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2.月夜のダンスホール。


「おい、貴様だ!そこでホケーッと突っ立っている貴様に言ってるんだ女!!」


「お、女!?」


「答えろ。何故、食事を床に置いて出て行った?床に置いたということは、この私を家畜扱いしたという事以外にどんな理由がある?」


「そ、それは…、お兄ちゃんが部屋に引き篭もりっきりで…、リビングに来てくれへんから…。」


「何?私が引きこもりだと?家族で食事することを拒否していたのか?」


「そんなの…こっちが聞きたいよ…。」


「あの飯は何だ?あんなゲテモノを私に食わせようとしたのか?」


「お兄ちゃんが好きやったんやで?たこわさ納豆卵かけご飯。それ見てあたしも好きになったんやん…。」


「あれがか!?貴様、正気か!?」


「正気やないのは、お兄ちゃんの方やん!!」


「正気じゃないのは貴様だ!王子であるこの私を家畜扱いするなど!」


「王子?何言うてんの!?自分が何も言わんと突然勝手に引きこもったんやんか!」


「そんなわけあるか!何故、好きでこんな狭い部屋で閉じ籠もらなければならんのだ!」


「やばい!お兄ちゃんの頭おかしなってもうとる!!!」


夜風と夕凪の会話は、ヘンテコで全く噛み合わない。


1年ぶりに夕凪から見た兄、夜風は様変わりしてしまっていた。

まるで、たった今この部屋で産まれた子供のように現状を全く把握できておらず、会話の内容も、自分が他人のように話を進めている。


「あかん!もう病院行こ!引きこもりすぎて会話が支離滅裂になってもうとるもん!」


「あ、いやちょっと待て!病院はダメだ!」


「保険証は!?せや、お母さんに電話しよ!」


「ちょっと待てーー!!」


夕凪はスマホを取り出して、母親に連絡を入れた。

兄が一年ぶりに姿を見せたこと。

会話が噛み合わず、記憶が曖昧になっていること。

できるだけ感情を削ぎ落とし、その事実だけを伝えた。

しばらくして返ってきた母親の声は、


「今から帰るわ。」


短く、それだけだった。


「待てと言ったのに、貴様は言葉がわからんのか…?」


そして、そうかからない内に、母親が菊池家に帰ってきた。


「夜風。出てきて。」


優しい声と共に、コロコロとゴムタイヤの音が廊下に小さく反響する。


夜風の前に出てきたのは、車椅子に乗った菊池家の母、こがらし

凩の姿を見た夜風は、眉をひそめ、まじまじと見つめた。


「なんだ…?貴様、歩けないのか…?」


「ほら!聞いた今の!?おかしくなってるよ絶対!!」


「はあ……。元気そうでよかったわ。」


凩から、安堵の息がこぼれる。


「ちょっとお母さん!!よかないよ!家畜扱いするな!とか言うてきたり、好きやったご飯をゲテモノとか言って残すわ、自分を王子って名乗り出したり、とにかくめちゃくちゃやねんて!!はよ病院連れてって!!」


「おい女!全て本当の事だ!!病院など不要だ!」


「まあまあ、とりあえずお土産持って帰ってきたから、これ食べて落ち着いて。」


凩は車椅子にかけてあるトートバッグから、紙袋を取り出した。

揚げ物の油染みが紙にうっすらと滲み、持ち手の部分は少しだけ柔らかくなっている。


「あ、ネコザメポテト!!」


紙袋の表には、どこか間の抜けた愛嬌をした二体のキャラクターが描かれていた。

片方はネコザメロ将軍という、兜を被ったネコザメの武者姿のキャラクター。

丸い体に不釣り合いなほど、厳めしい装いをしている。

その表情は勇ましいというより、どこか誇らしげだ。

もう一方は、小さなサメの姿をしたネコザメロ将軍の懐刀という設定のポテ丸というキャラクター。

コック帽を被り、短い棒状のポテトを掲げて満面の笑みを浮かべている。

揚げ物の油染みが紙にうっすらと滲み、持ち手の部分は少しだけ柔らかくなっていた。


「ねえねえ、何味?」


「期間限定の新作よ、当ててみて。」


夕凪は、さっきまでの勢いなどどこかに置き捨て、ウキウキで紙袋の中に手を突っ込み、長く太いポテトを一本取り出した。


「いただきまーす!」


そのままパクっと一口。


「ん!なんか食べたことある味!美味しい!!」


噛み締める度、夕凪の顔から警戒がストンと落ちていく。


「なんだそれは!美味いのか!?私にも寄越せ!」


夜風も一本紙袋からポテトを摘み、ひょいっと口に入れる。


一口咀嚼した瞬間、表情が固まった。


「ぼぉふぁ!!!!」


夜風は目を見開き、血の気を引きながら咳き込むように身を屈め、口の中のものを床に勢いよく吐き出した。

その顔は、信じて踏み出した床が抜け落ちた人間のそれだった。


「なんだこれは…、まさかっ…!?」


「たこわさフレーバー!?」


「正解よ。」


「ぐぉわっ!!」


肩で息をしながら、夜風は涙目で舌を突き出す。


「これ、期間限定やなくてええよ!定番にしてもええって!」


「あら、じゃあそうしようかしら。」


菊池凩きくちこがらし

彼女は菊池家の母にして、ネコザメポテトという大人気フライドポテト専門店の代表取締役社長でもある。

ネコザメポテトは、居酒屋メニュー風のフレーバーが癖になる変わり種フレーバーが有名で、

期間限定の新作たこわさフレーバーの他に、

炙りしめ鯖レモンフレーバー、

ホタルイカ沖漬けフレーバー、

キムチ納豆チーズフレーバー、

アボカド醤油フレーバー、

ホタテバターフレーバーなど、全酒呑みの舌鼓を打ち鳴らす、オトナにも大人気の店である。


「親子揃ってイカれてるのか!?」


「ほら、やっぱりお兄ちゃん変やで。こういう味、絶対お兄ちゃん好きなはずやもん。」


「貴様らの舌がイカれておるのだ!」


「夕凪、言い過ぎよ。夜風にだって何かこうなった理由があるかもしれへんやろ?」


「……むぅ。」


夕凪は少し言い過ぎたかと反省し、あまり変だ何だと言わないようにしようと決めた。

意外と聞き分けはあるようだ。


そんな束の間、


ガラガラ。


リビングの引き戸が引かれた。


そこに現れたのは、刑事で菊池家の父、菊池朝臣きくちあさおみだった。

着崩したスーツからは、仕事の多忙さが見て取れる。


「お父さん!!お帰り!!」


「ああ、ただいま。」


「事件の捜査、順調なの?」


「……いや。」


「せや!お兄ちゃんが部屋からついに出てきたんよ!ちょっと性格が変わっちゃってるねんけどねぇー。」


そう言って夕凪は夜風を朝臣の前に押し出した。

そして二人はしばらく見つめ合ったあと、


「おー、そうなんか。よかったな。」


さっぱりと、それだけ言って朝臣は自室へ入ってしまう。


「……むぅ。」


「夕凪、お父さん多分疲れてるだけよ。そっとしておきましょ。」


凩は、夕凪の背中をそっとさすった。


朝臣が捜査している事件は、大阪府内で一年にわたって発生している連続変死事件。

確認されている被害者数は、昨日でなんと十二人。

被害者同士に接点も共通点も見られず、同一犯なのか、それとも別々の事件なのか、その判断すらまだついていない前代未聞の事態だ。


この事件の最も難航している原因の一つが、死因である。

遺体はいずれも奇妙で、殴られた痕や、刺された傷などの外的損傷は一切無い。

それなのに、体の中だけがぐちゃぐちゃにされている。

体内構造のみが著しく損傷されているのだ。

臓器の位置はめちゃくちゃにずれ、神経は断ち切られ、内側が無理やりねじ潰されたような状態。


つまり《《外側からは何もされていないにもかかわらず、内側だけが破壊されている》》という極めて異常な状態だ。


そんな死に方が、同じ形で十二件も大阪府内で起きている。


触れずに、同じ方法で人を殺す事ができる存在が、まだ大阪府内に潜んでいる。

そんな可能性を否定できないまま、警察や朝臣も、首をひねり続けて一年が過ぎてしまった。


それは、身も心も骨までもボロボロになる成果だった。


「あれを父と呼べるのか…?」


「夜風。夕凪と一緒にお父さんに栄養ドリンク買ってきてくれない?」


「む?なぜ私が?」


「ずっと引きこもってたんやから、外に出て気分転換しておいでよ。」


「……。そうだな。この家にいすぎると、頭がおかしくなりそうだしな。」


夜風は足早に家を出た。


「あ、待ってよ!」



少しひんやりと五月の風が冷たい空の下、二人は薬局からビニール袋の中に入った瓶をカランカランと音を立てながら出てくる。

そして、近くのコンビニからは、湯気の立つコロッケを二つ手にして出てきて、そのまま公園のベンチに腰掛けた。


「はい、これ。」


夕凪は夜風に熱々のコロッケを差し出す。


「ああ。」


「ありがとうは!?」


夜風は夕凪の手からコロッケをバッと奪い、パクパクと貪るように食べた。


「……ねぇ、お兄ちゃん。どうして今まで引きこもってたの?」


夕凪は、自分のズボンの裾を掴み、言いにくそうに訊いた。


「ん?知らん。僕は兄ではないからな。」


「……どういう意味…?」


「そんな事はどうでもいい。女。僕の探し物に協力しろ。」


自分を女と呼んだ事を怒ろうとしたが、母の言葉を思い出し、夕凪は我慢した。


「……探し物って?」


「どんな形をしているかはわからん。だが…。」


夜風は一拍置いて答える。


「その名を、()()()()()()()というらしい。」


夕凪はしばらく考える。


「んー、聞いたことないかも。」


「そうだよな。」


「それが無くなって、引きこもってたの?」


夜風は満月が輝く星空を見上げた。


「……もう十二回も頑張ったし、いいか。」


「え?」


独り言のように空に向かって呟いた後、夕凪と初めて目を合わせた。


「僕はこの世界の者ではない。異世界からこの身に転生してきた。」


二人はしばらく目を合わせ、沈黙が続く。


遠くでは、夜の街の喧騒が、住宅街にまで流れ込んできていた。


夕凪は、それを聞きながら星空を見上げる。


「…証拠は?」


「証拠だと…?」


「そう!異世界から転生してきたって証拠!!あんの!?」


「証拠か…。」


しばらくすると、夜風はスッと立ち上がり、かかとを床に据えたまま、つま先を上げた。

一瞬の溜めの後、トンと爪先で地を踏んだ、次の瞬間、


ノルン…。


突如として地面の影が盛り上がり、そこからミラーボールが跳ね上がった。


「……え!?」


ミラーボールは宙で静止すると、七色の光線を周囲に放ち、緩やかに回転を始める。

まるで、その場をダンスホールへと塗り替えるかのように。


口をあんぐりと開けたまま、その異様な光景を見つめるしかない夕凪の頭では、現実感はとうに剥がれ落ち、眩暈のような感覚だけが回っていた。


「この私こそ、アルマリス国第二王子テレウァン!」


夜風は一歩前に出る。


「今から、その名に恥じぬ誇り高き王家の能力、《《シンクレイ》》を、貴様の目の前で発現させてやろう!」


そう言い放ち、彼はスーッと息を吸い込んだ。


そして、


「シンクレイ!!」


叫んだと同時に、ミラーボールが、まるでくす玉が開くように、乾いた音を立てて真っ二つに割れた。


その中から、


バラバラバラバラ……。


何かが回転する、不吉な重い駆動音が響き始めた。


割れたミラーボールの内部から、影がせり出してくる。

そしてそれは、勢いよく外へと飛び出した。


その正体は、エアコンほどの大きさのヘリコプターだった。


しかし、それは通常のヘリコプターではない。

機体の各所は溶け崩れ、ドロドロとした一部が地面へと滴り落ちている。

窓と呼ぶべき部分からは、白と紫に発光する触手が垂れ下がり、深海のクラゲのように妖しく揺れていた。


禍々しい。その一言に尽きる姿だった。


炭酸水の泡のように散りばめられた星々と満月の光を、夜風は背に浴びる。

その姿は、世界という舞台の中心に立っているようだった。


「よく見ておくんだ。」


そのまま夜風は、前に手を差し出した。

そして、左から右へ、静かに薙ぐ。

彼の手に合わせ、ヘリコプターがゆっくり方向を変えた。


その瞬間だった。


ヘリコプターから突然、ポップなダンスミュージックが流れ始めたかと思うと、家々の窓が、玄関が、勝手口が、雨戸が、一斉に音を立てて開いた。

郵便受けの蓋は跳ね、コンビニの自動ドアは無人で開き、道路では、走行中の車のドアが、トランクが、ワゴン車のスライドドアも、給油口さえも、視界にある全てが、まるで中身を晒し出すように露わになった。

夜風の頭上では、ミラーボールが目まぐるしく高速で回転し、その光と音楽に導かれ、彼はリズムに身を委ねるように体を揺らす。


「どうだ?これが証拠になるか?」


街中にざわめきが広がりはじめる。

だが、これほどの異変を、たった一人の人間の動作と結びつける者は誰もいなかった。


「本当なの…?」


「ああ。私は王子だ。嘘はつかん。」


「じゃあ…、お兄ちゃんは今、どこにいるの!?」


「さあな、それは私にも知らん。」


夕凪は兄の姿を見つめる。

その姿は、自信に満ち溢れ、当時の捻くれた物静かな性格はどこにも見当たらなかった。


「協力する気になったか?」


再度、夜風、いや、テレウァンは夕凪に問う。


「そのミナミディスコっての、見つけたらお兄ちゃん返してくれるの…?」


「ああ、返す。約束しよう。」


夕凪の頭上に二つの満月が光を放ち、公園はダンスホールと化した。


今宵、菊池家の人生は大きく変わってしまった。



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