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エピローグ 本当に大事なものは

目を覚ましてからしばらく経つと、病室のドアが静かに開き母さんが入ってきた。


それほど多くは語らなかった。


ただベッドの脇にフルーツを置き、


「もう大丈夫なの?」


「ああ、大丈夫だよ。」


「そう、体を大事になさい。」


とだけ言って、優しく微笑んだ。


退院に向けて最後の検査をしていると、今度は病室に校長と教頭が血相を変えてやってきた。


その顔には憔悴と、明らかな恐怖が浮かんでいる。


「こ、この度は、誠に……!」


二人は今にも土下座でもしそうな勢いで、頭を下げようとしてきた。


それを隣にいた山手が、


「いやいや止めてくださいよ。」


と言って、静かに制する。


聞けば例の女子生徒が、ついに相手の少年の名前を話したらしい。


俺への疑いは、完全に晴れた。


「全くの濡れ衣でした。城之崎先生に多大なるご心労とご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます……!」


綺麗な直角を描く、完璧な最敬礼。


業務についても俺に過大な負担を掛けていたことを認め、空手部の顧問の件も含めて全て見直しを行ったとのことだった。


最後まで平身低頭のまま、二人は嵐のように去っていった。


「……どういう風の吹き回しだ?」


俺が呆気に取られて呟くと山手は、


「いや、あれは仕方ないよ。」


等と、全てを知っているかのように頷いている。


何か俺の知らないところで、とんでもないことが起きたらしい。


こうして俺たちの日常は、ようやく本当の平和を取り戻した。




ある晴れた週末の夜。


俺たちは懐かしい顔ぶれと共に、居酒屋のテーブルを囲んでいた。


俺と山手、そして咲良と敷島と能田。


そこに懐かしい顔ぶれも加わっている。


「いやー先輩方、ご無沙汰しております。」


「鷲那こそ、いつ関東に戻って来たんだよ。」


そう、鷲那だ。


大学卒業後に実家の旅館を継ぐために京都へ戻ったはずの鷲那が今、俺たちの目の前で飄々と酒を飲んでいる。


「実はこの度二人目が出来まして、妻の実家に里帰り出産で。私と上の子も暫くはこちらに戻っているんです。」


「え、二人目!? おめでとう!」


山手が驚きの声を上げる。


「おめでとう鷲那君、一人目のお子さんはお元気?」


咲良が尋ねると鷲那は、


「ええまあ、元気に暴れ回っていますよ。」


と言って、幸せそうに頷いた。


今日の主役は能田だ、なんと彼女の自作小説が新人賞を受賞して書籍化されることが決まったのだという。


これはそのお祝いだった。


「スゲーじゃん未来!デビューしたらあーしにサイン本の第一号くれよ!」


敷島が、感心したように言う。


「もう、優雅ったら……。」


能田は顔を真っ赤にしている。


やがて話は、その小説の内容についてになった。


「どんな話なんです?」


そう鷲那が尋ねる。



すると能田はもじもじしながら、呟く様に言った。


「……それが皆様に、と言うか特にお二人に言わなければならないことが。」


見られた俺と山手が、


「何?」


と顔を見合わせる。


そして能田の口から爆弾が放り込まれた。


「実は、今回書籍化のお話が来たの……高校の時に書いていた、『あれ』でして……。」


『あれ』……?


『あれ』とは、どの『あれ』だ?


まさか。


……いやまさかとは思うが。


体育祭の時に俺が気を失う原因になった、あの……。


「……『あれ』か!?」


俺は思わず叫んだ。


ちょっと待て!


話が大きく、大きく変わってくるぞ!


『あれ』って『コウヤ』と『ヤマテ』の、『あれ』だよな!?


俺の内心の絶叫を知ってか知らずか、能田が上目遣いでこちらを見ながらおずおずと尋ねてくる。


「もちろん登場人物の名前は、ご希望でしたら変えることもできますが……。」


「いやまあ、『コウヤ』なんて名前の人物は、それなりにいるだろうしな……。」


俺がなんとか平静を装ってそう言うと、隣で山手が悲鳴に近い声を上げた。


「いやいやいや! 『ヤマテ』なんて名前の男性、そうそういないよね!?」


するとそれまで黙って話を聞いていた咲良が、くすりと笑った。


「別にいいんじゃない?光哉と芝浦君の物語が本になるって事は、世間にこいつは僕のだ!って宣言するみたいなもんじゃない。ねえ、光哉?」


「……いや、俺は別に。」


「キノは満更でも無いみてーじゃん!」


敷島が楽しそうに茶々を入れてくる。


「じゃあ……やっぱり、変えますか?」


能田が今にも泣き出しそうな、捨てられた子犬のような目で山手を見つめる。


全員の視線が山手一人に、ぐさぐさと突き刺さる。


「あーもう! わかったよ! わかったから!」


山手がついに観念した。


どうやら俺たちの恋愛物語は、そのまま出版されることになるらしい。


当然ながら内容はフィクションだが。


……それでも流石に少し、いやかなり恥ずかしいが。


山手が気まずい空気を変えようと尋ねた。


「そういえば能田ちゃん、ペンネームとかは付けないの?」


「あ、はい! 使わせていただくつもりです」


「へえ、なんて名前にするの?」


皆が興味津々で聞くと能田は、


「それは、秘密です。」


そう悪戯っぽく笑った。


「ヒント寄越せよー!」


と言って敷島がねだる。


「そうですね……ヒントは私と言えば、そして『コウヤ』と『ヤマテ』ですかね。」


その一言で皆が、


「ああ、なるほど!」


と、一斉にピンと来た顔をした。


え、何故だ?


俺だけが分からない。


「だから『シバキノ』じゃ駄目だったんだな。」


敷島が呟く。


「ヒント出し過ぎです!」


そう言って能田が敷島を叩いている。


するとそれまで静かに酒を飲んでいた鷲那が、ぽつりと言った。


「……城之崎先輩って普段は鋭いのに、時々急に鈍くなる時がありましたからね。」


「なんだと?」


俺が睨むと、鷲那は楽しそうに笑うだけだった。


「それでは出版してからの、お楽しみということで。」


能田はそう言って、嬉しそうに笑った。




ある日の午後。


自宅のリビングで俺は、ソファに座る山手を椅子の様にして微睡んでいた。


俺より一回り大きい山手は、ぴったりと俺を包み込む様に抱きしめている。


山手より小さいことを認めるようで少し癪だが、まあ寝心地は悪くない。


窓から差し込む光が穏やかで、温かい。


ふと山手の静かな声が、耳に届いた。


「――人の営みには、長い歴史がある。そこには様々な事件や出来事があった。多くのものが大きく変化していくが、ただ変わらないものも確かに存在する。なぜなら。」


山手が俺の耳元に口を寄せて囁く。


『本当に大事なものは、きっと変わらないものだから』


「……なんだそれ、急にどうした?」


俺が尋ねると山手は、読んでいたハードカバー本をぱたりと俺の胸の上に置いた。


その表紙を見て、俺は息を呑んだ。


『本当に大事なものは』


そして、その下に書かれた著者名。


『コウヤマ ミライ』


「……これの、『コウヤ』の台詞。」


山手が、愛おしそうにそう言った。


ああそうか、あの時のヒントはそういうことだったのか。


俺は込み上げてくる笑いを、もう隠すことはできなかった。


その本を手に取り、幸せそうに微笑む恋人の顔を見上げる。


「俺もなかなか、良い事を言うじゃないか。」


その言葉は、午後の温かい光の中に穏やかに溶けていった。

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