埋葬島
これは私が知人の女性のSさんから聞いた話です。
「埋葬島をご存知でしょうか?」
彼女のもとに一通の知らせが届いたのは今年の初夏のことです。
差出人は「大林製薬株式会社」。
日本どころか世界的に有名なあの製薬会社です。
当時彼女は暇つぶしに複数の懸賞に応募して、最初そのうちの一つが当たったのかと思ったそうです。しかし、内容は想像だにしていないものでした。
「母の……――――実の母の訃報でした。」
Sさんの産みの親は彼女が物心つく前に家を出て以来、音信不通だったそうです。
Sさんは「今からは想像もつかないのだけど……」と前置きでご自身のご家庭の事情を語りました。
Sさんの母親がSさんの元から去った理由はSさんの父親と祖母……――――お姑さんによるDVが原因でした。
Sさんの父親と実の母親は交際期間も短い、ほぼ行きずりの学生同士の出来ちゃった婚で、少々古い価値観が残る父方のご実家からは反対されていたそうです。
当時のSさんの祖母はとても気性の荒い人だったようで、息子の経歴に傷をつけたと、事あるごとにSさんの母親をよく罵倒していました。Sさんの父親も当時はそんな祖母に似た横暴な人で、つまらないことで癇癪を起こしてはSさんの母親を殴っていました。彼らの暴力に耐えきれなくなったSさんの母親は、ある日幼いSさんを家に置いて身一つで家を飛び出してしまった……という《《らしい》》のです。
Sさんの父親はその後、職場の同年代の女性と知り合って再婚しました。
この女性は清楚で大人しそうな外見をしていましたが正義感が強く物怖じしない性格で、気性の荒いSさんの父親と祖母を時間をかけて現在の穏やかで優しい性根へ矯正したそうなのです。
後妻の女性はSさんを後に産まれた弟妹と分け隔てなく可愛がりました。
また、Sさんの父親を尻に引きつつも夫婦仲は良好で、祖母とは1度警察も呼ぶ大きな喧嘩をしたものの現在では半年に1回二人で旅行をするほど意気投合して仲良くなったそうです。
――――なので、《《らしい》》、と言うのもSさんから見た父親と祖母は穏やかで物静かな人で、Sさん自身に対して暴力を振るうことはおろか、怒鳴りつけて叱る事は1度も有りませんでした。
前妻であるSさんの母親の逸話もあくまで当時を知る親戚の言伝の範囲でしか離婚理由の情報はないとのことでした。
実母の出奔の真相が親戚が語るような酷いものだったのか、父親も祖母も当時をあまり語りたがらないので定かではありません。
しかし、Sさんは家を出て一人で暮らし始めても、自分の人生の幸福が一人の女の不幸の元に成り立っている事に対して常に申し訳なさを感じない日はなかったそうです。
そんな中、届いた一通の訃報。
内容は「半年前に当方が管理する墓地において埋葬致しましたので、遺留品を引き取られますか?」という簡素なものでした。
拒否することも可能でしたが、Sさんは後ろめたさからその埋葬施設まで足を運ぶことに決めました。
埋葬島。
H県の南にある小さな島。
瀬戸内にある小さな島で島全体が土葬専門の埋葬地になっているそうです。
元々無人島で漁師たちの休息や荒波の避難目的で簡素な建物が数件あるだけでしたが、大正のはじめに大林製薬を作った資産家一族が土地を買い取り許可を得て改築し、身寄りのない従業員のための墓所を作ったのがその名称の始まりだと言われています。
墓地は主に土葬で、ムスリムやクリスチャンといった海外移民の遺体を受けておりましたが、しかし如何せん狭く小さな島なので現在は海外や会社外部からの受け入れを締め切っているそうです。
Sさんがその島を訪れたのは手紙を受け取って1週間後のことでした。
小型のフェリーにはSさんと数年前に息子さんが埋葬されたというムスリムのご夫婦と乗組員の合計7人での来島でした。
Sさんが島に着いてまず真っ先に気になったのは《《潮に混じった死臭》》でした。
梅雨明けの瀬戸内の青空はカラッとどこまでも澄んで美しいのに、すえた独特な甘みを含んだ臭いが島全体を覆ってなんとも形容しがたい薄気味悪さが漂っていました。
Sさんたちを出迎えたのは島の管理者の男性でした。
管理者を名乗る白髪で瞳が赤い長身の男性は、Sさんたちを見据えて軽く微笑んで「お悔やみ申し上げます」と頭を下げた後、島の埋葬施設に案内をしました。
男性は製薬会社の役員で、この島には数日泊まりのシフト制で管理しており、Sさんが訪れた時には男性の他に二人程駐在しているとのことでした。
Sさんは小さなコンクリート製の真新しい建物に案内されました。
建物内は令和に入ってから改装を行ったらしく、中はまるでビジネスホテルのロビーのように小綺麗な内装をしていたそうです。
受付で届け出を済ませると、男性は暫くお待ち下さいとSさんをその場に残し奥へ引っ込んでしまいました。
Sさんは腰掛けたソファの側の窓を眺めました。
全面ガラス張りの窓の向こうにズラッと並んだお墓を見て、現実味を失うような離人感に見舞われたそうです。
暫くしていると管理者の男性がSさんのもとに小さな小箱を抱えて戻ってきました。手渡された小箱の中には文房具が数点と一つの写真立てのみが収められていました。
「死因は事故死だそうです。」
あちらに埋葬されています、と男性は墓地の真ん中の一番新しい墓標を指さしました。
白く小さい墓標には「202✕年8月1日:◯◯◯◯ノ墓」と刻まれていました。
男性曰く、Sさんの実母は大林製薬会社の子会社で事務員をしていたそうでした。
仕事帰りに車に追突されそのまま搬送先の病院で亡くなったそうです。
身よりもなく、会社の社長と部署だけの小さなお葬式を上げました。
そして生前「土葬がいい」「死後燃やされて何も残らなくなるのは嫌だ」と周囲に語っていた為、会社が管理するこの島で埋葬されたと言う事でした。
Sさんの実母のご自宅には生きる上で最低限のものしか置いておらず、貯金も有りませんでした。Sさんにお渡ししたいという遺された遺留品というのは無断で処分するには困るような仕事で使用していた文房具の他、常に机の上に置かれていた赤子の頃のSさんの写真が収められた写真立てでした。
男性はSさんの実母とは勤務部署は異なりましたが面識があったらしく、写真の中の赤子が誰なのか……――――善意か興味か定かではありませんが、気になって半年かけて探し連絡をしたという次第だったのです。
写真立てを受け取ったSさんは、腹の底から怒りが湧き上がったそうです。
Sさんの本来の人生は満ち足りたものになるはずでした。
実の子ではないという後ろめたさはSさんに常に付き纏い、幸福を享受しようとする度に遠慮という形で顔を見せました。
反抗期を押し殺し、顔色を伺い、それが相手を心配させ気を使われて、更に深まって……――――尾を咥える一匹のヘビのような悪循環でSさんを苛み続けました。
こうなった原因は実母を追い詰めて追い出した父親と祖母にあります。
それでも、Sさんは彼らを憎むことは出来ませんでした。
深い愛情を注ぎ今も尚暖かく愛してくれる彼らより、置いていった母親の方が遥かに非道なひとでなしに思えてなりませんでした。
何故、置いていったのか。
何故、連絡をよこさなかったのか。
写真を手元に遺し続けるくらいなら、何故会いに来なかったのか。
「いっそ恨み言でも遺してくれればよかった……ただ、影だけを落としたことが無性に腹立たしかった。」
写真立てはSさんの実母がSさんの存在を支えにしていた証ではありますが、Sさんにとっては縛り付ける呪いのようにも見えました。
Sさんは衝動のまま写真立てを床に叩きつけて破壊しました。
管理者の男性は驚いてSさん見つめましたが、調べる内に事情を悟っていたのか、あえて何も尋ねずに事務所から掃除機を取り出して粉々になったガラスフィルムと真っ二つに割れた木製の枠を片付けてくれました。
自分でしでかした行動にショックを受け動けないままで居るSさんに男性は静かな声色で「残りも処分しましょうか?」と尋ねました。
Sさんはあまりにも感情を含まないその態度に我に返り、静かに「お願いします」と返しました。
その日は午後に本土へ帰る予定でしたが、天気予報を超えた高波の影響で船が出せずSさんとムスリムの御夫婦と乗組員はその施設で一泊することになりました。
小さな施設でしたので女性乗組員と3人の相部屋を充てがわれ、食事は各々保管していたカップ麺で済ませました。
夜が更け他の滞在者はテレビを見ながら談笑をしておりましたが、Sさんは起きていると根掘り葉掘りあの白髪の管理者に実母のことを聞いてしまいそうで、順番で風呂を借りて早々と布団に入ったそうです。
しかし漂う死臭は布団にもこびりついておりSさんは中々眠りにつくことが出来ませんでした。
深夜0時頃、談笑に飽きた乗組員が部屋に戻ってきました。
Sさんは彼女が布団に入って寝息を立て始めたのを聞いた後、起き上がり自販機で水を買おうとロビーまで足を運びました。
しんと静まり返った施設の中は何処も腐敗臭に満ちていてSさんは死に囲まれた恐怖より、拒絶されているような居心地の悪さを覚えました。
Sさんは小さな灯がつけっぱなしになっていたロビーで水を買うと半分ほど一気に飲み下し、はーっと大きく息を吐き出しました。
その時です。
ふと、ざりざりっという音が耳に入り、全面のガラス張りの窓へ視線を向けました。
ざり……ざり……、ざり……
墓地の向こうの林から何かが這うような音がこちらに近づいてきました。
Sさんの全身にゾワリとした悪寒が駆け巡ります。
怒りと死臭ですっかり忘れていた感情。
――――この島は死に包まれている。
Sさんは忌避すべき穢を思い出し、その場から動けなくなりました。
――――ずるり。
ガラス窓の向こうで林がガサガサと揺れ、その根本から巨大な物体が這い出てきました。
その姿を見たSさんは息を呑みました。
それは、《《肉塊》》でした。
肌色……―――黄色人種の……皮膚を身にまとった大きな肉の塊でした。
大きさは毎朝通勤時にすれ違う近所のゴールデンレトリーバー程でしょうか。肉塊の表面には薄っすらと産毛のようなものが生えており、ナメクジのようにでこぼこと不安定に波打っては、ずるりずるり尾のような管を一つ引きずりながらこちらに向かってきているのです。
Sさんは声を出すことも逃げだすことも出来ず、迫りくる肉塊をただ眺めていました。
肉塊はSさんに気がついているのかいないのか、その様子を意にも介さず墓地の真ん中の一番新しい墓標の前まで這うと引きずっていた尾をぶすりと真下の地面に突き刺しました。
そして……――――
――――じゅう。
突き刺した尾がポンプのように土の下の何かを吸い上げ、皮膚が大きく波打つとゴクリと何かを咀嚼する音があたり一面に響きました。
――――じゅう、じゅう、ごくり、じゅう。
《《飲んでいる》》。
肉塊は、《《まるで水を飲むかのように》》、《《地面の下の》》、《《何かを飲んでいる》》。
――――じゅう、じゅう、ごくり、じゅう、ごく、ごくり。
ロビーの小さな灯に照らされた墓の真ん中で、肉塊がその土の下に埋まったなにかを吸っている。
一番真新しい、墓標の下の。
Sさんの実母が埋められた土の下の……――――
恐怖が喉から悲鳴となって這い出ようとした瞬間、Sさんは後ろから誰かに口を手で塞がれました。
「しっ、静かに。」
恐る恐る視線を声のする方へ向けると、真っ白な毛髪の下の赤い瞳と目が合いました。
「大丈夫。落ち着いてください……――――大きく息を吸って……」
それは管理者の男性でした。
男性はSさんを落ち着かせるように優しい声色で語りかけながらゆっくりと口を覆っていた手を離しました。
「ふーっと吐いて。そう、そう。もう大丈夫です。」
「あれは……―――」
言われるがままに一呼吸を置くと、Sさんは管理者を振り返りました。
男性は相変わらず感情の一切籠もらない人形のような表情のまま答えます。
「心配いりませんよ……――――《《あれは生者に興味を持ちません》》。」
――――じゅう、じゅう、ごくり、じゅう、ごく、ごくり。
肉塊はやがて満足したのか、尾のような管を地面から引き抜くと、大きくゲップのような息を吐き出して、来たときと同じように這いずりながら林の中へ消えていきました。
Sさんはその後の記憶がぱったりと無いそうです。
気がついたら布団の上で寝ていて外は朝を迎えていました。
恐らくあの後直ぐに気絶してしまい、管理者の男性に部屋まで運ばれたのでしょう。
目覚めたSさんは奇妙な感覚を覚えました。
――――Sさんはその日の朝が、今までで《《一番晴れやかな寝起き》》だったのです。
まるで元旦の爽やかな朝のような清々しさ。
晴れ渡った瀬戸内の海に反射する朝日の眩しさ。
昨晩まであれだけ気に障った死臭すら一切気にならないほどでした。
実母に対してずっと抱いていた後ろめたさも憎悪にも近い怒りが綺麗さっぱり消え失せていたのです。
――――それはまるでその辺に転がる石ころを見るような、《《どうでも良さを覚えた》》と。
ロビーからふと外を眺めると墓地にあの肉塊が這った跡と管を突き刺したであろう穴を見つけて、昨晩の出来事が夢ではないと一瞬だけ背筋をゾッと冷たいものが駆け巡りましたが、不思議とあの時のような恐怖はそれ以上湧いてこなかったそうです。
全員揃ってパンと自販機のコーヒーだけの朝食を取った後、施設を後にしました。
船に乗る直前、Sさんは島に残る管理者の男性にもう一度昨晩のことを訪ねました。
「ああ、あれですか。”《《神の使い》》”だそうですよ。」
男性は少々面倒くさそうな声色で続けます。
「私も詳しいことは何も知らないんですよ。”神の使い”だって、先輩がそう言っていただけで一体《《どの神の何の使い》》なのかさっぱりわからないままです……――――ただ海からやってきて地面に口……いや尻尾かも……管を差し込んで吸い上げる。それだけ。こちらになにかしようとか一切ありません。たまに海からやってきては新しい遺体から何かを吸い上げている。本当にそれだけなんです。」
「……――――そうですか。」
「昔ね、1度掘り返して死体を確認してみたんですよ。遺体は《《埋葬した当時のまま》》でした。何の損傷もありません、《《きれいな状態でした》》。きっとそういう事なんだと思いますよ。」
「…………」
「前任者は触ったとも言ってましたね。やめさせようとしてもびくともしなかったそうです。刃物で傷をつけようとしてもぐにゃっとめり込むだけ。なのに、触る感触は人間の皮膚そのもので、血管らしきものも目視できたとも……――――彼はその後、別に呪われたりとか逆に幸運が訪れたりだとか一切なかったそうですが。」
「……――――あれは、一体何を吸っていたんでしょうか……?」
「さあ……――――あ、彼は”咎”だと言ってましたね。」
――――まあ、憶測でしか無いんでしょうけど。
管理者曰く、海からやって来る頻度は月に1回あるかないかでSさんが目撃したのは偶然だということでした。そして製薬会社の関係者以外で目撃したのもSさんが初めてだとも。
「彼らは知っているんでしょうか?」
船に乗り込む夫婦を眺めながらSさんが問うと、管理者の男性は困ったような笑みを浮かべてこう答えました。
「知らないでしょう、知らないほうが良いと思います。」
大林製薬やSさんの実母がどこまで知っていたのか、定かでは有りません。
外部の土葬の新規受付は打ち切ったとの事ですが、餌を失ったあの肉塊は一体どうするのでしょうか。もっとも、遺体の状態は関係ないのかもしれませんが。
あれ以来、Sさんの中から実母に対する感情の全てが一切消えてなくなったそうです。
後ろめたさも、恨みも、怒りも、同情も、切なさも、罪悪感すら。
それはSさんどころか、Sさんの父親や祖母、親戚たちも同様でした。どことなく《《晴れやか》》になったと聞きました。
あの日を境にSさんの実母に対する他者の感情は何もかもなくなってしまったのです。
「本当に、吸っていたのは咎だけなんでしょうか。」
そう語るSさんの声色には憐憫すら、残されていませんでした。




