3.射手座の女。
『サクラ、カマクラ、キタマクラー!!みんなグッドモーニング!!カマクラちゃんだよー!』
菊池家に、再びいつも通りの朝が訪れる。
食卓には、たこわさ納豆卵かけご飯。
テレビでは、Vtuberカマクラちゃんの朝番組が流れている。
だが、一つだけいつも通りではないところがあった。
それは、
「貴様、またそんなゲテモノを食べるのか?内臓が溶けてしまうぞ。」
「貴様って言うな!夕凪って呼んでって何回言うたらええの!?」
リビングに、引きこもっていた兄がきていた。
だが、その兄は一年の引きこもりの間に、自分は異世界の王子が転生した存在だと名乗る、全く別の人物になってしまっていた。
夕凪が知っている、少し捻くれていて、物静かな兄の面影は、どこにも見当たらない。
「解せんなあ。この世界の者はみんなこれを好むのか?」
夜風は露骨に顔をしかめながら、たこわさ納豆卵かけご飯を指差して言った。
「いや…、みんなとまではいかないかもしれないけど…。」
「ほら、やっぱり。」
一方、彼は冷蔵庫に残っていたコロッケと、冷凍庫にあった蕎麦を茹で、それらを合わせて、コロッケ蕎麦を作る。
そして出来上がったそれを実に旨そうな音を立てて啜り始めた。
「んで、さっさと協力する姿勢を見せてほしいな。」
「学校帰ってきたらね。」
「学校だと?何を呑気に、そんな暇があるか!」
「テレウァンだって学校行ってたやろ?そっちの世界では学校ないの?」
「私の名前を気安く呼ぶな。王子か殿下と呼べ。」
「あたしの事、夕凪って呼ばんくせに!自分だけ都合よく思い通りに呼んでくれると思ったら大間違いや!」
「貴様!その無礼、アルマリス国であれば確実に死刑だぞ!」
「ここはアルマリス国なんて国やないもーん。」
「減らず口が…。」
「もうそろそろ黙って!カマクラちゃんの星占い始まるから!」
「カマ…、なんだと?」
夕凪はパインジュースを飲みながら、目線をテレビに向ける。
『いきなりだけど、第一位はどう考えても射手座のみなさーん!今日はね、気になる人と急接近のチャンス到来!何気ないきっかけで、距離をぐっと縮めてくれそうだよ!』
「なんか最近、水瓶座一位来ないなー。」
カマクラちゃんの星占いを聞いて、夕凪は不満そうな顔で呟いた。
「さっきから何だこの女は、朝から耳障りな声だ。」
「テレウァンって何座なの?」
「何座…?」
「あれ、そっちの世界には星座ないの?星占いとかなかったん?」
「……確か自分の血をテーブルに垂らし、落ちた時にどの方角に一番広がったかによって、吉凶を占うものはあった気がするな。」
「うえぇー。痛そうな占いぃー。」
「私はそういう類は信じていないがな。この女も信用できん。」
「いや、カマクラちゃんの星占いは必ず当たるよ。」
「必ずだと?そんな女に私の一日を決められてたまるか。」
「じゃあこうしようよ。もし当たっとったら、あたしの事、ちゃんと夕凪って呼んで!」
「ほう、面白い。いいだろう。その代わり、そのくだらない占いが当たらず、妄想の類だとわかった時には、私の事を王子、いや!テレウァン様と呼んでもらおう。」
「じゃあ、はい。」
夕凪は突き立てた小指を、テレウァンの前に見せた。
「なんだそれは?」
「指切り。真似してみて。」
テレウァンは見様見真似で、小指を突き立てる。
夕凪は、その指先と自分の小指を絡める。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます!」
「ほう。貴様、幼子なのになかなか震え上がること言ってくれるじゃないか。やれるものならやってみろ。私は針千本、いや!針百万本を貴様の鼻から飲ましてやる。」
「テレウァンって…、冗談通じなさそうやね…。」
一言言い残し、テレウァンの返しを待たずに夕凪はスクールカバンを手に、家を出てしまった。
この朝、菊池家のリビングに姿を見せたのは、夕凪とテレウァン。
ほんの少し、リビングの温度が上がったようだ。
****************
「おはよう…、菊池さん…。」
「………。」
学校に着くや否や、朝から文昭と夕凪の間にピキッと緊張が走った。
「あの…、昨日の事、まだ怒ってる?」
文昭は恐る恐る彼女に訊いてみるが、
「知らない。あたし今それどころやないし。」
顔も見ずに答えられる。
「昨日はごめん!僕、こんな性格だし、女の子にああいう頼られ方された事なくて、つい舞い上がっちゃって…その…。」
「文くん、チョロいもんねえ。」
夕凪は冷たい流し目で、文昭を刺した。
「……、否定はしないよ…。」
「ほなさ、ミナミディスコって名前、聞いたことある?」
「え?いや…ないけど。」
「役立たず。面食い。ムッツリスケベ。」
グサッ!
またしても、文昭のハートに鋭い釘が突き刺さる。
修繕されたハートに、その一撃はあまりに重かった。
「ちょっと!私の子犬に不躾な言葉を覚えさせないでもらえる?」
「……なん?子犬?」
夕凪の机に黒い影が被さる。
思わず顔を上げると、隣に佐時雪寧が腕を組んで立っていた。
「もう一人、変態が現れた…。」
「変態ではないわ!もう彼、私の子犬になったから。」
「昨日の今日で何があったの!?」
「いや…その…。」
「昭くん。言ったら、これね?」
雪寧は左手で小さな輪を作り、そこに向かって右手でパチンと弾いた。
「何があったん!?弱みの握り合いになっとる!!しかも昭くんって何その呼び方!?」
雪寧は、長い髪を耳にかけながら、夕凪の耳元まで顔を近づけ、小声で訊いた。
「菊池さん。あなた、昭くんの事、好きよね?」
「っ…!別にそんなんちゃうし!幼馴染ってだけやし!」
「ふふっ。ほっぺがあかーくなってるわよ。私、あなたにドきつい復讐がしたいの。あんな醜態を晒されたのは生まれて初めてよ。」
「へぇ。生まれて初めてか。ええ経験できて、むしろ感謝してもらいたいもんやな。」
「まず!あなたの好きなものを奪う!それが彼よ!」
そう言って、ビシッと文昭の方を指す。
「今日、席替えらしいわ。私、今までの人生、ここぞって時に負けた事はないの。必ずあなたの席を昭くんから切り離し、私が隣をいただくわ!」
「わざわざ声上げて報告せんだって、勝手になってりゃいいんやない?」
「いいのぉ?あなたは教室の端っこで、私達のいちゃいちゃを遠目に見ながら、悶々とした一ヶ月を過ごす事になっちゃうけど?」
「変態同士お似合いね!好きにしたら?」
「あなたは私と似てるわ。捨てきれない無駄なプライドをどこかに持っている。仮に昭くんに本当に気がなかったとしても、私に負けたという結果だけが頭にこびりついちゃう。それにあなたは耐えることができないわ。今の私みたいにね。」
長い捨て台詞を吐き、雪寧は席に戻った。
「何なんや、あの女は…。」
「あの、菊池さん…。真に受けなくていいよ…。佐時さんはあの時の事をまだ根に持ってるだけなんだ。」
「あんたもや!あんたのその首から、あの女の首輪が透けて見えるで!」
文昭のハートが粉々に砕けた。
「もうええわ!絶対にあいつにだけは負けへん!今こそ貯めに貯めまくった豪運、見せたるわぁ!!」
席替えを決めるくじ引きは、六時間目の授業の後に行われた。
夕凪は、くじで決まった席に着席する。
左を見ると、青空がどこまでも広がり、気持ちいい風が頬を撫でた。
ふと、右を向き、教室側を見る。
生徒の後頭部をどこまでも見送った先、そこに隣同士になった文昭と雪寧の席はあった。
教室のドア前、最前列。
対角線上に引き裂かれた距離。
まるで獲物を横取りされた小動物のように、夕凪の目だけが、教室の端で小刻みに揺れていた。
背中に刺さる視線に気づいたのか、雪寧は余裕を含んだ動きで振り返る。
細められたその目が、まっすぐ夕凪を捉える。
次の瞬間、片手を持ち上げ、親指と人差し指で弦をつまむような形を作った。
反対の手で、見えない弓を引き絞る仕草。
そして、わざとらしく、ゆっくりと指を離す。
見えない矢が、夕凪の胸元へ放たれる。
その仕草は、獲物を撃ち落としたと告げる合図のようだった。
****************
「ただいま。」
時が経ち、菊池家のリビングが、静かに開かれた。
「ようやく帰ってきたか。私もある程度は調べてみたんだ。さっそくミナミディスコを探しに行くぞ。って…。」
外着に着替え、準備万端のテレウァンだったが、夕凪の顔を見た途端、驚愕した。
「貴様…、何故、泣いてるんだ?」
夕凪は唇を震わせ、瞼の内に溜まった涙は、今にも大粒を垂らしそうになっていた。
「当たったから、夕凪って呼んで。」
「当たったって…。」
「……ぐすん。」
「うわ、泣くな!私は泣く女がこの世で最も苦手なんだ!!」
「うわあああああーーーーーーん!!!」
貯めに貯めまくった涙が溢れだした。




