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1.水瓶座の男。


『サクラ、カマクラ、キタマクラー!!みんなグッドモーニング!!カマクラちゃんだよー!』


菊池家の朝は、いつも可愛く元気弾ける挨拶から始まる。

声の主は、リビングのテレビに映る、Vtuberのカマクラちゃん。


窓を開けると、照らす朝日に雀のさえずり、ゴミ収集車のメロディーが部屋に入り込む。

そのどれもが、街が動き始めた合図のようだ。


まだ少し眠たそうな目をこすりながら、最初にリビングへやって来てテレビをつけていたのは、長女の夕凪ゆうな

彼女の特徴でもある、綺麗な紺色のショートヘアは、寝癖のせいでところどころがぴんと跳ねている。


頭をわしゃわしゃと掻きながら、冷蔵庫から納豆、たこわさび、生卵を取り出して、食卓に乗せた後、レトルトご飯を電子レンジにぶち込み、スイッチを押す。


そしてお気に入りのカマクラちゃんマグカップには、夕凪の大好きなパインジュースをとくとくと注ぎ、片手で納豆をかき混ぜている内に、


チン!と電子レンジが夕凪を呼ぶ。


「はいはいー。」


小走りで電子レンジに向かい、「あちあち」と言いながら温まったレトルトご飯をつまんで食卓へ運ぶ。


茶碗にご飯を落とし、納豆とたこわさびと生卵をまとめて入れ、醤油を五回、回し入れたら、それらを箸でぐちゃぐちゃにかき混ぜたところで、夕凪はぴたりと動きを止めた。


「おおっと!忘れてねえぜぃ。」


突然、江戸っ子のような独り言を吐きながら、キッチンから赤い蓋の容器を持ってくる。


それは、全ての食材の輪郭をパキッと立たせる正解札、味の素だ。


「これがないとねえ〜。」


仕上げに、完成したたこわさ納豆卵かけご飯の上に味の素をぱらりとふりかけ、そのまま口の中へかっこんだ。


『それじゃ、今日のカマクラちゃん星占いコーナーいくよぉ!」


テレビからそんな声が聞こえると、夕凪はもぐもぐと口を動かしながら、画面に釘付けになる。


たこわさ納豆卵かけご飯とパインジュース。

それから、カマクラちゃんの星占いコーナーのセット。


中学生になってから一年間と少し、夕凪は一度も、この朝を欠かしたことがない。


『いきなり残念…!最下位はどう考えても水瓶座のみなさん。』


「えー、あたしやん…。相変わらず朝から言葉きっつ。」


『今日は失くし物に注意して!!もし失くしても、見当たらないものほど、実は堂々と目の前にあるかも!!ヤドカリがいても背負っている貝殻の中まで探したり、カメがいても甲羅の中まで覗き込んでみよう!思い込みを見直せば、失くし物は意外とあっさり見つかります!!』


「ヤドカリとカメって…、水瓶座やからって海の近くに住んでるわけやないんやからー。でもカマクラちゃんの星占いは必ず当たるからなあー。」


朝食を食べ終えた夕凪は、食器を片しながらクスッと笑う。


「さてと…。」


もう一つ、彼女には朝に欠かしたことのない習慣があった。


お盆にたこわさび、納豆、生卵、温めておいたレトルトご飯、パインジュース、そして味の素を手早く並べ始める。

そして廊下を渡り、夕凪の部屋の隣のドア前に、それを置いた。


「お兄ちゃん、朝ごはん置いとくからね。」


一言、ドアの前で言い残し、夕凪はスクールカバンを手に、家を出てしまった。

この朝、菊池家のリビングに姿を見せたのは、夕凪一人だけだった。





「菊池さん、おはよう。」


学校に着き、のんびり始業のチャイムが鳴るのを席で待ってた夕凪に、最初に声をかけたのはクラスメイトの黍原文昭きびはらふみあきだった。

背は少し小さいが、所属しているサッカー部でそこそこ目立つプレーができたり、そこそこ勉強も努力している、そこそこな男子生徒だ。


「おはよう、文くん。」


「昨日の夜さ、また連続変死事件があったんだって。

これで十二件目。しかもまた大阪で起きたんだって。

気味悪いよね…。」


夕凪は机に肘をつき、文昭の話に、どこか他人事のように頷く。


「あー、らしいね。修学旅行の行き先が大阪の学校、全部キャンセルになったって。ニュースでやってた。」


「わ、大阪がどんどん怖い街になっちゃってるよ…。菊池さんのお父さんも大変なんじゃない?」


「昨日も帰ってこーへんかったで。」


夕凪は淡々と言ったが、その指先は机の縁をなぞっていた。


「……刑事さんって辛そう。」


最近、大阪で最も世間をざわつかせている連続変死事件は一年で十二件、おまけにまだ犯人も見つかっていない異常事態となっている。


夕凪の父親は、その渦中で捜査にあたっている大阪府警の警視であり、刑事なのだから、家に帰れないくらいの激務になるのは当然だろう。


昨日の晩、机の上に置かれたままの夕食を、授業中に思い出した夕凪は、机の下で絡めた指に力を入れた。


その後、二時間目が終わり、少し長い休み時間に入る。

教室が束の間の休息についていた、その時だった。


「終わったあああああ!!」


突然、教室中に絶望的な叫び声が響き渡り、生徒達の鼓膜を揺らした。

声の主は、そこそこの男子生徒の黍原文昭だ。


「出たー、自分のミスをクラス全員に聞こえるように大声張り上げて、みんなで処理するイベントにしたがるタイプの人ー。」


夕凪が冷やかすように言う。


「そんなんじゃないよ!図星刺しましたって顔で僕を見ないで!給食袋がないんだよ!」


「家に忘れたんやない?」


「絶対持ってきたはずだよ!朝、ちゃんとカバンの中に入れて、学校に着いてからも確認したんだ!確かにそん時はあったんだよ!!」


必死に弁解する文昭の声は、さっきよりも一段高く裏返る。


「やばいどうしよう…。先生に怒られる…、んで給食当番のみんなはおかずを運んだり、よそったりしながら、サボってるやつがいるぞと言いたげな冷たい眼差しで僕を見下してくるんだ…。」


「そらサボることになっちゃうんやから見ちゃうわなあ…。あたしも給食当番やし。」


「う…!心臓がキュッてしてきたよ…。」


その時、夕凪の脳裏に今朝の星占いが、ふいによみがえる。


「文くん、あんた何座?」


「…水瓶座だけど?」


「あんたかよ!!」


「何が!?」


どうやらカマクラちゃんの星占いは、今回もしっかりと的中させたようだと、夕凪は心の中で感心する。


「これは、事件の匂いね。」


「事件?どゆこと?」


「多分誰かが給食袋を忘れて、文くんの給食袋をパクったってことよ。」


「えええーー!!ひどいよ!!」


「あたしに言わんといてや!」


文昭は、しゅんとなってうずくまる。


「僕のクラスにそんな陰湿な人がいるなんて…。」


「何言うてんのよ、まるでこのクラスがずっと一緒やったみたいに。まだクラス替えして一ヶ月くらいしか経ってへんやんか。」


すると、会話を遮るように四時間目が始まるチャイムが鳴った。


「いい?四時間目が終わる前に犯人を見つけんのよ。」


「えー!?どうやって!?」


「誰やと思てんの?あたし刑事の娘やで?絶対見つけたる。」


「菊池さん、僕惚れそうだよ…。」


ここではっきりさせておかなければならないことがある。

菊池夕凪に、刑事ばりの優れた推理力など一切ない。


所属している卓球部ではそこそこ下手で、勉強もそこそこ苦手。

しかし無駄にプライドは高く、人間関係の問題や、人からの相談など解決に導いてきた。

しかしそれも、やたらと当たるカマクラちゃんの星占いに運否天賦を任せ続けてきたおかげだ。

そんなお人好しな菊池夕凪は、言うなれば文昭とは正反対の、そこそこ残念な女の子なのである。


「見当たらないものほど、実は堂々と目の前にある…。ヤドカリの殻、カメの甲羅、思い込みを見直す…。」


夕凪は今朝のカマクラちゃん星占いの内容を復唱する。

四時間目の国語の授業など全く耳に入れず、ひたすら顎の肉を指でつまみながら頭の中で推理し続けてた。


そうしている内に、気づけばあっという間に四時間目の授業は終わってしまった。




「ごめん、わかんにゃい。」


「うわあああ!!みんなの冷たい眼差し確定だああああ!!」


「じゃああたし、給食当番やから、そろそろ…。」


「うぅ…。今頃犯人は、騒ぎ立てている僕をどこかで見ていて、ニンマリと心の中でほくそ笑んでるんだ…。」


「……。」


夕凪が少し気まずそうな顔で、文くんを見下ろした、その時だった。


「あああーーーーー!!」


とある席が目に入った瞬間、夕凪は叫んだ。

彼女の視線を縫い止めたのは、女子生徒の机に置かれている、ヤドカリのキーホルダーがぶら下がったカメのペンケース。


「あれあれ!あの席のやつや!絶対そう!それしか考えられへんもん!!」


「え?もしかして佐時さときさんの席?」


文昭の視線の先。

窓からの風で、長く整えられた亜麻色の髪が、静かに揺れている女子生徒がいた。


端正な顔立ちと所作は、一つ一つに品があり、そこにいるだけで周囲の空気をフローラルの香りに変えてしまいそうなほどのオーラを放つ、クラスのマドンナ的存在である佐時雪寧さときゆきねを知らない人は、このクラスにはいない。


「ないない!佐時さんに限ってそんな陰湿な事するはずないよ。」


「思い込みを見直す。つまり、ああいう女ほど猫被ってんのよ。」


そんなことを言っている内に、雪寧は長い髪を靡かせ、教室を出ようとしていた。

夕凪は逃がすまい、とズンズン距離を詰め、雪寧の首根っこを掴んだ。


「わっ!いきなり何するんですか菊池さん!」


「佐時さん。白衣も着んと、どこ行くん?給食当番ちゃうん?」


「……先にお手洗い行くだけですよ。」


「そうやんなあ。まさか佐時さんみたいな完璧美人が白衣忘れちゃうなんて大ミス、せえへんもんなあ。」


「……何が言いたいんですか?」


「あんたが文くんの給食袋パクったんやろ?はよ出しや!!」


この時、文昭はまさか夕凪がVtuberの星占いを信じ、ヤドカリのキーホルダーがついたカメのペンケースを持っていたという一点だけで、ここまで雪寧に怒鳴り込んでいるなどとは、知る由もなかった。


「どうして私が、黍原くん()()()の給食袋を取らないといけないんですか!」


「…なんかの…。」


その一言に、文昭のハートに冷たい釘が一本、静かに打ち込まれた。


「文くんのナヨナヨして鈍そうな性格は十日もあればクラスの全員に知れ渡る。あんたはそんな文くんに漬け込んで奪ったんや!!そしたら案の定、あんたに奪われたことなんて全く気づいとらんねんから、大した人間観察眼よ!この泥棒!」


文昭のハートに、更に釘が一本打ち込まれる。


「黍原くんの性格なんて、関わったことないんやから知るわけないわよ!」


文昭のハートはついに音を立ててひび割れ、そのまま床にドサっと倒れてしまった。


しかし、倒れ込んだ衝撃で生まれた風が、雪寧の長スカートをひらりと翻させた。


文昭はその一瞬で、思わず目に入れてしまう。


スカートの下から覗いた真っ白な給食当番の白衣を。


「白、、、。」


「十二時四十四分、現行犯逮捕!!」


雪寧は、その近寄り難い風格とプライドの高い性格からか、給食袋を貸してと言える友達がまだいない。

人に見られる自分を気にする性格の雪寧は、給食袋を忘れた事実をなんとしても揉み消そうと、夕凪の言う通り、ナヨナヨして鈍そうな性格の文昭に漬け込んだのだ。


後々問題となって持ち物検査なんて行われても確実にバレない方法として、雪寧は早い段階で給食袋を奪い、トイレで白衣を制服の内側に着た。

帽子と袋はポケットに詰め込み、あとは四時間目まで何食わぬ顔で授業を受け、給食当番の出番が来たら、トイレでまた着替えるだけ。


結局のところ、星占いは当たり、それを信じた夕凪は見事、犯人を特定できてしまった。


「あーあ、あたしのクラスにこんなド陰湿な人がおるなんて、この一年終わりやわ。最悪ー。先生やみんなに言っちゃおかなー。」


夕凪は、雪寧の耳元で悪魔のように囁く。


「午前の間、ずーっと文くんの白衣を制服の内側に着とった、変態さんやって。」


「お願い!許して!私のいいところは風貌だけなの!このイメージが損なわれたら、もうこのクラスで生きていけない!!」


「キー!ほんまにええとこ風貌だけね!あーもう胸糞悪なった!言っちゃお言っちゃおー!!」


「あ、いいんですよ佐時さん!使ってください!僕、隣のクラスの友達から白衣借りてくるんで!」


「……はあ?」


夕凪は耳を疑う。


「本当!?ごめんね、こんな陰湿な事して…。」


「陰湿だなんてそんな!忘れ物しちゃったら誰だって焦っちゃいますよ!」


「これからも、何かあったら頼っても、いい?」


「も、もももちろんっすよ!何でも言ってください!えへへ。」


「黍原くんって、見た目通り優しいんだね。私も文くん、なんて呼んじゃおっかな。」


「ひょーーー。」


文昭と佐時のデレンと甘いやりとりを横目に見る夕凪の額には、今にも皮膚を突き破りそうな血管がバチバチと脈打っていた。


夕凪の抜けきらない熱は、午後の授業を挟んでも冷めないまま、放課後を迎えた。



「うっざ!男子ってみんなあんなんやから嫌い!あーあ、探してやるんやなかった!」


吐き捨てるように言う夕凪は一人、地面を踏み鳴らすような足取りで帰路についた。


家に着き、夕凪は薄暗い廊下を歩く。

昼間の熱がまだ体に残っているはずなのに、廊下の奥は何故か、ひどく冷えているように感じた。


そして、自室の隣の部屋の前で夕凪は足を止め、視線を落とす。


「え…なにこれ。」


足元には、朝、夕凪が置いたお盆がある。

そのお盆の上に広がる奇妙な光景を見て、夕凪は違和感を覚えた。


生卵は、殻ごと握り潰されたらしく、黄身と白身と殻が仲良く混ざり合い、どろりとお盆の上に投げ出されている。

その横でたこわさびは無惨に散乱されていて、納豆に至っては箸をつけた形跡すらなく、一粒も食べられていなかった。


一方で、置いてもいない揚げ物のカスが茶碗にひっついていて、ご飯とパインジュースだけは綺麗さっぱり完食、完飲されている。

揚げ物の正体は恐らく、冷蔵庫に入れておいた昨日の残りのコロッケだろうと、夕凪は推理する。


一年間かかさず、そのドアの前に置いた朝食は、食べ残しなく、いつも空になっていた。

それが今日は、この有り様だ。

まるで原始人が過去からやってきて、自分の好む食べ物だけを選んで食べ散らかした後のようだった。


そして、一番の違和感が夕凪の目に入る。


一年間、鍵で締められていた兄の部屋のドアから、うっすらと開いていたのだ。


夕凪は半開きのドアに人差し指をツンと押す。

すると、その隙間はゆっくりと広がっていく。


部屋の先には、一年ぶりに家族の前に姿を現した菊池家の長男、夜風の姿があった。


「…お兄ちゃん?」


背は高く、夕凪と同じ紺色の髪、二十四歳にはあまり見えない童顔、それが兄の夜風だ。


「あ、ごめん。その…部屋、珍しく開いてたから、つい…。」


それだけ言うのに、夕凪の舌は妙に重い。

視線は自然と、足元へ逃げた。


その直後だった。


「貴様か!私の食事を床に置き、あんな得体の知れんゲテモノだらけを並べた痴れ者は!私は家畜か!!」


「……へ!?」


兄の変わり果てた言葉遣いを聞き、戸惑いが汗となって滲み出て、拍子抜けする。

そんな夕凪が思わず漏らした声は、驚くほど間が抜けていた。


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