5.半個室に降ろされた帳。
『サクラ、カマクラ、キタマクラー!!みんなグッドモーニング!!カマクラちゃんだよー!』
今日も菊池家に、いつも通りの朝が訪れる。
二人は各々の朝ごはんを食べながら、テレウァンはスマホ
を、夕凪はテレビを見つめていた。
「夕凪、さっそくだが、昨日言ってたインターネットカフェに行くぞ。」
「あ、ごめん。やっぱ学校行く。」
「おいーーー!!いい加減私を振り回すなあああ!!」
夕凪はテレウァンから逃げるように家を出た。
一人、テレウァンだけが残されたリビングで、カマクラちゃんの星占いが始まる。
『いきなりだけど、第一位はどう考えても水瓶座のみなさーん!今日は幸せをぐっと手繰り寄せる一日です。
これまで引っかかっていたこと、悩みが、ふとしたきっかけでほどけるように、一気に晴れていきそう!
無理に答えを探してきた人ほど、今日は肩の力がふっと抜けるタイミング。
これでよかったんだと思える瞬間が、意外と近くにありますよー!!』
****************
「おはよう、文くん。」
「あ…、おはよう、菊池さん。」
「あら!菊池さん!ごきげんよっ!」
文昭は気まずそうに、雪寧は勝ち誇ったように夕凪に挨拶する。
自分の席に座り、ずいぶんと開放的になった隣を見ると、淀んだ曇天が広がっていた。
「……はあ。」
思わずため息が漏れてしまった。
当然ではあるが、何か期待して待っていても、自分から動かないと、その空間は楽しくはならない。
とはいえ、やはり新しい席の周りに見知った顔はなく、気軽に言葉を交わせる相手は誰もいない。
幼馴染の文昭と同じクラスになれたおかげで、気軽に話せる相手が一人確保でき、それだけで教室の居心地は違った。
だが、どうしてもその一人に依存してしまう。
最初から親しげに会話している男女の輪に、他人が踏み込んでいけるほどの勇気とコミュニケーション能力を持つ学生は、そう多くない。
夕凪自身、例外ではなかった。
そして、今がその結果である。
夕凪は、文昭と離れる事で、それを身を持って知った。
若干の後悔だけが宙ぶらりんのまま、心の中で揺れ動いている時だった。
「あーー!!」
そんな感情を、一発の叫びが切り裂いた。
「カマクラちゃんやん!!」
夕凪の机に置かれてあった、カマクラちゃんのイラストが描かれたクリアファイルを指差し、指摘したのは前の席の男の子だった。
「え?何?マクラーなの?」
一見すると、少しチャラそうで軽い印象の男の子。
制服は着ているものの、シャツの襟元はゆるく、どこか気の抜けた着こなし。
薄い笑みを浮かべているが、その目つきだけは不思議なほど柔らかかった。
「うん。星占いも毎日見てんで。今日は色々あって見れなかったんやけど…。」
夕凪がそう言うと、相手の目が、はっきりと見開かれた。
「え、ガチやん!俺もマクラーよ!よろしくぅ!!」
男の子は、握手を求めるように勢いよく手を差し出した。
夕凪はそれを見て、少しぎこちなく握った。
そして男の子は流れるように、カッターシャツをめくり始めた。
その下に着ていたTシャツには、カマクラちゃんのイラストがデカデカと描かれていた。
「うわ、やば!!カマクラちゃんのライブTシャツ!当たったん!?」
「もち!今度一緒に行こうよ!」
「え、待って、行きたい!!」
「おう!このクラスにマクラーおってめっちゃ嬉しいぜ!俺、二年からここの転校生で全然喋れる人おらんくてさ。」
「そうなん?すぐ友達できそうやけどなあ。」
「全然!超奥手よ?さっきもカマクラちゃん見えんかったら絶対喋りかけてへんもん。」
「ほんまー?」
「名前何ていうん?」
「菊池夕凪。」
「漢字どう書くん?」
「夕日に凪。」
「ほえー、かっけえ。」
「絶対思ってないやんそれ!そっちは?」
「え、俺?」
「俺以外に誰おんの!?」
「俺、ジャンボリー。」
「嘘つけ!」
「ほんまやって!昔からのあだ名やけど。ほんまは池堀湊十。」
「池堀…、あ!ジャンボリー!!」
「すげえ!よくわかったなあー。」
話題は次から次へと広がっていき、夕凪は気づけば、授業終わりのチャイムを聞き逃していた。
「うわー!もうこんな時間!!楽しかった!」
「やっぱマクラーに悪い奴はおらんな!」
そう言って、お互い手を振り合い、それぞれ帰路につく二人の背中を、文昭は遅れて追うように見つめていた。
「……菊池さん、楽しそうだな…。」
****************
放課後、家に帰ってきた夕凪の足取りは、雲の上を歩くように軽やかだった。
「おう、帰ったか。ご苦労さん。」
テレウァンは、換気扇の下でタバコを燻らせながら、夕凪を労った。
「よし。じゃあさっそくインターネットカフェに行くぞ。頼則梢の情報収集だ。」
「レッツゴーー!!」
「おお、何だ何だ。今日はやけに協力的だな。昨日のパワルマの助言が効いたか?」
「効いたっぽいかも!!」
二人はネカフェへと向かい、選んだのは、仕切りのある半個室のブース。
部屋に入る前に、夕凪はコミックコーナーの前で足を止める。
「見て!がに股じーさんと内股ばーさん全巻揃ってる!」
「何だよそれは。行くぞ。」
テレウァンは振り返りもせずに、せっせと部屋へ入っていった。
「よいしょ。」
夕凪は少し遅れて部屋へと入る。
腕にはカゴいっぱいの漫画が抱えられていた。
「おい!なんでそんなもん持ってきた!?遊びに来たわけじゃないんだぞ!」
「まだ六十二巻読んでなかってん!ちょうどええからここで読もうと思って。」
「その漫画、そんなに続いてるのか!?」
「うん!とある下町に歩き方が豪快すぎるがに股じーさんと、常にお上品な内股ばーさんが住んでて、毎日顔を合わせては、歩き方がなっとらん!その足の開きはみっともない!って大ゲンカすんねん。」
「くっだらね。」
「ところがこの二人、クセ強すぎる身体能力のせいで、強風に飛ばされそうな子供をがに股じーさんがドッシリ受け止めたり、ツルツルな床とかは内股ばーさん平気で歩けんねん。んで、二人が協力して変な合体技を発動させたりして、町で起こる小さな事件を次々と解決していくねん!」
「ほう。」
「お兄ちゃん大好きだったんだよ、この漫画!面白いよ!一緒に読もう!一話だけ!」
「……一話だけだ。一話読んだらすぐ元のところに返してこい。わかったか?」
「ラジャー!」
二人は半個室の床に寝転び、ページをめくり始めた。
一枚、また一枚。
最初は静かだったはずの手が、いつの間にか休みなく動いている。
気づいた時には、カゴの中の本は全て読破された。
テレウァンが顔を上げる。
「がに股じーさん……、まさか昔の戦争で仲間を背負って走った癖が抜けなくてがに股になってたとはなあ…。」
ページをめくりながら、テレウァンがぽつりと言う。
「せやねん!でも、内股ばーさんの過去がまだ明かされてないねんなあー。」
そのまま数ページ進んだあと、夕凪が急に声のトーンを落としながらテレウァンに訊いた。
「……お兄ちゃんの、記憶とかって、共有してたりはしないの??」
「ない。何一つ。あるのはこの世界のある程度の常識や言葉くらいだった。」
「そっか…。お兄ちゃんね、この漫画の原作者に会ったことあるんだよ。」
「ちっ…。私がこの世界の王子なら、王権を使って簡単に連れてくる事もできるのに…。って……。」
テレウァンはハッと我に返り、時計を見た。
「ぐおおおお!!何やってるんだ私はああああ!!」
いつの間にか、もうネカフェを出なければならない時間になってしまっていた。
「こんなくだらないことをしに、ここへ来たわけではないのにっ!!」
「また明日来たらええやん!ネカフェ楽しいから毎日来たーーい!!」
「そんな暇ねえんだって…。夕凪、兄と早く再会したくないのか…?」
「そりゃ会いたいけど……。」
そんな事を言い合っている、その時だった。
ノルン……。
異様な音が一瞬、部屋の中から聞こえた。
それと同時に、床の黒マットが内側から押し出されるように盛り上がって見えた。
「……え?」
そこから、無数の鏡片を纏った球体が、ゆっくりと姿を現した。
それは音もなく宙に浮かび、緩やかに回転を始める。
星屑のような輝きが、壁や床へと四方八方に散っていく。
「テレウァン……?何で今それ出したん…?」
「違う!私じゃない!!」
そのミラーボールは、キリキリと耳障りな音を立てながら、真っ二つに割れた。
その中から、
ヴゥゥゥゥゥ………。
胸の奥を直接叩いてくるような、低音が空間を震わせた。
割れたミラーボールの内部からは、テレウァンが出していたヘリコプターと同じサイズの、国際宇宙ステーションを思わせる人工衛星が出現した。
「何これ……、こんなんできるの、テレウァンだけやったんちゃうかったん……?」
「シンクレイは王家だけの能力……、ひいてはこの世界にその能力を知っているのは、私と夕凪だけのはずだ!誰なんだ……?」
浮遊する人工衛星の外装が静かに開き、左右に連なっていた八基の太陽電池パドルが、次々と切り離された。
そして、そこからエイトビットな音楽が流れ始めたと思えば、分かたれたパドルは、それぞれが意思を持つかのように独立して動き、一斉に二人を捉えた。
「こんなシンクレイは見たことがないっ!!逃げろ、夕凪!!」
部屋の奥、そのパドルから眩い閃光が放たれ、空間全体を飲み込んだ。




