいてくれ』
『わかった……そっか……蓮の悪い予想の方が当たっちまったってことか……』
『はい……絶対に……これから大変な事になるって、万全に備えてほしいって必死に言います』
二人の返信を確認し、蓮はスマホを握りしめた。
(今朝は原因を隠していたくせに、政府が今になってこんな発表をしたということは、もう隠蔽工作が不可能なほど事態が悪化しているのか……。それなのに「避難」ではなく「自宅待機」を指示したのはなぜだ……? 避難させる場所がないのか、移動によるパニックを恐れたのか? あるいは、まだ事態を収束できるという望みがあるのか。……外出を控えて、通報しろ、か。警察や自衛隊が間に合うなら、誰も苦労はしない。あの時だって、俺が飛び出さなければあの親子は……)
お上に頼れば助かるという神話は、今日で終わった。
人頼みにして、運悪く死ぬのだけはごめんだ。
自分の命も、大切な二人の命も、俺が守る。
その強い想いで恐怖をねじ伏せ、蓮は再び床に手を突き、筋肉が悲鳴を上げる限界までトレーニングを再開した。
◇
有給休暇三日目、水曜日。
昨夜の防衛大臣による会見は、日本社会に劇薬を投下したに等しかった。
魔物がフェイク動画の産物ではなく、実在する脅威であると確定したことで、SNS、動画サイト、テレビ、その全てがハチの巣をつついたような大騒ぎとなっていた。
蓮がスマホでSNSのトレンドを流し見ると、そこには悲壮感よりも、むしろ非日常を楽しむような、ネタめいた文言ばかりが並んでいた。
『政府公認モンスターとかマジ? 俺のスキルがあれば余裕っしょw』
『都内で一緒に魔物狩りにいく人! タンク募集中!』
『ステータスあがらなすぎで草。筋トレしてもSTRピクリともしねぇ』
『学校休みになるかな?』
(……平和ボケと言うべきか、適応力が高いと言うべきか)
若者ほど、このゲームのような変化をすんなりと受け入れている。
遊び半分であっても、こうやってステータスやスキルを試し、強くなっていく者たちが、案外この世界で生き残るのかもしれない。
だが、蓮はすぐにその考えを修正する。
(いや、どれだけレベルを上げても、水と食料が尽きれば人間は死ぬ。今の彼らには、その『生活の備え』という視点が欠落している)
そして何より、これほどネット上で騒げるということは、裏を返せば「まだ実際に魔物を見たことがない人の方が圧倒的多数」ということだ。
画面の向こうの出来事だから、祭りのように騒げる。
蓮はこの現状を単なる運や偶然で片付けず、「なぜ、まだ被害が局地的なのか?」という疑問を徹底的に掘り下げた。
蓮はパソコンのマップを開き、これまでの海外を含む目撃例と、実際に襲撃された発電所の位置情報をプロットしていく。
ネット上の不確かな情報も多いが、信憑性の高いものを繋ぎ合わせると、ある共通点が浮かび上がってきた。
「……やっぱりだ。どこも、人口密度の極端に低い田舎、郊外、山間部……その付近の発電所だ」
これは偶然ではない。明確な法則性がある。だからこそ目撃者が少なく、初期対応が遅れ、インフラが静かに破壊されているのだ。
蓮の住む八王子市は、東京にありながら田舎とさえ言われてしまう場所……その中でもさらに郊外と言える場所だった。
蓮のアパートがある地域や、先日ゴブリンと遭遇した裏山周辺は、開発から取り残されたような緑地が多く、夜になれば極端に人通りが減る場所だ。
(仮説だが、魔物は人の少ない場所、人口密度の低い場所で発生しているのか……?)
その仮説が正しいとすれば、過疎地はすでに危険地帯と化している可能性がある。
蓮はスマホを手に取り、アドレス帳をスクロールした。
「祖父」の文字。
静岡の山間部、まさに「田舎」と呼べる場所に住んでいる、父方の祖父母だ。
家族を失って以来、疎遠になってはいたが、蓮にとってこの世に残された唯一の肉親であることに変わりはない。
『……もしもし、おお……蓮か? 珍しいな』
「じいちゃん、久しぶり。 ……急で悪いんだけど、ニュース見たか? 魔物の話」
蓮は努めて冷静に、しかし要点だけを伝えた。
政府が発表した通り危険であること。もし近所で何か異変があったら、家の戸締りなど無意味だから、すぐに自治体の誘導に従って避難すること。
『ああ……わかった。 蓮も、気をつけるんだぞ』
短い通話を終え、蓮は息を吐く。
やれることはやった。これ以上、遠く離れた祖父らに干渉する術はない。
そして、この仮説が正しいなら――。
「ここも、危ないのかもな……」
蓮は自室を見渡す。
静かで住みやすいアパートだが、この近辺は「人目」が少なすぎる。魔物が湧き出す条件を満たしている恐れがあった。
蓮は決断し、昨日すでに目星をつけていた「拠点候補地」を最終決定した。そこは蓮の今暮らしている場所より大分東――悠真や結の住んでいる日野市街地で、その付近のビジネスホテルへ住処を移すつもりだ。
三人だけのグループチャットを開き、画像を添付する。
それは、この地域で最も巨大なショッピングモール『グラン・アルシェ』を中心とした地図だ。
蓮は画像編集で、居住エリアとして想定している区画や、封鎖すべき通路にマーカーを引いておいた。
『何かあったら、ここに避難して合流しよう』
メッセージを送信すると、すぐに二人から了解のスタンプが返ってくる。
このモールなら、構造が堅牢で、物資もあり、何より人の目がある。初期の発生源になるリスクは低いはずだ。
(これでよし……)
蓮は手早く行動を開始した。
重要な貴重品と……これだけは捨てられない。「額に入れた家族写真」とサバイバルに必要な装備だけをまとめたバックパックを背負う。
既に生活用品と食料を満載にしてある軽トラに乗り込み、エンジンをかけた。
静かで住み慣れたアパートに別れを告げ、蓮はアクセルを踏む。
自宅待機という政府の指示には反するが、自宅が死地になる可能性がある以上、座して待つ理由はない。
何が起こっても、迅速に悠真と結、その家族と合流し、生存圏を確保するために。
蓮は「最悪」のその先を見据えて、拠点の喉元へと移動を開始した。




